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しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王  作者: たぴ岡
最終章「しいていうなら(略
238/240

回る

 斬り飛ばされた触手が宙を舞った


 勇者さんの姉、アテレシアさんには剣士として天才的な資質がある

 盗んだ技術を自分なりにアレンジする発想力があり

 また感情制御を“体質”ではなく“力”として扱うすべに長けていた


 しかし原種に挑むには早すぎた


 わずかに剣尖を落とし、大きく息を吐く


アリア姉「ふぅー……」


 アリア家の人間は、身体が動く限り自身最高のパフォーマンスを発揮できる


 ふつうの人間は、重労働をすればつらいと感じるだろう

 疲れた、休みたいと思う筈だ

 アリア家の人間はそれを意図的に無視できる

 つまり不随意筋をある程度までコントロールできた


 だから彼らの肉体は、自己のコンディションを正確に把握できない

 遊び疲れた幼子が急に眠気を訴えるように、とつぜん動かなくなる

 アテレシアさんが疲れたフリをしたのは、短期決戦は望めないと判断したからだ


 げに恐ろしきは空中回廊名物の原種――


 一筋縄ではいかない

 そして、それはアテレシアさんに対しても同じことが言えた


 半ばから寸断された触手を引っ込めた山腹アナザーが

 別の触手を体幹からにゅっと伸ばす

 地獄の底から響くような低い声音で呟いた


山腹「剣術使い……まつろわぬ民……」


 魔物のステータスは相対するものの退魔性に依存する

 相手が剣士というだけで制限は厳しくなる

 ……それだけではない


山腹「“知っている”な。戦い方を。……アトン・エウロか」


 数年前の出来事だ

 トンちゃんは旅の途中にふらっと立ち寄った原種と遭遇し

 これを打ち破ったことがある


 原種は毒持ちの上位個体という認識が根強い

 が、同じように戦っていては駄目なのだ

 端から削る。これが鉄則になる

 何故なら原種の場合、触手が攻守を兼ねているからだ


 トンちゃんが提出した報告書にはそう書かれている

 原種の攻略法――


 だが、それは一般兵の視点が著しく欠けたものだった

 高速で迫る触手を人間が肉眼で捉えるのは無理だ

 下手にトンちゃんの真似をしようとすれば無用な犠牲を招く

 そのように判断されて、トンちゃんの報告書は当たり障りのない内容に書き換えられたし

 トンちゃん本人も納得していた


 それなのに、かつてトンちゃんがそうしたように

 アテレシアさんは触手を優先的に叩いていた

 他の戦法を試そうとする素振りもない

 情報の漏えいがあったと見るべきだった


 つまりトンちゃんは、彼女なら自分と同じことができると考えたということだ


アリア姉「…………」


 アテレシアは答えない

 答える意味がなかった

 二人は戦っている

 互いに互いを自分の獲物と見なしている


アリア姉「チ、チ、チ――」


 小さく舌打ちを繰り返し、剣尖を揺らす

 踏み込むタイミングを図っているのか?

 いや、そうではない

 

 これは奥義だ


 似たような技を見たことがある

 剣術使いは人前で術理を晒すことを嫌うが

 これでお別れになる魔物に対しては割と気軽に奥義を打ってくれる


アリア姉「チ、チ、チぃー……」


 アテレシアのこれは、拍子を踏んで自分のリズムを相手に刻み込んだ上で

 ここぞという場面で裏切るという遣り口だ

 人間ならば、そうとわかっていても騙される


 問題は、準備が整うまで攻撃が単調になるということ

 元々は守勢に長けた流派の秘術だ


 ――だが、お前はそうではないだろう……?


