Obscurité Unité militaire(闇の部隊)
闇の乗じてマサト達へと近づく謎の部隊。彼等に刻一刻と危険が迫る。
―――ザンッ!
“彼”が本能と直感に任せて斬り捨てた淡く光る物体は、驚く程大した抵抗を感じる事も無くその場で霧散し消えてしまった。
(……なんだ……!?)
当初は体を発光する昆虫の様に思える程の大きさだったが、“彼”はすぐさまその考えを頭の中より消去した。発光し浮遊する謎の物体には、明らかに何かしらの意図を持った動きがあり、到底本能で行動していたり灯りを求めての動きでは無かったのだ。
魔法による創造物……と言う考えも浮かんだ。最近までは魔法による疑似生物の作成や、トレーサーと呼ばれる追尾魔法の存在など誰も知らなかった。それらは技術として確立していた様だが全て千年前に使用されていた物で、戦後は厳しく規制され歴史より忘れ去られた術法であった。
“彼等”も勿論知る事の無い魔法であったが、数年前にそれらの技術を復活させた十二聖天筆頭のナラクに教えを受け、実際目にした事もあったのだった。その時に聞き知った物が全てと言う事ではないだろうと“彼”も理解している。しかし忘れ去られた技術に近しい存在を、まさかこの様な街中で見かけるなど思いも依らなかったのだ。
魔法生物の中には攻撃を受けると、消え去る直前攻撃した者へ反撃するタイプの物もあった。その存在も考慮に入れての行動だったが、どうやら今の所身体にダメージと思しき物は感じられなかった。
(……ならば……やはりトレーサー……)
“彼”はそう考えると同時に一抹の不安を感じ取っていた。「ターゲット」がトレーサーを使うと言う情報等聞いてはいない。魔法生物の様な物を斬り捨てたのも、特に深い理由があっての事では無かった。しかしその様な行動が、こちらの存在を相手に知らしめてしまうのではと思ったのだ。
(……隊長)
“彼”に付き従う別の影が、思案に更ける“彼”に近づきそう声を掛けた。結論の出せない事象に遭遇し思考を張り巡らせる余り、彼は足を止めてしまっていたのだった。
(……作戦を続行する。相手はあのアカツキ=リョーマだ。決して油断するな)
イスト自治領が未だ健在であった時から、武術を志す者に“アカツキ=リョーマ”の名は広く知られていた。魔法の有無に拘らずその武術は高い技術を有し「オストレサルに敵無し」とまで言わしめていた存在なのだ。例え奇襲を成功させても、こちらに被害無く目的を遂行出来るかどうか疑問だったのだ。
((((……はっ!))))
周囲の暗闇から“彼”に答える声が聞こえた。そしてそれを合図に“彼等”は再び動き出し、より深い闇の中へとその姿を溶かして行った。
(……くっ!)
