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崩壊の兆し

 唯一の誤算は、牛のひととの遭遇だった


 入口とゲートのある部屋が直結してしまうようでは

 迷宮の意味がない

 それだけはないと思っていた


 しかし、何事にも例外というものはあるらしい


 勇者さんは、はじめから

 最強の名を冠する獣人と

 まともに戦うつもりはなかったのだ


牛「……?」


 床を伝う、かすかな振動に牛のひとが眉をひそめる


 ここ迷宮において

 あらゆる不正は正される


 ひと部屋ごとに人数制限が課されているから

 迷宮のあるじが絶対的な優位を保てる一方で

 魔物たちが得意とする人海戦術は成立しない


 それは、つまり騎士団の実働小隊に対し

 配下の骨のひとでは荷が勝るということでもある


 いま、迷宮の内部では何が起こっているのか

 すぐに思い当たった牛のひとは、勇者さんの貧困な発想を笑った


牛「迷宮を崩すつもりか。……無駄な足掻きを。いままで、そいつを試した人間がいなかったとでも思っているのか?」


 牛のひとが最強の獣人と呼ばれているのは

 圧倒的な膂力を誇る彼女と

 限定された空間で対抗するのが困難だからだ


 ならば迷宮を破壊してしまえばいいと考える人間は当然いた

 ゲートは埋まってしまうだろうが、あとで掘り起こせばいい


 人類は結界のノウハウを持たない

 だから目に見える石造りの難攻不落の要塞を

 殲滅魔法なら破壊できると思いこんでしまう


 彼らは知らなかったし、今後も知る必要はない事柄だ


 魔物は、人間に、必勝法を、許さない――


 牛のひとは勇者さんの反応を見逃すまいと

 聞きとりやすいよう、ゆっくりと解説する


牛「この迷宮はな、おれが編んだ特別製の結界だ。仲間に妖精がいるんだ、一度くらい聞いたことはあるだろう――」


 そう言って、鳥かごの中でわめいている羽のひとを肩越しに見た


牛「人間に結界は崩せねーよ」


 牛のひとが、勇者さんにしなだれかかる

 華奢な肩に体重を感じて、勇者さんは頷いた


勇者「あなたの言うことは正しいわ。過去の勇者は、誰も彼もが甘すぎる……」


 彼女は、じつに人間らしい仕草で嘆息した


勇者「……彼らが一度でも試していてくれれば、こんな博打に付き合う必要はなかったのに」


 勇者さんは、牛のひとと目を合わせた

 いっさいの感情を示さない瞳で見つめられて、思わず牛のひとは後ずさる


 次の瞬間、跳ね起きた騎士たちが守護防壁を展開した

 特装騎士の二人がトンちゃんの治療に当たり

 残りの二人が骨のひとに突き刺さっていた騎士剣を回収する


骨「ぐふっ」


骨「傷は浅いぞ! しっかりしろ……!」


 勇者さんに駆け寄った実働騎士たちが

 彼女の前後左右を固める

 彼らは、じっと耐え忍び、このときを待っていたのだ


 牛のひとはレベル3の魔物だ

 超化した防性障壁を力尽くで引き裂くことも出来る


 だから、迷宮の崩落に備えての堅陣なのだと思いついた

 こん棒を固く握りしめた牛のひとが苛立ちを露わにする


牛「だから無駄だとっ、言っ……」


 不意に語気が弱まったのは

 意識を取り戻したトンちゃんの表情を目にしたからだ


 断続的に迷宮の壁を伝う振動は

 もはや人間の大雑把な感覚にも、それとわかる大きな揺れになっていた


 トンちゃんは憮然としていた


 すべてを理解した牛のひとが、はっとして壁を見る

 剣呑な眼差しだった

 彼女が本当に睨みつけたかったのは

 迷宮の外で暴れている鈍色の集団だった


牛「連合の鼠坊主かッ……!」


 王国騎士が白アリに例えられ

 帝国騎士が黒アリに例えられるように

 連合騎士は、ねずみさんに例えられる


 鈍色のプレートメイルが、ねずみさんたちの毛皮を彷彿とさせるからだ

 王国騎士団と帝国騎士団などは

 連合国騎士団のお茶目な一面を評して“ドブネズミ”と呼ぶこともあった

 