 山腹のんは笑った

 人間から見て口に該当するだろう箇所――

 お腹の辺りを大きく開閉し、真っ青な大振りの牙を覗かせる

 

山腹「面白いぞ、ニンゲン……。お前がどれほどの引き出しを持っているのか。試してみようか……」


 魔法の遺伝子――魔導配列を遡っていくと、あらゆる魔物は共通した祖先を持つ

 万能細胞のようなものがあり

 その特色をもっとも色濃く受け継いだ直系の子孫がポーラ属だった


 乱暴な言い方をしてしまえば

 緑のひとや大きいひとといった巨大な王種の正体は

 変形したポーラ属なのだ

 

 アテレシアは天才剣士だ

 天才と称されるだけの理由がある

 それは、見たことも聞いたこともない他流派の奥義に自力で辿りつけるという点


 子々孫々に伝えられてきた剣術使いの技は

 それゆえに体系化され現在に至っている

 基礎的な技術が、そのまま奥義を打つための身体作りを兼ねていることも珍しくない


 だからアテレシアは、さわりの部分を目にしただけで他流派を真似し、工夫し、加工できる

 それは、歴代のアリア家が不要と断じやらなかったこと

 あるいはやれなかったことだ


 むろん完成度は本家本元には及ばない

 だが奥義の本質にあるものは初見殺しだ


 自分にしかできないこと、自分だからできること

 それらを追求した結果、奇をてらったものになる


 信じたい

 己の歩んできた道のりが誤りではなかったと

 否定させはしない

 その願いが奥義を生み出した……


 アテレシア・アジェステ・アリアという人間は

 彼女は

 いったい

 なんのために

 生きるのか


山腹「ディ! レイ!」


 触手が奔る

 魔法の起点は幾つあってもいい


 ――障害物競走だ!


 剣士の弱点。魔法に対して強靭である一方、鈍感でもある

 魔法の存在を拒絶する人間は、不可視の力場を感知できない


 しかし探せば

 ヒントは常にある


 この場合は大気の流れだ

 堰き止められた気流に彼女は気付くか?

 ――気付く

 彼女はアリア家の人間だ

 感情制御という異能に寄生された人間だ


 生命の危機に直結する筈の戦闘を厭わない

 目を覆うような光景からも決して目を逸らさない


 一つの目標に向かってまい進できるから

 極めて優秀である反面、他に生き方を知らない


 寄り道をしない。無駄がない

 それは果たして恵まれていると言えるのか


アリア姉「チ! チ! チ!」


 剣士は魔法を踏み荒らし

 魔物へと刃を滑らせる

 断層に沿うように

 駆ける足は低く鋭い


 剣の柄を握る手は場違いに優しく

 戦士と言うには幼く見える細い指が

 

 ――ああ、姉妹なんだな、と


 勇者さんが子狸へと突きつけた指を見て、この王都さんはそう思った……


 アテレシアさんは山腹アナザーに任せよう

 剣士の近くにいるとなんだか切なくなる

 お前らが時間を掛けてじっくりと退魔性を煮崩した勇者さんはそうでもない

 つまり剣術使いとしては再起不能なのだった


 剣士としても魔法使いとしても半端な勇者さん

 いったんは子狸さんの作戦を支持したかのように見えたが……?


