28話 アルミ―の名
地下2階まで降りたところで、私は並々ならぬ殺気を感じた。
決して私だけに向けられたものではない。
この層全体に、氷のような冷たい殺気が張り巡らされている。
――まずい。
勘なのか、はたまた【気配察知】の効果なのかは分からないが、私は瞬時にその場から飛びのいた。
さっきまで立っていた場所を氷の弾丸が通過する。
しかし攻撃はこれで終わらない。
次々に高速の氷が飛んできて、とうとう私は壁際まで追い詰められてしまった。
「なるほど。全て避けられましたか。ただ迷い込んだネズミ、というわけではなさそうですね」
コツコツという足音を響かせながら、青い髪の男が近づいてくる。
特徴的なのは、左頬の大きな傷と冷たく私を見下す目だ。
「差し支えなければお名前をお聞きしても?」
「名前を聞くならそっちから名乗るのが礼儀じゃない?」
盗賊に教えられた礼儀を盗賊に返す私。
すると、青髪は「くっくっく」と不気味な笑い声を上げた。
「なるほど。ヨドの殺気が消えたのはそういうわけでしたか。あなたが倒したのでしょう?」
…なぜそれを?
胸がざわざわする感覚。
もしかしたらこの男、ザグマイト以上に強いのかもしれない。
「そうだ。名乗れと言われたのでしたね」
男は思い出したように手を叩くと、深々と頭を下げてあいさつした。
ヨドといい、盗賊が妙に礼儀正しいと調子狂うな。
「私は青犬盗賊団【忠犬】、冷殺のギノ・ガーティア。さあ、あなたの名は?」
「リリアナ。冒険者よ」
「リリアナ…どこかで聞いたような…」
ギノは傷のある頬に手を当て、何やらぶつぶつと呟き始めた。
そして再び「くっくっく」と不気味に笑った。
「そうだ確かにリリアナだ。くっくっく。運命の神様とやらがいるのなら、そいつは相当センスが良いみたいですね」
「…何のこと?」
置いてけぼりの私に向けて、ギノは笑顔のまま聞いた。
「正直に答えてください。返答によっては殺します」
笑顔なんだけど目が笑ってない。
答え方を間違えれば、本当に殺しにくる。
「あなた、リリアナ・アルミーでしょう?」
「…っ!!」
思わず息が止まる。
どうして?
どうして初めて会った盗賊が私の名前を知っているの?
私が沈黙していると、ギノは再び口を開いた。
「聞き方が悪かったですかね。いいでしょう。今のあなたはリリアナ。それでいい。でもリリアナ・アルミ―という名前だった時もあった。そうですね?」
「…そうよ」
私は、たった3文字の音を喉の奥から絞り出した。
それを聞いて、ギノは満足げに頷く。
同時に、2階を満たしていた殺気が消えた。
「…私を倒そうとしないの?」
「少なくとも今は。あなたの狙いはデーブでしょう?さあ、行ってください」
「いいの?」
「構いません。もうあの負け犬に興味はありませんから」
「【忠犬】の名の割に、ずいぶんと薄情ね」
「もう私はこの盗賊団をやめますよ。【忠犬】の肩書も捨ててここを去ります」
「それは私たちに勝てないと判断したから?」
私の挑発をギノはただ笑って流し、背を向けて去っていく。
途中で足を止め、振り返って言った。
「戦いに身を投じたばかりのあなたに、1つだけ大事なことを教えて差し上げましょう。そのリリアナ・アルミーという名は、極力隠しておくべきです。面倒ごとに巻き込まれたくなければね」
「言われなくてもそのつもりだけど」
「それならいいんです。では、また会いましょう」
そう言い残しギノは姿を消した。
まっすぐに伸びる一本道の廊下の途中で、ギノの姿も気配も全てが忽然と消え去った。
「…変な奴」
何だか調子狂ったな。
でも、懸念だった【忠犬】の妨害にあわなかったのはラッキーだった。
ギノがどうしてアルミ―の名を知っていたのかとか、あの異常な殺気は何だったのかとか、考えるのはあとにしよう。
上では今も戦いが続いているはず。
なら私は任務を果たすだけだ。
大きく深呼吸して、さらに下へと降りていく。
いざ、デーブとの戦いへ。