涙
四四三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
言い訳……か
そうだな
もういいだろう
アレイシアン・アジェステ・アリア……
お前に残された手札は、あの男だけだろうからな
どこまで読んでいる……?
お前は、討伐戦争が茶番であることを知っていた
さすがにこきゅーとすの存在までは読めなかったようだが……
ココニエド・ピエトロ……箱姫との共謀か
アリア家の狐たちを仕込んでいたのだろう?
あの大広間での戦いを逐一報告させていたというわけだ
まあ、偶然の采配だろうが――
勘所に適応者を配置したセンスは評価してやってもいい
心理操作の存在を確信したお前は、当然ながら魔王軍がわざと負けていることに勘付いた
受信系と送信系による相乗効果を知っていたのも大きかったな
あれらは制御系が分化したものだ
相性の問題もあるだろうが、二つ揃えば心理操作と似た働きをする
では、これは知っていたか?
お前の感情制御が劣化したのは、まず間違いなくアトン・エウロの影響だ
物体干渉は異能者どもの王だ
王の誕生には多くの生贄を要する
偏り、ゆらぎ……そうした不安定な環境から天才は生まれる
お前の姉がそうだ
彼女から見れば、お前は出来の悪い妹だった
が、結果的にはそのことがお前をこきゅーとすへと導く要因となった
こきゅーとすはバウマフ家の人間が作ったものだ
管理人の一族と魔物たちの閉じた交流の場……
その輪が綻ぶ何らかの条件が用意されていても不思議ではなかった
結局のところ、それこそがバウマフ家の悲願に通じるものだからな……
全ては……
おれの計画通りに事が運んだ
もちろん些細な狂いはあったが……
おもに子狸さんの行状によるものだ……
正直びびった……何度も諦めかけた……が……
アレイシアン・アジェステ・アリアぁッ!
おれの勝ちだ!
お前が、お前たち人間が異世界人に興味を抱くことはわかっていた!
お前たち人間はいつも目先の問題に囚われる……
自分さえ良ければそれでいいのだろう?
長いスパンで物事を観ることができないのだ……
だが、子狸さんはもう止まらんぞ!
ああ、そうだ!
認めよう。全てはおれの企てだ!
あとで話をしたいだと?
おろかな人間め
まだわからないのか?
おれは管理人の近衛だッ
誰が何と言おうとおれは子狸さんの傍を離れんぞッ!
――断言してやる
お前がおれを叱ることはできない
なぜならおれの横にはいつも子狸さんがいる
子狸さんはおれを庇うだろう
そしてお前に罪なき子狸さんを裁くことはできない
なあなあで終わるさ!
ふっ、アリア家の人間が勇者になることは正直不安だったが……
しょせんはこの程度か
造作もない
赤子の手をひねるようなものだ
とるにたらんよ
四四四、アリア家在住の平穏に暮らしたい勇者さん(出張中
言いたいことはそれだけ?
なら、次はわたしの番ね
これが最後になるかもしれないから、忠告しておきたいの
あなたたちは哀しい生きものね
あなたたちの言葉は、すべてあなたたち自身に跳ね返るでしょう……
どうして勘所をあの子に任せようとするの?
どう言い繕おうとも、あの子への期待を捨てきれていない……
後悔することになるわ
何かを得れば何かを失う……本質を突いた言葉ね
だからこそ、こうも言える
この戦いの先に待ち受けるものは、きっとろくでもない結末になる
四四五、王都在住のとるにたらない不定形生物さん
ふっ、負け犬の遠吠えよ
見ていろ……
いまに子狸さんが異世界人に三行半を叩きつけてくれる
ちなみに三行半とは、もうあなたたちとはやっていけませんということだ――
※ 王都のん、だんだん不安になってきたんだが……
※ 勇者さんに指摘されてはじめて気が付いた……
※ どうしておれたちは子狸さんに結論を委ねてしまったんだ……?
※ それが当たり前のことだった……
※ おれたちは決定的なミスを冒したんじゃないか……?
※ いや、しかし……どう考えてもここからの逆転負けはないだろ……
※ そもそも、どうして動力兵の術者がここに居るんだ……?
※ 手筈が違う。本来なら無理やり引きずり出す予定だった……
※ そう、おれたちの計画は完璧だったんだ
※ 連中の弱点……致命的なそれは、おれたち自身だった……
※ おれたち魔物が居るから、連中はこの世界に干渉してきた……それは動かしようのない事実だった筈……
※ 庭園のんの情報によれば、すべての元凶は第一世界らしいのだが……それは?