勇者「ただし」


 本当に子供みたいな手をしている

 なまじ身体だけ成長しているぶん余計にそう感じるのだ


 アリア家の人間はろくに素振りもしないから

 真剣を用いた戦闘直後は手が紅葉みたいに赤くなる


 手が痛いから連戦は無理という奇跡的な我がままを

 おれたちの子狸さんは聞き遂げねばならない立場にあった

 それがパーティーというものである


 子狸さんは勇者さんの丸い指先を注視してから

 お構いなしにきびすを返した

 勇者さんの発言を無視したわけではない

 見ることと聞くことを同時に行うことが難しい状況下にある


子狸「よし。まずはおれが突っ込む。お前らあとに――」


 続け、と言い掛けた子狸のマフラーを勇者さんが強めに引っ張った

 久しぶりにシュナイダーした子狸さんを

 巫女さんとノっちは物悲しそうに見つめている


 すかさず回り込んだ勇者さんが、子狸の鼻先に指を突きつける


勇者「た、だ、し」


 言って聞かせるように繰り返した


 子狸さんは首をさすりながら勇者さんを見上げる


子狸「……聞こうか」


 その態度に勇者さんは何か思うところがあったようだが

 この場は置いておくことにしたらしい

 傲然と子狸を見下し、言った


勇者「あなたはわたしに負けたのだから、わたしの言うことを何でも一つ聞くの。そうでしょ?」


 そのような約束はしていない


 だが子狸さんはひるまなかった


子狸「いいだろう。約束は守る。そういうものだからな……」


 なんだかさいきん勇者さんに対して偉そうな子狸である

 いつの頃からか、気付けば年長者ぶる発言が目立つようになってきた

 が……どちらかと言えばこれが素の口調である


 勇者さんは、もはや子狸に敬語で話せとは言わなかった

 この小さきポンポコがおれたちの管理人である

 管理人という立場を人間たちが知る既存の概念に当てはめたなら

 魔王という呼び方がいちばん近い


 王国という一国の重鎮、大貴族の子女である勇者さんと

 魔物たちの王である子狸さん

 どちらが偉いかと言えば、これは子狸さんのほうだろう

 むしろ敬語で話すべきなのは勇者さんのほうなのだ


 そのことに、彼女は気が付いていない振りをした

 従順とは口が裂けても言えないが、傾聴する態度を示した子狸に満足そうに肯く


勇者「よろしい」


 さて……

 勇者さんには何か考えがあるらしいが

 おれたちの子狸さんを使う以上、失敗されてしまっては困る

 子狸投下作戦の遂行率は100%だ


 状況を整理しておこう

 まず言い争っている青狸さんとアザラシとよく似たひとだが……

 早急に仲違いを止めるべきだ


 山腹のんの家の奥には何か得体の知れない存在がいる

 お屋形さまの行動から、その人物は子供であり

 また“扉”を越えて外界に干渉するだけの桁外れの技量を持っていることが判明している

 これは存在しない魔法の線が濃厚だ


 魔法の原則を作ったのは“人間”であり

 そこには魔物を出し抜くためのルールが幾つか含まれている

 魔物は勝敗には拘らないため、その隙を突いた形だ


 むしろ人間に適度に勝ってもらったほうが

 魔法を使わせるという目的には合致する

 

 扉の奥にいるのは

 おそらく数えきれないほどある世界でも最高レベルの資質を持つ魔法使いだろう

 そして、おれたちは天才を生み出す異能に一つ心当たりがある

 感情制御だ


 内部で完結するタイプの異能は

 安定しているがゆえに極めて高い確率で遺伝する


 異能と魔法

 この二つが共存する条件の一つが、最上級の資質だ

 その“資質”には、これからその人物が歩むであろう人生も含まれる

 これはトンちゃんで証明された事柄だ


 本人が望む望まないに関わらず

 戦いへと駆り立てられるだけの力を持ち

 万難を排し守るべきものを持つ

 逃れようもない闘争の宿命が最高位の異能を召喚した


 平穏無事な人生など望みようもなく――

 だから未来の子狸さんは、その宿命に抗おうとしたのだろう

 おれたちの子狸さんは、ハッピーエンドへと辿りつくために時間の壁を越えた


 おれたちに託された最後の希望が

 扉の奥にいる完成された魔法使いだ

 

 恵まれた資質を活かせるだけの……魔導配列を生まれ持っている

 彼(あるいは彼女)は北海世界の人間だ


 動力兵が、戦闘向きの連結魔法ではなく誘導魔法に固執する以上

 彼らに連結魔法は使えないと見るべきだった


 魔導配列、すなわち生まれ持った魔法の形式は

 自世界の法典を書き換えることでしか変更されないのだろう


 以上のことから山腹のんの家の奥にある“子供部屋”で眠っているのは

 北海世界の人間である可能性が非常に高い


 また特定の人間を守ろうとする意思が見られることから

 その出自にもおおよその推測は成り立つ

 

 とはいえ確固たる証拠もないことですし

 そのあたりは自分で考えてもらいたいですね

 子狸さんじゃあるまいし。ぽよよん


勇者「…………」


 勇者さんは振り返ってワドマトを見た


子狸「!」


 その隙を突いて子狸が駆け出す


巫女「逃げる!」


 巫女さんが先読みした


神父「!」


 だがノっちの読みは更にその上を行く


 先行して子狸の前に飛び出すと

 素早く腰を落として両手を組み合わせた


神父「来い!」


子狸「おう!」


 組んだ両手に子狸が後ろ足を乗せる

 二匹の呼吸はぴったりだ

 子狸が跳躍した

 

