果てしないワルツを
――ここに、一つのボールがある
持ってみて、まず驚くのが軽さだ
いまにも羽が生えて飛んでいくのではないかと思うような
心が浮き立つような、そんな軽さだ
白と黒の対比が美しい
白く、そして黒い
まるでパンダさんを思わせる……
(ちなみに魔物たちはパンダさんを「白黒のひと」と呼ぶ)
縫い目に沿って走る凹凸が前足によく馴染む
リフティングしてみる
リフティングのコツは、ボールの中心を捉えることだ
当然ながら、斜めに当てればボールは飛んで行ってしまう
そう、こんなふうに
地面に落ちたボールが、ころころと石道の上を転がっていく
そのボールを、アレイシアンが踏みつけた
彼女には、地を這うものを踏みつける癖がある
旅の途中、よくそうやって青いひとたちを蹴散らしたものだ
(青いひとたち、ポーラ属とも呼ばれる彼らはこの物語のマスコットキャラクターである)
「お嬢、足を……。
! なんだ、この感覚は?
まるでボールと一体になったかのような……。
待ってろ、いま助ける……!」
「…………」
子狸さんは、少女に踏まれるボールに共感しているようだった
見下すアレイシアンさん
彼女は、自らがそう評するように感情が希薄な人間だが
ずっと一緒に旅をしてきた少年に対しては意地悪をしてみたくなることがある
それは、小さな子供が悪戯して周囲の関心を買おうとする行為に似ていた
現在、この世界ではアレイシアン特有と言ってもいい「変域統合」は「感情制御」から派生した異種権能だ
念波の有効範囲がひろがった代償として、強制力が低下している
それでも距離が近いぶん、もっとも強力に働きかけることができるのが「自分自身」であることは変わりない
だから父親と姉と同じことをしようとして、ある程度までは真似できた
しかし、抗いがたい感情の発露には対応しきれない面がある
このときもそうだった
感情制御は理性の働きと似ている
そのため、別系列の異能と同一視されていない
アリア家の人間を赤子の頃から見ていれば違和感に気付く者もいるだろうが
大貴族の屋敷に出入りし、かつ赤子の世話を任されるような者は限られる
とくにアリア家の場合、万が一があってはならないので魔物たちの監視下にあった
だから、本人からして自分の能力が「そう」であるという自覚がない
しかし――
いかなる企みによるものであろうか……?
前々管理人によって暴露されたため、アレイシアンは「そう」なのだと知ってしまった
一度でも自覚してしまえば歯止めが利かなくなる
異能は、理不尽な力だ
アレイシアンは、実の父親から「出来損ない」と言われている
努力が足りないのだと思えば納得もできたのに
(読書が趣味を兼ねたものであることは認める)
生まれつき「力」が弱いのではないかと疑ってしまえば、自らの境遇に怒りも湧いてくる
しかし現実はどこまでも非情だ
それが「才能」ですらないと知ったら、彼女はどう思うだろうか?
先天的に備わるものであることは確かだが、才能と呼ぶにはいびつで救いがなさすぎる
魔法動力兵の動きを見張っていたリンカー・ベルが、ふと視線を転じてぎくりと硬直する
アレイシアンの頭の上に何かが乗っているような気がした
はっきりとは見えなかった。小さな輪郭が揺らいでいるような――
風の気まぐれだと思い込むには、リンカーは知りすぎていた
異能は魔法の反作用だ
魔物は魔法そのものだ
両者は酷似した性質を持つ
魔法が自らの意思を魔物に委ねるように
一部の強力な異能は「像」を形成しようとする
感情制御は強力な異能だ
しかし外部に働きかける力を持たないため、像が摘出されることはない
アレイシアンの「変域統合」はそうではないが
劣化したものであるから、おそらく具現することはないだろう
リンカーの危惧は別にある
――封印が解けつつある……?
