エピローグ SideG ―敗者の風景―
戦いは終わり、一時の平穏が訪れる……。それは戦術上敗北を喫したガルガントス魔導帝国側でも同様である。
「……う……あ……」
ピエナ自治領攻防戦より2日の後……。
アンドラ=シェキスが目覚めたのは、ガルガントス魔導帝国軍病院の士官専用病棟、その一室であった。士官専用病棟では、入院患者に個室が用意されており、今この部屋を利用しているのは当然アンドラだけである。
しかしそれが彼女には幸いしていたと言って良い。
何故なら、眠っている最中頻繁に漏らしていた呻き声や、うなされてシーツを剥ぎ取った寝相、それに依って病衣がはだけてしまった姿を、他の入院患者に見られる事が無かったからだ。
アンドラは目覚めてすぐ、そこが何処だか理解していた。
ピエナ自治領で戦端を開き、作戦通りミカヅキ=マサトとアイシュ=ノーマン、そしてレサイア=アナキス=セントレア皇女を引き付け戦闘に入った。そしてアイシュ=ノーマンと戦闘状態になり大敗し、上官であるテディオ=コゼロークに助け出されてその戦域を離脱したのだ。
その時自身の受けた傷はかなりの重傷で、直後に行使された転移魔法の影響で気を失ったのだ。転移魔法は転移される人物に多大な負荷を掛ける。手負いのアンドラでは、その負荷に到底耐える事など出来ず、彼女はそこで意識を失ったのだった。
実際彼女の傷はかなり深く、アイシュの魔法で撃ち抜かれた右肩は完全に吹き飛ばされて残っておらず、右手は皮一枚でどうにか繋がっているような状態だった。また肺や心臓に至る血管も多数傷ついており、この病院に運び込まれた時点で重体だったのだ。
全身に薄っすらと汗をかいて、呼吸をやや荒げていたアンドラは、病衣から覗く自身の右肩に目を遣った。
戦闘後、まだ2日しか経っていないと言うのに、彼女の右肩は見事に修復されており、傷跡はおろか痛みさえも感じる事は無かった。
魔法による治療の効力を今更ながらに実感した彼女は、幾分安堵して再び枕にその頭を沈めた。
「やあ、お目覚めかい?」
「ひゃっ!」
その直後、彼女の足元付近から掛けられた声に、アンドラは飛び上がらんばかりに驚きそちらの方に目を遣った。しかし元来視力が悪く、今は眼鏡をかけていないアンドラには、そちらに居るであろう人物を確認出来ない。
「……テディオ様……。女性の病室に断りもなく居続けるなど、余り褒められた行動とは言えませんね?」
だがアンドラにはその目で確認出来なくとも、先程掛けられた声でその人物が誰だか分かっていた。長く仕えた上官の声を、如何に病み上がりとは言えアンドラが違える訳も無かったのだ。
それと同時にそそくさと簡単に身なりを整えるアンドラ。流石の彼女であっても上官の、男性の前で病衣を着崩した艶姿を晒し続ける事は出来なかったからだ。
僅かに上気した頬は流石に抑える事が出来ず、アンドラは顔を赤らめて声の方に視線を向け上体を起こし、近くに置いてあるだろう眼鏡を手探りで探した。
「いやー? ちゃんと担当看護師の許可は得てるよ? それにここへ来たのはあー……そう、ついさっきだったからねー」
眼鏡をかけたアンドラから見ても、外見上はテディオが慌てている様には見えず、その声音にも動揺が含まれている様には感じられなかった。
しかしアンドラが彼と共に過ごした時間は決して短いものでは無い。ましてや副官としてテディオの一挙手一投足を観察して来たのだ、僅かな変化も逃す事は無かった。
「……ふぅー……」
テディオの言った言葉が真実では無いと見抜いたアンドラだったが、その真意を汲み取って大きく深呼吸をし、湧きあがる様々な感情をねじ伏せたのだった。
「でも今目覚めてくれて助かったよ。あー……二度手間にならずに済んだからね」
―――一体彼は、何度此処へと足を運び、どれ程の時間この場に留まってくれていたのだろう……?