 完璧なコンビネーションであったが

 ただ一つ残念な点を挙げるとすれば

 そこに越えるべき壁がなかったことだろう


 華麗に着地を決めた子狸にノっちが駆け寄る

 二匹は肩を叩き合って互いの健闘を褒め称えた


子狸「いまのは完璧だった」


神父「うん。いざというときはこれでいけるな」


 そのいざというときが“いま”であれば良かった

 また無意味な行動を、とお前らは思うかもしれない

 だが真に必要に迫られたとき

 練習もしたことがないのにうまく行く保証などというものはない


 限りなく本番に近い“いま”だから試せることもある――


勇者「…………」


 無言で子狸の背後に立った勇者さんが

 二匹の喉元に黒刃を這わせた


 ゲートを介した宝剣の遠隔操作だ


 勇者さんは、魔王を打ち倒したことで

 光と闇、双方を兼ね備える……

 本来あるべき形の真なる聖剣の所持者となった


 周囲に散った黒点が脈打つかのようだ


巫女「おお……」


 ほとんど魔物じみた所業に巫女さんが感嘆の声を上げた


 命運を握られた二匹は、しかし動じない


子狸「このおれの背後を取るとは……」


神父「……多少は腕を上げたようですね」


 ノっちは子狸と一緒にいると気が大きくなる


 勇者さんは順に二匹の頭を叩いてから


勇者「わたしの言うことを何でも三つ聞いてもらう。ここまではいいわね?」


 さり気なく要求のハードルを上げた

 骨の髄まで子狸を利用するつもりだ

 そうした図々しさが勇者さんにはあった

 これは出会った当初から変わらない、彼女の生まれ持った気質によるものだろう


子狸「お手柔らかに頼むぜ?」


 さしたる理由もなく承諾するのは子狸さんの数少ない短所だ


 困っているひとには無償で前足を差し伸べようとするから

 やって良いことと悪いことの区別もあいまいになる

 イイ感じの台詞を吐いたものに、子狸さんは尻尾を振ってついていく


勇者「……この世界のために、わたしたちができることを」


 勇者さんはイイ感じの台詞を吐いた


子狸「話を聞こうか」


 子狸さんが食いついた


勇者「だから、これは命令ではなくお願い。それでも?」


 この期に及んで勇者さんは子狸への命令権を温存しようとしている


 重要なのは

 ……本当に重要なのは、勇者さんの勝利が彼女だけのものではないということだ

 彼女は勇者だった

 数々の強敵が勇者さんを強くした

 ならば、このおれたちにも子狸さんの肩叩き券を手にする権利はある筈だった


 何もかもがあいまいなこの世の中で

 それだけが、たった一つの真実であるかのようだった


 勇者さんが呆然とする


勇者「肩叩き券……。いえ、悪くはない……少なくとも身動きを封じることはできる……」


 まだこきゅーとすに不慣れな彼女だったから

 書き込みと対話の使い分けには難があった


 だから思わず呟いてしまった“お願い”に

 こきゅーとす熟練者の子狸さんが過敏な反応を示した


子狸「!……おれを蚊帳の外に置くつもりか……? お嬢、君はまだそんなことを――」


 慣れない内はまだいい

 しかしバウマフ家の人間は、熟達するに従ってお前らの指令を無視しはじめる

 意識の端っこでお前らが内輪もめをはじめるから、緊急性はないと見切りをつけられるのだ


 ※ それはおれらの所為なの?

  ※ ちがうと思うよ。王都のんはさ~、ちょくちょく嘘を吐くでしょ

   ※ とくに人間の心情についてはかなりの大嘘を吐くよね


 ※ それを信じた子狸さんが痛い目を見るじゃん?

  ※ そんなことを繰り返すから信頼を失うんだよ


 ※ むしろ子狸さん自身はお前の言うことを信じるんだけど

   無意識の領域で信じちゃ駄目っていうのが刷り込まれるんだよ


 ※ バウマフ家、暴走の謎が解けたな……

  ※ まさかだね

   ※ ああ。まさかの自業自得だよ


 こきゅーとすは、おれたちが概念を共有する場として働いていた――

 世間話の一つ一つが、異世界人の目を欺く罠であり

 かつお前らの意思を統一するための旗印であった……


 ※ なんでもかんでもその理屈が通ると思うな

  ※ 王都のんが保身に走ったことを、おれは生涯忘れないだろう

   ※ あと不幸を共有しようとするのはやめてほしい

  

 ※ お前、王都のん……今だから言うが

   勇者一行が魔都に突入してたとき

   鍵穴にねじ込まれるポーラ属さんたちを見て、すごく悪い顔してましたよね?

