2. 星のペンダント1
「何じゃれてんの、アンタ達」
ドアを開けて立っていたのは、呆れ顔を浮かべた女性だった。彼女は、音谷舞子。年齢は、三十代半ばと愛達は見ているが、彼女が実際は幾つなのかは分かっていない。長い髪を一つに結び、黒いシャツにジーンズ、アイボリーのエプロンの胸元には、「喫茶 時」と、文字が控えめに刻まれていた。
舞子は、近所の喫茶店“時”の店員だ。口は悪いが、華やかな顔立ちの美人と、近所では有名だ。
「じゃれてませんよ!この人がくっついてくるんです!」
「は!?お前が写真を寄越さないからだろ!」
「だからこれは、正一さんから俺が預かったものです!あなたが店を辞めろって言うから!」
「はいはい、痴話喧嘩なら後でやって」
「痴話喧嘩じゃない!」と、二人揃って声を上げた所で、二人ははっとして一点を見つめた。
舞子が体をずらして開けたドアに凭れかかると、彼女の後ろに、もう一人女性が居る事に気がついた。
長い髪に、カジュアルなパンツ姿、大きな黒いスポーツバッグを持っている。年齢は二十代前半くらいだろうか、あまり着飾らないタイプなのか化粧っけもないが、透明感があって綺麗な女性だ。彼女は、戸惑った様子でこちらを伺っている。
多々羅は彼女を見て、ふと首を傾げた。どこかで見た事のある女性だった。
「いちゃついてる所悪いけど、お客さん来てるから」
舞子が呆れ顔で言う。愛はすぐさま多々羅から体を離すと、懐から眼鏡を取り出した。眼鏡で瞳の色を隠すと、しゃんと背を伸ばしてスーツをピシッと伸ばし、なに食わぬ顔で彼女の元へ向かった。
「いらっしゃいませ、お客様。お見苦しい所をお見せして申し訳ありません」
愛の紳士然とした態度に、舞子は目をすがめ、今にも舌打ちしそうだ。逆に、舞子と共に来た彼女は、普段の愛を知らないからか、頬を赤らめながらも戸惑った様子だった。
「まったくよ。彼女、うちのお客さんなんだから、丁寧に頼むわよ」
「探し物ですか?」
「そ。彼女は、野島彩ちゃん。じゃあ、後はよろしくね。私は店に戻るから」
ぽん、と舞子が彩の肩を叩きながら言うと、彩は不安そうに舞子を見上げた。
「え、舞子さん、」
「大丈夫大丈夫!こう見えて、仕事はちゃんとするから」
不安そうな彩に舞子は優しく笑ってみせ、最後に「ね」と、たっぷりと圧を含ませた眼差しを愛に向けた。愛が頬を引きつらせながらその視線を受け取ると、舞子は納得した様子で、「じゃあね」と、彩には優しく声をかけた。
「ありがとう、舞子さん忙しいのに」
「いいのいいの、またね!」
そう言って去って行く舞子を見送り、愛はふぅと肩を下ろすと、多々羅を振り返った。
「多々羅君、お茶の用意してきて。大事なお客様だ」
愛は微笑んでいたが、目が笑っていない。まだ、多々羅が仕事に関わる事を良しとしていないからだろうか。多々羅はそれを察しながらも、にこっと笑んで頷いた。
多々羅が雇われたのは、正一だ。いくら愛が店の跡継ぎとはいえ、この店の権利はまだ正一にある。
多々羅は封筒をエプロンの前ポケットにしまうと、お茶を用意する為、店内の奥、カウンターの右側にあるドアへ向かった。あのドアの向こうには応接室があり、そこに、二階の居住スペースへ上がる階段もある。
愛は気を取り直し、彩に微笑みかけた。
「お時間はありますか?少しお話を伺ってからでも宜しいでしょうか?」
「は、はい」
彩は愛の微笑みに、照れた様子で頷いた。彼女に微笑みかける愛の姿は、先程までカウンターに足を投げ出して漫画を読み、泣きそうになりながら多々羅にしがみついていたとは思えない、まるでどこぞの王子様のようだ。
愛は店のドアに掛けていた“オープン”の木の札を裏返し、それから彼女を応接室へ促した。
応接室は、雑多な店内とは異なり、整然と家具が並べられ、清潔感を感じられる部屋だった。多々羅が綺麗に掃除をしたお陰もあるのだろう。その流れで、店内の棚の物もせめて見栄えが良いように動かそうとしたのだが、それは愛に断固拒否されてしまった。それぞれの物にとって居心地の良い場所があるとか言っていたが、多々羅には物が何を感じてるのかは分からないので、ただ店内が散らかっているように見えて、モヤモヤしてしまう。
応接室に入って右手側にはドアがあり、そのドアの向こうに、二階へ続く階段がある。階段の下はトイレだ。
反対の左手側には大きな窓が一つあり、窓を開けると、隣の家の塀が見える。壁際には、キャビネットが二つ。どちらも木製で、上部はガラスの開き戸があり、中にはファイルが並べられていた。
部屋の中央には、二人掛けの木肘のある紺色のソファー、対面に同じタイプの一人掛けソファーが二つと、間に木目のテーブル。
そして部屋の正面には、奥の部屋へと続くドアがある。この家は、鰻の寝床のように、縦長の造りになっていた。
「どうぞ、こちらへ」
「失礼します…」
愛に促され、彩がソファーに腰かける。まだどこか落ち着かない様子だ。愛は向かいのソファーに腰かけると、胸元から名刺入れを取り出し、彩に名刺を差し出した。




