剣の舞の少女.二
曇り空である。しかし雲は薄く、雨が降りそうな気配ではない。
昨晩の剣舞で悪いものが払われたのか、それとも気のせいかは知らないが、久しぶりに散歩にでも行こうかという気になったから、出かけた。貧乏神たちも後ろをのそのそとついて来た。
階段で蹴躓いたり、猫をよけて電柱にぶつかったりしながら歩いた。爺が来てから、こういう事が起こる回数が増えた気がする。
「貴君、僕を躓かせるのはやめてください」
「何を言うか。お主が勝手に躓いておるだけだ」
そうらしい。しかし何だか気に食わないから、茅の輪の方に行ってみた。
鳥居の前に置かれた木と竹で四角く作った型枠の中に、丸く整えて注連縄と弊紙とが飾られた茅の輪がある。この茅の輪を作る為に、神社関係者や町内会の青年部が六月の初めくらいからあちこちで茅を集めるのである。少し前から飾られていて、もう緑色はやや褪せているけれど、それでも何となく清々しい様に見える。
厄除けの茅の輪を見て、貧乏神たちは顔をしかめている。
「くぐるかね」
「冗談ではない」
「嫌か」
「当り前だ」
「僕がくぐったら、貴君たちはどうなるかな」
「別にどうもならん」
「やってみようか」
それで茅の輪をくぐってみたけれど、貧乏神たちは元のまま立っている。なんだつまらない、と思った。
もう昼過ぎである。日が傾きかけているらしいが、曇っているからはっきりとは解らない。ただ辺りがちょっと薄暗くなった様な気がするだけである。
行き交う人の数は減った様に見えない。こんなに沢山の人が、どこから湧いて出て来ているのだろうと不思議な心持になった。
行く当てもないから、鳥居の傍らに立ってぼんやりしていると、「やあやあ、何樫さんではないかー」と無暗に元気のいい声がした。
見ると八鹿おぼろが制服姿で立っていた。相変わらず短い黒髪がぴんぴんと寝癖の様に跳ね散らかっている。
おぼろは元気よく片腕を振り上げた。
「どうもこんにちは! 天才女子高生霊媒師、八鹿おぼろでございます!」
「存じ上げているよ」
「わたしに会えなくて寂しかったですか!」
「別に寂しくはなかった」
「強がっちゃって!」
面倒なのが来たなと思ったが口には出さなかった。
おぼろは高校生だが、同時に退魔師組合に所属する退魔師である。若いけれど無暗に才能があるらしく、組合でも有望株として期待されているらしい。しかし何にでも首を突っ込みたがるのと、何だかよく解らない癖のある性格のせいで、組合の上層部も頭を痛めているそうである。
現役の高校生であるから、組合としても単独行動をさせるわけにもいかないらしく、お目付け役を押し付けられている真田君は大変らしいが、私の知った事ではない。
おぼろはぽてぽてとやって来て、私の傍らに立つ貧乏神たちをまじまじと見た。
「おお、噂通り増えてる」
どんな噂が流れているのだろうかと思った。
おぼろは貧乏神にちっとも委縮せず、握手なんかしながら「どうぞよろしく」などと言っている。貧乏神によろしくされては困るのではないかと思ったが、私は困っていないから他人に言う事でもない。
「貴君、今日は学校ではないのか」
「そうですよ」
「ではなぜこんな所にいるの」
「もう放課後です!」
「そうか」
「はい!」
「お一人かね」
「いえ、友達と一緒なんですけど、どうしたのかしら? 迷子かしら?」
「迷っているのは貴君ではないのか」
「ふははは! 何樫さんたら、面白いですねえ!」
何が面白いのかさっぱり解らない。
そんな事をしていたら、向こうから同じ制服を着た女の子二人が足早にやって来るのが見えた。前髪を切りそろえて、頭の上で大きなお団子を作った方が怒った様に言った。
「おぼろ! 一人でどっか行くな、このアホ!」
「マッチこそ、どこ行ってたんですか! この困ったちゃんめ!」
「行ってねえよ! お前がいなくなったんだよ! あ、何樫さん、こんにちは」
「どうもこんにちは」
お団子頭は西関真知子というおぼろのクラスメートである。真知子をもじってマッチという愛称で呼ばれているらしい。その後ろに控えめに立っている長い髪をポニーテールにしているのは中野明日香である。おやおやと思った。
騒ぐおぼろと真知子とは対照的に、明日香は何となく消沈した様子で俯いている。