テディオの言葉からそう読み取ったアンドラは、そう考えて呆れもしたが、同時に嬉しくもあったのだった。
だが、アンドラにとって嘘が下手なテディオと同様、彼女もまたその場の雰囲気や己の感情に振り回される、可愛らしい女性と言う訳では無かった。
「……それで、あの後の首尾についてなのですが……」
だから彼女が告げた言葉は、自分の意識が失われてからの結果……ピエナ自治領攻防戦の首尾に付いてだった。
この一コマを窺うだけでも、テディオとアンドラの距離が縮まるのには、まだまだ時間が掛かりそうだと言えた。
「……作戦は……失敗したよ」
テディオは何かを思い起こす様にゆっくりとそう口にした。
「僕の『トランスフィック・ツイスター』も完全に防がれたよ……。完敗だね。本当に厄介な存在となってしまったよ……彼等は」
アンドラからの視線を避ける様に、僅かに俯いてそう続けたテディオだったが、彼からは憎悪や恐怖、怒気と言った感情は発せられていなかった。
「……そうですか……」
そう答えたアンドラも同様であった。少なくとも彼女は、アイシュによって多大なダメージを負ったのだ。命に関わる傷を負わされたと言うのに、それでもアンドラからは恨みや憎しみを感じさせる感情や雰囲気は発せられていなかった。
「……助けられましたね、彼等に」
その理由は、正しくこの言葉に集約されていたのだった。
「ああ……まったくだね」
そしてテディオは、柔らかい笑顔を湛えてアンドラを見つめてそう肯定した。それは虚勢でも何でもなく、純粋にアンドラの言葉が偽りで無かったからに他ならない。
「……申し訳ありませんでした……。私があの娘……アイシュ=ノーマンの力を見誤らなければ、この様な結果にはならなかったものを……」
ただ、お互い本心ではどう考えていようとも、作戦を失敗した事に違いはない。そしてその一端はアンドラにあると言っても過言では無いのだ。
アンドラが当初の作戦通り、マサト達を抑えて足止めに成功していれば、結果はまた違ったものとなっていただろう。彼女がアイシュとの戦いに敗れ、テディオが魔法の発動を早めた事により、結果として作戦は未遂となってしまったのだ。心中はどうあれ、彼女はその事を悔いているのだった。
「いや、あれは仕方が無いよ。あの時点で彼女……アイシュがあれ程の力を持っているだなんて、誰も想像出来なかったんだからね。それよりもむしろ、よくぞ生き残ってくれたと言うべきだよ」
このテディオの言葉は、何もアンドラを気遣ったものでは無い。その側面が無い事も無いだろうが、本当にアイシュの力が急激に高まった事を誰も見抜けなかったのだ。そんな不確定要素の介入で作戦が破たんしたとして、一体誰に責任があると言うのだろう。
しかし軍隊とは組織であり、その組織を維持する為には命令を遵守し、遂行しなければならない。そして万一失敗したならば、その責は必ず誰かが負わねばならないのだ。
今回の作戦で最も責を問われる立場と言えば、司令官であったテディオ=コゼロークなのに間違いはない。到底「仕方が無い」と言う言葉では済まない筈であった。
「それに、結果的とは言え二重に助けられているんだよ。僕達は」
テディオが「仕方が無い」と言った理由が、その言葉に現されている事を汲み取ったアンドラがゆっくりと頷いた。
アンドラがアイシュに敗北し、テディオは自身のエクストラ魔法「トランスフィック・ツイスター」を早める形で発動した。
作戦としてあの時点での判断は、決して間違ったものでは無い。
ただ退避を完了し終えていなかった彼の部下は、間違いなく彼自身の魔法に呑み込まれていた筈だろう。如何に作戦とは言え、危うく彼は彼自身の魔法で部下を殺す所だったのだ。
そしてテディオがもしエクストラ魔法の使用を躊躇していたならば、作戦の成否は別として、彼は帰還後に査問委員会へとかけられていたに違いなかった。そうなれば彼と彼の副官であるアンドラが処罰対象となる事は避けられない。
今回の事について、帝国最高評議会はテディオの失態よりも、マサト達の脅威にどう対処するのかと言う議論へとすり替わっており、結果としてテディオに対しては不問と処されたのだった。