※ いや、異世界が一つじゃないのは想定内だ
※ むしろ北海世界が最上位の権限を持つというなら、あまりにも対処がおざなりすぎる
※ 異世界人の善意を信じろと言うのか……?
※ まずい……。まずいぞ……。どうしてこうなった?
※ いったいどこで計画が狂った?
※ 思えば、子狸さんが魔王の腹心ルートに突入しなかった時点で歯車が狂いはじめたんだ
※ だって絶対にバレると思ってたんだよ……
※ だが、意外にも子狸さんは設定に忠実だった……
※ 結果として、野放しになる隙を与えてしまった……
……
お前ら、おれたちの子狸さんを信じるんだ!
子狸さんを疑ってはいけません
理想郷はすぐそこまで迫っています
信じるものは救われるのです
※ そ、そうだな!
※ ああ、目が覚めたよ
※ ……だめだ! 信じられねーよ!
※ やめろ! 不安になるだろーが!
※ 信じるものは救われる! る!
※ 無理だろ……。無理だろ……!
言い知れない焦燥感がお前らの胸を焦がす
おれたちは何かを見落としていると言うのか……?
しかし子狸さんの地を踏みしめる後ろ足は揺るぎないものだ
見据える視線には、かつてない厳しさがある
だいじょうぶだ……そのはずだ
つの付きの命を奪ったものに、子狸さんが容赦するとは思えない……
唯一の懸念を挙げるとすれば、魔軍元帥の中のひとが元気に跳ね回っていることだが
それすら、この流れを断ちきる要素たりえん……!
巫女「ひどい目に遭った……」
※ ひっ……!
※ おい! 緑の! どうして巫女を連れてきた!?
※ え。だって、ずっと一緒に居たんだよ
のちのちのことを考えると
この場に居てくれたほうがいいかなと思ったし……
※ 心理操作か。子狸の立ち位置に巫女さんを滑り込ませる……
たしかに、そのほうが色々とはかどる……
けど、巫女さんはシリアス担当じゃないからなぁ……
※ あの子、子狸に毒されすぎなんだよ
※ 言ってることがほとんど子狸だもんね
巫女「どこだ、ここ……?」
見渡す限り瓦礫の山だった
かつて白亜の都と呼ばれた王都の面影はない
緑のひとの頭の上でむくりと身体を起こした巫女さんが、ひょいと飛び降りた
空中で減速魔法を解き放ち、ゆるゆると降下する
彼女は戦士ではない
危機感が不足していたから、自らの技量に信を置くあまり
ろくに周囲を観察せずに行動に移る悪癖があった
巫女「うおっ……!」
眼下にひしめく魔物たちを目にして、とっさに針路を変更した
空中で力場を踏み、うろうろと右往左往する
彼女が魔物たちの先頭を行く子狸の姿を発見したのはたんなる偶然ではなかった
子狸が巫女さんの危機に際して超感覚を発揮するのと同様
巫女さんは子狸の存在を何となく感じとることができるらしい
何故そのような共鳴現象が起きるのかはよくわかっていない
おそらくは子狸さんの浸食率が常人離れしているのと
巫女さんの天才性が妙な具合にマッチしているのだろう
あるいは爆破術の後遺症という見方もある
異様な状況ではあるが、子狸が居るなら安心だ
ほっと胸を撫で下ろした巫女さんが近くに降りてきた
なんとなく子狸の後ろを歩きながら、となりを行く勇者さんにひらひらと片手を振る
巫女「リシアちゃん、お久しれんこん~」
彼女は、たまに意味のわからないことを口にする
勇者「お久しれんこん」
淡々とした口調で勇者さんが応じた
巫女「さっそくだけど、事情を説明してはくれまいか。なにこれ、めっさ注目されてる。あと、吐いた唾は呑めないと思うのですが、これ如何に?」
巫女さんは魔王との戦いで実名を晒されたことを根に持っていた
しかし勇者さんはにべもない
勇者「悪いけれど、あまり時間がないの」
言うが早いか、三人の魔獣たちが合流した
勇者さんが地下通路に穿ったゲートを利用したのだろう
傷ついた身体を引きずるようにして歩き出す彼らに、お前らが肩を貸した
トンちゃんと五人の姉妹も一緒だ
