勇者の試練
【こちら支流】山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん【魔王討伐軍】
まったく、シリアスが聞いて呆れるぜ
※ ぽよよん
薄闇の中
壁面が息づくようだった
連合騎士団が前進したことで
ひと息ついた王国騎士団は
城内を観察する余裕を得た
一人の特装騎士がトンちゃんに騎馬を寄せる
「若」
「わかっている」
トンちゃんは、もともと特装部隊の出身だ
その経歴を活かせる部隊作りをしてきたから
多くの面で当時の感覚を残していた
眼前の敵よりも
まわりの環境を気にするのは
特装騎士に共通する習性だ
「……内装が新しすぎる。実働部隊に細かい判断は無理だ。お前たちが支援しろ」
魔都の内部構造は、その詳細に至るまで騎士団に伝わっている
ここ数百年で、幾度となく突入した部隊がいたからだ
しかし、その情報はすでに過去のものとなったと見るべきだった
特装騎士は、馬上で器用に肩をすくめた
「いつも通りですね」
これには、トンちゃんも思わず破顔する
「そうだ。ふだん通り、なにも変わらん」
実働部隊は、騎士団の剣であり盾だ
余計なことを考えさせる必要はない
第一、魔都は魔王の威光の発信の地だ
役割が変わっていない以上、間取りも共通したものになるはずだ
謁見の間が、中心軸から左右にずれることは、まずないだろう
魔王は眠りから目覚めているのか
それとも眠り続けているのか
けっきょく確定情報は得られなかった
これまで戦端を交えてきた魔物は
ほぼ例外なく魔王に対する言及を避けてきた
だが、魔軍元帥の立場になって考えてみれば
魔王の寝室は、謁見の間からそう離れていないだろうという予測も成り立つ
おそらく、あの黒騎士がもっとも警戒しているのは三人の魔獣だからだ
自分の手が届かない魔都の端に、無防備な魔王を置き去りにするのは考えにくい
直進すれば、いずれは謁見の間に辿りつく
そこから先は、行ってみなければわからないということだ
懸念があるとすれば、それは
確認がとれているだけでも二度、魔軍元帥が魔都を離れていることか
――情報が足りない
アトン・エウロは、胸中で歯噛みする
きっと、自分たちの知らないところで、何かが起きているのだ
魔王軍と魔王討伐部隊
両者の間にある齟齬が、致命的なものにならなければ良いと願うしかなかった
「アトン、前へ!」
先陣を切る勇者さんが、ふたたび前衛と後衛の入れ替えを命じた
旅を続けているうちに少しずつ改善はされているが
彼女の体力は、子供のそれでしかない
理想を言えば、号令を掛けるものは代役を立てたいところだが
勇者の代わりになれるものなどいない
人間は弱い生きものなのだと
それは悲しいことなのだと、第二の獣人は言った
かけがえのないもの、と第三の獣人は言った
その通りだ
※ ! いたぞっ
※ おとなしくするんだっ、かまくらの!
※ 離せ! お前らっ……自分たちは安全だからって!
※ 構うな! 連行しろ!
※ 山腹のん、助けて! 山腹のっ……
…………
連合軍を追い抜いた王国軍は
ひときわ大きな通路に出る
彼らは目を見張った
動揺を押し隠すことはできなかった
「っ……!」
「なんだ、これは!? これでは、まるで……」
左右の壁面にずらりと巨大な彫像が並んでいる
いったいどれほどの数があるのか
通路の奥まで続く、魔鳥の像に騎士たちがどよめく
「ヒュペス!? そんな、まさか……」
彼らの脳裏に浮かんだのは
ひとりのマスコットキャラクターだった
魔王軍の本拠地に突入して
生きて帰れるとは思えなかったから
涙をのんで森に放してきたのだ
雨の日も、風の日も
苦楽をともにしてきた
肌寒い夜、孤独を埋めてくれた羽毛の感触……
ひよことよく似た……
最悪の結末を予感した騎士たちは
激しい動悸を抑えきれない
それは、王国最強の騎士も例外ではなかった
勇者「…………」
ぴんと猫耳を立てた勇者さんが
周囲の物音を探りながら、両手を左右に突き出した
ぎょっとしたのは羽のひとだ
妖精「!?」
委細構わず、両腕を振りかぶった勇者さんが
虚空から聖剣を引きずり出す
精霊の輪が薄闇を伝い
退魔の光で構成される柄を、刀身を形成していく
いまや彼女は、複数の宝剣を同時に顕現することも出来た
交差した両腕を振り抜く
放たれた光刃が、情け容赦なく巨鳥の石像を寸断した
※ !?
