3. 再会と宵と用心棒15
「……あれ?」
だが、予想した衝撃は一向に襲ってこない。不思議に思い目を開けてみると、大きく傾いた棚は、傾いた角度を保ちながらピタリと止まっていた。しかも、棚が傾いているにも関わらず、通常なら滑り落ちてくるだろう筈の棚の上の物が落ちてこない、それらは棚の端ぎりぎりで止まっていた。
どういうことだ、多々羅がそれにただ呆然としていると、その棚はゆっくりと定位置に戻り、倒れた棚の上の商品が一つずつ丁寧に起こされていく。
「……」
怪奇現象だ。シン、と静かな店内。多々羅は呆然としたまま体を起こした。すると、今度は何者かに肩を掴まれ、仰向けにされた。
「な、何、」
ひ、と悲鳴が喉奥に引っ込む。目の前には天井が見えるだけだが、肩を掴む手の感触はまだある。ギリ、と、はっきりと肩に食い込む五本の指の感触、その手の大きさと力強さに、多々羅の中で得体の知れない恐怖が増していく。
「な、何なんだよ、もう…!」
訳が分からず、とにかく拘束から逃れようと、必死にもがけば、肩を掴む手に更に力がこめられて、体が言うことを聞かない。
「くそ、店長!あ、」
どうする事も出来ず愛の名前を叫ぼうとしたが、何かに口を塞がれてしまった。
何だ、もしかして、殺されるのか。
焦れば更に息が苦しくなる。多々羅は必死にもがきながら、愛の名前を胸の中で叫ぶばかりだった。
**
その頃、愛は自室の机の前にいた。
愛の手の中には、片耳分の、雫型のイヤリングがある。ヒビが入って欠けてはいたが、その美しさは変わらない。
ミモザの花が浮かぶ透き通った水色のそれは、雨の雫のようにも、涙のようにも見える。
この水色が、ミモザを映す透き通った空の色に見えた事もあったのに。
それを手の中で転がしながら、愛はふと顔を上げた。
愛の部屋は、まるで本の巣のようだ。
壁際に本が山となって何冊も積み上げられ、年季の入った机にタンス、その他には、ベッドが置かれているくらいだ。
ほとんど開けられる事のなかった窓は、多々羅が来てから、毎日換気をするようになっている。一階の窓は、開けてもすぐそこに隣の家の塀が見えるが、二階は建物の影響はなく、少し離れた所に家々が見えはするが、圧迫感はない。
カーテンの閉め忘れに気づき、愛はイヤリングを机の上にある豆皿の中に入れた。本の山を見ると片付いていなさそうに見えるが、よく見ればそれらはきちんと整えられ、ある意味整頓されているようだ。机の上も、書類やファイルが山積みだったが、綺麗に整えられているのは感じられる。
ここだけ見れば、あのゴミ屋敷が出来上がる過程があまり想像つかない。やれば出来るタイプなのか、それとも、自分にとって大事な物だけは片付けられるタイプなのか。
愛はカーテンを閉め、ベッドがある壁に目を向けた。あの壁の向こうに、多々羅の部屋がある。
「……」
多々羅が気を遣って色々と声を掛けてくれたのに、素っ気ない態度を取ってしまった事を、愛は後悔していた。
仕事に対して、愛の中で譲れない思いがあったとしても、多々羅はそれを何も知らない。理由も分からないまま、一方的に拒否されたり、否定的な事を言われたら、誰だって嫌な思いをするだろうし、傷つくかもしれない。
「……いや、」
でも。と、愛は答えを出せずに頭を抱えた。そのまま、悩みながら部屋の中を歩き回り、不意に、机に置かれた書類を手にした。それには、今日の依頼の内容が書かれている。店の応接室の棚にしまいにいかなければならないもので、店に下りるには、キッチンの側を通らなければならない。そこには多分、多々羅がいる筈だ。先程、部屋の前を通る足音が聞こえてから、部屋に戻って来た気配はなかった。
「…よし」
何気なくを装って、多々羅の側を通りすがり様に、何気なく、そう、何気なく謝ってしまえばいい。
愛はそう決心してキッチンへ向かった。
「…あれ?」
だが、キッチンに多々羅の姿はなかった。トイレや風呂の電気もついてない。不思議に思い首を傾げた時、ガシャン!と、階下で何かが倒れる音が聞こえた。
「多々羅君?」
直後、愛は、はっとした様子で、慌てて階段を駆け下りた。