3. 再会と宵と用心棒3
「あら、お帰りなさい…やだ、懐かしいわ!多々羅君?」
そうして、正一に引きずられるように向かった瀬々市邸。その広い玄関で出迎えてくれたのは、使用人の女性、遠野春子だ。多々羅が愛と出会ったあの日、不安になる多々羅に寄り添い、いつも一緒になって遊んでくれた女性だ。
春子は、白いワイシャツに黒のパンツ姿、白い前掛けを掛けている。髪を短くして、年齢を重ねた印象はあるが、その愛嬌のある微笑みは変わらない。年齢は、六十代半ば位だろうか、多々羅も良く世話になっていたので、彼女も多々羅の事を覚えていてくれたようだ。
多々羅は久しぶりに敷居を跨ぐ豪華なお屋敷に、先程とは違う意味で緊張を覚えていたが、懐かしい顔が見れて、ほっと緊張が解れたようだ。
「お久しぶりです、春子さん」
「やだ、覚えてくれてたの?嬉しいわ!多々羅君、すっかりお兄さんになられて!今、仕事は?この町に帰ってきたの?今日はご飯は、」
「はいはい、積もる話は後にして、お茶よろしく頼むよ」
「あらやだ、私ったら!さぁさぁ、上がって上がって!今は大旦那様しかいらっしゃらないのよね、愛さん達が居たら喜んだのにねぇ」
正一に促され、春子は朗らかに笑いながら、多々羅に上がるよう促し、キッチンへ下がって行く。昔と変わらない春子の様子に、多々羅は思わず頬を緩めた。春子はいつもあんな感じで、明るく多々羅を招き入れては、何かと世話を焼いてくれた。
「相変わらずだろ?」
「はは、皆さん元気そうで何よりです。すみません、手土産もなく」
「何、要らんよ。僕達の仲じゃないか、僕としては、いつでも遊びに来て欲しいくらいだよ。僕もまた海外に行っちゃうから、愛の為にも来てくれたら嬉しいんだけどね」
「愛ちゃんの為?」
それはどういう事だろう、愛に何かあったのかと不安になる多々羅に、正一はこめかみを掻きながら、どこか困った様に話を続けた。
「実はねぇ、僕がやってた店あるでしょ」
「はい、探し物屋さんでしたっけ?」
「そうそう」
リビングに通されると、豪華な家具や広々とした部屋に改めて圧倒されながら、多々羅はソファーに腰かけた。ふかふかで、手触りも良い。こんなに良いソファーだったのかと驚くと同時に、このソファーの上でジャンプして遊び回っていた度に、大人達が顔を青くしていた理由も今ならよく分かる、当時を思い出した多々羅は、自分でも血の気が引く思いだった。
実家で、こんな上質なソファーの上で跳び跳ねようものなら、げんこつものだ。それ以外にも、豪華な壺やら置物やらが並ぶこのリビングで、鬼ごっこや隠れんぼをした記憶もある。それでも、青い顔を浮かべるのは瀬々市家以外の大人達ばかり。正一も愛達の両親も、よく怒らなかったなと、今頃その懐の深さを感じていた。
「それでね」という正一の声に、多々羅ははっとして顔を上げた。向かいに座る正一は、まだどこか困ったような苦笑いを浮かべていた。
「今はその店を愛に任せているんだよ。一応、店長代理としてるけど、今回の旅で帰って来たら、正式に受け継いで貰うつもりでね。だから、愛は今、一人暮らしをしてるんだ」
「え…」
愛が店を受け継ぐ事よりも、最後の一言に、多々羅は信じられず固まった。
そこへ、春子がトレイにカップとケーキを乗せてやって来た。眉を寄せて固まっている多々羅を見ると、春子はおかしそうに笑った。
「ふふふ、愛さんを知る人は、皆同じ反応をしますね」
笑いながら、春子は、湯気の立つコーヒーのカップと、香ばしく甘い香りで食欲を誘うアップルパイを差し出した。
「今日は大旦那様のリクエストで、アップルパイを焼いていてね、焼いておいて良かったわ」
「僕のおかげだね!」
「調子の良いことをおっしゃって。本当は、あんまり甘い物食べちゃいけないのよ?今日は皆さん居ないからって」
「幾つになっても、困った大旦那様でしょ」と、春子は仕方なさそうに多々羅に笑って言えば、「たまには好きな物食べたって良いじゃないか!」と、どこか拗ねたように正一が言う。ここでも変わらない二人のやり取りに、多々羅は笑ってしまった。
「と、まあ、そういう訳でね。愛は、僕が居る内に一人での仕事に慣れたいからって、今は店の二階で一人で暮らしてるんだ」
「あの、一人で大丈夫なんですか?仕事より、家事とか出来るんですか?」
多々羅の記憶に残る愛は、方向音痴に加えて典型的なお坊ちゃんというイメージだ。賢いし、偉ぶったりはしないが、世の中の事をよく知らないという印象がある。思い返せば、多々羅はあの頃からよく愛の世話を焼いていた。
多々羅の疑問は容易に想像出来たのだろう、正一は困り顔で笑った。
「まぁ、出来る訳ないよね。そのくせ、誰の手も借りたがらないんだ。スーパーに行っても買い物が出来るのか、そもそも帰って来れるのか…」
「それ、問題だらけじゃないですか」
「だからね、近所のお嬢さんに助けて貰ってるんだけど、あんまりウマが合わないみたいで…というよりも、愛が素直に頼らないから上手くいかないんだけどねぇ」
やれやれといった様子で、正一はコーヒーをすすり、その味わいに目を輝かせると、春子を振り返って、グーサインを出した。すると、春子も笑顔でグーサインでお返しをする。美味しいと起こるやり取りのようだ。