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裏世界探訪記.二


 朝の七時とか八時とかは、私の時計にはない時間なのだけれど、布団で寝る事に慣れていて、久しぶりに他所で眠ってみると、あまりぐっすりと眠れるものではない様で、起きた時はまだ日差しが東から斜になっている時間であった。

 時計なぞ持っていないから正確な時間は解らないけれど、まだ九時を過ぎてはいないだろうと思った。


 狸も貧乏神も拝殿の中に姿がない。

 外に出てみると、境内が明るく照らされていて、木陰に貧乏神がしゃがんでいて、何だか貧相である。爺は拝殿の前の石段に腰を下ろして柿団扇をばたばたやっていた。傍らにはどうしてから握り飯の包みが置かれていた。


 さて今日する事を考える。何をするかというに、何もする事がない。

 今日も暑い。神社は木々に囲まれて木陰に位置しているけれど、それでも夏の暑気は容赦なく私を取り巻く。

 私を見つけて、爺の方が振り向いた。


「もう昼前になるぞ」

「そうか」

「何かする事はないのか」

「ないよ」

「お主は本当にどうしようもない人間だな」


 そう言われても、どうしようもないのだから仕方がない。


「そのお結びはどうしたの」

「朝になってから狸どもが持って来たのだ。お供え物だと」

「食ったのか」

「食った。それはお主の分だ」

「僕はご飯を食べない」

「捨てるわけにもいくまい」

「まあ、とっておこう。後で貴君らが食えばいい」


 ひとまず煙草をふかし、ぎらぎらと照る陽光が地面から舞う埃を映し出すのを眺めていた。

 女の貧乏神は境内を歩き回っている。陰気な顔をしているのに、暑いせいで汗を掻いているから、それが何だかちぐはぐで、見ていて変な気がした。

 それで太陽が頂点から西に傾き始めた頃に立ち上がった。当てはないけれど、またどこかへ行ってみようと思う。


 境内を出て、道の様な、道でない様な所を辿って、少しずつ山の奥の方へと向かう形勢である。


「わしらはどこかへ向かっているのか」

「はあ」

「山奥に行ってどうするつもりだ」

「どうするつもりもないが」

「酔狂な男だ」

「山で貧乏神に会う事はなさそうだな」

「わしらは人と家に憑く。山には縁がない」

「そんなら中々ない機会なんだから、山を満喫なさい」


 爺は諦めた様に嘆息した。貧乏神が山の中を歩かされる羽目になるとは思っていなかったとみえる。しかし女の方は何だか楽しげである。貧乏神の癖に、家の中にしゃがんでいるよりも外を歩く方が嬉しいらしい。


 しばらく歩いて行くと、沢に出た。

 苔むした岩の間を清涼な水が流れ落ちて、頭上には青々した木々の枝がかぶさっている。幾重にもなったそれらに、夏の日差しはすっかり遮られて、わずかにまだらの模様をあちこちに落とすばかりである。

 水音と緑とで、ここいらはすっかり涼しい。

 あまり人の来ない場所らしく、枯れた枝や倒木があちこちにあって、それらが苔や草に覆われて、新しい若木が伸び上がっていこうとしているのもある。


 私どものいる辺りは流れが浅く、岩や石に遮られて細かく分かれているけれど、少し上の方は深く、川幅も少し広くなっているらしい。

 水面は細かく波打って、場所によっては渦を巻いていた。流れから外れた所はぴんと張った様に透明で、底の方に沈んでいる石や落ち葉がありありと見えた。その中を筋になった影が幾つも横切って行く。岩魚か何かだろう。


 女の貧乏神は裸足を水に浸けてぱちゃぱちゃやっている。着物の裾が濡れているのも気にしていない様子である。

 それが、ふと顔を上げたと思うや「ひゅっ」とくぐもった様な悲鳴を上げた。


 何だろうと思って見ると、上流の方の岩の上に誰かがしゃがんでいた。裸の女である。髪の毛が伸び放題に伸びて、豊かな乳房や股座を隠していた。

 一見人間だが、よく見れば奇妙な感じである。髪の毛に交じって水草の様な奇妙なひらひらしたものが伸びているし、肌も変にぬらぬらと光っている様に見える。手には魚を鷲掴みにしていた。それがジッとこちらを見ている。