※ 勇者さん!?
※ おれたちの力作がっ……!
疑わしきは罰せよということだ
なんていうか、当然の判断だと思うの……
「危ねぇぇぇっ!?」
得意顔で石像に身をやつしていた魔ひよこが
すんでのところでヘッドスライディングして難を逃れた
ご本人の登場だ
「ヒュペス……。なぜだ!? なぜ、お前がこんなところに……」
もう気付いているはずだ
しかし騎士たちは
半分、泣くような
半分、笑うような
統制を失った表情をしている
認めたくない現実を拒否するかのように
ことさらに優しい声音で
拒絶されるのを恐れてか
おびえるように言った
「つ、ついてきてしまったのか? 森に帰るんだ……。ここは危ない……」
「少しの間の辛抱だ。きっと帰りに迎えに行くから……だから……」
だが、彼らは自分たちが生還できるとは思っていなかった
そのことが悲しかった
むくりと起き上がった巨鳥のつぶらな瞳から
ひとすじの涙が零れ落ちる
勇者さんの宝剣を持つ手が、ふたたび跳ね上がる
勇者「っ……!?」
その手が、びくりとふるえて硬直した
魔力対策は怠っていなかった
そのはずなのに
魔鳥のくちばしがわななく
かつて勇者一行の一員として
その一身に騎士たちの愛情を注がれた魔獣が吠えた
「「ケェェェエエエッ!」」
以前に港町を襲ったものよりも、さらに強力な個体だ
咆哮に宿る魔力が大気を伝い
騎士たちを一斉に弾き飛ばした
「がっ、は……!」
「はっ、あ……」
壁に縫いとめられた騎士たちの鎧が
めきめきと音を立てて、ひしゃげていく
魔獣は泣いていた
ぐっと巨体を前屈みにして
硬直している勇者さんを見下ろす
その拍子に
フリルのついたエプロンが揺れた
零れ落ちた涙が
幾つもの水たまりを作る
「……どうして勇者になど、なったのだ……?」
「……?」
とつぜんの問いかけに
勇者さんは疑問符を浮かべている
対照的に、壁に縫いとめられているトンちゃんの顔色が蒼白になった
いち早く治癒魔法を詠唱変換した彼は
魔力の束縛を逃れて、床に片ひざをついている
苦しげに咳き込んでいたトンちゃんは
まさかと顔を上げる
そして絶句した
彼は、以前から疑問に思っていたのだ
勇者さんは、アリア家の人間としては破格に甘い
それは、幼い頃からはっきりと現れていた兆候だった
だから、トンちゃんは常々こう思っていた
あまり父親に似ていない子だと――
勇者さんの姉は、アテレシアという
麒麟児と称しても良い、アリア家の次期当主だ
勇者さんは、あらゆる点で実姉に及ばない
それは、まだ彼女が幼いからだと思っていた
アリア家の人間は、学習能力が極めて高い
先に生まれたものが能力で勝るのは
アリア家では当然のことだ
――そうではないのだとしたら?
