第十話 ハンデ
5000字程度です。
「待たせたわね」
マリーは男たちの前まで歩み出ると、開口一番にそう言った。
決して大きくはなかったが、その高く澄んだ声は広場全体に響き渡り、静寂が訪れる。
それもそのはず、先ほどまでの怒気はなりを潜め、ただ立っているだけのように見えるマリーだが、しかしその小さな体には確かな覚悟の空気を纏っている。それは正面にいる男たちだけでなく、先ほどまでワイワイうるさかった一般市民である野次馬を黙らせるほどだ。
だがそれも長くは続かない。
その男が口を開いたとたん、空気が一変する。
「あんたがオレ達の相手をしてくれるのか?」
「そうよ。あんたらなんか私で十分だわ」
「……ふん。ハッタリだな。見たところ術師みたいだが、大した装備でもない。お前はこんな所より、ストリップ劇場の方がお似合いだぜ?」
まとめ役の男はマリーの体を嘗め回すように眺め、下卑た笑みを浮かべて嘲笑する。
その声に、飲まれかけていた取り巻き達も自分たちが優位だと思い出したようで、各々「いい体してんなぁ!」「オレ達を誘ってんのかよ」「そこで脱いでみてくれ!!」などと好き勝手に騒ぎ始めた。
しかしマリーはそれに動じることなく、その取り巻きを一瞥しただけですぐに正面の男へと視線を戻す。
「私のことはどんな風に言ってもらっても構わないけど、あそこにいる男の子への暴言だけは撤回させてもらうわよ」
「できるもんならな」
男は心底馬鹿にしたように顔を歪めて笑うと、顎をしゃくって取り巻き達にマリーを片付けるよう指示する。
男たちはその指示通り、そこら辺に落ちている鉄パイプや角材などを手に取り、にやけ顔でマリーの正面へと躍り出た。
本来術師は後衛であり、実力差のある敵を強力な術式で一掃することや見方を援護することを得意とする。その反面、タイマンや今回のような近距離かつ大勢の敵を相手にすることを不得意としていた。それは脳力同様、術式にもエネルギーが必要であり、そのため術式を行使できる回数に制限があるからである。つまり、強力な術式を一回行使するのと、弱い術式を数回行使するのを比べると、術師にとっては後者の方が負担が大きいのだ。
ゆえに、術師は今のマリーのような状況を嫌う。
敵は複数でなおかつ距離を開けることもできない。これは普通の術師にとって避けるべき状況だった。
しかしそこはマリーである。
このような状況ではどの術師よりも場数を踏んでいる。
だがそんなこと知る由もないレンは、焦りを押し殺した声でルクに耳打ちする。
「おい、術師にとってこの状況はまずいぞ。距離を取って中距離から攻撃を仕掛けることもできないし、時間的に強力な術式を紡ぐこともできない。かといって術式を連発すればジリ貧になるのはこっちだ。これじゃ、どんなに強いって言っても無理があ……」
「大丈夫だぜ、銀髪の兄ちゃん」
ルクが口を開く前に、胸ポケットから顔を出したレグロが、レンにそう言ってやる。
「姉御はこういう状況に慣れてるからな。なんせ、幼い頃から自分で厄介ごとに首を突っ込んでは、今みたいな状況を一人で打破してきたような人だぜ? これぐらいどうにか出来ないようなら、もうとっくの昔にくたばってる」
「なっ!?」
面白そうに笑っているレグロをよそに、レンは信じられないと目でルクに確認する。
「……はぁ。残念ながら本当だ。戦闘回数だけなら、俺たちの中でも群を抜いている。それに、マリーが本気を出したなら、あんな奴ら十秒とかからない」
その言葉に、レンはまたも驚きで目を見張る。
――オレでもあいつらを全員片付けようと思ったら三分から五分は確実にかかる。これなら……。
とレンが考え笑みを零したところで、ルクの盛大なため息が聞こえてきた。
「……?」
「いや、あんた的にはさっさと片付いて丸く収まればいいと思ってんだろうが、たぶんそうはならないだろうと思ってな」
ルクはもう一度ため息を吐いてマリーの方を指し示し、レンもそれに伴って視線を彼女へと向ける。
するとそこには、笑顔を浮かべるマリーの姿があった。
風で舞い上がった金髪の向こうに見えるその横顔は本当に可愛らしく、そこだけを切り取れば地上に舞い降りた天使そのものである。