 私共も黙っているし、女の方も黙っている。

 しばらくそんな風に向き合っていたが、やがて女の方がにんまりと笑った。口が異様に大きい様に見えた。

 おやおやと思っていると、女はひょいと水に飛び込んで姿が見えなくなった。


「おい貴君、あれは何だろう」

「水妖の一種だろう。河童の様にも見えたが、人間のなれ果てやも知れん」

「相変わらずここらには得体の知れないものがいるね」


 私はふと思いついて、食べずに何となく持ったままでいた握り飯の包みを、川辺の岩の上に広げて置いた。


「お供えか」

「お邪魔した様だからね。どうせ僕は食わないのだし」


 それで腰を上げて、またぶらぶらと歩き回った。日が暮れたら適当な寝床を探して眠り、そんな風に、私共はおおむね一週間ばかり山の中や川辺をうろついていた。数回夕立に降られてびしょ濡れになり、貧乏神どもが嫌そうな顔をし始めたから、それで家に帰った。

 帰ったのは夕方頃で、夏だから日が長くまだ明るいけれど、もうくぼたも暖簾が出てお客が入っている気配であった。それを横目に階段を上がり、部屋に戻る。


 高々一週間しか不在でなかったから、別段変わった事もないけれど、扉に手紙が貼り付けてあった。見ると真田君からで、手助けを求むる由にて連絡乞うとあった。

 嫌だけれど、放っておいて、後からどうしてほっておいたかと詰問されるのも面白くない。断るにしても、手助けの内容を聞いてからでもよかろうと思い、くぼたに降りた。

 貧乏神どもは久々の室内に早速惰眠をむさぼる事を決め込んだ様で、ごろごろと横になっていたから、置いて来た。



  ○



 店の中は賑やかであった。酔客が楽し気に談笑しており、カウンターの向こうで蓮司君が忙しそうに動き回り、梓さんも客席の間を料理や酒を手に素早く移動している。しかし私が入ったのにはすぐに気づいて、「いらっしゃいませ」と言いかけた。だが私だと解ると、おやと驚いた顔をした。


「あら、何樫さん。お久しぶり」

「ご無沙汰です梓さん」

「どうぞ入って入って。いつもの席が空いてますよ」


 それでカウンターの隅に通してもらった。別に酒を飲みに来たわけではないが、私が何か言う前に瓶麦酒を出してくれたので、いただいた。暑いので大変うまい。

 私はお酒が好きで、麦酒はそれ以上に好きだから、久しぶりの味わいに夢中になっていると、カウンターの向こうから蓮司君が声をかけて来た。


「しばらくお留守だったみたいですね。お客さんが訪ねていらっしゃいましたよ」

「誰が」

野地牡蠣矢(のじかきや)さんと名乗られましたね」


 そういえば少し前に野地から、小説のネタを仕入れるのに綾科に行きたいから案内を乞うと手紙をもらっていた。

 嫌だから断るつもりだったのだが、返事をしたためるのも暑くて億劫だったし、野地なぞを相手に何かをするのが面倒だったから後回しにして、そのまま忘れていたのであった。返事がないのに業を煮やして押しかけて来た様だが、折よく私が留守だったので引き上げて行ったらしい。


「作家さんだそうですが、留守だと言ったら出直して来ると仰ってました」

「くだらん文章ばかり書く奴だ。貴君、あんなのを作家だと思っちゃいかんぜ」


 蓮司君は面白そうに笑った。


「それで、どちらにいらしてたんですか」

「久しぶりに放浪していた。山の奥まで行ったよ」

「それはそれは。どの辺まで行ったんです」

「地図なぞ持っていなかったから、どの辺だか解らない。しかし沢に沿って行ったと思う。人の気配のない辺りでね、涼しくて水が綺麗で、水妖の類がいたよ」

「久垣沢の辺りですかね……河童ですか」

「それは解らない」

「どんな風体でした」

「裸の女だった。しかし髪の毛は伸び放題で、それが良い具合に体を隠しているんだ。しかし髪の間から水草みたいな妙なものが生えているし、肌は蛙や魚みたいにぬらぬら光っているし、どうも人間らしくない。それがこっちを黙って見ているんだ。こちらもどうしていいか解らないから黙っていた」