トンちゃんは、対峙する勇者さんと巨鳥を見つめる
ふたりに共通する猫耳が
まるで、この世でたったひとつの
きずなであるかのようだった
ぞっとした
すべてのピースがつながっていくような気がした
トンちゃんに両親はいない
もしも自分たちに親がいたならと考えたこともある
五人の姉妹の幸せを願っていたから
親という存在を神聖視しているふしがある
だから、そんなことが許されていいはずがないと思った
気が付けば叫んでいた
「パウロ! 彼女を戦わせるな!」
連合国の司祭だけが、魔力の対象外だった
彼の鎧は、騎士の制式装備とは材質からして異なる
感染条件から外れていたから、とり残されていた
司祭の少年は、おろおろしている
無茶は承知だ
未熟な少年騎士なら、万に一つも勝ち目はないという打算もあった
立ち向かえるかどうかも怪しい
とにかく時間を稼ぎたかった
しかし予想に反して、少年騎士は勇敢だった
「……勇者さま!」
勇者さんに駆け寄ろうとする小さな騎士を
強大な魔獣が見据える
すぐに興味を失って視線から外した
魔王の守護をする三人の魔獣は
都市級と呼ばれる分類に入る
魔物側の分類と人間側の分類は
王種がそうであるように
高位の魔物ほど一致する傾向にある
開放レベル4は
人間が扱える範囲の魔法を大きく逸脱しているからだ
ヒュペスは、少年騎士に魔力が通用しなかった理由を探ろうとは思わなかった
翼をひと振りするだけで
無数の圧縮弾が放たれた
「! ディレイ!」
少年は、とっさに突き出した片手を起点に力場をひろげる
しかし死角を埋めるという発想がなかった
「っ!?」
視界がぶれたと思った次の瞬間には
小柄な身体が宙を舞っていた
勇者さんの退魔性は、予想以上に欠損が進んでいる
とはいえ、いずれはそうなるとわかっていた羽のひとの対応は早かった
「リシアさん!」
勇者さんを絡め取っている魔力を、治癒魔法で焼き切る
「……!」
勇者さんは、自分の身体を蝕んでいるものの正体を考えないことにした
感情を制御し、思考の方向性を縛りつける
そういうことがアリア家の人間には可能だった
魔王を完全に滅ぼすまでは
退魔性を喪失するわけには行かなかった
いまの自分にどれだけの時間が残されているかわからなかったから
つとめて鈍感であろうとした
だから悲しげに吠えるヒュペスの追撃に対して
無策で当たるしかなかった
大半の圧縮弾は、勇者さんの意識に触れると同時に焼失した
焼き切れなかった圧縮弾もあったということだ
圧縮弾は、もっとも初歩的な投射魔法だ
それでも大型の肉食獣をひるませる程度の威力はある
目には見えない圧力に押されながら、勇者さんは考える
敵が何らかの方法で退魔性をすり抜けているなら――
いったんは距離をとるのも手だ
跳ねるように後退した勇者さんが、左右の宝剣を振るう
放たれた光刃を、魔鳥はことごとく回避した
ヒュペスは、さほど俊敏性に優れた魔物ではない
地上戦に限定すれば、獣人種のほうが上だろう
だが、人間とは比較にならないほど高速で展開される力場が
圧倒的な柔軟性を生み出していた
力場を踏み、掴み
巨体を振り回すように駆ける姿は
まるで氷上で踊る妖精のようだ
くちばしを打ち鳴らして、さえずる
その声は悲しみに満ちあふれている
「なぜ、なぜ……魔都まで来てしまったんだ……?」
「リジル、リジル……なにをしている? グラ・ウルー……」
戦列に復帰した騎士たちは、迷いから脱しきれていない
敵も、また迷っているからだ
困惑と悲しみしかなかった
「ヒュペス! もういい! やめろ。こんなのは……あんまりだ」
「お前たちは……王をころしてしまうのだろう? 子を見捨てろというのか……?」
「! だが、魔王は……」
「見捨てろというのか……。お前たちが、子狸をそうしたように!」
ヒュペスの双眸に怒りが灯った
咆哮を上げる魔獣に
アトン・エウロは決断を下した
「行け! こいつは私が仕留める!」
その宣言に、巨鳥がぐりっと首をねじって
自身の十分の一にも満たない小さな人間を見下ろした