「貴君、あまり元気のいいご様子ではないね」
と私がいきなり言った。明日香はびくりと顔を上げた。
「え。あ、はい。あの」
「明日香っちはですねえ、昨日剣舞でしくじったので落ち込んでるんですよ。だからパフェでもおごってあげようと思って」
おぼろの頭を真知子がひっぱたいた。
「言い方を考えろよお前は! ……明日香、大丈夫? しんどいならおぼろなんか無視していいんだよ?」
明日香は頬を掻いてはにかんだ。
「ありがと、マッチ。でもしくじったのは本当だし……」
「もー、そうやって自分を責めない責めない~」
「お前が言ったんだろ!」
きゃあきゃあ騒ぐ女子高生たちを見て、貧乏神たちが片付かない顔をしている。
「若い連中は元気だのう」
「羨ましいかね」
「そうでもない」
「そうか」
私は明日香を見た。顔色は悪くない様に見えた。神に乗り移られた疲労はあまり残っていないらしい。しかし失敗を悔やんでいるのか、表情は何となく暗い。
「お疲れというわけではないね」
「はあ」
「あんな激しい動きをしたから、もっとくたびれているかと思った」
私が言うと、明日香はたちまち赤面して口をぱくぱくさせた。
「な、何樫さん、昨日の舞、ご覧になっていたんですか?」
「拝見したよ。神がかりというのは凄いものだね」
「ううー……」
明日香は両手で顔を覆ってしまった。おぼろが面白そうに私の背中を叩いた。
「あー、泣かした! いたいけな女子高生を泣かせるなんて、ひどい人ですね、何樫さん! バツとしてパフェおごってください」
「僕がお金を持っていると思っているのかね」
「そういえばそうでした。じゃあわたしがおごってあげましょう! なぜならば! わたしはお金を持っている! だって天才女子高生霊媒師だから! 崇めよ!」
「おぼろ、うるさい」
真知子が面倒くさそうな顔をしてたしなめた。
おぼろは真田君と組んであちこちの霊的事件を解決しているそうで、だから依頼料がいつも懐にあるのだという。物騒な話だと思った。
おぼろは偉そうに腕組みして私を見た。
「何樫さんも行くでしょう」
「僕は甘いものは好きではない」
「じゃあ珈琲でも飲んでてください。さあ、行きますよ!」
どうしてか解らないけれど、私まで連れていかれる事になった。
しかし私が行くとなると貧乏神もついて来る事になる。綾科で店をやっている連中は、座敷童子でもいない限りは貧乏神を怖がる。
「すみません、貧乏神さんはちょっと……」
「申し訳ない、何樫さんはともかく、貧乏神はちょっと……」
「ごめんなんさい、貧乏神さんは困るんです」
「貧乏神はともかく、何樫さんはちょっと……あ、間違えた。何樫さんはともかく貧乏神はちょっと」
という具合にどの喫茶店でも入店を断られた。
別に貧乏神の影響が入った店にまで及ぼされる事はないのだけれど、やはり店に貧乏神がいるのは縁起が良くないと思うらしい。私を置いて行けばいいのだろうけれど、おぼろの方が何でか発奮して、どうしても私を連れて行くと言って聞かない。
「だって、ここで何樫さんを帰しちゃったら負けた様な気になるじゃないですか!」
「貴君は何と戦っているの」
「自分自身とです!」
「そうか」
何だかよく解らないがそうなのだろう。真知子と明日香は呆れた様な顔をしているが、別に強硬に反論しようという風でもないらしい。
先頭をずんずん歩いて行くおぼろから数歩後ろに下がって、明日香と真知子に並んだ。
「貴君たちはいつもあれに付き合わされているの」
「明日香は剣舞がありますけど、わたしは結構引っ張られますね」
と真知子がうんざりした様に言った。
曰く、真田君がお目付け役になっているとはいえ、ずっとおぼろを見ているわけにもいかない。普段も霊的面倒事はおぼろ個人に持ち込まれて来る事もあるらしく、そういう時は大抵真知子が付き合わされて、色々と手伝わされたりするらしい。
「まあ、下手なバイトよりも稼げるんですけど」
「貴君も退魔師になりたいのかね」
「いや、わたしはそういうのはちょっと……未だ慣れないですし。やっぱり怖いですよ、ああいうの」
「そうか」
「でもマッチはよくやってるよ。おぼろが無茶苦茶だから、慶介さんがいない時はマッチがいないと成り立たないんじゃない?」