「それでどうしました」

「そうしたら水に飛び込んでいなくなった」


 蓮司君は面白そうな顔をしている。カウンター向こうで盛り付けの手伝いをしていた梓さんも、ふんふんと興味深げに頷いている。気づくと、一つ空けて隣に座った観光客らしいのも、熱心に私の話に耳を傾けていたらしかった。


「それはそうと貴君、電話をお借りしたいのだけど」

「ああ、慶介にですか?」

「おやご存知かね」

「二日ばかり前に何樫さんを訪ねて来て、留守だったから僕らにも聞いて来たんですよ。僕らも知らなかったから困っていたみたいですけど」

「僕に何か手助けして欲しいそうだ。退魔師組合も人が足りないのだね」

「いやあ、何樫さんは特別でしょう」

「何が」

「いやあ」


 蓮司君は曖昧に笑っている。何が特別なのかよく解らないが、そんな事を追及しても仕方がないからよした。

 それで麦酒を飲んでから、電話を借りて退魔師組合にかけてみた。綾科は無線の通信機器は役に立たないが、有線の電話は通じるのである。


「はい、綾科市退魔師組合です」


 女の声が出た。


「何樫ですが」

「え? あ、何樫さん? どうも、いつもお世話になっております」

「真田君はご在席か知ら」

「ええと、今少し出払っておりまして、小一時間で戻ると思うのですが……その、後で折り返しお電話する形でも?」

「いいです。僕はくぼたにいると言っておいてくれたまえ」


 それで電話を切った。忙しい時に相済まないが、一席に居座らせていただく事にする。

 考えてみれば、この前の椿屋旅館の件で文句を言おうと思っていたのだけれど、間が空いたのもあって、自分の中の不愉快のつながりがなくなってしまった。今更そんな事を言う方が面倒くさくて、結局言わずに済ましてしまっている。


 旅の話をしているうちに外は日が暮れていた。夏至は過ぎて日が短くなり始めているけれど、八時近くなっても外は薄明るい。

 中々電話がかかって来ないなと思っていたら、開け放された戸から「こんばんはー」と元気な声をさして八鹿おぼろが入って来た。


「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃん! 八鹿おぼろでございます!」

「別に貴君を呼んだわけではないのだが」

「おろろ? 慶ちゃん先輩はまだいないのですか?」


 と言いながら、おぼろは私の隣の席に腰かけた。


「真田君がどうした」

「慶ちゃん先輩に呼ばれて来たんですよ。人を呼びつけておいて自分が遅れるなんて仕方がない人ですこと。蓮司さん、何か甘いものください! 支払いは慶ちゃん先輩がしますので遠慮なく大盛でお願いいたします!」

「はいはい、ちょっと待ってね」


 おやおやと思っていると、何だか荷物を持った真田君がひょっこりと現れた。


「どうもこんばんは何樫さん」

「こんばんは。電話をくれると思っていたけれど」

「くぼたにいるって聞いたから、電話より直で行こうと思いまして。準備にちょっと手間取って遅くなりました、すみません」

「準備って何の準備」

「あのですね、実は裏側に迷い込んだ人がいるらしくて、その捜索を頼まれたんですよ」


 何だか嫌な予感がして来た。


「そのお手伝いをお願いしようと思いまして」

「そんな事だろうと思った。僕なんか連れて行ってどうするつもり」

「裏側は油断出来ないんですよ、俺だけならともかく、こいつに気を付けてやらなきゃいけないから、もう一人いてもらえると助かるんです」


 と真田君はおぼろを顎で指しながら言った。おぼろは小豆の載った抹茶のかき氷を食べて、こめかみを押さえながら「きーんってしました!」と言っている。


「組合からもう一人出してもらえばいいじゃないか」

「皆嫌がりまして」

「僕だって行きたかない」

「でも正直組合の退魔師よりも、何樫さんの方が頼りになるんですよ」

「なぜ」

「裏側に詳しいじゃないですか。神々様にも妖怪にも知り合いが多いでしょうし」

「そんな事はない」

「頼みますよ、他の退魔師からも裏に行くなら何樫さんに頼めって言われちゃって……それに行方不明になっているのは何樫さんのお知り合いですよ」

「誰」

「野地牡蠣矢さんという方らしいです」


 帰ったと思っていたら裏側に迷い込んでいたとは傍迷惑な男である。


「他の人ならちょっとお断りするところですけど、何樫さんのお知り合いなら放ってもおけないでしょうし」

「放っておいていい」

「いやいや、そりゃまずいでしょう。何樫さんの同行が見込めるから引き受けてしまった様な部分もありますし」

「相談もなしにそんな事を引き受けてもらっちゃ、困るな」

「そこを何とか」


 野地がどうなろうと私の知った事ではないけれど、真田君があんまり熱心に頼むものだから、日ごろの付き合いもあって、とうとう引き受けてしまった。また貧乏神不在の時に不運が舞い込む。