魔物たちは、はっきりと異能を扱いにくいものだと認識している
魔法に抗おうとする、危険な力だ
そして同時にこうも言える
この世界の適応者たちは、異世界よりの侵攻に対する切り札になりうる
だから「一目で適応者を特定できる」という状況を避けてきた
二番回路は、人間たちの「正常性」を利用するために設置された大魔法だ
逆算魔法の支配下では「永続魔法」が通らないので、施行者は特赦を持つバウマフ家の人間である
説明しても納得してくれないと思ったから、無駄な過程を省いて嘘を吐いたのは仕方のないことだった
だからなのか? 二番回路には未知の部分がある
魔物たちも解明しようとはしているのだが、それが出来るなら彼らはここまでバウマフ家に振り回されたりしない
異能の発現を抑え込んでいた二番回路に不具合が生じている
ドライが健在である以上、魔法動力兵による干渉という線は除外してもいい
(「ドライ」というのは「海底のひと」の本名である。母から子に贈られた真名を隠す風習がこの世界にはある。べつに管理人の記憶力に不安があるためではない)
こきゅーとすには、「河」と呼ばれる、主題の区分がある
メインを張るのは現管理人が参加している河で、これは「本流」と呼ばれる
そこから分岐したものが「支流」だ
話の流れを汲みつつ、水面下で動く支流から放たれた刺客は面倒なことこの上ないが、こういうときは便利だ
確認してみると、やはり封印が解けつつあるらしい
いつも河にいるひとの証言はこうだ
(プライバシー侵害の恐れがあるため本名は不明記)
「ええ、まず間違いなく当時の管理人さんが仕組んだものと見ていいでしょうね……」
じつに数百年越しのトラップというわけだ
最後の最後まで、魔物たちは振り回される運命にあるのか
そして、時は流れ……
現在、管理人はピッチに立つ
奪い返したボールを、祈るように足元に固定した
広場を見渡して、大きく深呼吸する
「いい風だ」
「風なんて吹いてないわ」
「心の風さ」
心象風景に吹く風を、子狸さんは心地良く感じているようだった
常人とは異なる感性だ
アレイシアンさんの冷たい眼差しにもめげない
いや、それすら喜悦に転じるだけの度量がノロにはあった
ノロ・バウマフは、国際試合に王国代表として出場したこともある
王国の至宝とすら称される名将だ
そのときは急きょのコンバートにも屈さず、監督として采配を振るった
観客席で飲食物を販売していた大会最年少選手の顔を覚えているものも多いだろう……
雑用には自信がある
その点に関して言えば、大会でずば抜けた戦績を残していることも確かだ
アレイシアンが首を傾げた
彼女は、大貴族の子女だ
平民がやるようなスポーツとは無縁に育った
しかし知識としては知っている
もちろん魔物たちの国技についても調べてあった
「わたしは、キーパーを串刺しにすればいいのね?」
「お嬢……」
どうやら間違った先入観を持っているようだった
子狸さんは反論しかけて、思い直したかのように首を振る
言いたいことはプレイで語ればいい
それがプレイヤーの流儀というものだ
それに……
ノロは内心で付け加えた
反則的だとは思う
だが、必要な措置だ
デスボールの選手は、特別なカードを配布される
(ただし人間に限る)
一概に高ランクのカードが有効とは限らないが、いちおうの目安にはなる
中でも、最高ランクの五つ星……
とりわけバウマフ家の人間だけが所持を許されるカードが存在する
「最終審判」のカードだ
フィールド上にいる全プレイヤーの反則行為を禁じるという、いわくつきの鬼札である
クールタイムは最長ながら、効果範囲、持続時間ともに申し分ない
勇者さんが凶行に及んだときは、きっと素晴らしい効果を発揮してくれるに違いない……
淡々と反則行為をほのめかした少女に、子狸さんは大仰に肩をすくめて言った
「さて、どうかな?」
「…………」
その気取った仕草が気に入らなかったらしい
頬を引っ張られる
恒例となったお仕置きをしながら、アレイシアンは鎧を外し身軽になった騎士たちを視界におさめた
その中には、子狸を団長と仰ぐポンポコ騎士団の面々もいる
謁見の間で何故か魔軍元帥と相撲をとっていたので、叱って連れてきたのだ
(あのin青いのは、十二人掛かりでもびくともしていなかった)
手間が省けたのは良かった
その場には魔獣たちを含む全員が揃っていたのだ
ただし、グラ・ウルーの影に幽閉されたアトン・エウロと五人の姉妹たち
および謎の覆面戦士を追って行った大隊長ジョン・ネウシス・ジョンコネリは不在だった
つの付き以外の魔物は観戦していただけと証言していたが、アレイシアンは信じていない
無実を主張する魔鳥が周囲の者たちから「横綱」と呼ばれていたことも腑に落ちない
ともあれ、余罪の追及は後回しだ
アレイシアンの視線を受けたポンポコ騎士団の隊長が渋々と頷いた
じつに不満そうだ
直前で心変わりするかもしれない
内心で厳しい採点を行いつつ目線を切ったアレイシアンが、今度は魔物たちに怜悧な眼差しを向ける
この茶番に何の意味があるのかはわからないが……
魔物たちは確信しているようだった
子狸さんは、常に彼らの期待に応えてきたのだと言う
もちろんアレイシアンは信じなかった
こきゅーとすに侵入できるようになった彼女は、検索機能で魔物たちの欺瞞を暴くことができる
案の定、子狸は負けてばかりいる
しかし――
ふと気付いたことがある
この子狸は、ときどき妙なことを言う
魔物たちも勘付いているようだ
減衰特赦という魔法は、簡単に言えば時間を操れるらしい
――この子は、たぶん未来を知っている
それがアレイシアンの結論だ
放置してみれば良い結果につながるかもしれない
じつはわかっていて、とぼけていた可能性すらある
期待を一身に浴びる子狸さんが、前方の魔法動力兵たちへと向ける眼光は鋭い
意思の強さがそうさせるのか
その瞳には、いっさいの濁りがない
彼は、堂々と宣言した
「いいだろう。この試合にお前らが勝てば、一年の中からもレギュラーを選んでやる」
アレイシアンは、ひどく不安になった
魔物たちの言葉を借りれば、これは完全に負ける流れだった