椿屋旅館の座敷童子.一
喪服というものに久々に袖を通したが、窮屈で、動きにくくて、こんなものは人の着るものではないと思った。
しかし、葬式の場に普段着でのこのこと出掛けて行くわけにもいかない。それならば初めから行かなければいいのだろうけれど、死んでしまったおたけばあさんは私も知らない仲ではないから、放ったまま部屋で膨れているわけにもいきかねる。
それで行ってみると、黒い服を着たのが大勢詰まっている。
椿屋旅館は綾科でも老舗の旅館で、玄関わきの大椿が絢爛たる雰囲気を放っているのだが、菊花が飾られて、白黒の布が垂らされて、そうしてこう喪服の集団ばかりでは陰気で、矢張り来なければよかったと思ったけれど、今更帰るわけにもいかない。ご焼香をして、故人の冥福を祈った。
喪主を務めていらっしゃったのはおたけさんの息子さん夫妻だったようだが、見た事のない若い女の人がいて、参列者に挨拶していた。私も挨拶されたが、知らない人なので曖昧に会釈して済ましてしまった。
出棺があって、火葬場には近親者ばかりが行くからそれで帰る事にした。
私は二階建てのアパートの一室に住んでいるけれど、変なつくりのアパートで、一階部分は店舗になっている。昔はキャバクラか何かで、二階の部屋にホステスの女の子たちが住んでいたらしいけれど、それから長らく空き店舗になっていて、今は「くぼた」という小料理屋になっている。二階の部屋にはその小料理屋の若店主の夫妻と私だけしか住んでいない。
葬式には小料理屋の夫妻も来ていた。久保田蓮司君と梓さんというまだ三十にもならぬ若いご夫婦である。蓮司君は中学を出てすぐに綾科の老舗料亭に入って修行し、それから独立してここで店を構えたそうである。
それで帰って来て、何となく一階の料理屋のスペースに蓮司君と入った。梓さんは着替えると言って二階に上がった。
「流石に椿屋さんは慕われてますね。あんなに参列者がいるなんて」
蓮司君が言った。喪服の上着を脱いでカウンターの向こうに入って明かりを点ける。私はカウンターの一席に腰を下ろした。
「何樫さん、何か食べますか?」
「食い物は要らないけれど、お酒が飲みたい」
「はは、そうですね。精進落としといきましょう」
蓮司君は冷蔵庫から自家製の塩辛と漬けものを出して、一合徳利に酒を注いでお燗した。それからしゃもじに味噌を塗って炙り始めた。私は煙草を咥えた。
「ところで貴君、あの女の人は誰だか知ってるの」
「あの女の人って」
「おたけさんの息子さん夫妻と一緒にいたじゃないか」
「ああ、あれは息子さんの娘さん、つまりおたけさんのお孫さんですよ」
「道理で知らないと思った。綾科には来た事はないのかね」
「息子さんは旅館を継がずに東京に出て家庭を持たれたでしょう。そこで産まれた娘さんだそうですから、まあ都会っ子って事でしょうね。もう大学も出て、バリバリのキャリアウーマンだそうですよ」
嫌にきっちりと化粧をして、垢抜けた顔をしていたのはそういう事かと思った。
ぬる燗を舐めて、塩辛をつまんだ。イカを肝ごと刻んだのを塩であえて、ほんの少し唐辛子の辛味がある。蓮司君は若いけれど、もっと若いうちから修行を積んだだけあって、料理の腕は無類である。何の変哲もない塩辛でもうまい。
「しかしどうなるんでしょうね」
「なにが」
「椿屋ですよ。おたけさんが一人で気炎を吐いていたけれど、そのおたけさんがいないんじゃ、誰か継ぐんですかね」
椿屋は老舗で、建物もそれなりに大きい。明治の頃からある建物だそうで、純然たる和風宿ではなく、玄関口からエントランスにかけて西洋風のモダンな意匠があしらわれており、それが当時は話題になって、客足の途切れる事はなかったらしい。
玄関わきに植えられた大きな椿の木が宿の特徴である。創業の頃に苗木が植えられたそうで、それが百年以上の時を経てもまだ生きている。
部屋の数はそう多くなく、宴会が出来る様な大きな座敷も二つしかないが、その分客への丁寧な応対が評判だったと聞く。私は宴会に呼ばれて行った事はあるけれど、泊まった事がないから実際どうなのかは知らない。
