Chaque pensée(それぞれの思惑)
漸く合流を果たしたリョーマ。彼を含めて今後の話が執り行われた。
ピエナ自治領の中心に建つ自治政府ビル。今はガルガントス魔導帝国駐在武官の執務室を含む、ピエナ統治本部として帝国に接収され利用されている。
その最上階、以前はピエナ自治領主執務室として利用されていた部屋は、現在帝国駐留部隊司令官室として使用されていた。
その指令室に二つの人影が対峙していた。部屋に灯りは灯されておらず、光源は窓から射し込む月灯りだけだった。
影の一つは執務机に備え付けられている豪華な椅子に腰を掛け、あろう事かその執務机へと脚を投げ出している。もう一つの影は椅子に腰掛ける影から大きく距離を取って、それでも姿勢良くそちらの方に向かって立っていた。
「……なんだって!?騒乱!?」
「……はい。……もっとも、発端は酔った者同士の諍いだと言う事ですが……」
「おいおい……そう言う事は警備部隊の仕事だろう?そっちで対処する様に指示すれば良い。わざわざ僕に持って来る話なの?」
「……その騒乱の首謀者は、恐らくアカツキ=リョーマである可能性が濃厚であると……」
「なっ……なんだってっ!?それって確かな情報なの!?」
「……恐らくは。送られて来た映像をこちらで解析いたしました……」
「……へー……イスト自治領の生き残り、深淵の御三家が一角、アカツキ家の嫡男か……このピエナに現れたって事は、何か思惑があっての事かな?」
「……解りかねますが……こちらの作戦を嗅ぎつけての示威行動である可能性はあります」
「うそっ!?あれがバレてるって言うの!?」
「……ですから可能性です」
「……アンドラ、君は最悪のシナリオで行動すべきだと言うんだね?」
「……はい。帝都へ報告し、彼等の思惑が判明するまで予定を引き延ばす事が肝要かと」
「……わかったよ……ナラク様に報告して、判断を仰ぐ事にしよう。……それで、アカツキ=リョーマの所在は掴んでいるのかい?」
「……申し訳ありません。報告を受けた時点で既に見失っているとの事で、今現在に至るまで発見の報告は受けておりません」
「影も掴めず……か……こちらも直属部隊『ミスティブラッド』をアカツキ=リョーマ探索に投入すべきかな?」
「……恐れながら、彼等では対象を殺してしまう公算が大きいかと」
「んー……魔魂石の効果が働いているエリアで、彼等程の適任者は居ないからねー……それに相手はあのアカツキ=リョーマだ。用心に越した事はないだろ?」
「……解りました。それではその様に手配を」
立って話をしていた影が、椅子に腰かけていた影に一礼をして踵を返し、迷う事も無く部屋の扉から退出して行った。
騒動の当事者であったリョーマが、這う這うの体でマサト達と合流を果たしたのは、彼等がそれぞれの儀式を終えて30分も経ってからの事であった。
追っ手の使う高速移動魔法で距離を詰められては、自身も魔法や「飛影」で引き離すと言う逃走劇を繰り広げ、時には「隠密」を駆使してやり過ごすと言った、ピエナ自治領港湾地区を所狭しと駆けまわる「鬼ごっこ」を制して、リョーマは何とか逃げ切る事が出来たのだった。
「自重して下さいね……って、あれほど言ったのに……」
アイシュが大きく溜息をつきながら、今は倉庫の隅で器用に足を折りたたみ小さくなって座っているリョーマへと声を掛けた。
「……だって……だってさ……わざとじゃないのに……必死で逃げて来たのに……」
しかし当のリョーマはその言葉に反応するでも無く、壁に向かってブツブツと何やら呟いていた。彼は少なくとも本気で落ち込んでいたのだが、その場の3人は彼と違った感想を持っていた。
リョーマの拗ねた顔は、普段とはまた違う魅力的な表情を見せており、何処か微笑ましい物に見えたのだった。だがもしそんな事を口にしようものなら、流石に手を出す事は無いにしろ更に機嫌を損ねる事間違いなしだった。