   匿名希望のおれですが。青いひとたちが可哀相だと思いました


 ※ 同じく匿名希望のおれですが

   鍵穴にねじ込まれた海底のひとを見て

   逃げ出したかまくらのひとも断罪されて然るべきではないかと


 ※ その理屈で言うと、山腹のひとがいちばん可哀相だよね

   開かね―ってわかってるのにねじ込まれて

   その挙句が宝剣の初期不良だよ

   あれはひどかった……


 ※ いや、本当にびっくりしたわ

   まさか聖剣がおれらを鍵穴にねじ込むために作り出されたものだとは……


 そんなわけねーだろ!

 なんでもかんでもおれの所為にするな

 第一、宝剣を無駄に増殖したのはお前らのアナザーじゃねーか


 言っとくけど、宝剣が六つあるとかいう設定はぎりぎりだぞ

 大半を子狸に押し付けられたから良かったものの

 お前らがまた適当なことを言い出して勇者が六人とかなってたら目も当てられない結末になってた


 もうね。言わせてもらうわ

 けっきょくお前らは誰一人としておれのステージに辿りついてなかった


 勇者は同じ時代に二人以上いたら駄目なんだよ

 希少性が薄れるからな

 

 勇者の本質はアイドルだよ

 弱くてもいいんだ

 どれだけ多くの人間に認められるか、この一点に尽きる


 北海世界の連中は勇者さんを特別視するだろう

 それは、彼女がこの世界で唯一無二の存在だからだよ


 おれの言っている意味がわかるな?

 おれは、お前らに花道を用意したつもりだ

 お前らには勇者さんをマネージメントして一流のアイドルに仕立て上げる義務がある!


 それは、管理人の近衛を務めるおれにはできない仕事なんだ……


 ※ ……ついにおれたちも芸能界入りか

  ※ 嫌だよ。おれ、家でごろごろしてたい

   ※ ……間をとって子狸さんにマネージャーをさせるのはどうか?


 ※ 黄色い声援を一身に浴びるのは悪くないと思う

  ※ おれ、うまく踊れるかな……

   ※ ちょっと待て。亜光速で決をとる


 …………


 ※ …………


 ※ ……どうやらおれたちは王都のんを誤解していたようだな


 気にするな。わかってくれればいいんだ


 勇者さんの進退についての結論は出た


 子狸は言った――


子狸「……言った筈だ。芸能界は甘くないぞ」


巫女「また訳のわからないことを……」


 ときとして子狸さんの発言は時空を越える


 数年先を見越した子狸の意見に

 勇者さんはめまいを堪えるように、まぶたをもんでいる


勇者「……わたしは、まず何よりも先に――」 


 青狸の手前、勇者さんの秘策は伏せるとしよう


 伝統ある子狸投下作戦の概要は

 とりあえず子狸を放り込めば何とかなるだろうというものだ


 その細部のディティールに勇者さんはこだわりを見せた

 さして難しい話ではなかった

 目的を一つに絞る

 要約すれば、勇者さんの作戦はそうした意図によるものだった


 説明を終えた勇者さんが子狸に確認をとる


勇者「わかった?」


子狸「うん? うん」


 子狸さんは十全に理解したようだ

 小刻みに頷いてから首を傾げるという高度なパフォーマンスを披露する子狸に

 勇者さんは大きな期待を寄せる


勇者「わからなくてもいいわ。たまに思い出してくれれば」


 そう言って、勇者さんは子狸の肩を叩いた


勇者「行きなさい」


 頷いた子狸が勇者さんに背を向ける

 背を向けたまま、前足を差し伸べた


子狸「行こう」


 差し伸べられた前足に、勇者さんの瞳が揺れる

 未練を断ち切るように、ちいさく首を振った


勇者「わたしは行かない」


 その声は弱々しい

 説明するのが二度目だったからだ


勇者「わたしは、これ以上この戦いには関わらないと決めたの」


 異世界人の干渉が、結果的に共和国の滅亡という悲劇を招いた

 だから勇者さんは、五人姉妹を日常に帰してあげたかった

 そのためには自分がここに残ったほうがいい

 

