掃除屋
いつの頃からだろう。泥沼の様なドロドロした感覚が全身を覆い、浮かび上がれない気持ちになり始めたのは。普段は気にならないのにふとした瞬間に思い出す幼少期の苦い思い出みたいに、決して消えてなくならない。呼吸をする度に毒を吸い込んでる気すらする。底無し沼に身を沈める感覚は歩みを進める毎に酷くなり、まるで監獄に行くかのような気分になった。まだ冬にもなっていないというのに、気温の低さも足を重くする。周囲を見れば行き交う人々もコートのポケットに手を入れて寒さをしのいでいた。吐き出す息も心なしか白く見える。
こういう日は特に…
「うわ、見ろよ。掃除屋だ。」
やっぱり、と思った。
呟いた通行人の視線の先を追えば、封鎖された内側でグレーの作業着に身を包み、掃除機片手に道路を片っ端から吸引している姿が目に入った。数人の倒れてる人物も居るようだ。ここで無視して帰る訳にも行かない。
「…犠牲者を出すなんて…」
「…事前に防げなかったのか…」
遠巻きに見ながらブツブツ文句を言う見物人に勝手な事を言うなと心の中で詰る。彼等だって好き好んで掃除機かけてる訳じゃない。
機械音を響かせながら塵一つ逃すまいと掃除を続ける作業員に足早に近付いた。
その間も観衆は奇異の目で作業員を見続けては口々に適当な事を言う。心無い暴言も塵みたいに吸いとってしまえればいいのに。
「…お疲れ様です。」
私が後ろ姿に声をかけても聞こえないのか作業を止めない。仕方なく深呼吸をして声を張り上げる。
「お疲れ様です!」
一瞬作業員の動きが止まるが、振り返る事もなければ返事もない。そのまま掃除が続く。無視かよ!と苛つく気持ちを抑え、先ずは倒れてる人をどうにかしようと側に寄ってしゃがみこむ。恐らくは問題ないから放置しているのだろうが、衆人環視の中で放置だと誤解される行動はまずい。私が持参した毛布を彼等にかけ、顔が撮影されないように折り畳み傘を使って囲いの替わりにしていると、背後で気配がした。振り返ると作業員の一人が無言で倒れた人物を睨んでいた。その様子に驚きながらも私は立ち上がり、側に寄る。
「あの、状況の説明を…」
「…こいつ…」
「え?」
「…目覚めたら話、聞いた方がいい。普通じゃなかった。」
普通じゃない?
「普通じゃないってどういう…」
「そいつらの検分は済んだ。念のため救急車も呼んだ。」
言うが早いか、彼はそのまま背を向け、作業に戻って行った。これ以上は話をしてくれそうにない。仕方なく会話を諦め、持参した資料を読む振りをする。考えるのはここに来るときに聞いた人々の掃除屋に対する印象だった。手配が済んでいるのなら、倒れている人達に布をかけるとかして配慮してますアピールをしてもらわないと、何も知らない人から人間放置して掃除優先とか叩かれるのだ。そして今日の事を思うと頭が痛い。一体どのくらい放置されて居たのだろうか。
手配した救急車が到着し、作業が完了する頃には、掃除屋またも放置と記事が上がっていた。