私は盃を干して、漬けものをつまんだ。ぱりぱりしてうまい。
「座敷童子はまだいるだろうから、誰かがすればお客は来るだろうさ。貴君、名乗りを上げちゃどうだ」
「いや、僕は料理人ですし、そもそも息子さんもいらっしゃるんだから」
「けれどあの息子は継ぐつもりがなさそうだぜ」
「どうでしょうね。子供の頃は綾科で過ごしたんだし、これを機会に帰って来るんじゃないですか」
「さて、都会暮らしに慣れちまったら田舎に引っ込むのは勇気が要るからね」
「そういうものですか」
「そういうものさ。それに、綾科じゃ他所の常識が通用しないからね。東京暮らしに慣れちまったんなら、携帯電話も使えない場所に暮らすのは嫌なんじゃないか」
「ああ、それは確かに。僕らには縁がないですけれど、他所の人はスマホがないと生きていけないらしいですからね」
梓さんは何を手間取っているのだか依然として降りて来ない。私は立ち上がった。
「焼き味噌をくれるかね」
「はい、どうぞ」
「夜は開けるの」
「はい。うちの喪じゃないですから」
と蓮司君は笑った。
しゃもじに塗り付けた焼き味噌を受け取って部屋に戻った。六畳の狭い部屋である。そこに卓袱台を置いて、万年床を敷いて、押し入れに服をしまうようにしてある。
私が部屋に入ると、焼き味噌の匂いに釣られたらしい貧乏神が嬉しそうな顔をして駆け寄って来た。
「留守番ご苦労」
しゃもじを渡すと、部屋の隅に座ってちまちまと舐めている。その姿がいかにも貧乏神らしくて、見ていてくさくさした。
貧乏神がいつから私の部屋に居付いてしまったのか、正確なところは思い出せないけれど、一体、こういった神だの妖怪だのというものは、人の意識の隙間からするりと入り込んで、そうして何食わぬ顔で居座っているのが常だから、最初が分からないのも当然だろうと思う。
一般に貧乏神というのは襤褸をまとい、柿団扇を持った貧相な老人の姿で描かれる事が多い。
実際、その様な貧乏神も多く見かけるけれど、私の部屋の貧乏神は女である。美人薄命だとか薄幸の美人とかいうような言葉があるように、女の貧乏神は美人が多い。しかし身なりは貧相で、顔色は悪いし、髪の毛はばさばさして、見るからに幸薄い様子が漂っている。美人が落ちぶれている方が貧乏にも趣が出るのかも知れない。
貧乏神は、時々焼き味噌をくれてやると、その時だけは嬉しそうな顔をするけれど、それ以外の時は一日何をするでもなく、陰気な表情で部屋の隅や押し入れの中に座ってこちらを見ている。それで私の方は気が滅入って、嫌になって、日常の色々を頑張る気概がなくなる。
それを蓮司君に言ったら、何樫さんは元々何もしないじゃないですかと言った。そういう正論でやり込められては、こちらの立つ瀬がない。
窮屈な喪服を脱いで、いつもの服に着替えて、さてどうしようかと思った。
考えてみたけれど、何もする事がない。喪服は借りものだから返しに行かなくてはならないけれど、さっき帰って来たのに、すぐに立ち上がってどこかへ、まして用事を済ませようなどとは思いもよらない。手持無沙汰な気分で、ひとまず煙草を咥えて火を点けた。
焼き味噌を食ってしまった貧乏神が私の事を見ている。散歩に行きたいのだろうけれどそうはいかない。出掛けて帰って来たばかりだから、どこにも行きたくない。訴えるような貧乏神の視線が鬱陶しくなって来たから、万年床に仰向けに転がってしまった。
そうしてしばらく黙ったまま天井を見ていると、じれったくなったらしい貧乏神が手を伸ばして私をつついた。
「勝手にどこかに行かないだろうね」
私が言うと、貧乏神は頷いた。
それで貧乏神を連れて外に出た。喪服を帰すのは後日でも構わないから、純然たる散歩である。
五月の空は青く澄み渡って実に清々しい。太陽も大きな顔で光っている。地上で人が死のうが天道は知った事ではないといった顔である。おたけさんは今頃煙に乗って空に上って行ったろうかと思った。