しかしルクはその可愛らしい笑顔が頭痛の種になることを知っている。
「あれは手加減をしつつ相手を徹底的に叩きのめすときの顔だ」
「はぁ!?」
レンは今日何度目か分からない驚きの声を上げルクを見るが、ルクは力なく首を横に振る。
「俺だって止められるもんなら止めたいさ。絶対に面倒なことになるからな。でも、ああなったマリーはどうしたって止められないんだよ」
この諦めの滲んだ声が聞こえたわけではないだろうが、ルクのこの言葉を合図に今まで状況を見守っていたマリーがおもむろに口を開いた。
「私の相手はあんたら七人でいいのよね?」
「ああ。術師一人ボコるには十分すぎるだろ?」
「いつものことだけど、なんで術師ってだけで甘く見られるのかしら? まあいいわ。それじゃあルールを決めましょ」
マリーのその言葉に男たちは一瞬キョトンとするも、意味を理解するや否や腹を抱えて笑い出した。
「おいおい嬢ちゃん、これはあんたが勝手に割り込んできた結果だぜ? これは粛清のための、ただのリンチだ。野試合なんかするわけねぇだろ?」
取り巻きよりも一歩前に出ている鉄パイプを持った男が、にやけた顔のままそう言い放つ。
しかしマリーはそれを気にすることなく、ゆっくりとした動作で腰のポーチから小さな三つのガラス瓶を取り出した。
「共通のルールを設けようって話じゃないわ。ハンデの話よ。――私は今回、この三つの生活術具しか使わない」
そう宣言したマリーに、男たちだけでなく、ルクとレンも絶句する。
本来術式とは決められた術具に決められた術式を正確に書き込むことによってのみ、術を発現させることができる。つまり、術具がそろっていなかったり、術式を正確に書き込むことができなければ術式を使うことはできないのである。そしてマリーは、今持っている三つの瓶以外の術具は使わないと言った。それは術札も式筆も使わないということで、これでは『火炎弾』はおろか、『防壁』すら使えない。
しかも唯一使うと宣言した術具は、選りにもよって生活術具だ。
生活術具とは、文字通り生活を向上させるための術具である。
術具は基本的に術式を正確に紡ぐことで初めてその効果を発揮する。しかし生活術具は違う。生活術具は規定されている方法を用いれば、正確に術式を紡ぐことができない人、つまりは術師ではない一般人でも効果を発揮させることができる。
そしてその反面火力は出せず、戦闘には向いていない。
マリーが持っている三つのガラス瓶はコルクで蓋がされており、中にはそれぞれ赤、青、白の砂が入っている。
そしてそれは、術具に詳しくないルクでも知っていた。
赤い砂は『紅砂』と呼ばれるもので、薪などと一緒に窯に入れると火の付きが良くなる。
青い砂は『藍砂』と呼ばれるもので、桶などに入れておくとものの数分で空気中の水分を集めることができる。
白い砂は『雲砂』と呼ばれるもので、土にまけばどんなに硬い土でも柔らかくなり耕しやすくなる。
どれも人々の生活にはなくてはならいものだが、こと戦闘に関しては何の役にも立たない。
そしてそんなもので勝つと言われれば誰だって腹が立つ。
「おい、てめぇ! そんなもので戦える分けねぇだろ!!」
「なめてんのか!?」
「ぶっ殺してやる!」
男たちは各々マリーに怒号を浴びせるが、金髪の美しい少女は余裕の態度を崩さない。
「ダメね。全くなってないわ」
マリーは静かにそう言うとクスリと笑い、自分の肩越しに後ろで俯いている少年へと視線を送る。
「いい? 自分が戦わなければならないとき、必ずしも武器があるとは限らないわ。生活術具しかない場合だってある。それでも、勝つためにはどうすればいいのか、生き残るためにはどうすればいいのか、どんな状況でもそれを考え続けると誓うこと、それが覚悟なの」
その言葉に少年はハッと顔を上げるが、すでにマリーは前を向き、見えるのはその小さい背中だけ。
「オ、オレは……」
「いいから見てなさい。これから、本物の覚悟ってやつを見せてあげるわ」
マリーは前を向いたままそう言うと、『紅砂』をポーチにしまってしまう。そして残り二つの瓶をそれぞれ左手の指の間に挟み、そのコルクを口で引き抜いた。
