希望
青狸は白熱しているようだが……
もう好きにさせたらいいんじゃないか?
移住したいと言うなら勝手にすればいい
北海世界の人間がいれば
動力兵たちは大規模な戦闘を避ける
おれたちはじゅうぶん義理を果たしたと言えよう
あとは“人間”同士の問題だ……
木のひとに群がるお前らは
すでに異世界人への興味を失っていた
青狸さんがワドマトと口喧嘩をしている頃
おれたちの子狸さんは残念な人々に囲まれていた
勇者「放っておいて良いの?」
勇者さんはマフラーの端を握っていると落ち着くらしい
王種の巨体は遠目にもそれと判別できる
木のひとの枝にとまった火のひとが上機嫌にさえずっていた
世界広しといえど火のひとが心より羽を休めることができるのはあそこしかない
あの赤いのの社会復帰は近いかもしれない
子狸は勇者さんの問い掛けを無視した
いや、意図的にそうしたわけではない
馴れ馴れしく肩に腕を回してくる連合国の(現)司祭が鬱陶しかったのだ
神父「どうなってる? あれは僕が知る魔物とは違うぞ……」
小声で囁いてくる子鼠を、子狸さんは前足で丁重に押し退けた
熟慮してから目線を伏せて呟く
子狸「……知らないほうがいいこともある」
バウマフ家の人間が持つ知識は
その多くが人前に晒せる性質のものではない
だから境界線を引いた
それなのに巫女さんは見透かしたようにこう言う
巫女「……説明できるほど理解してないだけじゃないの?」
彼女の胸中は複雑だ
勇者さんが提唱した子狸=魔王説を信じるならば
子狸はずっと巫女さんに嘘を吐いていたことになる
しかし不思議と腹は立たなかった
今になって思い返してみると、ときおり自白めいたことを口にしていたからだ
子狸さんの人徳のなせる業である
連合国の(現)司祭と豊穣の巫女は互いに面識がある
新手の幽霊のように長い袖をふらふらさせている巫女さんに
子鼠は険しい目を向ける
神父「……王国の魔女」
すると巫女さんは何故か子狸に耳打ちした
巫女「……神父だ。神父がいるよ」
子狸「お前、ノっちと喧嘩しちゃだめだぞ」
巫女「お前って言うな。喧嘩ぁ? しないよ、そんなの」
そう言って巫女さんはにたりと笑った
巫女「負ける気、しないし」
神父「……おい」
若くして二つの称号名を持つ少年騎士は
連合国が用意した管理人の案内役だ
おそらくは魔王軍と連合国の橋渡しを期待されている
将を欲するなら馬を射るように
お前らと仲良くしたい連合国は
まず管理人を懐柔しようとする
その目論見は今のところうまく行っているようだ
博愛主義の子狸さんが特定の個人をぞんざいに扱うことは珍しい
いかなる形であろうとも
この子鼠が子狸にとって一定の影響力を持つとくべつな存在であることは認めねばなるまい……
子狸と行動を共にすることが多いノっちであるから
あちこちで問題を起こす巫女さんと何度か遭遇したことがある
そうして、通りすがりの子狸とセットで事件に巻き込まれるのだ
巫女さんが連合国の(現)司祭を神父と呼ぶのは
ノっちが身分を隠して接してきたからだった
無自覚に厄介事を引き寄せる巫女さんは
ノっちにとって疫病神のようなものだ
自然と身構えてしまう
それとは対照的に巫女さんの態度は朗らかなものだった
彼女は決して馬鹿ではない
ノっちが身分を隠していることに勘付いていたし
その身分は相当な位にあると睨んでいた
権力者が近くにいるとラクだ
たいていのことは角が取れて丸く収まる
だから巫女さんにとってこの子鼠は幸運の象徴みたいなものだった
にこにこ、にこにこと
巫女さんは気安げにノっちの肩を叩く
巫女「なんだよ~。この組み合わせ、嫌な予感しかしないなぁ。ハッハッハ」
神父「……嫌な予感も何も現在進行形で一つの都市が壊滅したでしょう」
ふだんノっちは敬語で話す
それなのに子狸さんに対してタメ口なのは幼い頃から交流があったからだ
気取って低い声色で笑う巫女さんの手をノっちは嫌そうに払いのけようとする
しかし離さないぞと言わんばかりにがっちりと肩を掴んだ巫女さんの手はびくともしなかった