 連合国は、常にルールの裏を突いてくる


 ノイ・エウロ・ウーラ・パウロ……

 世代最年少の中隊長が姿を隠していたのは

 子狸と面識があるからだ


 魔物たちは三大国家の首脳陣と裏でつながっている


 たとえば小国を結びつけるための手段として

 勇者を信仰する巨大な宗派が存在したとする

 魔物の脅威に晒されている人間たちは、勇者の正義を否定しない


 どの宗派に属しているのかと問われたなら

 ほとんどの国民が、しいていうなら、と候補に挙げる……

 その宗派の頂点に位置する存在が、一国を代表する人物ではないと言い切れるか


 その少年の身分は、すべてが偽りだ

 お飾りの中隊長(エウロ)、お飾りの司祭(ウーラ)……

 とくべつな教育を施された、連合国の刺客……!


 ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは知っている

 おれたちを縛るのは、おれたちが自身へと課したルールだ


 おれたちの子狸さんに馴れ馴れしく接してくる憎たらしい子鼠め……!


 騎士が拾って来てくれた剣を、勇者さんが鞘におさめた

 動揺を隠しきれない様子の牛のひとに、勇者さんが端的に告げた


勇者「この迷宮は崩壊する。あなたの負けよ」


 彼女は、以前に結界の崩しかたを耳にしたことがある

 とある人物から聞いたのだ

 

 ある人物は言っていた

 完全な結界はないと


 また、べつの人物はこう言った

 一人では観測がぶれると


 そして、おれたちは首脳会議の席で

 魔界の設定について熱く語ったことがある


 二つの世界をつなぐためには

 内と外の両方から同時に干渉しなければならない


 現在、牛のひとの迷宮は

 迷宮内部の王国騎士団と

 迷宮外部の連合国騎士団

 双方からの砲撃に晒されている


 突入した王国騎士団が魔物の襲撃を受けることを見越して

 おそらく数分後を目安に動き出したのだろう


 勇者さんは、アリア家の人間だ

 少し練習すれば、正確な時間の計測が出来る


 歴代の勇者は、迷宮に突入した味方もろとも

 牛のひとを生き埋めにしてしまえとは言わなかった


 大隊長、中隊長が指揮をとっていたこともある

 しかし、外から砲撃すると言われて

 では自分たちが突入しますと言う人間はいなかった


 これは前人未到の作戦だ


 ……じっさい、どうなの?

 理屈には適っているように見えるけど

 いま、この場には子狸がいない

 それを理由に、はねのけてしまっても良いだろう


 何より、これを受け入れてしまうと

 牛のひとの今後の活動に支障をきたしてしまう


 発言者は挙手をお願いします


 ※ はい!


 はい、誰かわからないけど早かったですね

 お願いします


 ※ 迷宮のおもな成分は魔力ということにすればいいと思います!


 はっきりと結界って言っちゃったよね

 却下。次


 ※ はい!


 お、いいね

 その調子でどんどんお願いします


 ※ 勇者さんは剣士だよね

   今回は縁がなかったということにすればいいと思います!


 それだと勇者さんの立場がないよね

 さいきん、ちょっと自分の存在意義について悩んでるみたいだから

 ここは穏便に済ませてあげたいのです


 ※ ふむ……。ここはグランドさんの出番じゃないか?


 ふむ。具体的には?


 ※ とつじょとして連合国騎士団に反旗をひるがえす


 よりによって母国だよ……

 却下! 次!


 ※ もう面倒くさいから通しちゃえよ

   次からは見えるひとを迷宮の外に配置すれば解決だろ


 まあ……

 他に意見は?


 ※ どうやらおれの出番のようだな

  ※ グランドさん、こっち! おれを……おれたちを見てくれ!


 ※ 鱗っち!

  ※ よし来た! 跳ねやん、来い!

   ※ とうっ! よしっ、猫さん!


 ※ 行くぜっ……! 燃え上がれっ、おれたち!


 ※ おれっ

  ※ レボリューション!