「……とりあえず今後は、リョー兄ちゃんを表立たせるのは得策じゃないって認識で行動した方が良いって事だよな?」
マサトもそんな感情を決して表情に表す事無く、リョーマの方を気遣う様に見ながらそう意見を出した。それを受けたユファは、目を瞑り体の前で腕を組んだ姿勢のまま頷いた。
「……そうじゃの。今は騒乱の首謀者として追われておるだけじゃが、どこでリョーマ殿の素性がバレるやも知れぬ。いや、ここは既に知られておると言う認識で行動した方が良いじゃろう。楽観は禁物なのじゃから、用心に越した事は無い」
その話が聞こえていたのだろう、リョーマの肩が一瞬ビクリと震えその後更に小さくなった。ユファの素性を知らないリョーマにとって、今この場では最年長であると言う思いがあると言うのに、実際は年下の者から叱られるは慰められるはでは、到底立つ瀬が無いと言った状況だったのだ。
「……リョーマ様?いつまで拗ねているんですか?」
一向に話の輪へと入ってくる気配が無いリョーマを見かねてアイシュが声を掛けた。
「リョー兄ちゃんもさ、話に加わってくれよ。今後の事なんだからさ」
「うむ……年長者として、皆を導く責務があるのじゃろう?多少の失敗で落ち込んでいる場合では無いと思うのじゃが」
アイシュの後を継いで、マサトとユファからも彼へと声が掛けられた。確かにリョーマには落ち込んでいる暇など無いと言うのが実際の所だった。自分達の行動を早々に決定する為にはリョーマの意見や考えも無視出来る物では無いし、何よりもマサトとアイシュが兄の様に慕うリョーマが落ち込んだ状態では、彼等にも悪影響を与えかねなかったからだ。
「……そ……そうだな……ちょっと大人気なかったかな……ゴメン……」
それが解ったからか、リョーマもそれ以上部屋の片隅で蹲る様な真似をする事は止めた様で、スックと立ち上がると振り返り3人に謝罪した。その表情は少し照れている様で、視線を泳がせて所在無げに体を動かしている。
「リョー兄ちゃん……」「リョーマ様……」
マサト達に促されたとはいえ、素直に立ち直り謝罪する様はリョーマの切り替えが早い事を現していたが、それよりもその照れた様な表情が愛らしく、マサトとアイシュはその姿にホッコリとしてしまい思わずそう言葉を漏らしていた。
そんな心情が二人に働いているとは思っていないリョーマは、自分の復活を待ち望んでいてくれたと素直に考えて大きく頷き彼等の輪に加わった。
「……起こってしまった事は仕方ないよな。今は前向きに、次の事だけ考える様にするよ。それで、そちらが得た情報を聞かせてもらえるかい?こちらはその……収穫は無しだ」
(……今後もリョーマ殿の動向には注意が必要……か……)
リョーマが立ち直る事は願っても無い事なのだが、その言葉には反省の色が希薄でありユファは一抹の不安を感じてそう考えた。
彼の要望に、アイシュとマサトが港湾管理センターで見知った情報を説明する。その間リョーマは一切口を挟まずに聞き役と徹していた。
「……いよいよ他大陸に向けて侵攻か……宣戦布告して1週間……少し遅い位だな……」
リョーマの顔には先程の事を引き摺った様子は無い。マサト達の話を冷静に分析し、しっかりと帝国の意図を把握した物だった。
「うむ。もっとも帝国とて本格的な戦争と言う物は未経験の事じゃろう。多少不手際となっても仕方のない事じゃ。そして手際に不備が生じておるのは守る側とて同じじゃろう……」
彼の言葉を受けて語ったユファの表情には若干の驚きが含まれていた。千年も戦争と言う物が無く、それについて経験した者は勿論研究する者も少ない現在において、リョーマはユファの納得が行く見解を示したのだ。
「そうだな……海を越えての遠征も、海を舞台にした大規模な戦闘も双方初めての事だろう……。だったら攻める方が有利……と考えられるか……」
