第三話 始まりの町「タートタウン」(2)
4000字程度です。
「本当に信じらんない!」
「……はあ」
魔人のごときオーラを発しながら力強い踏込みでズンズンと進んでいくマリーの背中に、ルクはいつもより深いため息を吐く。
二人は店を出ると、すぐに中町に行くため酒場のマスターからもらった地図をもとに、表町の大通りから脇道に入った。地図によると中町の入り口は町の外壁付近にあるらしく、こうしてしばらくマリーの背中を見ているが一向に着く気配がない。表の大きな通りから外れ、脇道を歩いているため人通りは皆無で互いに見失う心配はないが、逆に二人きりの空間でこの威圧的空気はキツイ。談笑しながらとはいかないまでも、せめて相手のオーラを気にせず歩きたい。確かにこの原因を作ったのは紛れもなくルクだが、こうなってしまった以上、マリーの機嫌が自然とよくなるまで、例え土下座しても許してもらえないことは長年の付き合いで分かっていた。
そこでルクは今現在で唯一の仲間に助けを求めることにした。
「レグロ、起きてるんだろ? そろそろ助けてくれ」
マリーに聞こえないようそう小声で救援を求めると、ルクの寝ぐせだらけの髪の毛からレグロがひょっこりと顔を出す。レグロはルクの脳力で生み出された生き物ではあるが、なぜか脳力の発動に関係なく実体化でき、そしてそういう時はいつもルクの髪の毛の中にいた。
「……全く、うるさい奴だな。飯を勝手に食われたら、そりゃ誰だって怒るだろ。こんなことでオレ様を呼び出すんじゃねぇよ」
「そんなこと言うなよ。俺とレグロの仲だろ? どうにか仲裁してくれないかな?」
髪の毛から飛び出し目の前に浮かぶ唯一の仲間に、ルクは両手を合わせる。
「頼む! 今のマリーは謝っても許してくれないし、下手をしたらまた後頭部を殴打される」
両手をすり合わせ懇願する自分の主の姿に、レグロは諦めたように両手を上げる。
「……ああもう、分かったよ! お前が反省してることは伝えてきてやる」
レグロは未だに自分のことを崇めている一応の主を無視して、その小さい羽根を動かしマリーの元へ行く。ルクがあれほど怖がっていたマリーの怒気など気にする風もなく、レグロはその怒りで揺れるマリーの肩にちょこんと腰を下ろした。
「よっ! 何をそんなに怒ってんだよ」
「レグロ……。大方、ルクが私をなだめるためにあなたをよこしたんでしょ?」
「さすが姉御。あいつの考えなんてお見通しだな。でも、あいつも本気で反省してたし、もうそろそろ許してやったらどうよ?」
マリーは自分の右肩に乗っているレグロを横目で見る。真っ黒な容姿に満月のような金色の瞳、ニコリと笑い牙をむき出しにした姿はまるで伝説に出てくる悪魔のようだが、その姿とは裏腹に意外と面倒見がよく優しい。マリー自身もこの優しさに何度も助けられてきた。
――私たちの中で一番しっかりしているのはレグロかもね。私も見習わないと……。
「おーい、どうした?」
いつの間にかレグロを見つめて呆けていたらしいマリーは、自分の顔を覗き込みその短い手を目一杯振っていたレグロの声で意識を思考から戻す。
「……ご、ごめんね、ちょっとぼけっとしてたみたい」
「大丈夫かよ。疲れてるんじゃないのか?」
「大丈夫よ。それより何の話だっけ?」
「ルクのことだよ。あいつも反省してるし、もうそろそろ許してやってくれよ」
自分の前に飛んできて誰かさんのように目の前で手を合わせるレグロ。その可愛らしい姿に、マリーは思わず笑みを漏らし、仕方ないなと歩みを止めて後ろを振り向く。
「ルク!」
「は、はい!!」
いきなり自分の名前を呼ばれたことに驚き肩を震わせたあと、すぐに背筋を伸ばし返事をする。
マリーは直立不動の石像と化したルクの目の前まで来ると、見せつけるように拳を握る。その術師とは思えない力が込められた拳に、次に来るであろう衝撃に備えてルクは硬く目を瞑った。
しかししばらくしても予想した衝撃が来ず、そうっと目を開けようとしたその時、小さな衝撃と共に額に痛みが走る。だがそれは予想していたものよりもずっと弱く、すぐには何をされたのか理解できなかった。
――えっ? デ、デコピン!?
