ストロベリーキャンドルに、思いを乗せて。
俺には昔、漢字もたくさん書けなかった頃、はるかという名の仲の良かった女の子がいた。
「ねえ、次あそこに行ってみようよ!」
彼女の無邪気な声と、さらさらした焦げ茶色の長い髪は、今でも鮮明に残っている。
当時の俺にとって、彼女を共にすることが最大の幸せだった。
ーーでも、幸せなんてものは永遠に続かない。
ある日、夏の暑さにちょうどいい冷たい風が吹き始めた頃だった。
「あのね、実は私、明日引っ越すんだ……」
彼女は俺に突然、別れを告げてきた。
俺の心臓が見えない針で刺されたような感覚を味わった。
家に帰っても、大好物のハンバーグに食感しか感じることができないほど、俺は落ち込んでいた。
巻き戻したい、過去に戻りたい。そう思い、信じるしかなかった。にも関わらず、時間は無情に一刻一刻進んでいく。
就寝時間になり、俺は逃避しているかのようにベッドにもぐりこんだ。
しかし、そんなことをしても、何度も彼女の顔を浮かべてしまう。
別れたなんてのはうそだ、忘れるんだーー
そして何度忘れようと頭を抱えただろうか。
俺の頭の中に電流が走った。
ーーもしかして俺は、彼女のことが好きだったんじゃないのか。
当時の俺には、全く想像できなかったことだった。
もう思いを伝える時間がない、そう悟った俺は、悔しさに三年ぶりのしょっぱい涙を浮かべたのだった。
* * *
眠れない夜を通り越し、やってきた別れの日。
俺は、ショックで朝から彼女のもとに行くことができなかった。
そんな俺に、母が声をかけてきた。
「涼、今日が最後なんでしょ、はるかと会えるのは。最後ぐらいお別れしてあげなさいよ」
最後。その言葉に、俺の心に穴が開いた。しかし、それと同時に、
俺は時計を目に向け、今の時間を確認した。
長針は、まだ短針と重なっていない。まだ間に合う、そう思った俺は、
「ちょっと見送りしてくる!」
そういって家を飛び出そうとしたとき、一輪挿しに入ったある花が視界に入った。
ストロベリーキャンドルーー花言葉は、好きな人に対しての、「私を忘れないで」。
それを前読んだ本で知っていた俺は、迷うことなくその花を手に取り、ドアを勢い良く開けて走ったのだった。
彼女は、ちょうど車に乗り込むところだった。
「あ、りょうくん!見送り、ありがと。もうこれで、お別れだね。今まで、楽しかったよ」
「お、俺も、楽しかった……!」
「やめてよ、泣かないでよ……涙,移っちゃうじゃん……ぐすっ」
俺は、知らぬ間に目に塩水を浮かべていた。
「これ……絶対俺のことを忘れんなよ!」
そう言って俺はストロベリーキャンドルを彼女に手渡した。
「うん、忘れない!絶対に忘れないから!」
「ああ、じゃあな!向こうでも頑張れよ!」
「うん!」
そう言って、彼女は車に乗り込むと、いつの間にか車はいなくなっていた。
そして残ったのは、大きな穴の開いた俺の心と、こだまする車のエンジンだけだった。
* * *
私には昔、仲の良かったりょうくんという名の男の子がいた。
でも、一緒に過ごすのは決して永遠とは限らない。
私は、引っ越すことになった。
お別れの時、私はきれいな花をもらった。
その花は、小さいながらもなぜか異様な存在感があった。
でも、さらに不思議だったことがあった。
「あ、今日も枯れてない」
高校生を卒業したばかりの今でも、まだこの花は生きていた。もう十年近く、咲き続けていた。
だから、私は彼のことをずっと忘れずにいれた。
そんな私に転機が訪れたのは、高校を卒業した二週間後だった。
親におすすめされて参加した、園芸体験教室でのこと。
「えー皆さん、次はこの花を植えてみましょう。この花の名前を、誰かご存じですか?」
先生が手に持っていたのは、家に咲いているあの花だった。
「ストロベリーキャンドルだったような……ストロベリーキャロット?どっちだったっけ……?」
すると、後ろのほうに座った少女が小さな声でつぶやいた。
「はい、正解です。この花の名前はストロベリーキャンドルというんです。花言葉は、好きな人に向けた、『私のことを忘れないで』……って、藤沢さん!?どこに行くんですか?」
気づかぬうちに、私は体を動かしていた。いつの間にか、『私のことを忘れないで』、その花言葉に反応していた。
「すいません、急用ができてしまいまして!失礼しました!」
私は、その場しのぎの言い訳をして、荷物を持ちながら部屋を出た。
自分はどこに向かっているか、全くわからなかった。考えるのはやめて、本能に任せて、ひたすら走った。
そして気づいたら、私は見知らぬ平凡なアパートの前に、いつの間にかカバンの中にあったストロベリーキャンドルを持って、立ち尽くしていた。
しかし、なぜかこのアパートに私は強い、言葉では表現できない思いを感じた。
その意思が示す方向に従って、私は202と書かれたドアを、ノックしたのだった。
* * *
俺には昔、好きだった女の子がいた。
しかし、高校生になってからはあの初恋は叶わない、そう悟ったおれは彼女のことを忘れようとしていた。
俺は、彼女の姿が頭に入るたびに、頭の消しゴムで消そうとしていた。
ピンポーン。
いきなり部屋に、壊れかけたインターホンの音が響いた。しかし、俺にとって久しぶりのインターホンだったからか、不思議と不快な感情は浮上しなかった。
「はーい、今出ます」
久しぶりの来訪にワクワクしてドアを開けた俺は、固まった。
そこには、同年代くらいの女性が、ドアの前で佇んでいた。
完璧に整った顔、こげ茶色の長い髪。
はるかを連想させる、女性だった……いや、彼女だった。はるかだった。手にある、あの花が、それが決定づけていた。
彼女は、ストロベリーキャンドルを俺に渡すかのように前に出して、穏やかな声で微笑んだ。
「ただいま」
その言葉に、俺は気づいてしまった。
ーー俺はまだ、はるかのことをまだ想っていたのかもしれない。
だから、俺は彼女に負けないくらい思いを込めて、こう言ってやった。
「おかえり、はるか」
普段は、異世界ものを週一で投稿しています。
「転生勇者の倍返し〜また裏切られそうだったので、絶対女王に復讐してやる〜」
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