そう言ってリョーマは少し考え込む様な様子を見せた。
リョーマは通っていた大学で、この時代では珍しい戦術研究学科を専攻していた。あらゆる状況を想定した戦術を研究する学科……と言えば聞こえは良いが、実際の所は過去に行われた戦争の歴史を詳しく紐解き解析すると言う、今では殆ど役に立たないと言われる廃れた学科だった。しかし本人は非常に興味を持っており、リョーマの父が勧めたと言う経緯もあって、リョーマは好奇心を持って講義を受けていたのだった。結果としてリョーマには多彩な戦略眼が備わり、ユファとも戦術理論を語れる程の人材となっていたのだった。
「ならばリョーマ殿はどうすれば良いと考えるのじゃ?」
戦略談議等ユファにしてみれば千年ぶりの事となる。彼女が殊の外好戦的であったり、戦略論に興味がある訳ではない。しかし前回の大戦よりそう言った話は皆無であり、まさか千年もの刻を経て彼女と同等の戦略論議を語る者が現れるなど思ってもみなかったのだ。それだけにユファはリョーマがどの様な思考を持っているのか興味が湧いたのだった。
「……今考えられるケースは幾つかある。俺達が取り得る手段も、ね。今からいくつか選択肢を出すからみんなで考えて答えを出そう。勿論他に案があればその都度出してくれて良い」
リョーマは僅かに考えた後、三人を見回してそう切り出した。
「一つ目は、この街で帝国軍と一戦を交える」
その言葉でマサトとアイシュから緊張した雰囲気が発せられた。リョーマはさらりと言ってのけたが、マサトとアイシュにしてみれば未だに「人と戦う」と言う現実を受け入れられずにいたのかもしれない。
「早期に帝国の行動を防ぎ、目的を挫くにはここで一戦するのが最も効果的だろう。それに上手く行けば、撃退した帝国軍から船を接収したり、解放したピエナの商人から船を借りる事が出来るかもしれない。今後当分、俺達の道中が安全になると言うメリットもある」
マサト達の目的は当面、皇都セントレアへユファを無事送り届ける事にある。そしてそれは早ければ早い程良いのだ。リョーマの提案は、それをより確実に遂行出来ると謳っていた。
「……しかしそれは現実的じゃあない」
だが即座にリョーマはその案を否定した。それに伴ってマサトとアイシュの緊張感も幾分緩和した。リョーマは自身の提案に、その都度アンチテーゼを付け加えて行く方法を取る様だった。
「何よりもここは帝国のお膝元だ。敵の方が戦力は高く整っている。それに時間をかけてしまった場合、増援が駆けつける危険もある。僕らの戦力はこの4人が全てで増援は望めない。開戦したら短時間でこのピエナを制圧しなければならないと言う時間制限まであっては、到底作戦として成り立てる事は難しい。それに戦闘となればピエナの人々も巻き込んでしまう可能性が高いと言うデメリットまで付いて来る」
リョーマの言葉に、その場の全員が深く頷いた。戦争に市民が巻き込まれるのは、どの様に言い訳をしても仕方のない事かも知れない。その事をどう考えるかは兎も角、少なくとも今のマサト達はゲリラと言う立場にあり、ピエナ市民を巻き込んで反感を買い、敵に回すと言う選択を取り得る事は愚策と言うより他なかったのだ。
それにそんな戦略面の話以前に、マサトとアイシュが市民を巻き込むと言う選択を取る筈が無かった。イスト自治領が、有無を言わせず市民を巻き込んで消滅させられた様を目の当たりにしているのだ。それがどれほど非道な事か痛感している彼等に、帝国と同様の事をする選択肢など取れようも無かった。
「二つ目は、海上で帝国軍艦を襲撃しこれを撃破する。敵の侵攻を足止め出来るのは勿論、船上の帝国兵を全て倒せば彼等の船を手に入れる事が出来る。敵の増援も考えられない。ただしこちらも海上では逃げ場がない。不測の事態に陥れば、俺達も全滅の憂き目にあうかもしれないんだ。何よりも全ての船が沈んでしまう可能性も無いとは言えない。何か別の妙案でも無ければ、これも現実的とは言えないね」