と明日香が言った。真知子が嘆息した。
「だからこそさー、なんかこのままずるずる続きそうで、悩むよね。進路の事とか色々考えなきゃいけないから、余計に」
「あー、そうだよね」
「明日香は進路どうすんの?」
「絶賛悩み中。剣舞は続けたいけど、仕事にはならないし、綾科で就職かなって思ってたけど、大学くらいは行って、綾科以外の世界を見て来た方がいいって親からも言われるし」
「そっか。あたしは進学かなー。勉強したい事柄があるわけじゃないんだけど……何樫さんは大学とか行きました?」
「行ったが、何をしたのか覚えていない」
「そうなんだ……うーん、目的もなく行くのもアレなのかな。でも就職とか考えると……」
「別に大学は就職の予備校ではないだろう」
「それはそうですけど」
「その点、おぼろは解りやすくていいよね。退魔師でやっていけるんだし」
「ね。あーあ、あのアホが安泰なんて世の中不公平だよね」
と、二人は少し前を歩いて行くおぼろの後ろ姿を見やった。
話しながらもあれこれと店に入ろうと試みたが、中々入れない。そんな事をしているうちに、私の方が面倒になった。
「僕は帰ろうと思う」
「何でですか!」とおぼろが言った。
「だって僕らが一緒じゃどの店にも入れないぜ」
「何樫さんだってお店に入る事くらいあるでしょ!」
「あるけれど」
「どこですか」
「団八酒店かくぼたか」
私が言うと、おぼろはこれは得たりという顔をした。
「そんならくぼたさんに行きましょう!」
「小料理屋にパフェがあるか知ら」
「最近は居酒屋も甘味を揃えているのですよ。この前慶ちゃん先輩に連れて行ってもらった居酒屋は、甘味がいっぱいありました」
「そうか」
私は普段そういうものを食べないから、そういうものがくぼたにあるかどうかという事に考えが及んでいない。
ともかく行ってみようという事になった。帰路に就くのとおんなじだけれど、それは別によい。
行ってみると、まだ暖簾が出ていなかった。夜の営業にはまだ早い様である。しかし蓮司君は準備をしているだろう。
こんにちはと言って戸を開けると、カウンターの向こうで蓮司君がおやおやという顔をした。
「どうしたんです、皆揃って」
「パフェを食べに来ました! わたしのおごりで!」
とおぼろが言った。テーブルを拭いていた梓さんがけらけら笑った。
「相変わらず元気ねえ、おぼろちゃんは。でもパフェなんか出来たか知ら?」
「いや、メニューにはないけど……まあ、白玉みたいなものでよければ出来るよ」
「やったー」
ポン菓子の上にあんことバニラアイス、白玉に抹茶粉という甘そうなものが出て来た。確かに和風パフェと言って間違いない代物である。女の子たちは嬉しそうである。
女子高生三人は四人掛けの席に座り、私は貧乏神たちとカウンターに並んだ。
貧乏神どもはこういう店に入って客席に座るのに慣れていないらしく、何となく落ち着かない様子でもじもじしている。しかし女の貧乏神の方は、パフェが出て来ると嬉しそうな様子で匙を動かしてぱくついていた。
爺の方がカウンターの上で手を揉み合した。
「こんな所に悠々と腰を下ろすのは慣れておらん」
「貴君、ここがいつも焼き味噌をくれるのだよ」
と私が言った。爺がおやという顔をした。
「貧乏神にそんなものをくれて、怖くはないのか」
「何樫さんがいますから」と蓮司君が言った。
「お主は妙な信頼を得ているのだな」
感心したんだか呆れたんだか、曖昧な顔をしてこちらを見た。私はお茶をすすった。
「貴君は曲がりなりにも神だろう。舞で降臨した神が機嫌を損ねる原因が解りゃしないか」
「神も性格が色々だから一概には言えん」
「荒神の類だとどうかね」
「詳しくは知らぬが、ああいう手合いは頭が固いから、舞の最中は舞に集中しなくては怒り出す事が多い。踊っている最中に別の事を考えていたんじゃないか」
貧乏神が言うと、後ろの明日香がむせた様にせき込んだ。振り向くと、真知子が背中をさすってやっている。おぼろは面白そうな顔をして明日香を見ていた。
「図星だね、明日香ちゃんや。何を考えていたのかなー?」
聞こえていたらしい。別に声を潜めていたわけではないから当然である。明日香は顔を赤くしてもじもじしている。