 早速今から行くというから、止んぬる哉と思いながら立ち上がった。

 一応部屋の貧乏神どもの様子を見てみたが、どちらもぐったりと床に転がって眠っているから、起こすのも面倒なので放っておいた。


 それで真田君とおぼろと三人で夜の街を歩く。かき氷の代金を払わされた真田君はしかめっ面でおぼろを一瞥した。


「お前さあ、勝手にかき氷とか食うなよ、財布も持たないで」

「ごちそうさまです。いやあ、持つべきものは優しい先輩ですね。大好きです!」

「こういう時だけ媚売ったって駄目だよ、ちくしょう」

「おぼろ君はどうして一緒なのだね」と私が言った。

「経験ですよ。こいつもそのうち退魔師として独り立ちするなら、裏側の事くらい知っておかないと。おい、へらへらしてんじゃねえよ、遊びに行くんじゃねえんだぞ」


 と真田君はおぼろを小突いた。おぼろは何でか自慢げに胸を張っている。


 綾科の裏路地をくねくねと通り抜けて、やがて少し広い道路に出た。車が通れるくらいの幅がある。

 そこに沿って歩いて行くと、バス停があった。標識は少しサビている。

 時刻表を見てみると、二時間に一本程度しかない。尤も、ここにバスが来る事はない。こちらは旧道で、今はバスの路線から外されているのである。


 しかし我々はバス停の傍らに立っていた。

 もうすっかり日が落ちて、周囲から虫の声が迫って来る様であった。変に赤っぽい街灯が不規則に明滅するせいで、何だか妙な雰囲気である。


 煙草に火を点けて、煙をいっぱいに吸い込んで、吐き出した。


「それで、野地が裏側にいるってどうして解ったの」

「最初は担当の編集さんから警察に連絡があったらしいんです。綾科に行くと言って出かけたきり連絡がつかないし、宿泊先にも荷物を置いたままで帰って来なくなったらしくて。それで警察の方が色々調べた挙句、うちに回って来まして」

「誰かが霊視でもしたの」

「そうです。そうしたら裏にいるらしい事が解りまして、俺が駆り出されたんで」


 私が留守だったから野地は引き上げたものだとばかり思っていたが、一人で綾科をほっつき歩いて裏側に迷い込んだ様である。まったくどうしようもない話だと思う。

 おぼろが私の服の裾を引っ張った。


「何樫さん、裏側ってどんな所なんですか? 神様がいっぱいいるんですか?」

「いるよ。人間は少ない」

「いないわけではないんですね」

「いる事はいるが、いても妖怪みたいな人間だけだ」

「ははあ、だから何樫さんは裏側でも安全なんですね」


 どういう意味かと思った。

 一時間ばかり待ったかどうだか、ともかくしばらくしてから、車のライトが近づいて来た。見ると随分旧式のバスが走って来て、私共の前に停まった。塗装が剥げかけて、剥げた所は錆が浮いている。

 戸が開いたので乗り込んだ。運転手は狐の面をつけていた。

 客は他に二、三人いたけれど、車内の照明が暗いから顔はよく見えなかった。


 適当な席に腰を下ろすと、バスが動き出した。古い車だから走る度にがたがたと振動して、シートも硬いから、尻が痛かった。

 車内の照明も不規則に明滅している。ちかちかして目に痛い。

 窓際から外を見ようと思うけれど、外が暗いから自分の顔ばかり映る。ガラス越しに、私の斜後ろに座った客の顔がちらと見えた。獣みたいな顔をしていた。

 おぼろが「何だか暗いですねえ」と言うと、真田君が「しっしっ」とたしなめた。真田君は何だか緊張した面持ちをしていた。


 やがて隧道に入ったらしく、周囲の音が変に響いて聞こえて来る様になった。

 外がすっかり暗く、窓に映る自分の顔がくっきりと見えるのが何だか気持ちが悪くて、背もたれに体を預けてムスッとしていると、やがて隧道を抜けた。途端に窓の外から燃える様な赤色が目に飛び込んで来た。道路わきの地面を曼殊沙華が覆い尽くしているらしかった。