海上でならば戦闘になっても非戦闘員、少なくとも帝国軍に関係の無い者を巻き込む可能性が格段に低くなる。それならばマサトもアイシュも心置きなく戦えるだろう。しかしリョーマの言った理由も鑑みると、決して最善策とは言えなかった。
「三つ目は帝国の攻略先で戦うと言う選択だ。密航でも何でも良いからとりあえず帝国の向かう先に辿り着き、戦闘になっているならば加勢しても良いし、先に辿り着ける算段が付けば現地の反帝国勢力と協力する事も出来る。地の利は現地反抗軍にあり、作戦次第では帝国軍を撃退出来るかもしれない。でも帝国が進行する先の自治領とは連絡の取り様が無いし、何よりも向うの戦力は未知数だ。それを当てにする事も過信も出来ない。そして最悪のシナリオとして……帝国に寝返る可能性も捨てきれない」
「そんなっ!」「そんな事っ!」
マサトとアイシュは同時に声を上げた。降伏すると言うならば、占領されると言うならばまだしも、卑劣な侵略者に寝返ると言う行為を、彼等は容易に受け入れる事が出来なかったのだ。
「……別に意外という程では無いよ。その可能性も十分に考えておく必要はあるさ。形は違うけど、すでにそれを実践した自治領がすでにある……スツルト自治領がそれに当たる」
リョーマにハッキリと告げられて、彼等は言葉を無くしてしまった。確かにスツルト自治領は開戦間もなくガルガントス魔導帝国に自治権を主張し、その代り帝国への協力を確約している。当時としては自治領に被害の出ない最善策とも考えられるが、見方を変えれば寝返ったとも言えなくは無い。
「そして最後の四つ目だけど……帝国の行動は全て無視して先に進むと言う選択だね」
リョーマは途中で少し言い淀みそう話した。選択としては無視出来ない考えではあるが、これはリョーマの性格にも合致していなかったのだろう、話す際に躊躇いが含まれたのだ。
グッと息を飲むマサトも同じ気持ちだったのかもしれない。対してアイシュは冷静に受け止めている。彼女にしてみれば決して軽んじている訳では無いにしろ、何処の誰かも解らない人達よりも、マサトやユファ、リョーマの安全が第一だと言う想いがあるからに他ならなかった。そしてリョーマも、感情論では無く現実的に考えて四つ目の案が最善策ではないかと考えていたのだった。
「……マー坊、気持ちは解るし俺も同じ想いだと思う。でもこれはゲームじゃないし、俺達は勇者でも何でもない。今他大陸にある自治領の幾つかが帝国に制圧されたとしても、それが即座に戦況を左右する事は無い。重要なのは俺達が“無事に”この大陸を抜ける事だし、皇都セントレアへ辿り着く事なんだ。俺達4人が局地的に悪戦苦闘しても、それは大勢になんら影響を及ぼさないんだよ」
リョーマにそこまで言われてはマサトに反論する事は出来なかった。マサトの考えは全て感情論であり、リョーマの可否織り交ぜた説明の前では児戯に等しいからだった。
それでもマサトはこのピエナを放置して行く事が憚られた。更に言えば犠牲を出す事も出来れば避けたいと考えていたのだ。自分の力はその為にあると、彼は今でもそう信じているのだ。
「驚いたな、リョーマ殿。見事な慧眼、感服したぞ」
声を出せないでいたマサトに代わり、それまで押し黙っていたユファがリョーマに感嘆の声を上げた。その顔には驚きと歓喜がない交ぜとなった表情が浮かんでいる。
「マサトよ、我の意見を先に述べれば、我もリョーマ殿の意見と殆ど同じじゃ。そして選択としては四つ目が好ましいと思っておる。何よりも我らは先を急ぐべきじゃし、今までの行動は全てそれらを実践して来た結果なのじゃからな」