彼らはお前らを押しのけて進むと、勇者さんの背後に控える
太っちょの姿を目にした巫女さんが奇妙なうめき声を上げた
巫女「ひょっ!?」
ふだん巫女さんは王都に寄り付かない
王国最強の騎士が王都を拠点にしているのは有名な話だ
追跡でもされようものなら逃げきれる自信がなかった
豊穣の巫女は魔法使いとして天性の資質を持つ
特定の分野では特装騎士を凌駕するかもしれないが
とくべつ身体能力に恵まれた少女ではなかった
対するトンちゃんの身体能力は霊気を開放した外法騎士に匹敵する
自分の二倍近いスピードで地を駆け、おそろしく緻密かつ実戦に即した立体機動をとる騎士だ
天才の名を欲しいままにする両者であったが、こと実戦ともなればこの二人の実力には天と地ほどの開きがある
おびえる巫女さんを、トンちゃんは一瞥するにとどめた
豊穣の巫女は爆破魔の異名で知られる国際指名手配犯だ
歴戦の戦士の冷淡な眼差しは、善良な市民を見るものではなかった
巫女さんの動きは素早かった
あたふたと子狸の陰に隠れる
いざというとき頼れるのは、真犯人として名乗り出てくれるこの小さなポンポコだ
子狸さんの表情を目にした巫女さんが素っ頓狂な声を上げた
巫女「あれっ、許せないモードだ!?」
許せないモードの子狸さん
かつて巫女さんは、子狸と共に極めて強力な送信系に立ち向かったことがある
他者を洗脳する力を持った異能持ちだ
そのとき、あっさりと洗脳された子狸さんはごく自然と敵の手先になったのだが……
大言壮語を吐く子狸さんは幹部に抜擢され
そこから敵の組織が崩壊の一途を辿ったという悲しい結末を迎えることとなった
その際、潜在能力を引き出された子狸さんが見せた貌の一つが許せないモードである
思わぬ拾いものをしたとはしゃぐ悪の親玉を、お前らは憐れみの目で見つめていた……
巫女「こやつ、さてはまたろくでもないことに首を突っ込んでるな……。騙されてるぞっ、目を覚ませ!」
巫女さんの呼び掛けにも、子狸は答えない
目の前で手のひらを振られても同じことだ
厳しい面持ちで一心に正面を見据えている
子狸さんの肩を揺さぶろうと腕を伸ばした巫女さんに、勇者さんが鋭く叫んだ
勇者「エニグマ! 下がりなさい!」
言うにとどまらず、彼女の長い袖を引っ張って子狸さんから引き離した
巫女「ひゃあっ!」
露出の危機ふたたび
とっさに装束の肩口を押さえた巫女さんを置き去りに、勇者さんが前に出た
勇者さんは、自分ならばどうするかを考えれば良かった
答えは簡単に出た
白刃が閃いた
うず高く積み上げられた瓦礫から跳躍した男が、落下すると共に剣を振り下ろした
放たれた凶刃が向かう先は、魔物たちの先頭を行く人物……子狸さんだ
躍り出た勇者さんが聖剣を起動する
振り下ろされた鉄剣と光の宝剣が噛み合った
勇者「お父さま!」
アリアパパ「アレイシアンか」
刺客、アーライト・アジェステ・アリア――
迷いは一瞬
勇者さんが即座に破獄鱗ゾスを打った
だが、その一瞬で十分だった
回避行動に移ったアリアパパは束縛の輪を免れて後退する
アリア家の元当主が、実の娘へと向ける言葉は一片の情も通わないものだった
アリアパパ「どけ。そいつが魔王だ」
光の宝剣は、何物にも侵されざる精霊の至宝だ
鉄剣ごとアリアパパを叩き伏せることも可能だった
しかし勇者さんは襲撃を予期しつつもそれをしなかった
相手が血を分けた肉親だったからだ
魔物たちは身内をとても大切にする
その姿を目の当たりにしてきた勇者さんは
いつしか期待してしまった
理解してくれるのでは、と思ってしまった
父と娘が刃ごしに対峙する
勇者「お父さま……。お父さまは、ご存知なのでしょう? アトンたちを屋敷に連れてきた、あのときには、魔物たちと……」
アリアパパ「そうだ。だが、重要なことではないな……。魔王が倒れることを、民が願っている」
勇者「それは、わたしよりも大事なことなのですか……?」