貧乏神は陰気な顔だが、それでも嬉しそうな様子で歩いている。こういう存在は日の光が嫌いなのではないかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
私の住んでいるアパートは大参道から裏に入った所にある。参道まで出ると、両脇に土産物屋や食べ物屋が並び、観光客らしいのがさながら古都を思わせる古い木造の建物や、着物を着て歩く綾科の住人達を見てはしゃいでいる。
この参道は海から山に向かって一直線に伸びていて、山側に大鳥居、海側に小さな鳥居がある。山手の鳥居をくぐった先が綾科神社で、全国的に有名な綾科神楽の本拠地である。
山を背に湾を抱く綾科市は旧神倉町と綾科町、それと稲荷山町とが合併して市になった。大戦時に空襲を受けなかった関係で街並みは古く、山と海とを望む景観の良さに加えて中々の湧出量を誇る温泉地であり、国内外から観光客がよくやって来る。二十一世紀、恭明天皇の御代にありながら、綾科の住人の多くが普段着として和装を好んで用いる事も、観光客が喜ぶ事の一つになっているらしい。
それでいて綾科は単なる観光地とはまた違う。特にこの大参道周辺から綾科神社付近は、どういうわけだか様々な電波が遮断される。要するに有線の電話は通じるけれど無線の携帯電話が通じない。しかも参道付近は撮影機器に不調が生ずる。撮影自体は出来るのだが、撮ったそれはまっ黒かまっ白になってしまうのである。
その為、綾科の観光パンフレットには写真の類がほとんどない。代わりに写実的なイラストが幾つも使われている。それが却って効果を生んで、もの好きな観光客を呼ぶのに一役買っているらしい。
現代の科学では電波の遮断や撮影機器の不調などの現象の原因は解明できていない。
霊媒関係者によれば霊脈がどうとかいう話であるが、私には関係のない話だから、よく覚えていない。
大参道沿いには昔ながらの木造の建物が並んでいるが、裏手に入ると普通のコンクリート造りの建物も並んでいて、ファーストフードの店などもある。観光客はあまり行かないが、地元の若者たちはよく遊びに行っているのを見かける。世代が変われば趣向も変わる。
私が当てもなくぶらついていると、丁度通りがかったハンバーガーの店から、中学生くらいの女の子たちが四、五人連れ立って出て来た。見た顔ばかりである。それもその筈で、綾科神社の神楽巫女の見習い少女たちであった。
「あ、何樫さんだ」
「本当だ」
「貧ちゃんもいる」
「こんにちは、何樫さん」
見習い巫女たちはわらわらとやって来て、私共を取り巻いた。
皆普段の巫女服ではなく、年頃の娘が着るような服を着て、髪飾りなんかをつけてお洒落をしている。しかしうち二人は可愛らしい柄の着物を着てかんざしを挿していた。
「こんにちは。貴君たちはお休みなの」
「はい、今日はお稽古も授業もなくって」
「お勤めも人が足りてて」
「しばらく働きづめだったからって、非番組で遊びに出てもいいってお許しが出たんです」
それでハンバーガーを食いに来たというわけである。年頃で、しかし普段は神楽の稽古と勉学、神社のお勤めと若者らしい事は中々出来ないから、こういう休みの時は、そういった憧れの若者文化に足を運んで来るのであろう。
ハンバーガーのお味は如何と尋ねたら、しょっぱくてイマイチだったと答えた。憧れに現実が伴うとは限らないらしい。
貧乏神が怯えるようにして縮こまり、落ち着かなげに視線を泳がしている。見習い巫女たちは無邪気に笑いながら、貧乏神の髪を梳くように撫でたり、頬をつついたりしていた。
「もっと綺麗にすればいいのに」
「美人がもったいないよ、貧ちゃん」
「櫛持ってるから梳かしてあげる」
貧乏神はいやいやと頭を振って抵抗している。
綾科の一般人たちは貧乏神を怖がる。引っ付かれては家が没落するのだから当然であろう。しかし巫女やその見習いたちは、自身に強烈な浄化の力があるだけでなく、皆若くて怖いものを知らないから、貧乏神に対してもただの女の子を相手にするように接して来る。その度に貧乏神は助けを求めるような視線を私に向けて来るけれども、貧乏神がどうなろうと私の知った事ではない。