スツルト自治領を発ってからの強行軍は全て「一刻も早くオストレサル大陸を抜ける」為に行って来た物なのだから、ユファの言い分はもっともだった。
「……それからマサトよ、お主は少し思い違いをしておるかもしれぬから話しておくのじゃが……」
先程とは明らかに声のトーンを変えてユファが話を続けた。その目には僅かな哀しみが湛えられていたのをアイシュは気付いたが、思案に耽っているマサトが気付いた様子は無い。
「お主が何をどうしようが……戦えば人は死ぬぞ」
この言葉にマサトの顔は跳ね上がり、鋭い視線をユファへと向けた。それは彼が聞きたくない言葉だったのかも知れない。
「お主がこの街の帝国軍と戦えば、市民は否応なく戦いに巻き込まれ少なからず犠牲は出る。海上で戦えばピエナの市民に被害は出ずとも多くの帝国兵が海の藻屑となろう。帝国の侵攻先で反帝国勢力と共に戦えたとしても同様じゃ。少なからぬ犠牲が出る事は想像に難くない。お主、よもやとは思うが帝国兵は人間では無いと考えてはおらぬじゃろうな。彼等とて陣営が違うだけで歴とした人の子じゃぞ」
ユファの言葉は、常時であれば至極当然の事だった。しかしマサトの置かれた状況が、自身を中心とした自分に近しい者達のみを“人”として認識させ、敵陣営は悪鬼の如き存在と思わせていたのだ。
帝国軍がマサト達に行った所業は正しく悪鬼と呼ぶに相応しいが、それを成したのは間違いなく人間なのだと、そんな当たり前の事が彼の思考から抜け落ちていたのだ。
「それにお主の与り知らぬ処で、やはり争いは起こり、そして人は死んでいく。先を急ぎ目の前の諍いを素通りした所で、お主が関わらぬと言うだけで、今と言う時代では大勢の者が命を落とすのじゃ。それを踏まえて決断する事を忘れるでない」
マサトは愕然とした表情で俯き言葉を発せずにいた。しかしそこまで思考が及ばなかった事を誰にも責める事は出来ない。彼はまだ18歳の青年であり、現在の様な状況に的確な判断を下せる程人生経験が豊富だと言う訳では無いのだ。だが今と言う時代では、彼を経験浅い青年のままで居させてくれなかった。
「……やれやれ、皆で決めようと思っていたけど、どうやらマー坊の判断でこの先の行動が決定しそうだね」
答えを出せないマサトを見兼ねたのか、リョーマがその場を和ませる様なややお道化た口調で二人の間に割って入って来た。マサトはリョーマの言葉にユックリと顔を上げた。
「……俺の……?何で……俺なんだ……?」
マサトの表情は誰かに縋りたいと言った弱々しい物だった。それは先程ユファが話した事を肯定しているようでもあった。彼はどこかで、自分の力で皆を、全ての人を救おうと考えていたのかもしれない。そしてマサトにはそれだけの大きな力が宿っていたのだ。彼がそう考えた所で、それは仕方のない事かも知れない。
しかしユファの冷徹な指摘は、彼の何処か楽観した考えを粉々に打ち砕いたのだ。マサトがどれ程そう願っても、戦いが起これば被害が出る。そしてその中に人的被害が皆無だと言う保証は無かったのだ。
そう思い至ってしまっては彼にどの様な判断も下す事は出来なくなってしまう。しかしリョーマはそんな彼に決定権があると言うのだ。
「だって仕方ないよ。アーちゃんは君の判断に従うだろうし、ユーちゃんもどうやらその様だしね。多数決から考えてもそうなっちゃうんだよ」
リョーマは心底仕方が無いと言った表情でウインクしてニコリと笑った。そしてそれは、彼もマサトの決定に従うと言う物だった。
「……マー君……最善なんて無いみたいだから、マー君が望む様にすれば良いんだからね。私はそれを全力でサポートするから!」
優しい笑顔でガッツポーズを取るアイシュにマサトが視線を向ける。彼女の表情に迷いは無く、マサトがいつも大好きな笑顔に微塵の陰りも無い。リョーマが言った様に、彼女はマサトの決定がどの様な物であれ、全力で従ってくれる事は明らかだった。