マサトの精神世界へと強制送還されたユファは、驚きと悔しさの入り混じった声を漏らした。突如何者かに自身のガイストを掻き消された彼女には、少なくない動揺が沸き起こっていたのだ。
ふと脇を見ると、マサトとアイシュの精神は未だ眠りに就いており、突如出現した彼女に気付いた様子は無い。ユファ自身が明言した様に、彼等には今後彼女の分も動いて貰わなければならない。そう言った意味で、ユファが戻って来た事に気付かなかったのは幸いだと言えた。
だがそれも束の間、彼女はその考えと相対する選択を取るべきかどうか悩んでいた。
日の出には未だ遠い。マサト、アイシュ、リョーマには、完全では無いにしろ可能な限り休息を取って貰いたいと言う考えはある。
しかしユファのガイストを消し去った何者か……。この存在が彼女に焦りを与えていたのだ。
ユファは決して油断をしていた訳では無い。
ガイストの発する光量を意図的に、そして可能な限り落として周囲の状況を監視していたのだ。それでも時間は深夜であり、光を発するガイストは目立つ存在であると言えた。特にこの港湾地区倉庫街に人影は殆ど無く、光源は皆無に近しい。例え蛍の如き灯であっても、見る者が見ればその存在に気付くだろう。
だからユファは、気付かれると言う前提で行動していた。
夜のしじまにあって、例え矮小な存在でか細い光しか発していなかったとしても、その姿を晒して行動していれば見つかるだろう。そう考えて、それでも広範囲が伺える位置を移動していた。
相手が此方に気付く、と言う事はこちらも相手に気付く事が出来ると言う事であり、その前提で行動しているユファに抜かりは無かった。広範囲に意識を向けながら、自身を認識しようとする気配を探る。相反する二つの事を同時に執り行う事は、例え気配を探る事に長けている者であっても至難の業だ。しかしユファは見た目と裏腹に千年の経験を持つ。ただ長く生を続けて来た訳では無く、あらゆる知識、様々な技術を取り込んできたのだ。
そんな彼女が知覚外から攻撃を受け斬り裂かれたのだ。攻撃前後に全く気配を掴めなかった事を踏まえれば、ユファのガイストを消し去った者はかなりの手練れだと推察出来る。
何者かが近づいている、それは間違いないのだがその目的は解らないままだ。
マサト達を探しているのか、単に巡回をしている警備の者なのか。マサト達を探しているならば是非も無く、すぐさま彼等を起こして警戒態勢を執らねばならない。この地域を巡回している者ならば、このままやり過ごす事も可能であり彼等をわざわざ起こす必要も無いのだ。
(……マサト、アイシュ、目を覚ませ。……敵じゃ)
ユファは僅かな逡巡の後、彼等を起こす選択を採った。杞憂ならば笑い話で済ませる事も出来るが、最悪の事態を想定すれば寝込みを襲われる愚は避けたかったのだ。
(ユファ、敵って一体……!?)
精神体に肉体的な睡眠はない。行動を休止する事によって回復を図るのであって、本当に眠っている訳では無いのだ。目覚めると言う事は精神の再起動を意味し、そこに微睡や寝起きと言った物は存在しない。覚醒すればすぐに通常行動が可能なのだ。
覚醒した二人に、ユファは先程起こったあらましを簡潔に説明した。
(……と言う事じゃ。我のガイストを消した者の姿は確認出来なかった、すまぬ……)
ユファは心底申し訳なさそうにそう語った。彼女としては敵かもわからない存在の気配に気づかず、休息が必要なマサト達を起こさなければならないと言う二つの事を気に掛けている様子だった。
(気にするなよ、ユファ。それはお前のせいじゃないよ。兎に角、ユファに気配を悟らせない何者かが近くにいるって事だな?)
マサトの物言いはユファに随分と配慮した優しい物だった。彼等の代わりに周囲の警戒を買って出てくれたユファに、マサトもアイシュも不平を鳴らす様な事は有り得ない。それに彼女が気配を感じられなかったと言う話も、到底彼女に落ち度がある様な事とは思えなかったのだ。
(……もしくは数名……じゃの。集団か部隊で動いている可能性もある)
そして彼女は何時までも落ち込み、思考が停止すると言う様な事は無かった。マサトの言葉に、考えられる可能性を付け加える事は忘れなかった。
(よし……その不審者は数名で行動していると考えよう。アイシュ、リョー兄ちゃんを起こしてくれるか?万一に備えておこう。ユファはどうするんだ?)
