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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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3. 再会と宵と用心棒24

正一(しょういち)さんは、わざと君に何も教えなかったのかもね。そうしたら、愛君は君に構わずにはいられないでしょ?」

「そんな…」


言いかけて、多々羅(たたら)は正一の姿を思い浮かべる。正一なら、やりかねない。彼は少々強引で、でもその強引さに救われる事もある。正一はいつだって相手の事を考え、理解してくれていたからだ。


「愛君の瞳の事を知ってても、本当の事は何も知らない、そんな君が必要だったのかもね。

知ってたら線を引いてたかもしれないけど、何も知らなかったら、君は知ろうと踏み込んでくるだろうし、愛君も、何も知らない頃の君といれば、思い出してくれるのかもしれないってさ。恐れられる事なんて何一つない、愛君は普通なんだって、正一さんは、それを君に伝えて欲しかったのかもね」


そうなのだろうか。多々羅は、思い悩み瞳を揺らした。

その役目が自分で、その強引なやり方が本当に愛の為になるのだろうかと、また不安になる。


「…でも、愛ちゃんは俺を辞めさせようとしてました、心配だからって。それなのに俺は、ただ必要とされたくて、愛ちゃんに気持ちを押し付けるばかりだった。こんな俺が、ここに居ても良いんでしょうか…」


多々羅は家の稽古場で、弟の穂守(ほがみ)の背中を見つめていた。学校や職場で、多々羅を囲う皆の視線は穂守に向けられていた。


あの頃の忘れていた思いが蘇ってくる。


皆と居るのに疎外感を覚え、自分は多々羅ではなく、誰かの何かでしかない事。それは、どこに居たって変わらない。愛の前に居ても、多々羅はもう、穂守の兄でしかない、優秀な弟を持った兄が、多々羅という事に変わりはない。


気持ちがどんどん揺らいでいく。人は簡単に変われない、何の為に愛の元へ来たのか分からなくなる、誰かの期待になんてそもそも応えられやしない事、そんな力が、そもそも自分には無い事、こんな卑屈な自分が嫌いな事。


思い詰める多々羅の様子に、信之はそっと表情を緩めた。


「…多々羅君は、必要だよ。まっすぐ愛君に向かっていける君が、愛君には必要なんだよ」


信之の優しい声が、丸くなる多々羅の背中をそっと支えるようだった。


「ただ居るだけで良いんだよ。愛君は楽しそうだよ、君といて。今までは、平気な振りをして取り繕っていたんだなって思うくらい、今は昔みたいに肩の力が抜けてる気がする。あんなに人の手は借りないって言い張ってたのにさ、本気で追い出す気なら出来るのに、それをしないじゃない。

他の誰かじゃなく、君が必要なんだよ。君には、昔から心を許してたろう?」


その優しい語りかけに、多々羅は先程見た夢の中、屈託なく笑う愛の姿を思い出していた。

あの頃の楽しかった思いが甦ってくる。だけど、それも小学生の頃の話で、それ以降は会うこともなかった。愛が今も、多々羅と同じように思ってくれているのかは分からないし、自信がない。


「愛君は、君の事が人一倍心配なんだ。君を失いたくないから」


その言葉に、多々羅は戸惑いながら、そろそろと顔を上げた。


「それ以外、理由はないでしょ?」


信之はそう言って笑った。信之の言葉は不思議だ、何の迷いも躊躇いもなく胸に届いてしまう。信之の信じるものが真実だと思ってしまい、多々羅は更に戸惑って視線を揺らした。


「でも、俺、愛ちゃんに無神経な事言いましたし、」


無くした自信と、新たに生まれた希望に戸惑う。嬉しいけれど、飛び込んで良いのかと二の足を踏む多々羅に、信之は少し眉を下げて尋ねる。


「多々羅君は、これからどうしたい?」

「俺は…」


ふと、夢で見た愛の顔が浮かぶ。最後に見た愛は、寂しそうに目を背けた姿で、愛が向かったのは、小さな二人が駆けていった場所。


多々羅は、ぎゅっと膝の上で拳を握った。


「俺は…、それでも力になりたいです。愛ちゃんの。心配させるかもだけど」


あんな顔させたくない。壁を作る愛を、一人にはさせたくない。


それを聞いて、信之は安心した様子で肩の力を落とした。


「そっか。なら、力になってあげてほしい。

本当は、不安な筈だからさ。坊っちゃんは臆病だから」


そう言って、信之は焦りながら「今のは内緒ね」と、愛が聞いてやいないかと、ドアの向こうの様子を窺うので、多々羅は笑ってしまった。

これも信之の心遣いだろうか、多々羅は少しずつ心が緩んでいくのを感じる。優しい人だ、愛の周りには優しい人が多い。それは、愛も優しい人だからだろうかと、多々羅はぼんやり思う。そんな愛を囲う優しさに、多々羅はいつも救われてばかりだ。

信之は照れ笑い、再び多々羅に向き直った。


「それにさ、僕も近くに居るから。何かあったらいつでもおいで。僕も力になりたいんだ。あ、でも、無茶はしちゃ駄目だよ」


信之はそう言って、知らず内に強ばっていた多々羅の肩を解してくれる。そして、支えてくれる。

一人で生きている訳ではない、多々羅も、愛も。


「ありがとうございます」

「ううん、僕も心配だし、多々羅君が来てくれて嬉しいんだ」


信之はそう微笑み、それから「あと一つだけ」と、続けた。


「こんな事無いに越した事ないけど、もし禍つものに取り憑かれた場合、自己防衛が出来るとしたら、一つだけ。しっかり自分の心を持って、揺らがない事。精神論になっちゃうけどね。でも、結局化身は、物の思いだから。もし襲われるような事があったとして、反抗出来るのは、僕のような力や愛君の扱う道具は別として、強い思いを持って跳ね返すしかないんだ。それと、本来は見えない事が普通なんだから、それを忘れちゃ駄目だよ」

「はい」


多々羅は信之の目を見て、しっかりと頷いた。


そこへ、トントンとドアが再びノックされた。信之が返事をすると、そっと開けたドアから、愛がそろそろと顔を覗かせた。


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