第五話 隣の席のあの子
私と寺里晴喜は、隣の隣の席同士である。その間に座っているはずだった人間は、新木田美里という、不登校の女の子だった。新木田さんは、一学期から学校を休みがちで、二学期にはなってからは一度も学校に来ていない。そんな新木田さんのことが気がかりになった担任は、隣の席の私にお見舞いという名の自宅訪問を命じた。
「私、新木田さんとあまり話したこと、ないんですけど」
「そんな嫌な顔しないで、お願いよ。あなたもずっと隣の席が空いていると寂しいでしょ?これを機会に友達になってあげてほしいな」
「それを言うなら、寺里くんも隣の席です!私が行くなら彼も行くべきでは?」
私は、あっさりと寺里くんを道連れにした。担任の向こう側で嫌な顔をする寺里くんが見えたが、担任は「そうね!」と顔を輝かせて、私たちに新木田さん宅の住所と配布物を渡した。
こうして、放課後に二人並んで、新木田さんのもとへと向かっているのである。
「困ったな、僕は新木田さんと喋ったことないよ」
「それは私も同じ。先生も本当に押しつけがましいことするよ」
新木田さんは、クラスの中でも大人しく、特に仲の良い友達もいないようだった。
「どんな感じの子だったっけ?私、顔もあんまり知らないかも」
「おいおい、それはひどいな。さすがに僕でも顔くらいは知ってるさ。二つ結びの眼鏡をかけた女の子。いつも詩集を読んでいた」
寺里くんは、得意げに言う。
「え、詳しいね。何を読んでいるかまで知っているなんて」
「いつも見てたからね」
「……」
一瞬スルーすべきか迷ったけど、これはツッコんでもいいのだろうか。今「見てた」って言ったよね、しかも「いつも」って。
「……どうして寺里くんが新木田さんのことをいつも見てたの?」
「そんなの、好きだからにきまっているじゃないか!言わせないでくれよ」
この人とんでもないタイミングで暴露してきた。いや、待って。さっき、家に行かされそうになってめちゃくちゃ嫌な顔をしていた気がする。あれは一体?
「好きな人の家に僕の体が侵入するだなんて、緊張するよなあ!」
侵入って、その言い方は語弊がある。しかも気持ち悪い。というか、そっちの意味であの顔だったの⁉紛らわしいにもほどがある。
「ど、どこが好きなの?話したことないんだよね?」
「一目惚れだよ、しかも僕の初恋。あっ、そうだ!」
寺里くんが思いついたように言う。
「詩の好きな彼女に、僕が詩を贈るってのはどうかな?」
いくら詩が好きでも、話したことのないクラスメイトから突然詩を贈られて嬉しいものだろうか。少なくとも、私は嬉しくない。
「会いたい。そう願い続けたけれど、君は空っぽの机と椅子を残したまま、僕の前から姿を消した。僕は空に向かって言うんだ、君を愛していると」
唐突に何か始まったかと思ったら、え……今の、詩?この人が新木田さんに贈ろうとして、たった今創作した詩?
「どうかな?」
寺里くんがどや顔で私に感想を求めている。どうって言われても、自分が学校休みがちなのにこんな奇妙な詩を贈る人が同じ教室のしかも隣の席にいるって考えたら……絶対に登校したくない。
「うーん、初めて会話するのにそれはヘビーかなあ……。とりあえず、学校に来てほしいって伝えた方がいいと思う」
「お?意外と淡白なんだな、伏木さんは」
この人いちいち気に障る言い方をしてくるな。
「あ、着いたぞ!ここだ」
目の前には、まるで執事やメイドが出てきそうな、一般家庭とは思えない豪邸がそびえ立っていた。住所を確認したが、間違ってはいなかった。寺里くんは、何の躊躇もなく、インターホンを押した。
「すみませーん。新木田美里さんと同じクラスの寺里晴喜と伏木魔未子でーす。僕たち、学校の配布物を預かってきましたー!」
寺里くんがそう言うと、門は自動で開いた。そして、玄関の扉から、ドラマでよく見る「爺や」みたいな人が出てきた。
「美里さまの部屋へご案内いたします」
私は少し、興奮していた。こんなお金持ちの家、憧れる。新木田さんって、お嬢様だったのか。
私たちはエメラルドグリーンの色をした扉の前に連れてこられた。
「ここが、新木田さんの部屋か……」
寺里くんは、ふーっと息を吐いて、コンコンコンとノックした。その一連の仕草がやっぱり気持ち悪かった。私の寺里くんに対するイメージが、今日だけでものすごく下がっている気がする。
私が寺里くんを見て引いていると、部屋の中から「どうぞ」と新木田さんと思われる声が聞こえた。
「失礼します!」
寺里くんは、汗をたらたらと流し、ドアを開いた。その前にハンカチでも渡して「汗を拭いたら?」と親切に教えてあげようかと思ったが、そんな考えはすぐに打ち消した。自分のハンカチをこの人の汗で汚したくないという、とてもとてもまともな理由で、だ。
中に入ると、教室よりもずっと広い部屋が続いていた。そして、大きなソファーに新木田さんはちょこんと座っていた。
「あの、わざわざ配布物を届けにきてくれてありがとう。良かったら、お茶しませんか?」
新木田さんがまるでおとぎの国のプリンセスのように見えた。鳥と歌って暮らしていそうなイメージだ。
「ぼ、僕、新木田さんに詩を贈りたくて!」
言うかもしれないと思ったが、まさか本当の本当に言いだすとは思わなかった。
「僕の想いはあの夕陽のように熱く燃えている。僕は昼、君は夜。僕と君は永遠に会えない。それでも僕は君を愛している」
さっきとは微妙に違うバージョンだった。いや、かなり大幅に変更されている。しかも昼と夜のくだりはちょっとイマイチというか、いきなりこんな寒いポエムを贈ってしまっては、新木田さんをさらに追い詰めるに違いない。私は恐る恐る、新木田さんの方を見た。
「あ、あの、私、感動しました!」
あろうことか新木田さんは、あの寒いポエムに涙を流していた。寺里くんと同じ感性をお持ちのようだった。新木田さんは、寺里くんと見つめあっている。誰がこんな展開を想像しただろうか。今すぐ帰りたい。
「あ、私、先に帰ります。学校来れるようになるといいね。じゃあ……」
私は逃げるように新木田さんの豪邸から去り、寺里くんの愛のポエムを思い出したりしていた。もしかしてあのポエムに全く心が動かなかった自分の感覚がおかしいのかもしれないと、何だか悩んでしまった。
翌日、私の隣の席には新木田さんが微笑んで座っていた。私が帰った後に寺里くんとどんないきさつがあったかは知る由もないが、新木田さんは意外と単純な人だった。
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