第九話 覚悟
5000字程度です。
いつからだろう?
弱いものを許せなくなったのは。
弱いものを守りたくて、自警団という組織を作ったというのに、いつの間にか守られることに胡坐をかくだけの弱い奴らを許せなくなっていた。
オレや仲間が傷ついてまで、こいつらに守る価値はあるのか?
いつしかそんな風に考えるようになっていた。
もちろん、そんな奴らばかりでないことも知っている。自ら強くなろうとしている子供や、今の状況から抜け出そうと努力している大人もいる。
しかし、大多数の奴らは守られることに慣れていく。しまいには、手傷を負いながら必死に助けた相手に、なんでもっと早く助けに来ないんだ、と罵声を浴びせられ唾を吐きかけられる。
いつしか自分を赤く染め上げていた夕日は沈み、寒く辛い闇が夕焼けの代わりに自分の足元を侍ていた。
自分はいつしかそれに全身を飲み込まれ、抗うことすらやめていた。そしてそのことに気づきもしなかった。
それに気づかせてくれたのは、他ならぬルクだ。
確かにルクは弱いかもしれない。しかし弱いからと卑屈になることなく自分に出来ることと出来ないことを冷静に判断し、自分の出来ることを全力でやっている。
ルクを見ていて、今まで自分が見てきたものは一側面でしかないと気づかされた。
きっと今まで自分が弱いと見下してきた人の中にも、違う側面で自分よりも強い部分を持っていた人もいただろう。
エリヤに救われただけでは飽き足らず、その弟子にまで迷惑をかけるとは、本当に救いようのない馬鹿だと思わず苦笑してしまう。
「何か面白いことでもあったのか?」
その声にレンは後ろを向く。
そこには夕日で真っ赤に染まったルクがいた。
下は茶色のズボンに上は白いtシャツ、そしてその上から裏町の子どもでも着ないような裾が解れているボロボロのローブを着ている。髪は寝ぐせで所々跳ねており、瞳はいつもトロンとしていて眠そうである。体も全身が脱力しきっていて、この姿からはあの酒場で見せたような聡明さは微塵も感じない。
しかしレンは知っている。
この人物は独自の強さを持ち、そしてその力で隣に立つ女性を守っているということを。
オレもこうなれたらいいのに、と考えている自分に気づき、レンはもう一度笑ってしまった。
「別に何でもねえよ。それより本当にいいのか? 騙すような真似をしたオレを信用したりして」
ルクを含めた四人は、裏町にある自警団本部を目指し、今は中町で一番大きな通りを歩いていた。酒場を出た四人は歩きながら話し合い、そしてレンに協力することにした。協力の報酬はエリヤの情報だが、報酬という名の通り、それは全てが終わってから支払われる。
しかしそれだとあまりにも不公平ということで、まだ宿を取っていないという三人に、レンが自警団の本部を宿代わりに提供するということになったのだが、仮にも一度は騙そうとした人間が用意した場所を信用できるのだろうか。
「別に俺は気にしないけどな。悪意があって騙そうとしたわけじゃないし。俺が組織のリーダーでも同じことをする。それに、何かあったらマリーに助けてもらうさ」
確かにな、とレンは思い、自然と視線がマリーに向けられる。
下はホットパンツに上はタンクトップ、その上から丈の短い羽織のようなものを着ている。金糸のような長い金髪で、顔も整っており美少女と言って差し支えない。さらにその女性らしい体。締まるところは締まり、出ている所は出ているそれは、通りで見かければ思わず目で追いかけてしまうほど完璧である。
でも声はかけられないだろうな、とレンは思う。
マリーの服装は世間から見れば多少露出は多めだが、娼婦のような艶めかしさは感じない。
マリーの雰囲気は凛としたもので、服装と合わさり艶めかしいというよりも美しいという感想が先に来る。
またマリー自身もそういうことに無頓着で、露出が多い服を着ているのも単に動きやすいからという理由だけということも関係しているのかもしれない。
しかしマリーは美しいだけではない。レンは自分もそれなりに強いと自負しているが、彼女はそれ以上だと理解できる。
