3. 再会と宵と用心棒13
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「…俺って、惚れっぽいのかな」
結子との再会を思い出し、脱衣所で部屋着に着替えながら、多々羅は一人呟いた。
話は現在に戻り、愛と共に夕飯を終えた多々羅は、愛が風呂に入っている間にお弁当の容器を片付け、洗い物も済ませると洗濯物を畳み、今はお風呂に入ったついでに風呂掃除を終えた所だ。
結子とは、あの日から連絡を取り合うようになった。連絡といっても愛の話が中心だが、それでも多々羅にとっては大切な時間だった。結子とやり取りしている時は、今までの自分が辿ってきた道も間違いじゃなかったのではと思えてくる。辛い事は色々あったが、あの時、瀬々市邸の前で足を止め、正一に愛の話を聞いたのも、全ては結子と再会する為にあったのではないかと、呑気にも思ってしまう程。
勿論、正一の気持ちに応えたいし、愛を一人にはしておけない。
でも、もしかしたら、その先に結子との未来があるのではないか。そんな期待も、少なからずある。
多々羅として何か出来る事がある、その思いが、多々羅を恋に前向きにさせたのかもしれない。
前職を辞めるまでの一ヶ月は、そのように浮かれた日々を過ごしていたが、今振り返れば、浮かれてばかりもいられないぞと、あの時の自分に言ってやりたい。
愛と再会するまでは、勿論不安はあったが、それでもきっと、昔のように接する事が出来ると思っていた。多々羅は愛と仲が良かったと思っていたし、それは独り善がりの思いではなかった筈。だが、いざ会ってみると、昔のようにはいかなかった。あの頃は簡単に乗り越えられた壁は、今では分厚くそびえ立ち、多々羅さえも跳ね退けようとする。とはいえ、まだ一週間。そう言い聞かせてみても、愛が壁の向こうから、ひょっこり顔を覗かせてくれる気配は、今のところない。
どうしたものかと頭を悩ませながらリビングに戻ると、愛の姿はそこにはもう無かった。
肩に掛けたタオルで髪を拭きながら、愛の部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。
「店長、何か必要な物あります?お茶いれましょうか?」
「要らない、もう寝る」
ドアの向こうからは、温度感のない声が聞こえてくる。多々羅は溜め息を飲み込み、「分かりました、お休みなさい」と言って、左隣にある部屋に入った。
多々羅の部屋は、ちょうど店の真上にあたる部屋で、部屋に入って向かい側と左手に窓があった。
左手の窓からは店の前の通りが見え、近所の家々には、まだ明かりが灯っているのが見える。多々羅は、先程飲み込んだ息を吐き出しながら、開けっぱなしだったカーテンを閉めた。
通りが見える窓の下には机があり、愛の部屋側の壁際にベッドがある。廊下側の壁には本棚とクローゼット。家具は全て正一が使っていた物で、正一は、以前からこの部屋で過ごす事も多かったようで、宵の店の仕事や研究で日付けを跨ぐ事も多く、愛もそれに合わせるように、自然と隣の部屋を使うようになったという。そんな日々を過ごしていたからか、生活するには十分の家具や家電は揃っていた。
多々羅は、ベッドに腰かけながら、ふと、愛の子供部屋を思い出していた。あれだけ広いお屋敷で、広い部屋に暮らしていたのだ、愛や正一は、この部屋は窮屈に感じないのだろうかと、ちょっと多々羅は気になる所だった。
多々羅は歌舞伎の名門に生まれているが、最近まで狭いアパートで一人暮らしをしていた。無駄に広い部屋よりも、この位の広さの方が性に合っているようだ。
多々羅が新生活の為に持って来た荷物は、スーツケースとスポーツバッグが一つずつ。特別趣味もないので、服や日用品ばかりだ。彩のように、誰かに頼んでまで探して欲しいと思うような、大事な物も持ち合わせていない。物をぞんざいに扱う事はしないが、思い入れもない。こんな人間だから、物の化身を見る事も、化身に思われる事もないんだろうな、そう思えば、思い出に残る物の一つくらい見つけておけば良かったと後悔した。
それをした所で、愛のような物の化身が見える目を持てるかは分からないが、そもそもの資格がないように思えて、ちょっとへこんでしまう。
「いや!それだけが、この仕事の価値じゃないし!」
見えなくても、この店の為に、愛の為に出来る事はある筈だと、多々羅は無理矢理気持ちを切り替えた。それから「明日は…」と呟き、明日の予定を頭に思い浮かべる。明日は六時に起きて、朝ご飯を作って、洗濯や掃除をして。
そこで、多々羅は大きく溜め息を吐き、ベッドに寝転んだ。