 座席の上に膝立ちになって窓ガラスに張り付く様にしていたおぼろが「おおー」と歓声を上げた。


「彼岸花がいっぱいですよ慶ちゃん先輩、ご覧なさいな! すごくきれい!」

「わかったから静かにしてろ。立つなって」


 曼殊沙華の花畑の向こうに町の灯が見えた。真っ暗な夜の闇の中に賑やかなネオンサインが幾つも寄り集まっている。バスはそちらに向かってずんずんと走って行った。

 次第に道路わきに提灯が下がり始めたと思うや、古びた家が並ぶ様になって来て、とうとう町の傍までやって来た。

 四階建てや五階建ての建物が立ち並んでいる。

 木造建築が多いが、いくらかはコンクリート造りのものもある。白い漆喰塗りの壁も見受けられた。

 無節操にあちこちに掲げられた看板が、ネオンサインや提灯の明かりに彩られてぎらぎらと光っている。三味線や太鼓、笛の音があちこちから聞こえて来た。


 バスが止まったので、降りた。乗車賃は真田君が支払った。

 降りてみると隔てられていた音と熱気がじかに迫って来て、まだ町に入ってもいないのに、急に町の中の賑わいが体を押して来る様に思われた。


 ここが裏側である。一応ここも綾科という事らしい。

 表の綾科が我々の住む綾科で、裏の綾科には人間以外が暮らしている。表の綾科と同じく、こちらも温泉の湧き出る観光地で、骨休めにやって来る神々や妖怪も多いらしい。

 おぼろが興奮気味に腕をぶんぶんと振っている。


「うおお、すげえ! 何だかお祭りみたいですね! あれですね、写真で見た九龍城みたいな感じ!」


 確かに、やたらに建物が折り重なっている様は九龍城の様に見えなくもない。実際、内部は迷路の様に入り組んでいる。

 しかし注意深く観察すれば、主要な通りは表の綾科と左右対称に配置されていると気づく筈である。だが大まかには同じでも、細かな路地などは勝手に改築増築が繰り返されて、度々道が変わっているから油断は禁物である。


「でも確かにもんの凄い気配ですね。霊力というか妖力というか、色々なものを感じますですよ。わたしが天才じゃなければ呑まれちゃいそうなくらい濃厚なものを!」

「そうかね」

「何があるのか今から楽しみですね!」


 浮かれているおぼろの肩を真田君ががっちりと掴んで、無理やり自分の方に向かせた。


「いいか、絶対にはぐれるなよ。お前はよそ見していなくなるパターンが多いんだからな」

「じゃあお手手つないでください」

「それは…………そうだな。その方が安心、か」

「でも慶ちゃん先輩手汗凄そうだから、やっぱり嫌です」

「よし、紐付けて引っ張ってやる」

「ええっ! 慶ちゃん先輩そんな趣味が!」

「言うと思ったよ! 煙に巻こうったってそうはいかねえからな!」

「あーれー」


 真田君は荷物から紐を取り出して、手早くおぼろの腰に巻き付けて結わえた。その端っこを持って「これでよし」と言った。おぼろは面白そうに笑ってばかりいる。


 私は煙草をくわえて火を点けた。


「貴君、野地を探す当ては何かあるのか」

「一応道具を持って来たので……あと霊視によれば、どこかの宴会場に紛れ込んでいたらしいんですよ。その辺りを当たってみようかなと」


 とはいっても宴会場なぞあちこちにある。

 神様というのは表では静謐を好む様な顔をしておいて、裏側ではいつも宴会騒ぎを繰り広げているのだから勝手なものだと思う。

 尤も、こちらには現世では忘れられてしまった神様だとか妖怪だとかもいるから、そういう連中は騒いで鬱憤を晴らさねばやっていられないのかも知れない。


 ともあれ、さっさと野地を見つけて帰りたいけれど、当てらしい当てもないから、どうにも長丁場になりそうだなとうんざりした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 何樫さんは半ば仙人みたいな感じなのかなあ
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