足の運びや視線の動かし方など、術師とは思えないほど洗礼されていた。注意しなければ分からないほど自然なそれから、相当な修行をしてきたことがうかがえる。
正直、レンと副団長が二人がかりでも勝てるかどうか怪しい。
「彼女が敵に回ったと考えるとゾッとするな」
「……ああ、本当に恐ろしいぞ」
しみじみとそんなことを言うルクを見て、レンはまたも思わず苦笑してしまう。
ルクのことだからマリーに怒られたことは一度や二度ではないのだろう。
まだ出会ったばかりにも関わらず、容易に想像できてしまうあたり、自分は思いのほかこの人たちを気に入っているらしかった。
「参考にさせてもらうよ。――それはそうと、もうそろそろ裏町への入り口が見えてくるはずだ。裏町は中町と違って治安もよくないし、住民が勝手に作った小屋のせいで道が入り組んでたりするから、くれぐれもはぐれるなよ」
中町は表町と裏町の間にあり、細長い形をしている。
そのため、町と町を隔てている巨大な壁は思いのほか近い。壁と壁を行き来するぐらいならば、子どもの足でも十五分とかからない。
しかし、裏町の入り口は表町と中町を繋ぐ入り口とは反対方向にあり、表町の入り口と裏町の入り口を行き来するためには、中町の端から端まで歩かなければならない。
これは裏町の人間が表町になだれ込まないようにするための設計だ。
まさに社会の縮図のようだと、レンは思う。
裏で生きる人間がどんなに願い、どんなに努力しようとも、表の世界に行くには、あまりにも道は複雑で遠い。そして、表の人間は裏の人間が来ることを望んでいない。例えそれがまっとうに生きるためだとしても、だ。
――本当に、報われねぇよな。
レンはそんなことを考えながら黙々と歩き、もうすぐ裏町の入り口が見えようかというその時、それは聞こえてきた。
「撤回しろ!!」
その声は怒気を孕んでいて、大通りにいるレンたちにも聞こえてくる。
「虫を虫と言って何が悪い?」
「オレ達は虫じゃねぇ!」
「裏町でゴミを漁って生きてる虫じゃねぇか」
声からして人数は七、八人ぐらいだが、問題はその声が今からレン達が向かおうとしている裏町の入り口から聞こえるという点だった。
「一体何なんだ?」
ルクが頭を掻きながら、めんどくさそうにレンに尋ねる。
「多分、誰かが喧嘩を売ったんだろう。このままだと野試合になる」
「野試合?」
レンの言葉にマリーが首を傾げる。
ルクとマリーは師匠であるエリヤに付き添い何回かタートタウンに来たことがある。しかし野試合なるものは一回も見聞きしたことがない。
「最近タートタウンで流行ってるんだ。いわゆる喧嘩みたいなもんだが、その都度、お互いが話し合ってルールを決める。周りの人間への見世物的側面もあるから、めったなことではルールは破られない。とにかく行ってみよう。場合によっては、オレが止める」
巻き込まれる可能性はあるが、放ってはおけない。
これでも裏町自警団の団長なのだから。
レンは覚悟を新たに走り出し、ルクとマリーもそれに続いた。
大きな通りから裏路地に入り、何回か角を曲がった先にそれはあった。
家が二軒は優に建てられそうなほどある大きな広場。そこに人だかりができている。
裏町への入り口はその住人が大挙で押し寄せてきた時のため、円形の広場になっていて、緊急時の際にはここを封鎖し住人を押しとどめる。
野試合はそんな広場の中央で行われていた。
五、六人の男と一人の少年が対峙し、多くはないがその周りを住人と思われる人たちが取り囲んでいる。
男たちの方は、まとめ役と思しき金色長髪の人物とその傍らに立っている筋骨隆々の大男以外はただの取り巻きといった風貌で、強くないことは一目でわかる。
しかし対する少年はその取り巻きにすら勝てないぐらい貧弱で、実際弱いだろう。
少年の見た目は十二、三歳程度で体の線も細く、足運びや構えが素人のそれだとすぐわかる。
「あれは無謀だ。負けるならまだしも、あのままだと殺される」
レンは呻くようにそう言うと、急いで男たちと少年の間に割って入ろうとする。
しかしレンのその突撃は、ルクが彼の肩を掴んだことによって阻まれた。
「……もう手遅れだ」
ルクのその言葉に、レンは思わず怒りで声を荒げる。
