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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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5. 消えた指輪と記憶5



愛が(さとし)の部屋を出た頃、リビングでは、多々羅(たたら)麗香(れいか)がゴミ袋片手に片付けをしていた。


「良い写真だな…なんか雑誌の表紙みたい」


そんな中、多々羅が目にしたのは、麗香と智がドレスとタキシードを着て、海辺で寄り添う写真だ。結婚式のものだろう。


「ね、幸せそうだよね…」


自分の事なのに、麗香は他人事のように言う。多々羅が麗香を振り返ると、麗香は寂しそうに写真を見つめていた。その表情からは、他人事のように思っているとは到底思えず、多々羅の胸は苦しくなる。麗香は、智の事を思い出したいのだろうと改めて感じ、多々羅は躊躇いながら口を開いた。


「…あの、記憶の事、聞いても良いですか?」

「うん、気にしないで聞いて」


麗香は柔らかに表情を緩めた。きっと、多々羅が気にしないように気を遣ってくれたのだろう、だが、その表情は、どうしても無理をしているように見えてしまう。それでも、何か記憶を取り戻す力になりたくて、多々羅は顔を上げた。


「こういう…場所の記憶も、無いんですか?」


多々羅が示すのは、写真を撮った場所の事だ。麗香は写真を見つめ、寂しそうに笑った。


「場所は覚えてる。ドレスを着て、写真を撮って貰って、幸せだと思った事は覚えてるのに、ただ、誰と居たのかが分からないの。結婚した記憶もある、なのに智さんの顔だけが、靄がかかってるみたいに思い出せなくて。だから写真を見て、あぁ智さんと結婚したんだなって理解するの。でも、何だか別の人の記憶を覗いてるみたいで、私は本当に私なのかって、不安になるのよ。だから、智さんと会って話さなきゃとは思うんだけど」

「それが、怖い…?」


多々羅がそっと尋ねると、麗香は眉を下げて頷いた。


「うん。だって夫婦だったのに、私だけ記憶がなくて、私はその時の自分の気持ちすら分からない。写真を見て事実だと理解するだけで、実感が沸いてこない。それが、…怖い。こんな状態で会っても、私、智さんの前でどんな顔でどんな風に喋って、何を考えていたんだろうって、あの人の知ってる私を、私は知らないから」


言って、麗香ははっとして顔を上げた。


「ごめんね、暗い話ばっかりね」

「そんな事ないですよ!」


「麗香さんは、智さんに嫌われたくないんですね」


気づくと愛が側にやって来ていて、多々羅が見ていた写真を手にしながら、ぽつりと呟いた。


「大事な物ほど、向き合う事は怖いですよ。麗香さんが何も知らなくても、智さんは麗香さんの事を知ってますよ。智さんがきっと、麗香さんの知らない日々を取り戻してくれるんじゃないでしょうか」


その言葉に、多々羅は愛をまじまじと見つめていた。愛が視線に気づき、多々羅のぶしつけな視線に眉根を寄せると、多々羅ははっとした様子で笑顔を作り、麗香に向き直った。


「…そうですよね!そっか、そうかもしれない。勇気出さなきゃ、何も始まりませんよね。智さんも、きっと待ってますよ!」


だから、大丈夫。指輪も見つかるし、きっと智の事だって。

その背中を押すような二人の思いに触れ、麗香はそっと表情を緩めた。


「…ありがとう」



***



「…なんだ?人の顔見て」

「い、いえ!何でもないですよ」


マンションから出て、麗香を駅まで送った帰り道、多々羅は先程の愛の言葉を思い返して、また愛の事を、じーっと見つめていた。

愛に怪訝そうに見られ、多々羅は咄嗟に明後日の方を向いたが、心の中では、愛の事を考えていた。


愛も、同じなのだろうか。怖いから、家族と距離を取るのだろうか。愛も、家族が大事だから。


ぼんやりとする多々羅を見て、愛は溜め息を吐いた。


「仕事を頼む。智さんの指輪を持ってきてくれ」

「…は?」


唐突に仕事を振られ、多々羅はきょとんとして再び愛を見つめた。

智の指輪を持ってくる。一瞬どういう意味か分からずに、頭の中が混乱する。


「智さんとは仲良いんだろ?勿論、依頼の事は伏せてね」

「え、指輪を?どうやって?」


さすがに結婚指輪を借りる訳にはいかない。借りる理由も思いつかない多々羅に、愛は肩を竦めた。


「それは自分で考えてよ、ちょっと見せてとか何とか言ってさ。良かったな、ようやく道案内以外で、探し物屋として役立てる時がきたな」

「いやいや、無理ですって!バレますって!」

「見ず知らずの俺が行くよりましだろ」

「えー…あ!じゃあ、うちで飲み会開きましょう!」

「…うちで?」


愛は再び、怪訝そうに多々羅を見やった。



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