5. 消えた指輪と記憶9
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翌日、智と共に向かったのは、智や多々羅が通っていた大学だった。
指輪は、キャンパス内の花壇に埋められているという。その花壇はテニスコートにも近く、学生達の活気ある声と共に、ボールがラケットに当たる小気味良い音が聞こえてくる。智はOBとしてテニスサークルに顔を出す事が多いらしく、現役の部員からの挨拶も親しみが込められていた。
「後輩達に慕われてますね。さすが智さん」
「大した事じゃないよ、たまに練習相手になってるだけだし」
「うわ!智さんが練習付き合ってくれるなんて良いなー。智さん、名コーチって有名だったんですよ」
多々羅が興奮気味に愛に教えると、愛は「色々な逸話を持ってるんだな」と、真面目な口振りで感心したように言うので、智は「多々羅達が勝手に言ってただけだから!」と、困って赤くなっていた。
花壇の前にしゃがみこみ、智は花壇の端の土を手で掘っていく。掘るといっても、奥深くには至らず、すぐに土の中から透明なビニールが見えた。
「こんな所に埋めてると知られたら、怒られるよな」
智がビニールの上の土を払いのけると、紺色の四角いケースが見えた。それを目にした途端、智の指輪の化身が飛び出して、嬉しそうに涙を溢しながら、その指輪のケースの傍らへ降り立った。
化身は、見えるケースをビニール越しに撫で、「早く取り出さなくちゃ!」と、智を見上げているが、智の手はそこで止まってしまった。今、化身の姿が見えているのは愛だけだ。化身は縋るように愛を見上げるので、愛は、待ってくれと言うように、そっと手で合図を送った。愛は、一歩下がったところで、智と多々羅の様子を見守っていた。
多々羅は、愛が化身とやりとりしている事は気づいていない様子で、膝に手をついて、花壇の中を覗いている。
「どうしてここに?」
「…初めて麗香と喋ったのが、ここだったんだ」
それを聞いて、多々羅にも思い当たる節があったのか、納得すると同時に目を輝かせていた。
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それは、七年前のこと。入学直後から、麗香はその美しさから注目の的だった。
いつも凛としていて、成績も優秀で、テニスも上手い。それでいてお高くとまらず、笑う顔は屈託ない。智は、いつも遠くから見つめるだけだったが、その時は綺麗な子だなと思うくらいで、そこに特別な感情は無かった。
筈だった。
ある日、いつものようにテニスコートへ向かおうとした時、あの花壇の付近で、先輩から遊びに誘われている麗香がいた。周囲には、なんだなんだと、遠巻きに様子を見ているギャラリーが出来ていて、智もその野次馬の気持ちは少し分かる気がした。
麗香に声を掛けている先輩は、優秀でありながら派手なタイプな男性で、学内では有名人だった。そりゃ麗香は目につくよなと、他人事としてそこを通りすがろうとした智だったが、すれ違い際、麗香と目が合ってしまった。
麗香の揺れる瞳が、どういう訳か群衆を掻き分けて智を捕らえた。その瞬間、智の思いが、世界が一変した。時が止まったような感覚、理由は分からないけれど、どうしても麗香から目を逸らす事が出来ない。
「ね、行こうよ」との先輩の声に、智ははっとした。麗香の視線が智から外れ、「だから行きませんってば!これから練習があるんですから」と、麗香が腕を振り払おうとする。先輩に向けた眼差しには、瞳を揺らす素振りも見せず、毅然として見える。それが、彼女の強がりであることに、智は気づいてしまった。本当は、泣きそうになっているのに、弱さを見せないように立ち向かっているのではないかと。
そんな麗香の姿を見て、智は考えるよりも先に体が動いていた。
「はい!僕も立候補します!」
智は、二人の前に挙手して現れた。その唐突な申し出に、様子を見守っていた周囲の生徒達も騒めき、「は?なに、君」と、当然先輩は顰しみ眉を寄せた。その強い嫌悪感と眼差しに智は怯みそうになったが、チラと麗香に目を向ければ、彼女はきゅっと唇を噛みしめながら智を見つめていて、その姿に、智は自分を奮い立たせた。
「先輩、この人をデートに誘っているようですが、まだこの人、うんと言っていません。ならば、僕にも彼女とデートする権利があるのではと思いまして!橘麗香さん、僕とデートして下さい!」
「は?」
サクサクと麗香の前に歩み出て、智は麗香の前に片手を差し出し頭を下げた。立候補とはデートの申し込みだったのかと、予想外の事だったのだろう、先輩と共に麗香も目を瞬いていたが、麗香はすぐにはっとしたように先輩の手を振りほどくと、勢い込んで智の手を両手で握った。