「何を言ってやがる! 手遅れなんかじゃねぇ! まだ助けられる!!」
「いや、手遅れだよ。もう誰にも止められない」
ルクは盛大にため息を吐き、男たちと少年の間を指さす。
レンは訝しみながらもルクの指し示す方に目をやり、そして驚きの声を上げた。
「なっ!?」
ルクが指さした先、そこには先ほどまで隣りにいたはずの少女がいた。
金糸を思わせる長髪をなびかせ、その透き通るような瞳はどこまでもまっすぐに対峙している男たちを見つめている。
その姿は美しく、どこかの神話に出てくる女神のようであった。
「……いつの間に。というか、どうして?」
「マリーはああいう奴なんだ。困っている奴がいたり、理不尽なことがあると後先考えずに行動する。そのせいで俺がどれだけ面倒ごとに巻き込まれたと思ってるんだか。本当に困ったもんだよ」
本当に困ったようにルクはそう言うが、レンはそれに構っている余裕などない。
「多勢に無勢だ、強いあいつでもさすがにまずいだろ。どうにかして助けないと」
「はぁ、それなら問題ない。あそこの金髪野郎と大男は分からないが、他の奴らなら束になったってマリーには勝てやしない。それよりも、助けるならあの少年を助けてやれ」
「はぁぁ?」
レンはルクが何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間に理解した。
マリーは男たちから視線を外し少年の方へ笑顔で振り向くと、
ゴンッッッッッッ!!
少年の脳天に手加減抜きの強烈なゲンコツをお見舞いした。
そのまさかの出来事にレンは言葉を失い、ルクとレグロは乾いた笑いを漏らす。
少年はあまりの痛さに声も出せず、ただただ頭を押さえてうずくまり、結局レンとルクが駆け寄るまでそのままだった。
「おい、何してんだ!? お前はこの子を助けに入ったんじゃなかったのかよ!」
訳が分からないという風に、レンは少年とマリーの間に立つ。
しかしマリーはそのきれいな瞳を怒りで染め、レンのことなど意に介さず少年へと詰め寄り、胸倉を掴むと少年を無理やり立たせる。
少年はゲンコツの痛みで涙目ながらも、怯むことなくマリーの瞳を正面から受け止めていた。
「なにすんだよ! オレは今からあいつらをぶちのめすんだ! 邪魔すんな!!」
「あんたなんかがあいつらに勝てると思ってんの?」
「……くっ! そ、それでも、一人か二人ぐらいは道連れに……」
「ふざけんじゃないわよ!!」
マリーの突然の怒鳴り声に、少年は言葉を飲み込む。
「死んでいい戦いなんてないわ! そんな覚悟でここに立つんじゃないわよ!!」
それに少年は一瞬怯むも、負けじと声を張り上げる。
「じゃあどうしろって言うんだよ! 父さんと母さんを馬鹿にされて黙ってられるわけないだろ! 誇りを踏みにじられて黙ってろって言うのかよ!!」
「じゃああんたのお父さんとお母さんは、あんたが誇りとやらを守るために死んで喜ぶの!? 違うでしょ? 泣いて悲しむんじゃないの? そんな両親だから、あんたの誇りなんじゃないの?」
「そ、それは……」
マリーは静かに大きく息を吸うと、少年の目をまっすぐと見つめる。
「いい? 戦うってことは、例え誇りを傷つけられて、頭を踏みつけられ泥水をすすることになったとしても、生き抜くっていうことなの。その覚悟を持つってことなの。相打ち覚悟で死ぬってことはね、残された人に一生の後悔と罪を背負わせるってことなのよ。それは、本当に辛いことなの。だって、その後悔と罪だけは、誰も代わってあげることができないんだから」
マリーは俯く少年から一瞬目を離し、思わずその人を見てしまう。
そこには少し呆れたような、それでいて優しい笑顔を浮かべる彼がいた。
マリーは悲しそうに「くっ……」と小さく喉を鳴らし顔を背けると、少年の胸倉を引っ張り無理やりレンの胸へと押し込む。
「そこで見てなさい」
「えっ?」
少年が顔を上げたときには、すでにマリーは背中を見せ男たちに向かって歩き始めていた。
「あなたの親の誇りは私が守ってあげる。そして、本当の戦いというものを教えてあげるわ」
マリーはその美しい金髪をなびかせながら悠然と歩き、男たちの前に対峙した。