「ふふふ……仕方が無いの。我とお主は一蓮托生。世界の命運よりも目の前の問題よりも、お主の判断で行動が決まるのは今決まった事では無いのじゃからの」
先程とは違いユファの表情もまた、迷いや疑惑といった物は浮かんでおらずいつもの穏やかな笑顔を湛えていた。それは彼女の言葉に一切の偽りや思惑が含まれていない事を物語っている。
ここに居るメンバーだけで、先程上がった四つの案そのどれでも行使する事が出来る。勿論犠牲を顧みなければと言う話ではあり、それは必ずしも自分達が含まれないと言う考えでは無い。今のマサトには先程よりも余程広い視野で、多くの現実的な選択肢を考える事が出来ていた。
「……先を急ごう……」
短くない沈黙の後、マサトはその場にいる三人にそう告げた。
「……いいの?マー君……」
マサトの表情は苦渋に満ちており、絞り出した決断だと言う事はすぐに見て取れたのだろう、アイシュは心配そうに声を掛けた。
「お主にしては無難で最善な策を選び取ったの。しかしその案は我の考えと共通の物じゃ。我に否やは無い」
ユファは同意を示しながらも、その表情は真剣で険しい物へと変わっていた。口にした言葉に反してマサトの決断が意外であり、彼女にとって面白くない物だったからかもしれない。
「……ああ……それで良い……。どうあってもどこかで被害が出ると言うなら、俺達に出来る事はそう多くないだろ?なら、一刻も早く皇都セントレアへ向かった方が良いに決まってるからな」
そう言ってマサトは力ない笑みを浮かべた。彼の決断は彼の願望では無く、広い視野で大局的に判断した物だった。そう判断した事は評価の出来る所だが、マサト自身は未だに納得出来ている物では無かった。
「……よし、それじゃーマー坊の案を今後の方針として行動しよう」
だがマサトは結論を出し方針は示された。それに付いて今異議異論を唱えても仕方のない事だとこの場の誰もが理解しており、リョーマもそう考えてその場を締め括った。
「そうじゃの。今から動くとしても出来る事はたかが知れておる。僅かな時間ではあるが、まずは体を休める事が肝要であろう。残念ながらホテルへと戻る事は出来ぬから、ここで休息を取るとしよう」
リョーマの発言を受けてユファがそう提案した。今から帝国の使用するであろう船舶に当たりを付けて忍び込んでも、実際に行動が開始されるまで恐らく三日はかかる。その間そこに潜み続けると言うのは現実的では無い。しかしリョーマの一件から今まで宿泊していたホテルに戻ると言う選択肢は取れなかったのだ。ユファの言葉に悪意は無かったが、暗にその事を指摘されている事に気付いているリョーマは、さり気なく明後日の方向を向いてやり過ごした。
「我が寝ずの番を引き受けよう。今後頻繁に動いて貰う事となるマサト、アイシュ、リョーマ殿は休んでおれ」
そう告げてユファは倉庫出口へと向かう為に踵を返した。
「ユファ、それなら私も……」
それにアイシュも続こうとしたが、その機先をユファの掌が制した。
「先も申したじゃろう?お主にも我以上に今後は動いて貰わねばならぬのじゃ。休める時に休んでおいた方が良い」
「……う……うん……ゴメン……ユファ、ありがと。お願いね」
ユファの言葉を素直に受け、アイシュは感謝の言葉を彼女へと投げ掛けた。ユファは僅かに口角を上げると、再び倉庫出口へと向かいそのまま外へと出て行った。
マサト達はユファに言われた通り、そのまま倉庫の隅で横になり眠りに就いたのだった。
「……随分と魔力を消費した……当分まともな戦闘行為は至難じゃな……」
外へと出たユファはそう独り言ち、そのままガイストと化し未だ夜明けの遠い暗闇へと羽ばたいて行った。
方針は決し、それに向けて行動を開始すべく休息を取りマサト達。しかし彼等に、解き放たれた影が忍び寄る……。