貧乏神に少女たちを押し付けて輪の中から抜け出し、いじくられる貧乏神を眺めていると、少女たちに交じって、貧乏神の足元にまとわりつく一際小さな娘がいた。白い無地の着物を着て、髪の毛が真っ白である。おやおやと思った。
「おい諸君。めがみさまが出て来ているけれど、いいのかね」
「ええっ」
見習い巫女たちは足元を見た。めがみさまはドキリとしたように体を強張らせて、そそくさと少女の一人の陰に隠れた。しかし隠れられるものではない。女の子たちに捕まって抱き上げられた。
「もー、いつの間について来たんですか」
「おがみさまが怒りますよ」
「もしかしてずっといたのか知ら」
「可愛いんだから」
めがみさまは撫でられたりつねられたりして、しかしまんざらでもなさそうに笑っている。その脇を通行人たちが怪訝な顔をして通り抜けて行った。めがみさまの姿は巫女の他には見えないのである。どうして私にも見えるのかは、私にも解らない。
「どうしよっか」
「帰らないとだめだね」
「めがみさまったら、いたずら好きなんだから」
「じゃあまたね、貧ちゃん」
「何樫さん、さようなら」
「さようなら」
見習い巫女たちはめがみさまを連れて行ってしまった。神社に帰るのであろう。あまりめがみさま一人で出歩くと、おがみさまが怒るのである。折角の休暇を中断されて気の毒だが、止むを得ない。
綾科神社の御祭神は双子の神様である。記紀神話に出て来る神々のいずれにも属さぬ神様で、男児と女児の姿をしている。名前は分からないので、男の子の方をおがみさま、女の子の方をめがみさまと称し、巫女たちがそのお世話をしている。
神社の御祭神はその様に存在するが、綾科には他にも雑多な神々がぞろぞろとうろついていて、中々物騒である。もちろん、貧乏神や疫病神の類もいるから油断はできない。
綾科は神楽舞や剣舞で清められているから、そうそう悪さはできないけれど、心が弱っていたり、悪い思いを抱いていたりしてはとり憑かれる事もある。
そんな風に他所においては概念上の存在でしかない神や物の怪の類が、綾科ではおぼろげながらも実体を伴って存在するので、人々の信仰の度合いは市外の人々に比べて強力である。どの家にも神棚があり、きちんと毎朝お供え物をして、お祈りする。
蓮司君の店にも厨房の奥に荒神さんの神棚があって、毎朝水と米を変えているらしい。私は面倒臭いから、そういう事はやらない。
またぶらぶらと歩き出した。貧乏神が恨めしそうな顔で私を見ている。
遠くで御囃子が聞こえていた。調子からして剣舞の練習が行われているのかも知れない。
春先で、ここのところはしばしばあちこちの神社や寺の境内で剣舞や神楽舞が行われている。季節の移り変わる時期は怪異の類も起こりやすい様で、その祓いや清めを行う必要があるらしい。
参道から外れて、裏通りを抜け、公園を横切り、在善寺を回り込んで、海手の方からアパートにぐるりと戻って来た。
日が傾きかけている。部屋には西日がよく当たって、それがとても貧乏くさい。貧乏神は満足そうである。
部屋に戻って、しかしする事がないから、また座っていた。
開け放した窓から吹く風が少し冷たく、それに乗ってまた違った調子の御囃子の音が聞こえていた。
○
何にも持っていなければ、何も失う事はない。当然の真理に気付いたのは年を取ってからであったが、色々な事が面倒臭くて、とにかく自分の周囲から無駄なものを削いで行こうと思っていたから、結果としてそういう事になった。
一番大きかったのは、ご飯を食べなくても腹が減らなくなった事である。
元々煙草を買いに行く時、ふと思い立ったまま旅に出て、そのまま家に帰らないまま随分長い時間が経った。色んな所を放浪して立ったり座ったりして、歩き疲れれば落ち葉や草に埋もれて眠った。そうしているうちに何の因果か綾科に行き着いて暮らしている。
