11、夢で
『朱雀』
『あっ』
ぼろぼろの着物を身に纏った女性が、ゆりかごのなかを覗きこむ。
『鈴、調子は?』
女性に似た若い女性、鈴はそっとうなずいた。
『大丈夫よ、お母さん。でも、それより……』
鈴が声を低める。
『戦争は大丈夫?お母さん、こんなにぼろぼろになっちゃって』
戦争が激しいこの時。ゆりかごの中の子を守るよう鈴は女性から言われていた。
『大丈夫よ』
安心させるように目尻を下げて女性は笑った。
『……私もお母さんのように力があって、働ければよかったのに。力になれたらよかったのに』
『ふふふ。私から朱雀の力を奪う気?いいのよ。あなたはこの子を守る役目があるのだし』
『でも……』
『いいの。この子が、百代目の朱雀が、安全で平和な土地で無事に成長出来るようにね』
『っ!!お母さん、それはっ!!』
悟った鈴の目が大きく見開かれる。女性は軽く頷いた。
『そうよ。あっちの世界、人間の世界にあなたたちを送るわ』
『どうしてっ、そんなっ!私、二度とここにこれなくなるかもしれないってことよ?』
『ええ。その方がいいわ』
『お母さん!』
鈴が女性に詰め寄ると、女性はゆりかごのなかの子の頬を撫でた。
『辛くなるでしょうから、記憶を消すわ。私やこっち側の世界の話を。貴女からも、この子からも』
『そんな……っ、嫌よ、お母さん!!』
鈴の目に涙が溢れる。
『その方が幸せなのよ。幸彦さんもあっちにいるのでしょう?そしたら、こんなところにいるより、あっちで家族三人で暮らした方がいいわ』
努めて明るく言う女性の目に暗い影がかかる。
『お母さん!!』
鈴が女性の肩を揺さぶった。
『私は嫌よ!!お母さんの記憶まで!!』
『大丈夫。うまい具合に私のことは書き換えておくから』
『お母さん!!お母さんは、辛くないのっ!?』
女性はそっと微笑むと、涙で濡れた鈴の頬を手で包み込んだ。
『辛いわ。とても。言葉に出来ないぐらい。でもね』
女性の微笑んだその目から、一筋の涙が頬を滑り落ちていった。
『……私にはあなたたちの幸せが一番だから』
『……お母さん』
女性はそっと鈴の耳元でなにかを囁いた。
その直後、鈴とゆりかごの中の子の体が鈍く光っる。
そして、その光と共に二人の姿が消えたのを見届けると、女性は頬を拳で拭った。
『………さあ、行きましょうか』
女性は小さく呟くと、顔を上げた。
そして女性は立ち上がり、足を踏み出した。
……この戦争に終止符を打つために。
「っ……」
短い夢を見た。それはきっと、私がゆりかごの中で見た記憶。
おばあちゃんは記憶を消したと夢の中で言っていたけど、消しきれていなくて、私の記憶が、少しだけ、残っていたのかもしれない。
「おばあちゃん……」
徐々に夢の内容がはっきりと分かってくる。私やお母さんの幸せを最後まで願い続けたおばあちゃんはいったい、どんな思いで櫻紗己を封印しにいったのだろう。
どんな思いで私たちを送り出したのだろう。
「朱雀ー?まだ起きてないなのー?土曜日だからって寝坊しちゃいけないわよー!」
明るい声に、私ははっとした。
「お、母さん」
お母さんは本当に覚えていないのかな、おばあちゃんのこと。
「朱雀?入るわよ?」
ドアが開いて、少し微笑んだお母さんが入ってくる。
「どうしたの、そんな複雑そうな顔して。寝起きが悪かった?」
「ううん……」
私は首を横にふった。
「……お母さん」
「ん?」
「お母さんは、おばあちゃんのこと、覚えてる?」
私が問うと、空間に静けさがはしった。
「………なにをいっているの。覚えているわ」
「っ!!覚えている、の?」
「当たり前じゃない。まあ、あなたは小さかったから記憶がないかもしれないけど。……んー、そうね、お母さんは……。優しい人だったわよ」
優しい人?
「優しいけど、気の弱い人で、いつも静かに微笑んでいる人だったわ。山を登るよりも御裁縫、走るよりも料理をするみたいなね」
え……。そんなの……っ。
「私の性格はお父さん似なのよね。だって、お母さんに似ていたら、こんなに……」
「そんなの……」
「え?」
「そんなの、そんなの、絶対におばあちゃんじゃない!!」
私は思わず叫んだ。
「おばあちゃんは、弱くなんかない!!誰よりも強くて、丈夫で、体を動かすことが大好きな人だった!!おばあちゃん、おばあちゃんは……っ」
「ちょ、まって、朱雀。なにをっ」
「だからおばあちゃんだよ!!おばあちゃんは、私たちのせいで……っ」
その時、私はあることを思い出した。
『辛くなるでしょうから、記憶を消すわ。私やこっち側の世界の話を。貴女からも、この子からも』
そうだよ。おばあちゃんは、記憶を消して……。
『私は嫌よ!!お母さんの記憶まで!!』
『大丈夫。うまい具合に私のことは書き換えておくから』
…………書き換えたんだ。
「……え、朱雀!?」
涙が、一筋、また一筋と流れていく。
「どうして……?」
「ううん、ちがくて……これは……っ」
なにも言えずに泣く私の頭を躊躇いながらもお母さんはそっと撫でた。
私はそんなお母さんに甘えて、声をあげて泣いた。
胸のなかに張りつくような苦しみが広がって、耐えきれなかった。
娘と孫の記憶をすり替え、 命を掲げて戦争を終わらせたおばあちゃんはどれだけ辛かったんだろう。
笑顔の裏でどれだけの苦しみや泣きたい気持ちを抱えていたんだろう。
「…………朱雀。そういえばね」
お母さんがそっと囁く。
「お母さん、朱雀の名前を決めるときは頑として譲らなかったの。なぜかしらね。でも、そのときだけお母さんが強く見えたわ。背中がシャキッとして、瞳が爛々と輝いて。『この子は私の希望の星、大切な大切な子。だから、どうか、大切に育ててあげて。そして、あなたも、ずっと幸せにね』って。なんだか、お別れの言葉見たいよね」
おばあちゃん……。
もしかして、記憶をそこだけ残したの……?
『この子は私の希望の星、大切な大切な子。だから、どうか大切に育ててあげて』
っ……。
希望の星、大切な大切な子……。
「……ああもうっ……。ほんっとに、おばあちゃんはっ……」
声にならない私の泣き声が部屋に響いた。




