王都妹さんの家庭の事情
魔物たちは、異世界の魔導師が
連結魔法に干渉できる権限を持つと考えていた
つまり魔物たちの反乱を想定した安全装置だ
そして、それが絶対的なものではないことに気が付いている
もしも「安全装置」が完璧なものであったなら
わざわざ魔法動力兵を派遣する必要性がない
おそらくは自分たちの言動を一方的に監視することができる……
こきゅーとす上の遣り取りも筒抜けだろう
そのように考えた
心までは読めないというのは
これまでの状況から導き出された答えであり
また希望的な観測でもあった
だから、人間の心を読むことができる魔物と
読まれる側にある人間の戦いは
魔物たちに幾つかの発想をもたらした
いまや魔物たちは、擬似的な正常性を魔法で再現することもできる
人類最高峰の正常性を持つ少女の実測値が
最後の最後で予測値を裏切ったから
正常性――魔法の侵食率を遠隔操作できるシステムの存在を確信した
魔法の原則は、人為的に定められたものだ
異世界の魔導師は、魔物たちの心を読むことができない……
それは半分が正解で、半分は間違っている
魔物は魔法そのものだ
彼らが神聖視する「心」とて魔法の産物に過ぎない
正確には、こうだ
北海世界の魔導師には、魔物たちの心の覗き見る「権限」がない
その権限を持つのは、第一世界であるということだ
第一世界は、管理人に従う「無制限リサ制御体」を重視している
無制限リサ制御体の別名を「第一位リシス」と言う
つまり「究極の魔物」だ
魔法動力兵は「第一級リサ制御体」もしくは「第二位リシス」と呼ばれる存在だ
理論上、人間が支配下における範囲内で究極の存在だったから
(純粋な「魔物」は制限がないため決して人間には従わない)
北海世界の魔導師は「最強の魔法使い」たりえた
第一世界は、非数世界の「魔物」を重要視している
かつて第一世界を襲撃したリシスに対抗しうる存在だと考えているからだ
北海世界は滅びの途上にある
代用品が必要だった
言ってみれば他人事だったから
第一世界の判断はおざなりで
納得の行くものではなかった
「くそっ……! だから滅ぼしておくべきだと言ったのに!」
悪態を吐いたのは、補佐官の女性だった
北海世界の魔導師には、最低でも一人の補佐官がつく
魔法動力兵を設計できる魔導師は、単独で世界を滅ぼしうる存在だからだ
野放しにはできない
誘導魔法という、極めて高度かつ難解な魔法を扱える魔法使いが自然発生することはない
魔導師は人為的に能力を高められた「人間」で
生まれる前から政府に登録され、生後も管理されている
魔導師が設計し、世に生み出した「ハロゥ」が人々の生活を支える基盤だった
電力に取って代わったのが魔力なのだと言えば分かりやすいだろうか?
最小の物質たる「リサ」は、電力を上回るコストパフォーマンスを容易に叩き出す
つまり全人類に永久機関を配布することが可能だった
非数世界を担当する魔導師の補佐官――マリアが腰掛けている球体の反重力椅子も
広義では「ハロゥ」の一種に当たる
非数世界へと派遣された魔法動力兵に
鍵盤で指示を出しながら、マリアは悪態をつく
「恩を仇で返すのか。下らないぞ、メノゥ!」
ある一定以上の質量を持つものは一番回線を通ることができない
第一世界の承認を得て、はじめてマリアの上司は非数世界へと足を踏み入れることができた
魔物たちが異世界の住人を「敵」と認識して
その概念を非数世界にばら撒こうとしていたから、第一世界は焦ったのだ
勇者の少女は魔物たちの自作自演を疑っているようだが
放っておけば、魔物たちはどこまでも付け上がる
これ以上、放置することはできなかった
認めたくはないが、魔物たちが築き上げた非数世界の人類社会は理想郷に限りなく近い
北海世界は新天地を探し求めていた
