剣士の名前
「明日には出る、今夜はこの村で過ごす最後の時となるだろう。お前は家に戻れ」
「剣士さんは、どうするのですか?」
名を知らなかったので、そう呼んだ。見事に弓矢も扱っていたが、剣士という呼び方の方がしっくりときた。腰に差した剣がこの大男にはとても似合う。
「俺は村長の家に泊まる」
「村長のお家ではなく、私の家に泊まってください」
少しの間、大男は黙っていたが、やがて頷いた。
「分かった、そうしよう。別に寝むれれば、何処だろうと構わない」
「では行きましょう、案内します」
今度はメイアが先頭になり、大男を案内した。大男がメイアの提案を受け入れてくれて、内心で安心していた。一人で眠るのがなんだか怖かったのだ。いつもは、母と一緒に眠っている。その母がいなくなり、やはり心細かった。誰かと一緒にいたかった。でも、誰でも良かった訳ではない。
命を救われたから、というのもある。でもなんだか彼といると、とても安心できた。それはこの大男がとても強いからなのだろうか。どんな魔物が出ても、彼ならばやっつけてくれる。だから安心できるのか。
家の中は薄暗かった。日が完全に沈むのも時間の問題だろう。灯りを点けたかったが、メイアにはやり方が分からなかった。いつも、母がやってくれるのを見ているだけだ。代わりに、大男が灯りを点けてくれた。暗かった室内が、僅かに明るくなる。蝋燭など買えるお金はないので、獣油を燃やして灯りにするしかない。それでも、勿体ないのでいつも直ぐに消してしまう。暗くなれば、さっさと寝てしまうのだ。
ずっと住んでいるこの家とも、今夜限りとなる。村長の話しでは祖父が建て、母も幼い頃にこの家で育ったらしい。古くて、小さな家だ。食事なんかをする広間と、寝室しかない。
「お前は先に寝ていろ」
椅子に座り、大男が言った。母がいつも座っている椅子だった。
「剣士さんは寝ないのですか?」
「直ぐに寝る。寝る前に、剣を磨くだけだ」
「見ていても良いですか?」
「見ていても、別に面白くなんかないぞ」
「見ていたいんです、お願いします」
少し呆れ気味に息を吐き、勝手にしろ、と大男は言った。言って、腰に差した剣を抜いて磨き始めた。その作業をじっとメイアは見つめていた。もちろん、剣を磨く所を見るのなんて初めてだ。どんな風に磨いているのか、メイアには全く分からなかった。ただ、大男はこの剣を大事にしているという事は分かった。一つ一つの動作が丁寧だ。磨き終えると、ゆっくりと大男は剣を鞘に納めた。
「終わりだ、寝ろ。俺も寝る」
そう言って、腰に剣を差したまま大男は椅子に寄り掛かって目を閉じた。
「此処で眠るのですか?」
「そうだ。心配するな、どんな体制だろうと眠れる」
「奥に眠る部屋があります。そこに布団もあるので、そこで寝ましょう」
「お前がそこで寝ればいい、俺は此処で寝る」
「私のと、母のと、二つあります。ですから…」
「分かった、行くぞ」
閉じていた目を開き、大男は起き上がってくれた。二人で、寝室に入った。母とメイアの分、二つの寝床があるが、いつも母の寝床で二人一緒に眠っていた。さすがに一緒の寝床には入らなかった。メイアが自分の寝床に入ると、大男も母が使っていた寝床に入った。横になると剣は邪魔になるらしく、さすがに腰からは外し枕元に剣を置く。
寝床に入ると、大男が灯りを消した。辺りは一気に暗くなる。何も見えなかったが、直ぐ側に大男がいるという事は分かった。それで、安心できる。
「剣士さん、眠りましたか?」
暗闇の中でメイアはそう話しかけた。
「なんだ、まだ何かあるのか」
「まだ、剣士さんのお名前を聞いていませんでした。眠る前に教えてください」
「バルサムだ、好きに呼べ」
「バルサムさんですか、私はメイアです」
「知っている」
「ならば、名前で呼んでください。私もお名前で呼ぶ事にします」
返事はなかった。もう、眠ってしまったのかもしれない。メイアも眠くなり、小さく欠伸をして、目を閉じた。うとうとした意識の中、バルサムという名前をしっかりと頭の中に刻み込んだ。