第七話 灰被りの青年
6000字程度です。
Ⅴ
ルク、レグロ、マリー、レンの四人は、レン行きつけの中町にある「黒兎亭」という酒場にいた。昼過ぎということもあり客はいなく、四人は窓際のテーブルに腰かけ、マリーが誰かさんのせいで食べ損ねた昼食を注文したところだった。
ちなみにあれほど食べていたルクもおやつというには多すぎる料理を注文済みである。
「改めて自己紹介した方がいいわよね。私はマリー。イリシス・マリーよ。隣に座っているこの眠そうなのがクォーター・ルク。そしてその相棒で可愛いのがレグロよ」
マリーが丁寧に一人ひとりを手で示しながら自己紹介をする。
レンは可愛いという表現に苦笑しつつも、訂正するようなことはしなかった。
「じゃあ次はオレだな。オレはレン。【灰被り】とかいう二つ名で呼ばれたりもするが、姓はない」
それにルクは、二つ名持ちかと小さく呟くが、レンはなぜか少し恥ずかしそうに笑う。
この世界において二つ名持ちは羨望の眼差しを向けられることが多い。
それは二つ名が一定の実力を持つ者に与えられるものだからである。
二つ名は一種の証明であり、傭兵や政府軍の兵士、術師に一般人に至るまでの誰もが二つ名がつくことを一つの目標としている。
喜んだり誇ったりする理由はあれど、レンのように笑う理由はない。
「これはある種の嫌味なのさ」
「嫌味?」
「ああ。オレの髪はこの通り銀色だろ? 実力も中町や裏町の一部では認められている。だけど、この町の人間にとって裏町出身の人間が活躍するのは面白くない話なのさ。だから、ほこりを被って銀髪が灰色になっているという嫌味だ。しょうもないだろ?」
レンは自傷気味に笑いながらそう言うと、心底うんざりした顔で椅子の背もたれに体を預ける。
「中町の住民は、この町では蔑まれ忌み嫌われてる。政府軍も例外じゃない。表町や中町の住民を助けてはくれても、裏町の人間を助けたりはしない。例えそれが死にかけの子どもだったとしても、だ。だからオレは仲間と一緒に自警団を作ったんだ」
レンがそこまで話したところで、注文していた料理がテーブルに運ばれてくる。
マリーは白身魚のソテーとサラダの二品だが、ルクは事前に食べていたとは思えない量。
テーブルは一瞬にして料理が乗せられた皿で埋まり、レンは先ほどまでの思いつめた顔から一変して呆れ顔になる。
「本当にそれを全部食べるのか?」
「もふぃろん(もちろん)」
ルクは目の前にあった麺料理を口いっぱいに頬張りながら器用に答える。今回は警戒する相手がいないため、レグロもルクの食べている料理を口いっぱいに詰め込んでいた。
その光景は、見た目は違えど兄弟さながらで、マリーは楽しそうに笑いながらナイフで小さくした魚料理を口に運ぶ。
そして、
「もしかして、レグロってルクの脳力で生み出しているのか?」
レンの思いもよらぬ言葉に、マリーは勢いよく食べたばかりの料理を噴き出した。
「ぶふっ! ど、ど、どうしてそれを!? というか、な、なんで……」
「なんで分かったのかって?」
驚きのあまりうまく喋れないマリーは、レンの言葉にブンブンと首を縦に振る。
「そりゃ、この量の料理を見れば自然にな」
レンは半ば呆れたようにそう言い、マリーはこれでバレるのかと頭を抱える。
脳力は基本的にある法則に則っていくつかの種類に分類される。ルクの脳力はそのどこにも属していないものであり、普通にしていれば脳力だと見破られることはまずない。
しかしどの脳力にも共通している事柄があった。
それが、エネルギーである。
脳力とは字のごとく、脳の力によってもたらされる現象である。
無脳力者、つまりは普通に生活している人間は脳の力を三十%も使っていないのに対し、脳力者はその二倍から三倍は使用していると言われている。
またそれは脳力者が脳力を使う際の現象からも説明できる。
脳力者と無能力者を見分ける方法は今のところ発見されていない。しかし唯一のものとして挙げられるのが、脳力発動の際に起こる、両目の発光である。
ものを見る際、人は光を眼球から受け取り、それを神経で微弱な電流として脳へと送る。しかし脳力者はその過剰なまでの脳の活動により、脳力を使用する際に電流が逆流してしまうのである。
それ故に、脳力者は脳力を発動させるとき、両目から淡い光を発すると言われている。
このことからもわかる通り、脳力とは無条件で与えられる現象ではなく、代償を必要とする行動なのである。
そしてルクはレグロを常に実体化させている状態であり、それは常に脳力を使い大量のエネルギーを消費しているのと同意義である。