そしてその考えをマサトが無視する様な事は有り得なかった。寧ろ彼女の考えを前提にアイシュにそう指示を出したのだった。アイシュもその事に異論がある筈も無く、小さく頷くとそのままその場より姿を消し実体化を済ませたのだった。
(今の我では大した戦力にはならぬ。再びガイストと化し、この倉庫の上方で身を隠して全体の動きを窺うとしよう)
暗躍する様な輩を相手にするのだ。どんな死角を付いた攻撃が襲って来るか解らない。そう言った意味で、ユファが直接戦闘に参加しない戦力ダウンよりも、全体を把握する為にあえて戦闘に参加しない方が、こちらとしては有利になる事が多いのだ。マサトは彼女の提案に力強く頷いた。
ガルガントス魔導帝国軍所属、ピエナ自治領方面攻略軍、十二聖天聖山羊座直属部隊「ミスティブラッド」隊長エルンスト=アドニフスキーは、目の前の光景に疑念を感じずにはいられなかった。
自分を始めとした特殊部隊「ミスティブラッド」の隊員は全員が隠密行動に長けている。極秘裏の行動を主任務としている部隊なのだ、気配を消す訓練は何よりも優先して行われて来た。そして今夜選抜した隊員達は、その中でも選りすぐりの者達ばかりだった。
しかしどれだけ実戦を見据えた訓練を積んで来ようとも、本番となると実力を出し切れるかどうかは不確定である。僅かなミスも許されない作戦では、些細な事であっても失敗や命取りに繋がりかねないだろう。しかし今夜共にしている部下達の動きに、エルンストは満足していた。誰一人気負う事無く、しかし程よい緊張感を持ち、全員訓練と同等の能力を発揮していたのだ。これならば余程の事が無い限り、敵に此方の気配を探られる様な事は無いと断言出来た。
しかし彼の目に映る三人、アカツキ=リョーマと同年代の男女が二人、彼等は深夜にも拘らず誰一人休息を取っておらず、それどころか明らかな警戒態勢を執っていた。そこから意味する物は、こちらの接近が知られていたと言う事に他ならなかった。
(……やはり……あれはトレーサーの類だったか……)
エルンストは己の軽率な行動を恥じた。殆ど無意識だったとはいえ、目に映った不可思議な物を破壊する。その行為の代償が目の前の対象者達が取る行動だったのだ。
相手が起きていようが寝ていようとも、彼等の任務に何ら変わりはない。確実にターゲットを無力化し、可能であれば捕獲、それが難しければ始末する様に命令を受けている。だがターゲットの抵抗があれば、こちらに被害が出ないとは到底言い切れない。確実に任務を熟し、結果として被害が出なければ上出来であると言う程度だ。
しかし警戒しているターゲットを仕留めるとなると、こちらの犠牲も無視出来なくなる。隊員達に命の危機を恐怖する者はおらず、頼もしい者達ばかりだった。それ故に誰も失いたくないと、エルンストはそう考えていたのだ。
幸いまだエルンスト達に分がある事は明白だった。エルンスト達はアカツキ=リョーマ達を補足していたが、彼等が此方に気付いた様子は伺えなかった。奇襲を掛ければ優位に事を勧められるだろう。
エルンストの見立てでは、アカツキ=リョーマも含めて全員まだ二十代前後、いや十台後半にしか見えない。例え腕が立つと言ってもその様な年齢の若者にこちらが後れを取るとは到底思えなかった。しかも一人は女性である。
此方にも一人女性隊員は居るが、彼女とその少女では過ごしてきた環境が違う。エルンストはそう結論付けた。
しかしそう考えてしまった事が、彼の現在抱えている動揺の大きさと経験不足を物語っている事に、彼自身気付けないでいたのだ。自身の部隊に女性隊員がいるならば、性別で戦闘力を推測する事は出来ないし、そもそも年齢や見た目で強さを測る事自体が愚かしい事なのだ。平時であればそれも考慮から外す様な事はしないエルンストなのだが、彼もまた実践経験が乏しくやや思考に柔軟性が欠いていたのかも知れなかった。
そしてそう考えさせてしまった立ち居振る舞いをマサトとアイシュはあえて(・・・)取っていた。
マサトは愛刀となったやや反りを持つ片刃太刀を、抜刀した状態でダラリと持っている。誰が見てもただ手に持っている様にしか見えず、周囲を警戒している様子は見受ける物のその姿は隙だらけだった。
彼と何事か話している少女に至っては更に隙が大きいと感じられた。手に持っているのは短剣やナイフよりもやや長い、小太刀を逆手に持っている。殺傷力も低ければリーチも短いその武器はどう見ても彼女の護身用にしか見えず、エルンスト達にとっては十分に対処できる武器だと思えたのだ。
そもそも特に修練を積んでいない者が、付け焼刃に武器を所持したとてどれ程の事が出来るだろう。マサトとアイシュの事を詳しく知らない者にはそう考えても不思議では無い光景だった。
注意すべきはアカツキ=リョーマただ一人、エルンストがそう考えても、決しておかしくなかったのだ。
(……隊長)
電気信号を使用した無線機より、側近であり副隊長を務める女性ニコラからエルンストを呼びかける声が聞こえた。彼等を取り囲む様にエルンストの部下達が配置を完了したのだ。
(……開始だ!)
