2. 星のペンダント9
愛は取り出したパイプを咥えると、今度は手のひらに収まるくらいの小瓶を取り出した。コルクの詮で閉じられたその小瓶の中には、金平糖のような可愛らしい粒が入っていた。愛はそれを一粒取ると、パイプのボウルに入れた。
「え、」
その様に、多々羅は驚いた。金平糖のようなものを入れただけなのに、愛の口元から白い煙が吐き出されたからだ。
驚いて固まっている多々羅をよそに、愛は、彩が名前と連絡先を書いた紙を取り出し、パイプの煙をその紙に吹き掛けた。紙に煙がかかると、どういう訳か、吹き掛けた以上に煙がどんどんと増えていく。煙は愛の手の中でもくもくと動き出し、紙を十分に包み込むと、白い煙はやがて灰色へと姿を変え、その煙は地面へと落ちていった。
「え、これ、どういう状況ですか?」
「すぐに形になる。野島さんの思いが強いならな」
困惑しながら、多々羅は愛に倣って地面を見つめた。少しすると、地面に止まった煙の中から足跡が現れた。よくイラストで見る、犬の足跡のような形をした、黒い跡だ。
だが、多々羅にはそれが見えない。見えるのは、地面に落ちて消えた煙の姿、そこまでだった。多々羅の目には、ただの地面しか見えなかった。
「上手くいったな」
ホッとした様子の愛に、何も見えていない多々羅は首を傾げるばかりだ。
「さ、行くぞ」
「え?今、何が起きたんですか?」
「多々羅君には見えないだろうけど、今、パイプの煙が、地面に足跡を作ったんだ。
このパイプに入れた鉱物には、物の思いを嗅ぎとる力がある。パイプは、その力を使う為の道具だ、煙にしないとその力は機能しないからな。
野島さんに書いて貰ったこの紙、それからインクには、彼女の思いを残す力がある。
この足跡が、ペンダントと持ち主の思いを嗅ぎ取り導いてくれるんだ。物には意思があるけど、持ち主とその物の思いというのは、同じ匂いがするものだから」
「…へ、へぇ…」
なかなか理解が追いつかないのも、見えない多々羅には仕方のない事だ。だが、例え見えていたとしても、果たして現実として呑み込む事が出来ただろうか。それを思うと、自信のない多々羅は複雑な心境だった。見えているのに信じられない、なんて、もし愛にその気持ちが伝わったりしたら、愛を傷つけるのは間違いない。
「……」
自分から進んで仕事に着いてきておいて、愛に対して偉そうな事を言っておいて、今更、愛の見える物を信じられるか自信がないなんて。愛からしたら、馬鹿にしていると思うかもしれない。愛は、こんな自分の気持ちを見越していたのだろうか、だから、仕事をさせようとしなかったのだろうか。
多々羅は、愛の背中を見つめた。
背筋をしゃんと伸ばしたその背中は、大人になって、まるで別人のように大きく見えたけれど、大きく見えたその背中には、今までどれ程の思いを背負ってきたのだろう。愛の不思議な瞳の事を知っている自分でさえ、愛の見える物に自信が持てないでいるのだ、愛の良すぎる外面だって、もしかしたら、愛自身を守る盾なのかもしれない。
多々羅は、巡る思いに、きゅっと拳を握った。
愛の目には、地面に浮かび上がった足跡が、まるで本当にそこに犬がいて、匂いを嗅ぎ取っているかのように歩き回っている。うろうろと、暫しその場で右往左往した後、足跡は建物に沿って真っ直ぐ歩いていく。先に進めば進む程、フェンスと建物の距離が狭くなっていくので、窮屈さを覚えながら進んでいくと、雑草の茂みに差し掛かった所で足跡が止まった。足跡は、その場で円を描くように歩き続けている。愛は、その円の中にある雑草を掻き分けた。
「あった」
その雑草を掻き分けた地面の上に、星形をしたクリスタルのペンダントが落ちていた。
「え?本当に?」
「恐らくな」
愛はペンダントを手に、多々羅を振り返る。多々羅は、ペンダントが見つかった事もそうだが、何故こんな所にペンダントがあるのかと、疑問を感じずにはいられなかった。こんな建物と建物の間、先ず人は入らない。それこそ、犬や猫なら話は別だが。
「…駄目だな、出てきて貰おう」
愛はじっとペンダントを見つめていたが、ややあって肩を落とすと、もう一度パイプを咥え、その煙をペンダントへと吹き掛けた。
すると、先程の紙同様に煙がペンダントを包み込み、愛はペンダントから手を放した。通常なら、重力に従ってペンダントはすぐに地面に落ちていく筈だが、不思議な事に、ペンダントは宙に浮いていた。
「え…」
まるで手品でも見ている気分になり、多々羅がぽかんとしていると、ペンダントを包む煙が瞬く間に膨れ上がり、それが愛達の背丈程まで達すると、その煙は一瞬にして消えてしまった。
多々羅が見えるのは、やはり、この煙が消えるまでだった。
「初めまして、お嬢さん。私は、“宵ノ三番地”店長代理の、瀬々市と申します」
愛が微笑み、丁寧にお辞儀した。愛と向かい会う形で立っていた多々羅には、まるで自分に挨拶しているように見えただろう。だが、愛の翡翠の瞳には、二人の間に、もう一人、女性の姿が見えていた。