そのため、一日に脳が消費するエネルギーは膨大なものとなり、結果としてルクはこのように大量の食事を取る必要があった。
これはいよいよ人前での食事を制限する必要があるかしらと頭を悩ませるマリーに、レンは心配いらないと一笑する。
「オレも脳力者で似たような経験があったから偶然気づけただけだ。普通の脳力者なら気づけないだろうよ。大方、変わった魔獣を手名付けたと思われるだけだろうさ」
実際、レグロに興味を持った商人や兵士に尋ねられた際はそのように言うよう、ルクとマリーは口裏を合わせていた。
ユーティフでは魔獣連れは珍しくなく、大きな街や市場ではペット代わりに魔獣が取引されている。もちろん喋る魔獣などいるはずもないため、そこはルクの脳力で話せるということにしているが。
マリーは一先ずその大きな胸を撫でおろすが、すぐさまレンに非難めいた視線を向ける。
「――あなた脳力者だったのね」
「まあな」
レンは悪びれた様子もなく、あっけらかんと答えた。
レンが脳力者だと知っていたら、あいつ――あの仮面の男と対峙したとき、できることはもっとあったはずだ。
脳力はそれら全てが必ずしも戦闘に特化しているとは限らない。しかしあのような状況、強者と対峙しなければならない状況では、どんなに些細で役に立ちそうもない道具であったとしても利用しなければならない。
これはマリーが師匠から稽古をつけてもらったとき、一番初めに言われた言葉だった。
現に、あそこでルクが降ってこなければ、あの後どちらが、どのようになっていたか分からない。
これらを全て承知の上で、レンは笑顔のまま肩をすくめる。
「しょうがなかったんだ。あの得体のしれない仮面男相手に、そうやすやすと手の内を晒すわけにはいかないだろ? 誤解してもらっちゃ困るが、オレの脳力は純粋な戦闘タイプだ。あの男とも互角程度には渡り合えるだろう。ただ、対策を立てられないほど強いものでもない。いつでも逃げられるあの状況じゃ、使う訳にもいかなかったんだ」
言っていることは理解できる。
脳力は一般人から見れば強大過ぎる力だ。しかし、絶対無敵の力ではない。エネルギーが枯渇すれば使うことはできなくなるし、脳力それぞれに弱点もある。また、限定的ではあるが術式によって一時的に脳力を封じることもできる。
脳力はそれを知らないものにとっては脅威となるが、知ってさえいれば対処のしようはいくらでもある。
ゆえに、脳力者は脳力を使うその瞬間まで、それらを隠しておくことがセオリーとされていた。
ルクはもちろん、術師のマリーでさえ知っている。
理解もできる。
しかし、
「むむむむむぅぅぅ」
納得はできない。
マリーはそのほっぺたをぷくーと膨らまし、下から覗き込むように避難の目をレンへと向ける。
その容姿はドングリを口いっぱいに入れたリスを彷彿とさせ、恐いというよりも可愛らしいの方が合っている。
マリーの本当の怒りを知っているルクは一瞬首を傾げるが、レグロに耳打ちされ納得がいく。
マリーは恥ずかしいのだ。
あの場にいた中で真剣だったのは自分だけで、レンは奥の手を隠し持っており、仮面の男も余裕があった。
もちろん、マリーが本気を出せばレンを含めた二人と互角以上に戦うことはできるだろうが、それでもあの中でただ一人本気で気をもんでいたと分かれば、それはマリーでなくとも恥ずかしい。
ほっぺを膨らませ続けるマリーにルクは一瞥くれると、仕方ないなとため息を吐き、
「よっと」
突然そのほっぺたを両手で押しつぶした。
「ぶふぅ!」
当然マリーは口いっぱいにためていた空気を盛大に噴き、可愛らしくけほけほとせき込む。
そして、
「ちょ、ちょっと何するの……ぐぶっ!」
ルクの方を向き文句を言おうとしたところで、マリーは彼によって魚のソテーを口に押し込まれた。
「んぐ!? んむぐぐ……」
喉を詰まらせ苦しそうにしているマリーに、レグロは呆れつつも水を渡す。
マリーはその水とともに口いっぱいの魚を流し込むと、今度こそルクに抗議する。
「何てことしてくれんの!? 死ぬかと思ったわよ!!」
「いや、ついね?」
「ついね?っじゃないわよ! 出来心で殺される気持ちにもなってみなさいよね!!」
「いや、悪かったよ。マリーにあのままいじけられると肝心の本題に行けなかったからさ」
本題?とマリーは首を傾げる。
この店にやってきたのは、あの裏路地で自己紹介をしようとしたマリーに、ここで会ったのも何かの縁とレンが中町を案内してくれることになり、その手始めに連れてこられただけの場所だ。
本題も何も、今はそこまで切迫した状況ではない。少なくともマリーはそう思っている。