「う、あの、その……」
「別に無理して言わなくていいってば」
真知子がやれやれという顔をして背中をぽんぽんと叩いてやっている。おぼろはにやにやしている。梓さんが面白そうな顔をして、カウンター越しに私に囁いた。
「あれ、恋してる顔ですね」
「誰が」
「明日香ちゃんですよ。恋煩いか知ら? 踊ってる最中にもその事を考えちゃったのかも知れませんね」
成程、確かにそういう事はあり得る話である。踊りに邁進しているとはいえ、年頃の少女ともなれば、色恋沙汰の一つや二つあってもおかしくはない。顔色一つでそんな事を見抜いてしまう梓さんは大したものである。
爺がお茶をすすって息をついた。
「青春だのう」
「羨ましいかね」
「そんな事はない。こやつは羨ましそうだが」
と女の方をちらと見た。パフェを食い終わっていた女の貧乏神は、ハッとした様にもそもそと体を縮こめた。恋話に頬を染めていたらしい。
その時、真田君がやって来た。何だか息を切らしていて、店の中を見回すや鬼の形相で怒鳴った。
「おぼろコラァ! 学校終わったら組合に顔出せって言っておいただろうが!」
「あれ、今日だったっけ?」
「今日だよバカタレが! 何度も確認しただろ!」
「慶ちゃん先輩、あんまし怒ると体に悪いよ。ストレス溜まって禿げるよ」
「誰のせいだと思ってんだ!」
と真田君は怒っている。
綾科では携帯電話の類が使えないから、気軽に連絡を取るという事が出来ない。人を探すにも苦労する。真田君はあちこち駆け回ったから息が上がっているのだろうと思った。
「貴君、よく足取りが掴めたね」
と私がいきなり言った。真田君はハッとした様に頭を掻いた。
「どうも、お騒がせして……いや、学校に行ったら友達とパフェ食いに行くって騒いでたって聞いて……であちこちカフェを回ったら何樫さんが一緒だったっていうから、もしかしてここかな、と」
「おお、慶ちゃん先輩、探偵になれますね」
「やかましい。さっさと行くぞ、次の仕事の段取りがあるんだ。あー、明日香、気ぃ落とすなよ? 別に大した失敗じゃねえんだからな。おら、おぼろ来い」
「あーれー」
おぼろは真田君に引っ張られて行ってしまった。残された明日香と真知子は顔を見合わせた。
「……ここの代金、払わずに行っちゃったね」
「ったく、いつもいつも……」
と財布を取り出そうとする二人を、蓮司君が笑いながら制止した。
「あー、いいよいいよ、おごりにしとく」
「え、でも」
「いいから。明日香ちゃん、元気出してね。俺は君の踊り好きだよ」
「……はい、ありがとうございます」
明日香ははにかんで頭を下げた。
女子高生たちが皆帰って、私と貧乏神たちがカウンターに並んだ。
まだ開店前だからあまり邪魔しても悪い様に思われるけれど、一度腰を落ち着けると立ち上がるのが面倒くさくて、つい長尻をする。
蓮司君が野菜を切りながら言った。
「恋煩いねえ。まあ、高校生なら仕方がないな」
「先輩か同級生か……ふふ、もしかしたら観客にいたのかもね。見られてるって思ったらどきどきして集中が途切れちゃったのかも。可愛いなあ」
梓さんはくすくす笑っている。女の貧乏神も何だか恍惚としている。私と爺は黙っている。ちょっとずつ日が暮れて来て、また雲がかぶさって来たらしく、外が薄暗くなっていた。
いい加減で部屋に戻って、開け放した窓から薄闇に包まれていく街並みをぼんやりと眺めていると、何だかごうごうと音がして風が出始めたらしかった。
聞こえていたお囃子の音が風にあおられたせいか、何だかてんでばらばらの方から聞こえて来る様に思われた。風神様あたりが空を駆け回っているのかも知れない。
つらつらと考えるに、色恋というものはあらゆる点で面倒である。
私は生来そういう感情を抱いた事がないから、どういうものであるのか解らないけれど、他人が好きで好きで仕様がないという感覚らしい。神楽巫女を諦めてから、一心不乱に剣舞に邁進して来た明日香が、神前舞で集中を切らすくらいの代物だから、尋常ではない。
色々の事を考えたけれど、他にする事がないから考えていただけの話で、どちらにせよ、私の口を出す領分ではないから、そのうち考えるのをやめて寝てしまった。