第十話 早朝の女子たち
私は生まれてから一度も、人に〝恋〟をしたことがない。教室にいれば、「誰が誰のことを好き」だとか、「誰が告白して振られた」だとか、聞こうとしなくても、たいていの恋愛事情は耳に入ってくる。人を好きになる気持ちをまだ知らない私にとっては、恋愛なんて時間の無駄遣いだ、と考えてしまう。異論は認める。だって、私はまだ知らないだけかもしれないから。
「それでね、あたし、最後の席替えのくじで偶然彼と隣の席を引いちゃったの。あたしたちはやっぱり切っても切れない縁があるのかなー、なんて思っちゃった!」
早朝、早く学校に着いてしまった私は、偶然居合わせた練本緋色の過去の思い出話を、なぜか聞かされている。中学生の時に付き合っていたという元彼の話を彼女は楽しそうに話している。
緋色は、休み時間になると必ず少女漫画を読んでいる、変わった女の子だ。学校に漫画を持ってくるのは禁止なので、律義に教科書を被せている。
「緋色はまだ彼のことが好きなの?」
私は一応、聞いてみる。
「うーん、そりゃあ、未練がないと言えば嘘になるかなぁ」
いや、この様子はかなり未練たらたらだ。
「映画デートした時はドキドキしたなぁ。隣に好きな人がいる幸せ?みたいなの感じられてね」
現在進行形の恋愛がないからなのか、過去から掘り出した思い出話が続く。
「今は、恋愛してないの?」
「えー、したいけど、いい男いなくない?うちのクラス」
クラス中の男子を全員敵に回した。まだ私たち以外、登校していなくてよかった。
「ちょっとー、いい男はいるわよー」
まるで透明人間のように突然現れたのは、代美晃だった。七三分けがチャームポイントのオネエだ。
「きゃー、急にやめてよ、あっきー」
あっきーと呼ばれているらしい。
「あっきーは好きな人いるの?」
緋色が代美くんに聞く。
「あらやだ。そんなの答えないわよ、ヒ、ミ、ツ」
私も最近ようやく代美くんのこの喋り方に慣れてきた。
「緋色こそ、どうなの?さっき、いい男がいないとかほざいてたけど」
「あたしは、やっぱり忘れられない人がいるかなぁ」
緋色、代美くん相手だと素直だ。
「なぁに、元彼?」
さすが代美くん。勘が鋭い。
「そうそう。中学生の時に付き合って別れたの。向こうは連絡先も全部変えたみたいで、もう絶対に無理だよね。でも、彼のこと考えちゃうんだ」
「あら、拒否されてるじゃない。そんなの諦めた方がいいわよ」
代美くん、バッサリと言う。代美くんも、それなりに恋愛してきた経験がある人なのか。
「でもー、忘れられないからー」
緋色は駄々をこねる。
「緋色、私たちは華の高校生よ。過去の人間をいくら想っていたって時間の無駄!今をしっかり生きなさい。そうすれば、前を向いて頑張るあなたのことを見てくれる王子様が必ず現れるはずよ」
代美くんが恋愛のカリスマに見える。
「あっきー、ありがとう。あっきーの言う通りだね。あたし、王子様のために頑張る!」
緋色は目をうるうるさせ、お礼を言った。人が改心した瞬間を見た気がする。
「あー、あのー、私、まだ恋をしたことがないんですけど、どうすればいいですかね……」
せっかくなので、私も代美くんに相談してみることにした。
「岬竹静子さん、あなたはー……」
クイズの正解を聞くような間だ。無駄に緊張感がある。
「いつも通り、過ごしなさい」
え、それだけ?もっと革新的なアドバイスを頂けるのかと思った。
「どういうこと……?」
「恋ってのは、構えていたから始まるものではないの。ごく普通の日常の中で突然、恋に落ちるものなのよ。だから、あなたは焦らず、その時がくるのを安心して待っていなさい」
か、革新的だ……‼
「あと、その前髪直してあげる」
代美くんはそう言って、私の前髪に優しく触れた。その時、私の中で春の風がそっと吹いた気がした。
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