5. 消えた指輪と記憶2
「智さんが言ったんです、指輪が無くなったのは、そういう事なんじゃないかって。結婚するのは、僕じゃなかったかもしれないって、本当に相応しい相手かどうか考える、良い機会なんじゃないかって。私それを聞いて、私が智さんに別れたいって話をしたのかなとか、事故に遭う前は、智さんとどんな関係だったのか、それも分からないから、どうしていいか分からなくて」
「…麗香さん、」
「忘れちゃった私を重荷に感じたのかもしれない、優しそうな人だから、私の事、可哀想に思って別れられないのかも、」
「それはきっと違いますよ!」
顔を伏せる麗香に、多々羅は麗香の傍らにしゃがんでその顔を見上げた。泣きそうな瞳が可哀想で、多々羅の胸を苦しめていく。
「智さんは、確かに優しさの権化みたいな人ですけど、」
「…凄いな」と、珈琲をすすりながら愛がぽつりと漏らしたが、多々羅は構わず続ける。
「でも、言いたい事が言えない人じゃありませんから!俺にだって、弟の事を色々聞かれてる時に、多々羅は弟の穂守じゃないだろって、弟に会いたきゃ自分で会いに行けって、こいつに失礼だろって言ってくれて。周りは一気に白けましたけど、それでも、そういうの気にせず誰かを守ってしまう人なんです!えっと、だからって訳じゃないけど、智さんは今だって麗香さんを好きだと思いますし、多分、智さんも戸惑ってるだけです、絶対そうです!」
「…そうかな、私、捨てられた訳じゃないのかな」
「そんな訳ないじゃないですか!」
真っ直ぐと力強く否定する多々羅に、麗香は数度目を瞬くと、強ばっていた肩を落とした。
「…ありがとう、多々羅君」
泣きそうに微笑む麗香に、多々羅は笑顔で珈琲をすすめたり、お菓子をすすめたり、心を和ませようと話を続けたりと忙しい。
そんな多々羅の姿を、愛は不思議な思いで眺めていた。
それから改めて話を聞き、例の紙に名前を書いて貰った。麗香からは、長年愛用している物を借りる事にした。それは、アジアンテイストの模様の入ったコンパクトミラーだった。結婚指輪は常にしていた筈だし、手近な物なら指輪の行方も知っているかもしれない。
麗香は不思議そうにしていたが、「警察犬的なあれ」という、多々羅の説明でどうにか納得して貰えたようだ。
そして念の為、明日、麗香と智が暮らしていた部屋を見せて貰う事となり、この日は麗香と別れた。
麗香が帰った後、応接室のテーブルの上を片付けながら、多々羅は思案顔を浮かべていた。愛はソファーに座り、珈琲のカップに口をつけている。
「部屋にあれば良いですけど…、家具の隙間とか、そういう所にある可能性もありますよね」
「無いとは言いきれないけど。ただ、旦那が持ってるとしたら、旦那に直接話を聞く事になるな…」
「そうですよね…でも、智さんは持ってなさそうだって言ってましたよ?」
「旦那が隠し事をしているかどうかなんて、旦那の記憶を失っている彼女には分からないんじゃないか?まぁ、旦那の持ち物に話を聞けば分かるだろ」
「…そうですね。でも、本当に智さんも持ってないとしたら、どこにあるんでしょうね…」
彩のペンダントのように移動したのだろうか、首を傾げる多々羅に、愛はふとその顔を見上げた。
「それにしても、つけこもうとしないんだな」
多々羅は驚いて愛を見下ろした。
「えぇ?しませんよ、そんな事!だって俺、今は…」
結子の事を口にしかけて、多々羅ははっとして口を噤んだ。愛は、「今は?」と不思議そうに多々羅を見ている。多々羅は誤魔化すように、慌てて口を開いた。
「そ、そういう事、出来ないから、未だ劣等感に苛まれてるんじゃないですか!」
はは、とから笑いして言えば、愛は眉を寄せて何か思案していたようだが、最終的には「まぁ、そうだな」と納得してくれたようで、それ以上の追及が及ばない事に、多々羅はほっと息を吐いた。
「それに、あの夫婦は俺にとっては憧れの二人なので、幸せでいてほしいんです。これは本当に」
「幸せは、他人が決める事じゃないだろ。他人が見て幸せな姿が、本人にとって幸せかは分からない」
「…まぁ、そうですけど。もう、それ言ったらおしまいでしょ!とにかく力になりたいんです、俺は!二人には、救われたので」
やる気満々の多々羅に、愛は不満そうに表情を歪めた。
「今回も首を突っ込むつもりか」
「当たり前ですよ!俺の知り合いなんだから、智さんや麗香さんに連絡取るのも都合が良いだろうし、それに、今回も道案内が必要でしょ?」
にっこり微笑む多々羅に、愛は忌々しげに舌打ちをして、長い足を組み換えた。




