第1章 氷竜
竜を人間界で見掛ける事は、有り得ない事だ。
彼らは魔力が膨大かつ魔法の扱いに長けていることもあり、魔界に住処を作っている。人間界に居られない事はないが、それは暑がりの人間が蒸し風呂に居続けるようなもの。魔力がない人間達に適応する環境の人間界が、竜にとって心地良い訳がない。
リチャード達を乗せた小船は、着実に氷竜のいる位置に近付いている。まだ遠目ですら姿が見えていないというのに、空気が異常な程冷えている。なるべく厚着をして向かえというオリバーの助言を聞いてなければ、凍えて動けなくなっていただろう。
「風が強くなってきたな」
「そうね。アレシア、平気?」
「だ、だいじょうぶ……まだ耐えれるよ……」
「そんな青い顔して言われても……」
アレシアは寒がりなのか、唇を紫色にして震えていた。対するノアとリサはそこまで厚着をしていないというのに平然としている。
リチャードもそこそこ寒いとは思っているが、震えるほどではない。肩にかけていた分厚い布を取り、アレシアに差し出した。
「まだ冷えると思う。使ってくれ」
「え? でも、それじゃあ……」
「俺は平気だ。というより、ここまで厚着しすぎると有事の際に動きにくい」
リチャードは今回、最前線で戦う事になっている。万が一不意打ちを仕掛けられた時、布や服が邪魔で上手く対応出来なかった、となれば四人の生死に関わってくる。
そう説明すると納得したのか、アレシアは大人しく分厚い布に包まった。
「あのよ、リック」
「何だ?」
「あんまこういう事言いたくねえんだけど……勝てんのか?」
ノアの不安は尤もな事だ。
人間は、この世で最も弱い生き物だとされている。魔力を持っていない人間は当たり前だが、魔力を持っている人間でも、殆どが魔獣には勝てない。魔人になどもっての外。魔人のその上に値する竜には勝てるはずがない。
「まあ、勝てないだろう」
「えっ?」
サラリと言ってのけたリチャードに、三人が揃って驚きの声をあげた。
「正面からぶつかれば間違いなく一秒ともたず全滅だ。だが、倒す必要はない」
「……どういうこと?」
「あまり詳しくは話せないんだが……俺に任せてくれればいい。皆には目くらましを頼みたい」
ノアとリサが竜の気を散らすように動き、アレシアがそれをサポートしている間に、リチャードがケリをつける。
一見簡単な作戦のようにも見えるが、力の差は絶大なものであり、覆せる可能性はない。
一瞬でも誰かが気を抜いたら終わりだ。
「だが、無理をする必要はない。命の危険を感じたらすぐに下がってくれ」
三人が緊張した表情で頷いたのと同時に、リチャードは遠くの方から流れてきた氷に気が付いた。
「流氷か……ん?」
竜の居場所が本格的に近付いているのは分かったが、少し経つとある違和感が生じた。
そしてその小さな違和感は、段々寒さが増し、流氷が増えてきた辺りで明確なものになった。
「……あのよ、リック」
「……何だ?」
「あの竜、……小さくね?」
他のよりも二周り程度大きい氷の上に、人と同じくらいの大きさの竜が眠っていた。