移住先となる世界に、ある程度の発達した文化と平和な暮らしを願うのは当然の心理だ
だから積極的に干渉した
そのことが魔物たちの逆鱗に触れたのだ
地下通路を突き進むポーラが、魔法動力兵を薙ぎ倒しながら吠えた
「おれたちは、自分の世界を守ろうとしただけだ! そして、それは正解だった!」
だが、マリアにも言いぶんはある
魔法動力兵を通して傲慢に言い放った
「お前たちに魔法を与えたのは、わたしたちだ!」
「だから言うことを聞けとでも言うのか……」
魔物たちの自己申告は当てにならない
しかし状況から察するに、魔物たちが放った刺客は三番目の名を持つポーラ属
P-03「アリス」と見るべきだった
百機を越える呪言兵に包囲されたアリスが
全身から触手を打ち出した
それらは空中で幾重にも屈折し
狙い違わず魔法動力兵の「核」を撃ち抜く
強すぎる……! 手が付けられない
アリスは、最強の魔物だ
空中回廊の扉の奥には、拿捕された魔法動力兵を保管するスペースがある
どの魔物よりも多くハロゥと戦い、撃破してきたのが「庭園のひと」……アリスだった
ありとあらゆる結界が通用しない
いかなる環境でも安定した戦果を叩き出してくる
弱点というものがない
確信を得たマリアが上司に報告した
「P-03アリスです! 退避して下さい!」
第一世界がいい加減な仕事をしたせいで
彼女の上司は「地下神殿」に転送された
決戦の舞台は地下神殿になると、魔物たちは読んでいた
魔法動力兵の設計者……「魔王」が降臨する地に相応しいと判断したからだ
討伐戦争は、魔王を引きずり出すための「儀式」だった
返事はない
非数世界の発展を見守ってきた魔導師「ワドマト」は
いつしか非数世界を愛してしまったからだ
魔物たちに殺されるならば、それでもいいと考えている
やはり行かせるべきではなかった
マリアは、おのれの不明を恥じる
もちろん止めはした
しかし彼は、マリアの制止を振りきって行ってしまった……
その事実が、マリアの激情をあおる
怒りの矛先が向かう先は魔物しかない
「それだけではない。お前たちは危険な存在だ。
お前たちは、物語の登場人物のまま生きていれば良かった。他人事ではないなどと、思わせてはならなかった!
せっかく助けてやっていたのに!」
当初、ワドマトは魔物たちを第一世界への復讐に利用しようとしていた
非数世界の存在を秘匿した
いまや魔物たちは魔法動力兵を凌駕し、「千年間、世界を滅ぼさなかった」という実績を得た
第一世界が魔物たちの存在を知ったのは、すべてが手遅れになってからだ
――他人の人生は最高の娯楽だ
非人間的な行いであると唱える団体もいたが、いつの時代も少数派だった
未熟な非数世界は監視が必要だったし、実際にそうして救われた命も多い
だが、連結魔法から生まれた魔物は、あまりにも強力だった
三全世界、最高と言われる誘導魔法と正面から衝突して痛み分けるほどに――
しかし皮肉にも、彼らが作り上げた世界は、どの世界よりも条件に適していた
それなのに――
いったい彼らは何が不満なのだ?
マリアには理解できなかった
連結魔法は誘導魔法との相性が極めて良い
方向性が真逆のようでいて、じつは似ているからだ
連結魔法を極限まで細密化したものが誘導魔法であると言って良い
「“あの子”から聞いただろう。お前たちは、魔術師を狩る存在だ。
お前たちは、人間が苦しむ姿に快楽を覚える。
怪物め。お前たちは『魔物』の生まれ変わりだ!」
その言葉が何を意味しているのか、アリスは知らない
だが、あまり良い意味ではないことはわかる
なのに魔物は笑った。自分たちの存在が彼女の気分を害しているというなら、これほど愉快な話はなかった
憎しみに勝る感情はない。かつてアリス自身が言ったことだった
「では、バウマフ家のことはどう解釈するんだ?