放浪の時代には無論お金などなかった。だから何も食べなかったけれど、元々食べる事が面倒だと思っていたからそれは苦ではない。
しかし食べずに平気だという理由は分からないまま、長く放浪している最中に元々のねぐらに戻って見たら建物ごとなくなっていた。分譲の看板が立っていたから、大家が土地ごと売ったのだと思われる。私なぞいなくなって長かったから、向こうも帰って来るとは思っていなかったのだろう。
無論、私も更地を見ても何かを失っただとか、空虚になっただとか、そんな風には思わなかった。放浪が長く続いて家も荷物もないに等しかったから、元々ない筈のものがなくなっていたところで何とも思わなかったのである。
そこまで考えて、自分の腹が減らない理由に思い至った。
すなわち腹が減るというのは、腹の中から何かがなくなるという事であって、それならば初めから何も入っていなければ、腹が減るなどという道理はない。
それでここ数年はまともにご飯を食べずに生きている。
第一、料理をして、皿に盛って、箸で口に運び、咀嚼の後嚥下するという一連の流れが実に面倒で、それをしないで済むのだから大変便が良い。
そういう事を言ったら、蓮司君が笑った。
「でも何樫さんはうちのつまみを食べたりはするでしょう」
「そうさ。すると食べた分の腹が後で減る」
「食費がかからないのはいいですねえ。はい、お代わりどうぞー」
と梓さんがお燗した徳利を私の前に置いた。私はご飯を食べないけれど、お酒はいくらでも飲みたいのである。
私が貧乏神を引き受けて、その貧乏神がこのアパートの不運を私の所に運んで来ているから、久保田夫妻の小料理屋は中々上手く行っているらしい。だから私はいつもお酒と肴をご馳走になっている。時には煙草もくれる。そんなもので店が上手く行くなら安いものだという事らしい。
そこの因果関係が明らかになっているわけではないが、突っ張らかって好意に甘えない理由はないから、有難く享受している。
尤も、酒や煙草といった腹中や鼻腔を抜けて消えるものと違って、お金は長い事持っているとなくなるのが怖くなって、不安になって、精神衛生上よくないから、いつもすぐに使って手元に残さないようにしている。
貧乏神がいる事でそういった良い事が起こる。私が受けるべき不運はどこへ行ったのか少し気になるけれど、気にしても仕方がないから気にしていない。
宵の口の「くぼた」は賑やかである。常連もいるし、観光客らしいのもいる。
カウンターの向こうから色んなにおいがして、盃やジョッキの触れ合う音がして、梓さんが忙し気にくるくると動き回っている。
「蓮さん、マナガツオの味噌漬けお願い」
「はいはい。こっちお造りね。四番さん」
私はカウンターの隅に腰かけて山葵漬けを肴に熱燗を舐めている。
隣の男は鱧の湯引きに梅肉を乗っけたやつで冷やを傾けている。
後ろの席の四人連れは小鯵の南蛮漬けや煮込みなんかをつつきながら、さっきから麦酒を何杯もお代わりしている。いつもの夜である。
椿屋旅館のおたけばあさんの葬式から二週間ばかり経ち、次第に夏の陽気が忍び寄って来ていた。
日中の日差しはより強くなり、しかしまだ夜はひんやりとするから油断がならない。五月も終わりに近づいている。六月の終わりに差し掛かると夏越しの大祓があるから、神社も寺も活気づいていて、毎日御囃子の音が聞こえていた。
「それでよ、綺麗な人だなーって思って振り向いたらフッと消えちゃったんだよ」
「見間違いだったんじゃないのか」
「いや、そんな事はない、すぐ横を通り過ぎたんだから」
「俺も後ろから声をかけられてさ、はいはいって振り向いても誰もいないんだよ。ここ、変な町だよなあ」
後ろからそんな会話が聞こえる。どうやら観光客らしい。綾科ではそんな事は珍しくも何ともない。
夜が更けて来ると、ちょっとずつお客がはけて、店の中が静かになって来た。
もう閉店間近になって暖簾を下ろそうかというくらいになると、ふらりと常連が顔を出したりする。その晩もお客が皆いなくなってから、真田慶介君がやって来た。