―――ッッッ!
彼の言葉を皮切りに、複数の影が暗闇を高速移動する。僅かな物音も、発する気配も感じさせず、ただ黒い塊が5つ、大気のみを震わせてマサト達に迫った。
マサトとアイシュの死角となる方角からそれぞれ1体ずつ、そしてリョーマには前方、後方、上方の三方向から3体の影が襲い掛かった。
リョーマの前方、最も交戦確率が高くまた危険度の高い方向から攻撃するのはエルンストだった。彼は自ら“囮”を買って出たのだった。
作戦上、必ず誰かが請け負わなければならない“生贄役”を隊長自らが行わなければ、危険な任務等には誰も従わないと言う事をエルンストは知っていた。命令するだけでは部下は付いて来ない。自ら率先して行わなければどんな言葉にも説得力が伴わないのだ。それが危険で困難であれば尚の事である。
正面に相対したリョーマがエルンストの技量を上回っていれば、即座に彼は返り討ちとなるだろう。しかし残りの2名が任務を遂行してくれれば、部隊としての作戦は成功するのである。彼は最初から、死を決してリョーマに立ち向かっていたのであった。
―――しかし……。
突如、目の前でリョーマの輪郭が歪み存在が希薄となった。それはエルンストが距離を詰めるだけ現実味を帯び、攻撃の間合いまで残り半歩と言う所で彼の姿は完全に掻き消えたのだ。エルンストは高速前進に急制動を掛けて、動きを止めて周囲を見やった。
―――ギギンッ!
その直後、彼のすぐ隣から甲高い、二つの金属音が周囲を震わせた。瞬間的に目だけをそちらにやったエルンストは、到底信じられない光景を目の当たりにした。
二人の少年少女が、隠密行動に長け死角から攻撃したはずの部下達が繰り出した攻撃を、それぞれが持つ得物で見事に防いでいたのだった。
「ばかなっ!」
思わずエルンストは荒げた声を出してそう吐き捨てていた。
目の前にいた筈のアカツキ=リョーマは消え失せ、間違いなく仕留めている筈の少年少女は部下の攻撃を難なく防いで見せる。それは彼にとって到底信じられない事であった。
「そんな攻撃なんて、避けちゃえば良かったんだよ」
マサト達がいる場所から、エルンスト達を挟んで逆方向より声が聞こえた。エルンストがユックリと首を動かしてそちらに目を向けると、消えた筈のリョーマが不敵な笑みを浮かべて立っていたのだ。エルンストの頬に驚愕の汗が流れる。
「あのタイミングでそんな事をやってのけるなんて、リョー兄ちゃん以外無理だよ」
「ふふふ……」
鍔迫り合いの状態で動きを止めていたマサト達は、それぞれ相手を押し返してそうリョーマに返した。マサトにもアイシュにすら、焦燥感も危機感すら浮かんでおらず余裕さえ感じられた。
ここに至りエルンストは自身が大きな勘違いをしていたと認めざるを得なかった。
部隊「ミスティブラッド」は隠密行動を得意とする集団であっても、武術を得意としている訳では無い。武器の扱いは軍内部においても長けている方ではあるが、それでも達人集団と言う程では無かった。魔法剣術を修めている者も中にはいたが、それすら対魔法戦闘に用いられるのであって、対人戦闘に特化した武術では無いのだ。
しかし目の前にいるマサト達は、間違いなく対人戦闘に特化した武術を高いレベルで修めている。その事をエルンストは瞬時に読み取ったのだ。
暗殺と言う所謂汚れ仕事であっても、自分達に活躍の場を与えてくれた十二聖天が一天、聖山羊座「テディオ=コゼローク」に報いる為ならば喜んで熟そうとエルンストは考えていた。死ぬ事も厭わない覚悟であった。
だが完全に奇襲が失敗し、動きまで止められたとあってはマサト達に太刀打ち出来ない。全くの無駄死にを奨励する様な愚かしい考えを彼は持っていなかった。
「隊長っ!」
副官ニコラの声でエルンストは我に返った。情けない話だが決して短くない時間、彼は思考に耽ってしまったのだ。
戦場では足を止め、考えに囚われた物から先に死ぬ、そう教え込まれていた筈の彼を以てして、この状況は何もかも計算違いだったのだ。
―――ヒューイッ!
