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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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5. 消えた指輪と記憶1


多々羅(たたら)は足取り軽く、お茶の用意に向かった。たった今、頭に思い浮かべたマドンナとの再会だ、浮かれてしまうのは仕方ないだろう。

多々羅が宵の店に来てから、お客様用の飲み物の種類も増えた。今までは緑茶しか無かったが、珈琲と紅茶も取り揃えている。単純に、多々羅がたまに飲みたくなるから、というのもあるが。


麗香(れいか)の為に三人分の珈琲を淹れると、お茶うけにクッキーを添えて、多々羅はいそいそと階下の応接室へ向かった。


応接室のドアをノックして入ると、麗香は多々羅を見て、どこかほっとした表情を浮かべていたが、その顔は、間もなく不安そうな笑みに変わった。

その様子に、多々羅も不安を覚えた。記憶の中の麗香は、頼れるかっこいい女性というイメージで、いつも背筋をしゃんと伸ばしていた。誰かを励ます姿は見たことあるが、こんな風に弱さを表情に表すことはなかった。


「久しぶりですよね、(さとし)さんもお元気ですか?」


麗香に何があったのだろう、探し物と何か関係があるのだろうか。

多々羅は心配しながらも、とりあえずはいつものようにを心がけ、珈琲を差し出しながら尋ねれば、麗香は言いにくそうに俯き、左手の薬指に触れた。その指には、あるはずの指輪が無かった。


「…実は私、ひと月前に事故に遭って。記憶を失くしてしまって」

「え、大丈夫なんですか!?」


まさかそんな事になっていたとは思いもよらず、多々羅が思わず身を乗り出せば、麗香は眉を下げて笑った。


「大丈夫、傷は大した事ないし、多々羅君の事もよく覚えてる、記憶がないって言っても、ほんの少しで…。その、智さんの事だけ覚えてなくて…おかしいでしょ?他の、何でもないような事は覚えてるの、事故に遭った日の朝に何食べたとか。でも、誰と食べたかは覚えてない…その人物だけ、靄がかかって何も思い出せないの。結婚した事も、大学からの付き合いって事も、親や友達から教えて貰って。それで写真を見てたら、指輪が無い事に気づいて」

「…そうだったんですか」


多々羅は思いもしない麗香の現状に、どう言葉を返して良いのか分からず、頷くだけになってしまった。

「ごめんね、こんな話」と苦笑う麗香に、多々羅は慌てて首を振った。


「すみません、そんな事になってるなんて思わなくて…あの、今、智さんとは?」

「今は、離れて暮らしてる。二人で暮らしてたマンションは智さんが住んで、私は実家に戻ったの。智さんが、今はその方が良いんじゃないかって」


麗香は笑っていたが、その表情は無理して笑っているようにしか見えなかった。そうでもしないと泣いてしまいそうな、そんな表情だった。


「…私、きっと傷つけてるよね」

「そんな、智さんは麗香さんの事考えて、そうしようって言ったんじゃないですか?麗香さんにとっては、知らない人が旦那さんって状況なんでしょ?」

「そう…そうなんだけど、なんかね、実家に居る自分も落ち着かなくて。でも、智さんと会う事の怖さもあってね。自分で自分が分からないのよね」


きっと、心は智の事を覚えていて、智が好きだからではないかと、多々羅は思った。心と記憶の差が、怖さに繋がっているのではないだろうかと。病気の事は分からないので、多々羅の都合の良い想像かもしれないが。そんな風に思ってしまうのも、二人は多々羅にとって憧れで、二人の事は良く見ていたし、麗香も智も、多々羅の事を気にかけて可愛がってくれた。二人の穏やかでありながら深い結びつきは、側にいて見ていたから知っている。だから、二人が離れてしまう事を、多々羅はなかなか受け入れられなかった。


戸惑う多々羅を見て、愛は麗香に視線を向けた。


「探し物というのは、その結婚指輪ですか?」


愛が尋ねると、麗香は愛に向き直って頷いた。それを見て、多々羅は戸惑いのまま口を開いた。


「指輪、智さんが持っているんじゃないですか?」

「私も最初はそう思ったんだけど、智さんは知らないの一点張りで。多分、本当に知らないんじゃないかな。部屋中探しても見つからなくて…私、もう、分からなくて」


麗香は、指輪の無くなった左手を握りしめた。


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