「おーす、まだ大丈夫?」
「あらあら慶介君、大丈夫だよ。何だか久しぶりじゃないの」
梓さんがにっこり笑って私の隣の席を素早く片付けた。真田君はそこに腰かけた。そうして大きく息をついた。
「さっき帰って来たトコ。蓮司、俺麦酒ね」
「はいはい」
「どうも何樫さん。ご無沙汰です」
「お久しぶり。しばらく見なかったが、お疲れの様ではないか」
「そうなんですよ。ちょいと面倒な案件に出くわしましてね。蛇だったんですけど、ちょっとした神格持ちだったもんだから、もんの凄い霊障の対策にドタバタと二週間。おたけ婆さんの喪に服す暇もありゃしない。ま、何とか片が付いたんですけど」
「慶介がそう言うのは随分大変な話だね」
と蓮司君がカウンター越しに麦酒瓶とコップを置いた。真田君は一杯目をひと息で飲み干してしまった。
「あー、うまい。久々だったよ、あんなのは。ここらでばっか仕事してると世の中平和だと思っちゃうけど、外はやばいね。曲がりなりにも神様のくせに、どうしたらあんな風に恨み辛みを溜め込めるやら」
「野良神なんてそんなものさ。遠征だったのかね」と私が言った。
「県二つまたいで来ましたよ。車に荷物満載で高速を四時間。組合から直々に回って来たんで断れなくて」
「期待されてるんだろ、組合でも」と蓮司君が言った。
「そうなのかなあ。ま、爺様婆様も後継ぎが云々うるさいからなあ。泰光あたりを鍛えりゃいい退魔師になると思うんだが」
「おぼろちゃんはどうなの」と梓さんが言った。
「あいつの話はしないでくれ」
真田君はかくんと肩を落として、言った。梓さんはくすくす笑った。
「お目付け役は大変ね。ご注文は?」
「あ、煮込みちょうだい。あと刺身は、今日は?」
「石鯛のいいのが入ってるよ」と蓮司君が言った。
「そいつは最高」
真田君はまたコップに麦酒を注いで、ひと息に飲んでしまった。
「退魔師の景気が良いのも考え物だね」
と私が言った。真田君はからから笑った。
「いや、まったくですよ。でも人間がいる限りなくならんでしょうね、ああいうのは。けどあのレベルですら俺たちに回って来るんだから、巫女さんたちはどんなの相手にしてるんですかね。くわばらくわばら」
真田君は蓮司君と梓さんの幼馴染で、退魔師組合に所属する退魔師である。その中でも若手で期待されている有望株らしい。
退魔師、拝み屋の類は綾科では珍しくない職業だが、外ではそういった霊媒稼業は胡散臭い商売と思われている。
世の中にインチキの霊能者も多くいるのは確かだが、綾科においては実際にそれが日常と隣り合わせだから、インチキでは仕事にならない。そこで積んだ経験と実力は、綾科以外でも十分に通用する代物で、綾科の退魔師は本物で実力が高いと評判があり、結構な頻度で綾科以外にも呼ばれて退魔調伏の仕事に赴く。
綾科神社の神楽巫女はその筆頭で、彼女らは綾科の退魔師の中でも頂点に位置する存在である。
ただ、彼女たちは基本的には神社周辺から離れず、お祓いにやって来た人々を相手にしている事が多い。
巫女たちが赴くのは、本当に難易度の高い案件である事がほとんどである。時には国から頼まれる仕事もあると聞く。
代わりに、それに満たない難易度の案件は退魔師組合や在野の拝み屋たちが行き来している。
梓さんが煮込みの小鉢を真田君の前に置いた。
「あんまり無茶しちゃ駄目だよ、慶介君。下手すると危ないんだから」
「分かってるよ。それより椿屋さ、誰か入る事になったの?」
「なんかお孫さんが来たみたいだよ。息子さん夫婦は結局来ないみたいだけど」
と蓮司君が石鯛の刺身を盛り付けながら言った。真田君は考えるような顔をした。
「孫って、なんかあのキャリアウーマンみたいな子?」
「慶介も見たのか。うん、あの眼鏡かけてちょっときつそうな」
「大丈夫かなあ。見た目でどうこう言っちゃあれだけど、綾科に馴染めると思うか?」
「それは分からないけど、ここが気に入ったんなら大丈夫じゃないか。東京からわざわざ来るくらいなんだし、それなりに気合入れてると思うな」