「しとめる……? お前が、おれを? たった一人でか? 笑えない冗談だ……」
トンちゃんは答えない
ただ、笑った
「戦隊級の次は都市級か。あの世で、いい土産話になるな……」
帝国騎士団は、身命を賭して魔軍元帥と共に地中へと没した
彼らがいなければ、王国騎士団は第二のゲートで挟み撃ちにされて敗退していただろう
そのとき、帝国騎士団を率いていたのが
不死身の男……マイカル・エウロ・マクレンだ
いかなる戦場からも生還する、あの男は――
「そいつは困るな。そんなところに行っても、おれはいないぜ」
やはり、このときも戦場に帰還した
安堵の息をついたのは、連合国の司祭だ
「良かった、間に合った……」
帝国騎士団の動向は把握していたのだろう
まさかと振り返ったトンちゃんが
見紛いもしない勇姿に唖然とする
そこに立っていたのは
漆黒の戦団を引き連れた不死身の男だ
すでに半裸だった
男は、ふてぶてしく笑った
「いよいよ参ったな。あの世も出禁だ」
帝国騎士たちが、どっとわいた
マイカル・エウロ・マクレンは、むっとして参謀に食ってかかる
「笑いごとじゃねーんだよ! 娘のために買っておいたプレゼントがおしゃかだ! どうするんだよ。もう小遣いねーぞ!?」
不死身の男はお小遣い制だった
にやにやと口元をゆがめている参謀が
トンちゃんを指差して言った
「おちつけって、マイク。金なら、王国最強の騎士に借りればいいさ。ぜんぶ終わったあとでな」
「それは名案だ。何よりも素晴らしいのが、お前らは貸してくれない前提になってることだな。思いやりのある部下に恵まれて、おれは幸せだよ」
空気を読める魔ひよこは
空気を読めない勇者さんの光刃をひょいひょいと避けている
この場にいる誰よりも年少の騎士が
トンちゃんに言う
「行って下さい。ここは、連合国騎士団と帝国騎士団が押しとどめます」
本音を言えば、あなどっていた連合国の子鼠に主導権を握られたようで
トンちゃんは面白くない
「しかし……」
「僕らには、僕らの切り札があります」
その言葉で腹が決まった
帝国騎士団が魔軍元帥の足止めを出来たのは
おそらく戦歌の発展形によるものだ
あの悪名高い連合国のことだ
帝国とは、またべつの発展形を隠し持っているに違いない
頷いたトンちゃんが、少年騎士の肩を手甲で小突いた
「だが、妹は嫁にはやらん。騎士はだめだ。とくに称号騎士はな……」
「こっちから願い下げですよ! あんたの妹、働く気がないでしょ!」
三人の中隊長が揃った
不死身「あのな……」
どるふぃん「では、行く。マイカル、お前とはもう口をきかん」
不死身「いいけど、あとで金を貸してくれ。それはともかく……」
そう言って、不死身の男は口ごもった
伝えるべきか、伝えないべきか
悩んでいるようだった
あのとき――
帝国騎士団は、魔軍元帥に救われたのだ
崩れ落ちてくる岩盤を
下から支えたのは、黒騎士の魔力だったように思う
もっとも意識を失う直前のことだったから
確信は持てなかった
魔王軍の総指揮官が、帝国騎士団を助けた理由もよくわからない
目を覚ましたときには、黒騎士は去っていた
不死身「……いや、何でもない」
悩んだすえに、彼は沈黙することを選んだ
彼の考えでは、魔軍元帥はべつにいる
そして、それが現実のものになったとき
人類の敗北は確定するからだ
だが、つの付きは……
あれは、替え玉で終わることをよしとしないだろう
むきになって聖剣を振っていた勇者さんが
黒雲号に回収されて戻ってきた
勇者「…………」
妖精「リシアさん……」
パワーアップしたはずなのに
もの凄くパワーアップしたはずなのに
まったく活躍できなかったことがご不満の様子だった
妖精「つ、次こそはリシアさんの出番ですよ!」
勇者「……べつに出番とかは気にしていないわ」
でも、ちょっと機嫌が直った
並び立った帝国騎士団と連合騎士団が
魔獣と相対する
彼らにあとを託して、王国騎士団は先へ……
名残りを惜しむように振り返った彼らに
魔ひよこが微笑んだ気がした