「私のお昼を勝手に食べた事は、これと次のご飯を奢ることでチャラにしてあげる」
「……なぜデコピン?」
「子供のころ悪戯した私たちの罰は師匠からのデコピンだったでしょ? それを思い出したのよ」
「師匠のデコピンは死ぬほど痛かったけどな」
「痛いのがご所望なら、今度こそグーパンチでもいいわよ?」
からかうように笑いながら拳を握るマリーに……、
「ほ、本当にすみませんでした」
ルクはすぐさま謝罪した。
「しょうがないから許してあげるわよ。じゃあ、さっさと中町に行って【情報収集】兼【昼食】を済ませちゃいましょ」
マリーはその金糸を思わせる綺麗な髪をなびかせまた歩き始める。しかし先ほどとは違い、魔人のようなオーラを漂わせず穏やかに前を歩いていた。その光景にルクは安堵のため息を吐き、次に今回の事件解決の立役者であり、自分の相棒であるレグロを見る。しかし当の本人は何事もなかったかのように、手を振りながらルクに向かって飛んできていた。
「いつものことながら、どんな魔法を使ったらあのマリーを静められるんだ?」
「何も使ってねぇよ。お前が反省してるって言っただけだぜ?」
「あのマリーが怒りを鎮めるなんて、何度見ても信じられない……」
心底信じられないといった風のルクに、レグロは呆れ気味に嘆息する。
ルクは気づいていないが、マリーはルクに甘い節がある。確かにこの五年カインやルクといった勝手に暴走する男子を叱ってきたのはマリーであり、その光景は凄いものであった。しかし、なぜかカインと比べルクに対しては幾分か優しい印象をレグロは受けていた。それは好きな人に対する様なものではなく、頼りない弟に対するそれである。しかし、確実にマリーはルクに甘い。カインが叱られている印象が強すぎるせいか、その事実にルクは気づいておらず、レグロが仲介をしてマリーに許してもらうたびにルクは不思議そうにしていた。
――まぁ、ルクはこんなこと言っても信じないだろうし、面倒だから教えねぇけどな。
「どうかしたか?」
「……何でもねぇよ。さて、用事が終わったならオレ様は寝るぞ?」
レグロはあくびを噛み殺しながらルクの頭に着地する。
「ああ、おやすみ。また何かあったらよろしく頼むよ」
「戦い以外はご遠慮願いたいね」
「今のも立派な戦いだったけどな」
「じゃあ今度からはちゃんと敵を見てから喧嘩を売るんだな」
ルクはレグロの言葉に苦笑しつつ歩き出す。中町へと続く道は相変わらず狭く、ルクとマリーがギリギリ並んで歩けるぐらいの幅しかない。しかも、中町への入り口が近いのか、タートタウンの巨大な外壁が近づくのと同時に、人とすれ違うことが多くなってきた。しかしその通行人たちは一様にルクの頭の上に視線を向ける。もちろんそこにいるのは異形のレグロであるが、当事者である本人はその視線を気にすることなく、堂々と横になり大きなあくびをしていた。
昔からルクはエリヤに付き添って町に出かけることが多かった。その度、町の中ですれ違う人々からレグロは容赦のない視線を浴びせられてきたが、そのことを気にしたことはないらしく、人前という理由で出てこなかったり、話さなかったりしたことはない。
そこまで考え、ルクは酒場での出来事に違和感があることに気づく。
いつもなら取らなくてもいい食事を取るため、どこだろうと関係なく出てくるレグロが、あの時には息をひそめるように静かだった。
「なあ、レグロ」
眠りかけているであろう頭の上の相棒を指でつつきながら声をかける。すると案の定、不機嫌そうな声が返ってきた。
「……何だよ。マリーの次はオレ様に喧嘩を売ってるのか?」
「誰にも喧嘩を売った覚えはないんだけど……。それよりもなんで酒場の時に出てこなかったんだ? いつもだったら必要もないのに出てくるだろ」
レグロは「あれな…」と呟き、ルクの頭の上で姿勢を正し腕を組む。
「あの店にマスターいただろ? あいつはただ者じゃなかったからな。オレ様が気配を消してたのに、気づいていやがった。それだけじゃねぇ、もしかしたら、オレ様がどういう存在なのかってことにも……」
「それって……」
「多分だが大丈夫だと思うぜ。さすがに初見でお前の脳力だとは気づけねぇはずだ。オレ様の姿も見せてねえしな。まぁ、あの酒場にはもう近づかない方がいいだろうけど」
「そうだな……。はぁ、めんどくせえ」
ルクは思わずその場にしゃがみ込む。
師匠であるエリヤを探すため旅に出て、最初のまちで人攫いの調査に謎のマスターとの遭遇。まだ旅に出て二日と立っていないにも関わらず、この面倒ごとの多さ。正直、今すぐにでも家に帰りたい。そして昼寝したい。監視役のマリーがいなければ、とっくの昔に旅などやめて家に帰っている。
「いや、いっそのことここでマリーを……」
「ちょっと、何やってるのよ?」
振り切るか、という言葉は監視役本人の言葉によって遮られた。小声で呟いていたため、監視役に企みがバレることはなかったが、突然の出来事にルクは思わず立ち上がり背筋を伸ばす。
「こんなところで座り込んでてどうしたのよ。具合でも悪いの?」
「い、いやそんなことないよ? 少し疲れたから休憩してただけ」
「そう。でも、休憩するときは一声かけなさいよね。人通りも増えてきたし、万が一はぐれたらどうするのよ」
マリーは小さく頬を膨らませ腕を組む。その姿は先ほどの怒っていた時とは打って変わって可愛らしい。さらに、組まれた腕の上には凶悪かつ暴力的なまでのものが主張していた。その可愛らしさと女性の魅力に、ルクも思わず見とれる。
「ど、どうしたの?」
意図せず見とれていたルクは、マリーの声に意識を取り戻す。しかしルクより身長が低いマリーが上目遣い気味に見上げてくる光景は、なかなかの破壊力だった。その威力に、ルクは思わず目を背ける。
「な、何でもない! それより、マリーも少し休憩するか?」
顔を赤くしながらそう答える姿は到底ごまかせていないが、マリーは全く気付いていなかった。
彼女は羽織のポケットから地図を取り出し、現在位置と中町の入り口を指さす。
「大丈夫よ。もらった地図によれば、あそこの角を右に曲がればすぐに中町の入り口が見えてくるはずだし。休憩するなら中町に着いてからにしましょ」
「……そうだな」
マリーが地図をしまって歩き出し、ルクもそれに続く。先ほどのたじろぎからも回復し、その眠そうな瞳はいつものルクである。しかしマリーとの間に微妙な距離が開いており、その変化に唯一気づいた優しい悪魔は、少し寂しそうに小さく笑った。