エルンストが小さな口笛を鳴らした。それと同時に彼の元へ、残る3つの影が集結する。
単純な人数ならばエルンスト達が5人、マサト達は3人。一人一殺の計算ならばエルンスト達に軍配は上がる。だがマサト達が見せた技量を鑑みれば、到底その計算式も成り立たないとエルンストは確信していた。
「……退くぞ……」
エルンストは隣に付き従うニコラにそう声を掛けた。
「……ですがっ!」
しかしニコラはそれに異を唱えようとした。自分達の立場を考えれば、一つの失敗がどれ程の罰となるのか考えれば、ここで任務の完遂を主張したのだった。
特殊部隊「ミスティブラッド」は優秀な人材で構成された部隊では無い。寧ろ落ちこぼれと烙印された者達が集められた寄せ集部隊だった。
ガルア自治領がガルガントス魔導帝国となる事を決定した翌日。大規模な軍の再編成が行われた。今までの様な適材適所で魔法力の低さをカバーする様な事はせず、純粋に実力主義で部署が宛がわれていった。
そして魔法力の低い者、能力の劣った者達には免職が言い渡されていった。つまり無用であると言い放たれたのだった。
生まれ故郷である自治領が新たな転換期を迎え、皆それぞれに思いを持っていた矢先の通告に、彼等は絶望の淵へと追いやられてしまった。
しかし生来の能力を大きく向上する事が出来なかった彼等には、その決定に対してどうする事も出来なかったのだ。
だがそこへ救いの手を差し伸べたのは十二聖天が一角、聖山羊座テディオ=コゼロークであった。
彼はエルンスト達に取引を持ち掛けたのだった。曰く、
「表立った仕事は無理だけど、今から死ぬ事より辛い訓練を受ければ、君達にも活躍の機会を提供する事が出来るよ?」
脱力感に苛まれていたエルンスト達は、その言葉に一も二も無く縋った。激動して行く時代に取り残される恐怖から逃れたかったのだ。
―――しかしテディオ=コゼロークの言葉に、冗談も偽りも無かった……。
魔法力の低い彼等は、特定の魔法を除いてその全てを封印され、徹底して肉体強化を施されていった。限定条件下での訓練を繰り返し行い、死んでもおかしくない様な環境に放り込まれた。事実少なくない人数の死者を出し、多くの離脱者を生んだのだった。
時には薬物なども使用され、半ば強制的に肉体改造を施された成功例が彼等「ミスティブラッド」である。
魔法を使用せずともその効果と見紛う程の身体能力は、常軌を逸した高速移動魔法や肉体強化魔法にも耐え、特に対魔法士戦闘に特化した部隊へと生まれ変わった。
彼等の終わっていたかもしれない人生を、テディオ=コゼロークが再び切り開いてくれた。方法はどうあれ、エルンスト達の中にその想いは強く根付いている。
そんな彼等に、テディオ=コゼロークの指令を未完遂に終わる等、到底選択できる事では無かった。彼等が最も恐れるのはこの失敗で彼が落胆し、自分達に用済みの裁決を下す事であったのだ。
「作戦は失敗だ……ここで無駄に命を散らさなくとも、いずれその機会は訪れる」
「……了解しました」
エルンストの強い決意を耳にし、ニコラは断腸の念で従った。しかし彼女が何に対して危機感を抱いているのか理解しているエルンストは、彼女に向けて小さな笑みを向けたのだった。