しかしルクはそうではないらしい。
頭は寝ぐせだらけで瞳は今にも閉じてしまいそうな寝ぼけ眼、体も全身が脱力しきっており、一見いつものルクに見える。
だが、長年彼の傍にいたマリーにはわかる。
空気。
ルクの纏う空気が違うのだ。
いつもは春の木漏れ日のような暖かな空気を纏っているルクが、今はピンと張りつめ冷気にも似たそれを侍らせている。
今この場でルクにこれほどの警戒心を持たせる人物がいるとするならば、マリーは一人しか思いつかない。
ルクはマリーの考えを肯定するように、その一人――銀髪の青年【灰被り】のレンへとその眠たそうな瞳を向けた。
「あんたに聞きたいことがあるんだ」
レンは当然ルクの空気が変わった事に気づくことなく、笑顔を浮かべてどうぞと先を促す。
そしてルクは眠たそうな瞳をしたまま悪戯っぽく笑うと、
「どうして、あんたは俺達を尾行してたんだ?」
静かにそう言った。
その言葉に、レンだけでなく、思わずマリーも目を見張りルクの方を見やる。
「俺が気づいたのはマリーとはぐれてからだったが、たぶん表町から着いてきてたんだろ? よく思い返してみると、暗くて顔は確認できなかったが最初の酒場であんたと背格好が似た人がいたしな」
レンはルクの言葉に驚き、数舜考えたものの、次の瞬間には悪戯がばれた子どものような笑顔を浮かべた。
「ばれちまった、か。これでも尾行は得意だし、ばれない自信があったんだけどな。――どうして気づいた?」
「二人がはぐれたあと、しらみつぶしに探すのが面倒で……」
ルクはそこまで言うと、窓の外を指さす。
その指の先には、この町では知らないものはいない巨大な時計塔があった。
「あの塔の外壁をよじ登って探したんだ。そしたらあんたがマリー達を尾行してたってわけだ」
レンはルクの言ったことに呆れを通り越して唖然としてしまう。
それは誰もやらないような方法で尾行を見破られたからではない。
あの時計塔を上ったことに唖然としたのである。
タートタウンは、町と呼ばれる三つの区画からなっている。
その町と町の間をレンガで出来た巨大な壁が隔てており、二つの町を行き来するには決められた出入り口を通るしかない。それほど町と町を隔てている壁は巨大である。
しかし例の時計台はその隔たりの壁よりもはるかに高い。それこそ、タートタウンの外壁よりも高いのである。タートタウン内だけでなく、外からもその姿を見ることができる。
そしてなぜか、このまちの人間はあの時計塔を特別視していた。
タートタウン時計塔『断ち切りの鐘』
その時計台は高さが百メルト近くあり、このタートタウンで最も大きく最も古い建築物として知られていた。
しかしその他のことは全くと言っていいほど分かっていない。
一つ、この塔は誰が建て、誰が名付けたのか。
一つ、この塔には入り口らしきものはなく、そのため塔ができてから少なくとも数百年は修繕も整備もしていないのに、なぜ故障も崩壊もしないのか。
一つ、どうして一日に一度、朝日が昇る際にしか鐘が鳴らないのか。
このようにこの時計台については知らないことが多すぎる。
しかし不思議なことに、タートタウンでは破壊しようとしたりどのような仕掛けになっているのか調べようとする者は皆無で、逆に旅人など外部の人間が近づけないようまちの人間が協力して巡回までしていた。
このことからもわかる通り、このまちの住人にとってこの塔はなぜか特別なものである。
しかしその近づくことさえできないものに、この眠たそうな男はよじ登ったと言ったのだ。
レンはもともとこのまちの住人ではないせいかあの時計塔にも特別な思い入れはないが、もし時計塔が好きな信者モドキにバレでもしたら大変なことになる。
「……おい、誰にも見られなかっただろうな?」
「ああ、バレないように登ったからな。ただあんたを見つけた後にうっかり落っこちたけどね」
なんでもないというようにそう言うルク、それを聞いて爆笑するマリーとレグロ。
レンは開いた口が塞がらない。
―――あの塔、何十メルトあると思ってんだ!? あの塔から落ちて無事ってどんな体してんだよ! てか、なんで笑ってられるんだ!? 一歩間違ったら死んでたんだぞ? それに時計台の信者に見つかったら死ぬよりひどい目に遭わされるかもしれないんだ。こいつら分かってんのか!?
レンは自分が尾行していたということを棚に上げ、三人の様子から沸々と訳の分からない怒りが湧いてくる。
そして、
「お前らそこに直れ!!」
思いっきり怒鳴った。
ルクとマリーは背筋を伸ばし、レグロもルクの頭の上で正座する。
三人はそこからレンによる説教を小一時間ほど聞く羽目となった。