その遣り取りを目にして、勇者さんはなんとなく二人の間柄を察したようだ
そこには利用するものと利用されるものの格差があった
バウマフ家の人間は変人に好かれやすい
切っても切れない縁が
まるで運命のように駄目人間たち導き
そして今、一つの輪を紡ぐかのようだった
当事者の一人である勇者さんが他人事のように二人と一匹を眺めている
勇者「類は友を呼ぶ、ね」
付き従う五人姉妹がしかりと頷いた
狐娘「残念オーラがひどい」
子狸「…………」
子狸さんは残酷な事実を口にはしなかった
その目に宿るのは憐憫の情だ
すかさず勇者さんが噛みついた
勇者「なに」
子狸「いや……」
子狸さんは気まずそうに視線を逸らした
その態度に勇者さんは何か言い掛けたが
すぐに思い直して口をつぐんだ
耳の毛並みを整えながら少し考える
自分の立ち位置を決めておきたかった
誘導魔法は有用な魔法だ
連結魔法のように術者本人があれこれとするには不向きだが
魔物とほとんど同等の力を持つ魔法動力兵を成形できる
これは大きい
もちろん良いことばかりではない
その便利な動力兵が敵に回る可能性もある
だがこの世界には魔物がいる
総合的に見て、魔物たちは動力兵の格上の存在ということになるらしい
これは北海世界の人間を招き入れるリスクをある程度までは無視できるということだ
勇者「…………」
しかし彼女は勇者だった
異世界の人間が“魔物ではない”以上、彼女の立場を揺るがす存在ではない
勇者とは“魔物に勝利することを期待される人間”である
つまり裏を返せば、魔物が居る限り、勇者さんは安泰なのだ
だから実のところ、異世界人が居ようと居まいと、勇者さんにはあまり関係がない
旅をはじめた頃、彼女は一人だった
宝剣を託されて、いったい自分に何が出来るのかと思った
それが自身の身勝手な思いから来るものだと
心のどこかで自覚していたから
他者に頼ってはいけないという気持ちがあった
幸運に恵まれることはないのだと決めつけていた一人の少女が
そうではないのだと徐々に考えを改め――
仲間に頼ってもいいのだと
ついには怠けることを覚えた
そして、今――
勇者さんは子狸を見つめて言った
勇者「あなたは、わたしに負けた。そうよね?」
子狸「……?」
とつぜんの勝利宣言に子狸さんは首を傾げた
忘れたわけではない
勇者さんの真意を量りかねたのだ
※ いや、忘れてるんじゃねーかな……
※ 意識が途切れると、そこでいったん記憶が整理されてまとめてポイされるからね
※ 小っちゃな子狸さんが仕事してくれないと……
おれたちの子狸さんは省エネ設計なのだ
未来を生きる
現在が過去となるように、些末な出来事は三歩で置き去りにされる
子狸さんの視線が上から下に流れる
この小さなポンポコには、こきゅーとすを斜め読みする技量があった
ため息を漏らし、呆れたように言う
子狸「……まあ、おれの負けでいいよ。それで?」
勝ちを譲る子狸さんに、勇者さんはぴしゃりと言った
勇者「魔物たちの真似をするのはやめなさい」
神父「そうだぞ」
ノっちが割り込んだ
神父「お前は僕を見習うべきなんだ。この兄である僕をな」
ノっちは事あるごとに子狸さんの兄貴分を気取る
子狸「え~……?」
子狸さんは不服そうに口をとがらすと
不意に横にいるおれを前足で持ち上げた
ノっちの鼻先に突きつける
子狸「こう見えて可愛いところもあるんだ」
おれ「ぽよよん」
サービスだ
でろっとして見せるおれに
しかしノっちは後ずさる
何故だ
神父「間近で見ると意外とデカいこともさることながら、ふつうに喋るからな……」
おれ「あ? お前らよちよち歩きのガキどもを可愛い可愛いと言うじゃねーか。結局のところ見た目なんだろ? だったら、むしろおれのほうが上だろ」
ポーラ属さんたちの地位向上に努めるおれ
健気である
その健気なおれに、巫女さんが手刀を突き入れた
巫女「ていっ」
おれ「ていじゃねーよ。何してくれてんだ、この袖巫女」
巫女「はあ、ほう、ふう……。やっぱり、あなたたちにはないんだね、あの黒い玉」
動力核のことか?