子狸「お嬢……?」


 一緒に来ないのかと戸惑う子狸に

 勇者さんは懐かしそうに言う


勇者「色々とあったけど……あなたを拾って良かった」


 子狸が居なければどうなっていただろうかと彼女は思う

 たぶん何も問題はなかった

 むしろ順調に進んだと断言できる


 それでも……


勇者「わたしの言うことをぜんぜん聞かなかったけど……リクエストにも応えてくれないし……威勢のいいことを言う割にはあっさりと負けるし……すぐ面倒事に巻き込まれるし……」


 勇者さんは締めに入っている

 しかし肯定的な要素を探せば探すほど愚痴しか出てこなかった

 何かある筈だ

 がんばれ


勇者「たまに厭らしい目で見てくるけど……お遣いを頼んだら帰って来なくて……コニタたちを甘やかすのはやめなさいと何度も言ったのに……堂々と差し入れされてどうしたらいいのかわからなくて……」


 こら。子狸さん活躍しただろ

 具体的には思いつかないけど……

 ほら、あれだよ! あれ!


勇者「…………」


 旅の思い出を振り返っているうちに感極まったのだろう

 勇者さんはいったん口をつぐみ

 それから蕾が花開くように微笑んだ


勇者「……行ってらっしゃい」


 勇者さんは笑えるようになった

 そのことが子狸さんは嬉しかった

 それでいいのだと頷く


子狸「行ってくる」


 結局のところ疑問は解消されなかったけど

 なんだかそういう流れになったので

 もう子狸は迷わなかった

 前を向く


そして最後に……子狸は言った

振り返りはしなかった


子狸「お嬢」


勇者「なに」


子狸「ユニ」


巫女「なんぞ」


子狸「ノっち」


神父「……ん?」


三者三様の返事に

子狸は夜空を仰いだ

星がきれいな夜だった


子狸「おれが……ここに何をしに来たのかわからないと言ったら……驚くか?」


三人は互いに顔を見合わせてから、ゆっくりと首を振った

いつもの子狸さんだったからだ


子狸「……そうか」


子狸は微苦笑し……

キッと鋭い眼差しを前方へと投げる

 

 最大開放の子狸を縛るものは何もない

 行こうと思えばどこにでも行けるし

 なんにでもなれた


 ただ、光速を突破すると子狸アナザーが生まれる

 そのリスクを子狸さんは避けた

 自分が何を考えているのかわからなかったし

 そもそも何をしにここに来たのかわからなかったからだ


 空間を折り畳んで彼我の距離を一息に詰める

 踏み出した後ろ足の下には

 偶然にもバナナの皮があった


 ――何故こんなところに!?


 勢い余った子狸さんがダイナミックに宙を舞う


お前ら「ぽ、ポンポコさーん!」


 一斉に振り返ったお前らが驚愕に目を見張った


 誰しもが呼吸することさえ忘れて、跳ね上がった子狸さんを見つめる


仮にお前らならば、もんどり打って笑いをとっただろう

だがシリアスモードの子狸さんは一味ちがった


子狸「ぬうっ……!」


空中で器用に身をひねって着地する


子狸「お!お!おっ」


雄々しく吠えて、地を蹴った

放射状にひび割れた地面を置き去りに、一気に加速する


霊気がみなぎる


運命の境界線を踏み越えたとき、過度属性の発動条件は満たされる

運命の境界線とは、すなわちそれっぽい雰囲気だ


 バナナの皮という避けては通れない障害を乗り越えた今

 子狸さんの行く手を遮るものは何もなかった


 ――しかし少し遅かった


 前足を振り上げた青狸さんに――

 笑みを深めたワドマトが叫んだ


海獣「アン! 少し遊んであげなさい!」


青狸「ッ……」


 転移してきた人影が、青狸の前足を手のひらで受け止めた

 魔法動力兵は設計者の命令に従う

 例外があるとすれば、それは“人間”の生命が危機に陥った場合だ

 

