3話 脱獄
――5年後。
「…っ」
息が微かに漏れると同時に、明るさを抑えた【ファイアーボール】が放たれる。
音もなく飛んでいき、左側の壁にぶつかって跳ね返った。
さらに右の壁にぶつかり、もう一度跳ね返る。
「よし」
私は満足して頷くと、やはり無音で【ウォーターボール】を放った。
【ファイアーボール】と【ウォーターボール】がぶつかり、相殺される。
「これで2188回目の成功っと」
今のは【ファイアーボール】の大きさ、密度、速度を完璧にコントロールすることで、壁にぶつかっても跳ね返るようにした。
同じく【ウォーターボール】も制御し、【ファイアーボール】と全く同じ条件にしてぶつけることで相殺することが出来る。
独房でひたすら訓練し続け、私はルジーの持ってきてくれた指南書をマスターした。
それでも訓練はやめず、スキルの精度をひたすらに上げ続けている。
「…お腹空いたな」
もはや時間という感覚はない。
3食ともカサカサのパンなので、どれが朝食でどれが夕食かも分からない。
それでも、前回パンが放り込まれてからかなり間隔が空いている気がした。
「カサカサのパンも、ないよりはマシなんだな…」
そう呟いた時、ガチャガチャと鍵を開ける音がした。
来たか、私のパン。
「リリアナ様」
このしわがれた声は…
「ルジー!?ルジーなの!?」
「いかにも。機が来ましたので、お助けにまいりました」
私は、信じられない気持ちで目の前の光景を見つめていた。
目の前に立っているのは、間違いなくルジーだ。
アルビの牢獄に囚われたはずのルジーだ。
「どうして!?捕まったと聞いたのよ!?」
「ご説明したいところですが、時間がありません。とにかく、今はこの地下牢を脱出しましょう」
「大丈夫なの?」
「はい。さあ、こちらへ」
手を差し伸べられ、私は数年ぶりに独房の外へ出る。
時刻は夜のようだ。
ルジーの持つランプ以外に明かりはなく、闇が広がっている。
「監視は?」
「諸事情あって不在なのです」
ルジーの後を追って、地上へ続く階段を上る。
5年以上カサカサのパンと水しか摂っていないため、階段を走るとすぐに息が切れた。
しかし、このチャンスを逃したら次はないかもしれない。
何が起きているのかも分からないまま、私は必死に走った。
「リリアナ様、あと少しです!!」
必死に階段を駆け上がって、とうとう地上に通じる扉までたどり着いた。
ルジーが鍵束を取り出し、扉が開かれる。
「何…これ…」
王宮が燃えている。
壁が、天井が、床が燃えている。
「リリアナ様、向こうへ【ウォーターボール】を!!」
「分かった!!」
私は出来るだけ大きなウォーターボールを、即座にルジーの指さす方へ放った。
それを見て、ルジーが目を丸くする。
「無詠唱!?それに音もしない!?そして今のサイズは!?」
【ウォーターボール】によって、逃走経路の火が消された。
「火は消えたわ!!早く逃げましょう!!」
私が声を掛けると、ルジーは我に返って走り出した。
2人で熱気の中を駆け抜け、王宮の裏門を目指す。
「ルジー」
「何でしょう?」
「父上と母上は?助けたいのだけれど」
「申し訳ありません。力及ばず、お2人は…」
ルジーは続きを言うことはなかった。
言わないでおいてくれたのかもしれない。
私は涙ながらに、全てを飲み込んだ。
「お気持ちを切らさないでください。お2人の分まで、私はリリアナ様を助けなければならないのですから」
「分かっているわ。私も生きなきゃいけない」
必死に走って走って、私たちはとうとう燃える王宮から脱出した。
目に飛び込んできた光景に、私は愕然とする。
「街が…王都が燃えている…」
王宮だけではなかったのだ。
王都全体が、真っ赤な炎に包まれている。
月明りもない真っ黒な夜空と相まって、異様なコントラストが生み出されていた。
地獄だ。私が見ているのは地獄だ。
「リリアナ様!!」
足を止めてしまった私へ、ルジーが必死に呼びかける。
「ここはまだ危険です!!逃げましょう!!」
「いったい何が起きているの…」
度重なる衝撃で、頭がくらくらする。
逃げなければと分かっていながら、どうしても足が動かない。
私はしばらくの間、呆然と立ち尽くしたままだった。