僅かに空気が和らいだのも束の間、5人の影は再び闇に溶け込む様にして気配が薄くなり、そして本当にその場から消え去っていた。
「ふぅー……大した『隠密』だったねー……本当に寝込みを襲われてたら、流石にヤバかったかもしれないね」
完全に気配が無くなった事を感じ取ったリョーマが、保っていた警戒態勢を解きマサト達へと歩み寄った。
「そうですねー……教えてくれたユファには感謝しなくちゃ」
アイシュの言葉にマサトとリョーマが深く頷く。そして漸く、ここにユファが居ない事をリョーマは思い至った。
「……あれ?そう言えばユーちゃんは?」
「そ、それは……奴らがここに来る事を教えてくれた直後に、増援が来ないかどうか見に行ってくれたんだ」
当然持ち掛けられる質問であったにも拘らず、マサトの答えはどこか焦りを含んでおりどうにもぎこちなかった。アイシュはそんな彼を見て、小さく溜息を零した。
「……ふーん……」
普段の飄々(ひょうひょう)とした態度からは到底想像もつかない鋭さを持つリョーマを、マサトがどれ程誤魔化しきれたのか定かでは無かったが、リョーマはそれ以上マサトに追求しなかった。
襲撃のあった倉庫で夜を明かす程彼等も呑気では無い。話も早々に切り上げたマサト達は、別の区画にある倉庫へと移動する為に動き出したのだった。
「失敗……ですか……」
豪奢な椅子に腰かけ、やはり豪華な執務机へと脚を投げ出したまま、十二聖天が一天、聖山羊座を司るテディオ=コゼロークは、喜怒哀楽と言った感情の一切籠らない返事をエルンストに返した。
「……申し訳ありません……失敗の責任は全て私にあります……部下達にはどうぞ、寛大なご処置を……」
頭を下げたまま、エルンストはテディオにそう答えた。
「ああ……いいよ、いいよ。今回の事はリサーチ不足が過ぎたからね。まさかアカツキ=リョーマ同様にイスト自治領を脱出したミカヅキ=マサト達が合流しているなんて、僕だって想像してなかったからね。ところで、被害は出ていないんだね?」
そう答えたテディオの声は先程と違い、随分と軽く明るい物だった。その言葉をそのまま受け取るならば、彼は本当に気にしていない様だった。
「……はっ」
短く答えたエルンストは、しかし彼の言葉をそのままの通りには受け取らなかった。特殊部隊である「ミスティブラッド」まで動かしてのアカツキ=リョーマ捕縛、殺害任務が、決して軽い物では無いと彼は考えていたからだ。
「まだまだ君達には活躍してもらう場が幾つもある。それに君達も初陣同様だし、何よりも相手が悪かった。今回は所在を掴めただけでも良しとしておこう」
テディオの言葉は、これでこの件は終了と言う意味を含んでいた。
「足の速い隠密に長けた者を一人、監視に残しておいてくれ。残りの者は駐留兵と共に本国へ撤収する様に。後始末は僕が引き受けるよ」
「……了解しました」
エルンストは言葉と共に敬礼で答え、そのまま執務室の出口へと歩を進めて出て行った。
ミスティブラッドを退けたマサト達。その報告を聞いた十二聖天が一天、テディオ=コゼロークの表情は暗く冷たい……。