 アンと呼ばれた動力兵は、仮面を身につけている

 この世界の人間を模したその姿――

 体格から言って少女のものだ


 弾けるように後退した青狸の背後から、別の動力兵たちが襲い掛かる

 圧縮弾の無限機構は彼らを足止めすることには成功したが完全ではなかった


 動力兵たちは、あるじの危機を見過ごさない

 彼らにミスがあるとすれば、魔物たちもそうなのだと考えなかったことだ


 どさくさに紛れて姿を消していた黒妖精さんが

 ワドマト目がけて急降下する


コアラ「しね! 異世界人!」


 しかしそう来るだろうと読んでいた勇者さんのほうが一手早い

 彼女は実直な審判のようにカードを取り出し掲げた。叫ぶ


勇者「“片羽(ファルシオン)”!」


子狸さんそっちのけで羽のひととイチャイチャしていた勇者さんの

スペシャルカードがこれだ


 ファルシオンのカードは、一時的に審判を味方につける効果を持つ

 この場における審判とは羽のひとのことであり――

 黒妖精さんはその完全コピーだ

 

コアラ「ぎっ……!」


 正直、黒妖精さんに効くかどうかは賭けだった

 その賭けに勇者さんは勝った


いや、まだだ

ずっと言葉にはできなかった、理不尽への問いがある


勇者「仇、仇と……!」


燦然ときらめく光輝剣を、勇者さんが高々と掲げた

両手でしっかりと握り、全身の力を込めて地に突き立てた


勇者「生きてる!からぁーっ!」


勇者さん渾身のツッコミ!


瓦礫に身を潜めていた庭園アナザーが

触手に絡めた真紅の魔剣を突き出した


庭園「しィッ…….!」


完全な不意打ちだった


いったい誰が予見し得ただろう?

生きていたのだ!

魔軍元帥は生きていた……!


刺客へと身をやつした庭園のんが

死の淵へと挑んで掴み取った好機!


黒妖精さんの好意を逆手にとるような

それは見事な死んだ振りであった


折檻は必至……

晩ごはん抜きは確定を通り越して義務ですらある

それほどまでの覚悟!


狙い澄ました鎮魂の狙撃は……


しかし皮肉にも、生涯を尽くすと誓ったあるじの剣に遮られる

ゲートを越えて降り注いだ闇の宝剣が、急角度で跳ね上がった火の宝剣を弾き飛ばした


勇者「邪魔はさせない」


直後、幾つかの出来事が重なった


庭園「勇、者……!」


タイミングは完璧だった

ならば読まれていたということだ

最後の最後に自分を上回った勇者を、庭園のんは弾かれたように振り返る


涙が散った


高速で飛びついてきたパートナーを支えるだけの自重が今の庭園のんにはなかった

空中コンボさながら巻き上げられる


庭園「かはぁっ……!」


霊気の外殻をまとった子狸さんが何故か青狸に突進した


子狸「そぉいっ!」


すくい上げるような前足の一撃は重く鋭い


青狸「ぬうっ……!」


かろうじて押さえ込んだ青狸さんが衝撃を利用して飛び退いた


そのことが、結果的に仮面の動力兵に標的を見失わせた


伸ばした片手が所在をなくして、とりあえず手頃な子狸を掴んだ

華奢な細腕からは想像だにしない怪力だ

じゃれつく子猫がそうなるように、子狸さんはいともたやすく巻き込まれて半回転した


華麗な前回り受け身を披露した子狸が、地べたに寝そべったまま、自分を投げ飛ばした相手はいったん置いておき……驚愕に目を見張った


子狸「お前が、未来の……おれだと言うのか」


青狸「…………」


青狸さんは答えない

微妙に子狸から横にスライドした視線が、あたかもこのおれを弾劾するかのようだった


ふらりと立ち上がろうとする子狸の前足を、すかさず仮面の動力兵がホールドした

小さなポンポコが面白いくらいころころと宙を舞う


前足ひしぎ十字固めを極められながら、子狸は言った……


子狸「そっくりじゃないか。父さんと」


子狸さんは、大きくなるとお屋形さまみたいになるらしい


かくして、子狸情報はきれいにループしたのである……







 


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