「本当に……忌々しい限りですね」
「まったくだよ」
そう漏らしたアンドラに、そしてそれに答えたテディオの顔にも、言葉通りの表情は浮かんでいなかった。
それは言葉を変えた、マサト達への謝辞であった様だった。
まさかわざわざ本人達の元へと出向いて行き、頭を下げて礼を述べるなどと言う事が出来る訳もない。間違い様も無くテディオ達とマサト達は敵同士なのだ。次に顔を併せる様な事があったのならば、その時こそどちらかが命を落とす事も十分にあり得るのだ。
ただ今だけは、この時だけはテディオもアンドラさえ、その様な柵など忘れて彼等への礼を述べたい気持ちに駆られていたのだった。
「……ところで、体の具合で気になる処は無いのかい?」
その事を聞くタイミングとしては、遅すぎると言わざるを得ない。本来ならば目覚めたアンドラへと、すぐに掛けるべき言葉なのだ。
だがその事をアンドラが気にした様子はなかった。
目端の利くテディオを以てすれば、僅かな時間アンドラの様子を窺っただけで、彼女の状態を把握する事など造作もないのだった。
「ええ、問題ありませんね」
テディオの言葉が、その次に繋がる布石だと知りつつ、アンドラは体のあちこちを簡単に触診してそう答えた。
「そうか。でも今日一日は入院扱いにしておくから、出頭は明日で良いよ」
その言葉に、アンドラの身体が僅かに硬くなった。
確かに罪状は言い渡されず、問題自体が不問となった事は僥倖と言って良かった。
しかし今回の失態と敗退によって軍団は再構成される事となり、大きな人事が成されるかもしれない。そうなればテディオは兎も角、アンドラが転属となる可能性もあり、今のテディオにそれを拒む発言権は持ち得ないことは簡単に想像出来たのだ。
「今回の作戦に措ける報告書の作成、軍団再編成の具申書、各人員の名簿処理、明日からやる事は山ほどあるからねー。宜しく、副官殿」
「……はぁー……了解しました、司令殿」
だが彼の言葉は、アンドラの処分は保留だと暗に告げていた。
いつものアルカイックスマイルとは僅かに違う笑みに、アンドラも嫌そうでは無い溜息の後にそう答えたのだった。
テディオ=コゼロークが出て行った病室に一人となり、ゆっくりと体を横たえたアンドラ=シェキスは天井の一点を見つめて思案に耽っていた。
明日からは再び、慌ただしく忙しい毎日が待っている。
彼がそう言ったからには、軍団の事務関係は全くの手付かずと言って良いだろう。それを考えただけで、新たに頭痛を発症してもおかしくなかった。
だが今はそれすらも心待ちにしている自分に気付いており、自分を再び手元に置いてくれるテディオに謝意すら感じていた。
―――そしてその結果を齎してくれたマサト達に対しても……。
しかし……。
「次は……負けない」
アンドラは知らずそう声を出して決意を固めていた。
如何に多大な借りが出来たと言っても、どれ程感謝を述べたいと思っていても、彼女とマサト達は敵対する陣営のこちらとあちら、相容れる訳では無いのだ。
そして彼等と再び出会うとするならば、それは戦場である事に間違いはない。
「次は……負けない!」
再びそう零したアンドラの言葉は、先程よりも強い決意を秘めていた。
ミカヅキ=マサトはエクストラ、その相手はテディオ=コゼロークが担ってくれる。彼女の相手は間違いなくアイシュ=ノーマンとなるだろう事は想像に難くない。
魔法士ランク、魔法力共に彼女が上。力押しならば間違いなく太刀打ち出来ない事を彼女は理解していた。
アンドラは一度の交戦で認識を改め、冷静にアイシュの評価を上方修正し受け入れていた。
真っ向勝負にアンドラの勝ち目はない。
だが戦いとは、必ずしも魔法士ランク、魔法力で決定する訳では無い。策を練り、利を活かし、労を惜しまなければ勝機を拾う事は出来ると彼女は知っていた。
「次は必ず、勝ってみせる!」
三度そう零した彼女の声にも、そしてその瞳にも決意の色がハッキリと浮かび上がっていた。
強く、激しく、アンドラはリベンジを固く誓っていたのだった。
一つの戦いの終結は、新たな戦いの始まりでもある。それはマサト達セントレア魔導皇国側でも同じであった。