「何樫さんはどう思います?」
と真田君が私を見た。
「どうって、どういう事」
「だから、綾科に、それも椿屋を継いでもやれそうかって」
「僕はそんな事に思い至っていない」
「考えてみてくださいよ」
「いいけれど、僕はその孫の人となりなんか知らないぜ」
「いや、俺も知りませんけど」
「どこか別の観光地のつもりでやるなら失敗、綾科だと分かってやるなら成功、そんなところだろう」
「それだとちょっと不安ですね。ほら、経営改革がどうのとか、そんな事を言ってるって清蔵さんがこの前こぼしてましたから」と蓮司君が言った。
「あちゃ、そいつはまずいね。座敷童子がいるんだから、下手な事しない方がいいのに」
と言って、真田君は石鯛の刺身を頬張った。
「うは、うめえ」
「やっぱり、機嫌を損ねると出て行っちゃうのか知ら?」
と梓さんが言った。慶介君は刺身を飲み下し、麦酒グラスを持った。
「多分な。まあ、敬う気持ちがちゃんとあれば大丈夫だと思うけど。ねえ、何樫さん」
「そうだね」
ああいう神だの妖怪だのといった連中には微妙なところがあって、人間がよかれと思ってやった事が裏目に出る時もある。座敷童子の場合はそういう事はないと思うけれど、物事に絶対はない。
座敷童子の住み付く家の傾向としては、やはり年季の入ったものが多い。新築の家に座敷童子が入ったという話はあまり聞かない。
この妖怪だか神だか、ともかく福を呼び寄せる少年少女の類は家に憑くものらしく、古い家を建て替えたらいなくなってしまった、という話をよく聞く。要するに屋敷神としての性質も備えているのだろう。
ないとは思うけれど、あの建物を建て替えようなどとしたら、座敷童子も出て行きそうではある。
そんな事を考えながら徳利を持ったら軽かった。蓮司君が目ざとく気づいてこちらに手を伸ばした。
「何樫さん、もう一本つけましょうか」
「いいのかね」
「僕らも飲みますから遠慮しないで下さい。慶介、燗酒行こう」
「刺身にはそうだな。くれくれ」
徳利が出て来て、改めて乾杯した。蓮司君は厨房を片付けながら飲んでいる。すっかり手馴れた様子である。
「食べちゃわないといけないのがあるな。何樫さん、キビナゴ食べません?」
「くれるんなら、もらうよ」
「俺も俺も」
辛子酢味噌をかけたキビナゴの刺身をつまみながら、熱い酒を舐めた。大変うまい。まだ夜はひんやりするから、熱燗がうまく感じる。
「ガキの頃、椿屋に忍び込んでおたけ婆さんに大目玉食らったよな」
「ああ、あったなあ。使われてない部屋があって、古い雛人形とか長持とか、不思議なものがいっぱいあったような覚えがあるよ」
真田君と蓮司君が思い出話をしている。梓さんがむくれている。
「男子は男子だけで、わたしは仲間外れだったよね」
「今蒸し返すなよぉ、小学生なんてそんなもんだろ」
「そうだよ。それに梓は女子グループにいたでしょ」
「むー。わたしも椿屋に忍び込んで探検してみたかったな」
「この年になっちゃもう無理だな、わははは」
真田君がげらげら笑った。景気よく回って来たらしい。
ここらで育った連中に取って、椿屋旅館は馴染みの場所らしい。旅館としてだけでなく、様々な行事の際の寄り合い場所に使われる事も多く、そんな時に出される料理も評判がいい。ここらに住んでいれば、一度は椿屋に足を踏み入れるであろうという事である。実際私も何度か宴会に呼ばれて出かけた事がある。
幼友達三人の思い出話を聞きつつ、何となくお銚子を空にして、お休みなさいと言って部屋に戻った。
窓を閉めたままだったから、空気が籠ってもったりしている。開け放つと、宵のひんやりした空気に混じって、道行く人の声や御囃子の音が入り込んで来た。
貧乏神が膝を抱えて私の事を見ている。
万年床に寝転がって、天井を眺めていると、何処からか入って来たらしい蛾の大きな奴が電灯の周りをずっと飛び回り、その影が目を閉じてからもずっと瞼の裏でちらちらした。