お前は、相手を貶めることしか考えていない。自分が可愛くて仕方ないんだ。生きてる価値がないよ、お前」
アリスの痛烈な反駁に――
「だまれ! だまれ、化け物め。わたしは人間だ! お前とは違う!」
激しい悪意の応酬だった
互いに互いの破滅を願っているのは明らかだった
そして、そのことを二人とも隠すつもりがなかった
だから、彼らの関係は後戻りができないほど破綻する
図らずも、アリスの指摘はマリアのコンプレックスを抉っていた
幼児のように癇癪を起こすマリアの内面に、泡のように冷静な人格が浮かび上がる
それは彼女自身にしか聞こえない声だ
どんなときも彼女の味方でいてくれる
彼女が欲する言葉をくれる――
『落ちつけ、マリア。マリー……』
彼(あるいは彼女かもしれないが)は、マリアをたしなめるとき、彼女のことを愛称で呼ぶ
条件反射のように、マリアのささくれ立った気持ちが鎮まった
そして、いつもそうしてきたように、彼の言葉に耳を傾ける
彼は言った――
『やつの言うことも一理ある。
そうだ……ワドマトも言っていただろう。
魔物が、バウマフ家に従うのは奇妙なことだと。
君は、彼の言うことを信じないのか? そうではない筈だ……。
君は、マリー、まったく、俺としては面白くないことに、彼に対して献身的だからな……』
そうだ。認めるべきことは認めねばならない
ときとしてかすかな独占欲を覗かせる“彼”に、マリアの自尊心は満たされる
誰かに必要とされたい――
それは「適応者」として生まれた彼女にとって、あらゆる行動の指針になるほどの「渇望」だった
平静を取り戻したマリアは、まるで激情を忘れ去ったように穏やかだ
鍵盤を操作し、ワドマトが生み出した「最後の子」――
同時に「最高傑作」でもある二十四番目の呪言兵へと通じる回線を開く
「ハロゥド・アン、応答して下さい。聞こえますか、ド・アン……」
ハロゥドというのは北海世界の言葉で「持たぬもの」……
つまり「核」を外部に放出しない「内蔵型」を指し示す言葉だった
間を置かずモニターに映し出されたのは
非数世界の「人間」と同じ容姿を持つ少女だ
美しい少女だった
くっきりとした二重まぶたの
透き通るような白い肌には染みひとつない
紅も差していないのに薔薇色の唇が
勝気に吊り上がっている
彼女が最強のハロゥだ
魔物にとって外見は大きな問題ではないから
敵の油断を誘うなら美しい少女の姿がもっとも適している
整った容貌は「作りやすい」という技術的な見方もある
ド・アンの嬌声が響き渡る
「あはははは!」
うるさい
どうやら交戦中のようだ
相手は、前管理人の「マリ・バウマフ」だろう
伝説の名を冠する異質のバウマフ家
完成された魔法使い……
ド・アンは、特赦を持つマリ・バウマフに対抗するために生み出されたハロゥだ
「ん、なに? マリア?
いま、いいところなんだから邪魔しないでよね。
あとさ~……前から言ってるでしょ。
わたしのこと、ド・アンって呼ぶのやめてよ。可愛くないし」
彼女も、また異質のハロゥだ
マリアは、彼女と話すたびに忍耐を求められる
怒鳴りたい気持ちを意識的に制御し(マリアにはそれが可能だった)
つとめて事務的に言う
「ハロゥ。マスターに危機が迫っています。
アリスに対抗できるのは、あなたしかいません。
至急、地下神殿に向かって下さい」
第一級リシス制御体であるハロゥは、設計者の命令には逆らえない
北海世界の「人間」を守るようプログラミングされている
それはハロゥの「魔物」としての最後の理性だ
だが、少女の形をしたハロゥは
この土壇場で反旗をひるがえした
「う~ん、条件しだいかな?」
いつもの軽口だろうと
マリアは口調を強めて言う
「ハロゥド・アン」
しかしド・アンは、ささやくように言った
「マリア……マリー……。
あなたが、わたしのマスターになってくれるなら、お願いを聞いてあげてもいいよ?」
マリアは、耳を疑った
異質なハロゥだとは思っていた
だが、これではまるで――
硬直したマリアに、ド・アンは重ねて言う
「自覚はないのかな? そんな筈はないよね。
マリー、あなたはとくべつなんだよ。
あなたは、魔法使いだ。
わたしたちの世界に生まれる筈のない、天然の魔法使い……」
マリアは、椅子ごと後ずさった
秘密にしていたことを言い当てられたからではない
おぞましい、と思ったのだ
第一位リシス「メノゥ」に対抗できる魔法動力兵……それが意味するところを見誤っていた
ハロゥド・アン――
彼女は、あらゆる制限を取り除かれたハロゥだ
「リシス……」
ただ、ひたすら、おぞましかった
無制限リサ制御体「魔物」は悪魔の化身だ
魔導技術は、「科学では制御できないと証明された技術」だった
バウマフ家という重石すら
ハロゥド・アンには、ない
だが、マリアは知らない
ド・アンは、マリ・バウマフが幼い頃から
彼の成長を見守ってきた
いつでも圧倒できたのに、そうしなかった
それは、マリアが、ワドマトに対して抱く感情と、何が違うのか
世界を破滅へと導くのは
きっと絶望ではない
愛情だ