   ※ がしーん! ぱおーん


 ※ おおっ、まるでトーテムポールだ……!

  ※ これは見事な組み体操……!

   ※ ……おれも! おれも混ぜてくれ!


 連合国の騎士団が殲滅魔法を連発する傍らで

 跳躍した跳ねるひとが、鱗のひとの肩に乗る

 跳ねるひとの肩に舞い降りたのは、大きく翼をひろげた魔ひよこだ

 二人ぶんの体重を支える鱗のひとの足腰は強靭で

 迷宮の外壁に着弾した爆撃の余波にも、みじんも揺るがない


 一方その頃、迷宮内部では――

 壁面を睨みつけている牛のひとを

 復活したトンちゃんが険しい面持ちで見つめていた


 勇者さんの作戦は

 迷宮を破壊することで牛のひとの優位を崩すというものだ

 牛のひととの遭遇は誤算であり

 だからトンちゃんは、ゲームをしようという牛のひとの提案を

 とっさに断った


 もしも牛のひとを迷宮の外に誘き出せれば勝てるかもしれないと

 彼の理性は告げていたが

 そのような発想があることを悟られたくなかったからだ


 完全に裏を掻いた筈だ

 王国騎士たちが固唾をのんで見守る中

 つ、と目線を寄越した牛のひとが

 おどけるように肩をすくめた


牛「やれやれ。けっきょくは元帥の言った通りか……」


 その発言に不吉なものを感じたのは

 トンちゃんだけではなかった


 ひときわ大きな振動が迷宮を揺さぶる

 作戦の始動時刻は各々の感覚に委ねざるを得なかったから

 最初の揺れを合図に一斉に砲撃を開始したのだろう

 本格的な爆撃がはじまったのだ


 天井に亀裂が走る

 崩れ落ちてくる大小の破片を

 牛のひとは難なく避けた


 くるりと背中を向けた女性の姿をした獣人が

 ゲートから離れて、のんびりと部屋を横切る

 ゆったりと尾が揺れていた


 どこへ行くのか、という問いが発されることはなかった

 牛のひとが、遠ざかりながらも勇者さんに語り掛けたからだ

 いや、それは勇者さんに向けた言葉ではなかったのかもしれない……


牛「最後に教えておいてやる。勇者よ、よくぞこのおれを打ち倒した……なんちゃって」


 冗談めかして言う

 その態度は余裕の表れなのか、それとも……?


牛「この世から争いがなくならないのは、お前たちが大切なものを見つけたからだ」


 人類は、後世に知識を伝えることを学んだ

 その対価を、彼らは支払い続けている


 掛け替えのないもの……

 牛のひとがささやいた


牛「お前たちは、おれたちには“それ”がないと思っているんだ」


 部屋を出ていく前に、彼女は一度だけ振り返った


 獣人種最強と謳われる魔物が、寂しげに微笑んだ


牛「おれの言ってること、伝わってないんだろうなぁ……」


 想像力の欠如を嘆いた牛のひとが

 尾を揺らして去っていく


 とうに理解し合うことを諦めていた騎士たちが

 硬直したように佇んでいた


 差し伸べた手を振りはらったのはお互いさまだ

 それなのに後味の悪さだけが残った


 トンちゃんが勇者さんを見る

 彼女が心配だった


 自覚はないようだが

 彼女の感情制御は綻びつつある


妖精「リシアさぁん!」


 解放された羽のひとに


勇者「リン」


 ほっと表情をゆるめた勇者さんは

 ……彼女との触れ合いを

 牛のひとは何ら苦にしていなかった


 強力な魔物だったから? そうなのだろうか……

 トンちゃんの胸に、一抹の影が差す


 魔法が通用しないというのは、剣士の大きなアドバンテージだ

 それが失われたとき、魔法使いではない彼女は、何者になるのであろうかと

 このときトンちゃんは、はじめてアリア家の特性を危ぶんだ


 自覚してしまったら、加速度的に崩壊は進むのではないかと思うと

 忠告する気にはなれなかった


 のちにトンちゃんは、このことを何度も思い出すことになる


 ――勇者さんの退魔性は、すでに欠損しはじめていた



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