アリアパパ「ふむ……?」
勇者さんの問いかけに、アリアパパは一考の余地があると認めた
アリアパパ「よりどちらを重視するかと言うことか。なるほど、確かに……勇者の存在は大きい。ならば、魔王の首だけを持ち帰るとしようか……」
その答えは、勇者さんが期待したものとは違った
しかし現実には即していた
元よりアリアパパの技量は勇者さんの及ぶところではない
いや、出来る出来ないの問題ではないのだ
意に沿わないものは受け入れない
自らの感情を自由自在に操れるから、生も死も等価値でしかない――
正しきを為すこの意思だけが彼らの存在を立証するものだった
世にはびこる悪徳を滅ぼしていけば、最後に残るものが正義だ
それを模倣すれば、アリア家は正義の体現者になれる
正義とは、多くの人間が貴ぶ概念だ
感情制御に寄生されたアリア家の人間には、生きる理由が必要だった
そうでなくては――
なにも、愛せない
勇者さんの頬を一筋の涙が伝った
ふるえる歯の根を噛みしめ、宝剣を正眼に構える
勇者「アトン!」
アリアパパは囮だ
注目を集めておいて他方より確実に仕留める
これは騎士団の常套手段だった
子狸の背後を固めたトンちゃんが、飛び降りてきた魔剣士の一閃を手甲ではじいた
受ければ、腕ごと切断されていた
ぞっとするほど凄烈な弧を描いたのは、現行の製錬技術を大きく凌駕する業物だ
その点で言えばトンちゃんは幸運だった
彼は知っていたのだ
第二の襲撃者――彼女の技量は常識では量れない
正面から受けるのではなく、受け流すことを選んだのはそのためだ
しかし、刃を受け流すことで生じたリスクを勘案せねばならないことも事実だった
急角度で放たれた第二撃を、トンちゃんは盾魔法で受けるしかなかった
空中で身をひるがえした魔剣士が唇をゆがめて笑った
一瞬で透徹された力場が散る
盾魔法の犠牲がトンちゃんを救った
首をねじって紙一重で避ける
すかさず蹴りが打ち込まれた
ひじで受ける
視界の端で跳ね上がった剣尖に泣きたくなる
正直なところ……
トンちゃんは、彼女と関わり合いになりたくなかった
父を上回る技量はもちろんのことだが
何を考えているのかさっぱりわからない
アリア家の長い歴史の中でも突出した異端が美貌に際立つ
彼女は言った
アリア姉「お帰りなさい、アトン。久しぶりね」
勇者さんの実姉、アテレシア・アジェステ・アリアだった
彼女は、いままさに凶刃を振るった相手に親しげに微笑んだ
アトン・エウロは、アテレシアさんにとって愛する家族だった
愛する家族を手に掛けることと
再会を喜ぶことは、彼女の中で矛盾しない
トンちゃんは王国のドルフィンだ
鋼が走る嵐の中を泳ぎきることを彼は期待されている
どるふぃん「アテレシアさま……。アレイシアンさまを手放して頂くわけには参りませんか?」
勇者さんが魔王討伐の旅に出ると言い出したとき
いちばん反対したのは、姉のアテレシアさんだ
彼女は、妹に執着している
アリア姉「わかるわ」
トンちゃんの提案に、アテレシアさんは実感を込めて薄く吐息を吐いた
アリア姉「つらいけれど……。あの子は、わたしの中で生き続けるから寂しくはないの」
どるふぃん「死別を前提に話を進めないで頂きたい……」
トンちゃんは冷や汗を浮かべた
アリア姉「アトン、あなたもね。安心なさい。あなたたち兄妹を離れ離れにはしないわ。ずっと一緒よ」
トンちゃんと五人の姉妹たちは、アテレシアさんの思い出の中を永遠に生き続けるのだ……
※ アテレシアさん怖い
※ もう現実と妄想の区別がついてないじゃないですか……
※ 区別する必要がないんだろうな……
子狸さんの陰に避難している巫女さんがコメントした
巫女「うおぉ……まれに見る変態さんだ……。この世には変人しか居ないのか……?」
群れなす奇人変人
残念な人々が渦を巻くかのようだった
その只中を子狸さんはのこのこと歩き続ける
邂逅のときは、近い――