あるわけがない
わざわざ急所を作ってどうする
動力兵どもに核があるのは
永続魔法へのアクセス権が一部を除き封鎖されたからだ
完全に封鎖される前にこの世界に産み落とされた動力核が
やつらの本性であり心臓部なのだ
バウマフ家の人間には特赦があったから
彼らの願望を通して召喚されたおれたちは
不変不朽の性質を保ち続けることができた
そんな小難しい理屈を巫女さんに説くつもりはおれにはなかったし
また子狸さんにしても同様だった
バウマフ家の人間は、最終的には人間側ではなく魔物側につく
だからこの世界の人間たちを勝利へと導く筈の二番回路が
バウマフ家の人間に対しては不完全にしか働かない
うっかり自分自身を標的指定に入れるのを忘れていたのだ
おれのお腹をもにょもにょする巫女さんを、子狸はじっと見守る
闇の住人が迂闊にも物音を立てた人間をそうするように、小さく囁いた
子狸「いまに癖になる……」
一度でも招き入れたなら、勝ち目などないのだ……
一方、母狸さんは
駄目人間たちの輪から少し離れたところで妙にそわそわしていた
母狸「シエルゥ、シエルゥ……!」
小声で羽のひとの本名を連呼し、手招きしている
妖精「……はい?」
羽のひとは、母狸さんに対して丁寧語で接する
それは演技していると言うよりは習慣によるものだった
初対面の頃にかぶった猫が、まるで着ぐるみのように馴染んだ結果である
ようは勇者さんと似たような関係性だ
ぱたぱたと近寄ってきた羽のひとに、母狸さんは興奮した様子で尋ねる
母狸「ウチの子、もしかしてモテるのっ? モテてるっ? ねえ、どうなのっ」
妖精「………….」
羽のひとは即答しなかった
が細い首をねじり、駄目人間たちをそっと見つめる
改めて言われると、たしかに子狸さんは女の子たちに囲まれているように見えた
赤の他人と言うには近すぎる距離感が、女性陣の警戒心の欠如を物語っている
つまり彼女たちは、子狸を無害な生きものだと思っているようだった
視線を戻した羽のひとが難しい顔をして腕を組む
妖精「むむむ……」
おれが思うに、だ
勇者さんの恋愛感情は低学年の子たちと変わらない
恋をする、しない以前の問題である
独占欲めいたものはあるようだが
それは、おれたちの子狸さんが、知れば知るほどレアリティの高い生物だと判明してきたからだろう
子狸さんは、ぼーっとしている
何も考えていないようで、じつは何かを企んでいるのがバウマフ家の人間だ
電撃にも似たインスピレーションが舞い降りたとき、この小さなポンポコはぼんやりとしていることが多い
子狸「夜が……明ける」
巫女「明けないよ。ぜんぜん明けない。とりあえず口当たりのいいこと言うのやめよう? な?」
子狸「ちがうよ。ぜんぜん違う。おれの言いたいことは、もっと、こう……漠然としてるんだ。漠然とね」
巫女「新しく覚えた単語を無理やりねじ込むのはやめなさい」
子狸「……お前、自分が賢いと思ってるな?」
巫女「お前って言うな。思ってるよ! だって明らかにわたし変だろ!」
豊穣の巫女は史上屈指の魔法使いだ
彼女の想像力には独創性があり、かつ具体性を兼ね備えていた
子狸さんは寂しそうに笑った
子狸「そう背負うな。悪い癖だぞ」
巫女「まず我が振り直せよ!」
全身全霊のツッコミを、子狸さんは軽く受け流した
子狸「ノっち。どう?」
神父「どう、とは?」
子狸「準備。そろそろできた?」
神父「えっ。なんの?」
子狸「えっ。作戦とか?」
神父「作戦? なんの?」
子狸「えっ。なんの?」
神父「なんの? 何のなんの?」
子狸さんが立てる作戦は
画期的すぎて敵も味方もついてこれないという欠点がある
子狸、子鼠、袖の三人でパーティーを組んだ場合
作戦立案を担当するのは、それすら不向きとしか言いようのないノっちであった
勇者「…………」
勇者さんはとくに何も言わない
連合国の若き中隊長が立てる作戦とやらに興味があった
次に出会うのが戦場になる可能性もあるからだ
ノっちは言った
神父「とりあえず……何か言い争ってるみたいだ。近くに行ってみる?」
勇者「近くに行ってどうするの?」
神父「えっ」
とりあえず近くに行くのはノっちズの基本戦術である
そこを否定されては後が続かない
具体案の提示を求められたノっちは硬直した
ぱちぱちと瞬きを繰り返してから
急速に自己主張しはじめた勇者さんを信じられないといった面持ちで見つめる
神父「えっとぉ……話を聞いてみる?」
勇者「話を聞いてどうするの?」
神父「み、身の振り方を……決める、とか?」
勇者さんはノっちに期待することをやめた
小刻みに頷いている子狸を見つめて言う
勇者「あなたには周囲の人間の思考能力を奪う力があるのかもしれない」
子狸「……思い当たるふしがある」
子狸さんは得心がいったと言うように頷いた
子狸「たいてい、いつも捕まるからな……」
巫女「言われてみれば……」
たいてい、いつも一人だけ逃げおおせる巫女さんがハッとした
それは、とりあえず子狸を放り込んでおけば何とかなるだろうという甘えだ
その甘さを指摘されて、はじめて彼女は子狸投下作戦に一抹の不安を抱いたらしい
勇者「…………」
勇者さんは驚嘆の念を禁じ得ない
この二匹と一人をどうすれば良いのかと途方に暮れた
子狸「おれに考えがある」
しかし子狸さんには何か秘策があるようだった
勇者「……試しに言ってみて」
この小さなポンポコが勇者一行の魔法使いだ
頭脳労働を前足に担い、数々の窮地をとっさの機転で切り抜けてきたような気がする
自然と勇者さんの眼差しには期待がこもる
その期待が透けて見えたから、子狸は躊躇った
本当に言って良いのかと戸惑った
これ以上の案は、おそらく、ない
効果的だからこそリスクも大きい
重圧を感じた
これなら一人で突っ込んだほうがまだ気楽だった
しかし、それでは駄目なのだと思った
勇者さんがそうしてくれたように
自分もまた仲間を信頼するべきなのではないかと思った
だから……
子狸「とりあえず近付いてみるというのはどうだろう?」
神父「!?」
勇者「わかった」
神父「!?」
かくして子狸投下作戦が
いよいよ幕を開ける……