「話しもそろそろ飽きてきたし、ボコボコにされる準備はできたかしら?」
「て、てめぇ……」
マリーのそのあからさまな挑発に、鉄パイプを持った男は怒りで顔を真っ赤に染め上げ、
「絶対に許さねぇ。ただで負けれると思うなよ! てめぇら、やっちまえっ!!」
その怒号と共に戦闘は開始された。
先に仕掛けたのは男たちだった。
リーダーと思しき男を除き、六人全員が一斉にマリーに襲い掛かる。彼らはそれぞれ角材や鉄パイプを片手に距離を詰めるが、マリーはいたって冷静だった。
――角材を持っている奴が四人に、鉄パイプを持っている奴が二人。角材は問題ないけど、鉄パイプはまずいわね。という訳で、まずは鉄パイプを無力化しようかしら。
マリーがそんなことを考えているとは露ほども知らない男たちは、怖気づいて動けないと判断したのか、走る勢いそのままに容赦なく振り上げた武器で殴り掛かる。
しかし、そこは化け物並みに強いエリヤと幼い頃から修行していたマリーである。
振り下ろされる武器の数々をヒラヒラと舞うように避けながら男たちの間をすり抜け、彼らの背後を取る。
そして、
――まずは、攪乱させようかしらね。
マリーの姿を追いかけ男たちが振り向いた瞬間、マリーは左手に持っていた『藍砂』と『雲砂』を相手の顔目掛けてぶっかけた。
「うわぁ!」
「いてぇ」
凛と立つマリーに、青と白の砂が空中を煌くその光景は美しかったが、男たちはそれどころではない。
振り向きざま顔にかけられた砂のせいでまともに目も開けられないため、周りの状況を判断できない。
だがそれを狙っていたマリーは、このチャンスを逃すまいと左手に持っていた空の瓶を投げ捨て、鉄パイプを持った男へと一気に距離を縮める。
そして相手の懐に潜り込むと、
「まずは、一人目!」
相手の腹部に全力の右掌底を叩き込み、体がくの字に折れ曲がったことによって無防備となった顎に、フックの要領で横から渾身の左掌底を打ち込んだ。
「がっ……」
無防備な腹と顎の二か所に連続でマリーの掌底をくらった男は力なくその場に倒れ、一人が戦線を離脱する。
しかしマリーは止まらない。
素早く視線を巡らせもう一人の鉄パイプを持った男を捉えると、またしても一瞬にして距離を縮め、相手の懐へと潜り込む。
そして先ほどと同じように無防備な腹部に渾身の掌底を打ち込もうとしたその時、マリーは体を投げ出すように横に跳び退り一回転して受け身を取ると、すぐさま振り返った。
マリーが先ほどまで立っていたその場所、そこには鉄パイプが振り下ろされており、それを行ったのはついさっきまで傍観を決め込んでいたリーダーの男だった。
「随分なめた真似してくれたじゃねぇか、このくそアマが」
「……あなたの部下があまりにも油断してたからついね。始まってものの数秒で一人やられたのは痛いんじゃない?」
笑顔を浮かべそう言ったはものの、マリーは自分が圧倒的に不利ということを理解していた。
マリーが強いと言っても所詮は術師であり、多対一の肉弾戦は本分ではない。
本来ならばこの奇襲で鉄パイプを持った二人を戦闘不能にし、周りの男たちの戦意を削いでおきたかった。
――計算が狂ったわね。もうさっきみたいな奇策は使えないだろうし、もうそろそろ男たちの視界も回復してしまうわ。こうなった以上、動き回って常に一対一の状態に持ち込まないと……。
しかしマリーのその思考を読んでか、男は自分の部下にマリーを囲うよう指示を出す。
「てめぇらいつまで腑抜けてやがる! さっさとあのくそアマを取り囲んでボコっちまえ!!」
「は、はい」
「……了解です」
やっと目を開けられるようになった男たちはリーダーの指示通りマリーを取り囲む。
「これでさっきみたいにちょこまかできなくなったな。どうだ? 潔く降参して謝るなら、怪我をせずに済むぜ? まぁその場合でも、たっぷりと可愛がってやるけどな」
「冗談。こんな状況何でもないわよ。それに、私は下品な人はタイプじゃないの」
「そうかよ。だったらボコった後に可愛がってやるぜ。お前ら、やっちまえ!!」
そのリーダーの男の怒号と共に二回戦目が開始された。