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敗戦

騎士H「おれたちは、こんなところでのんびりしていていいのか……?」


 騎士Hの言いぶんは、しごく真っ当であった


 ベンチに引っこんだ子狸は、ボーナスゲームの推移を見守っている


子狸「目の前のことから片付けていくしかないんだ。一歩ずつ……一歩ずつでもいい。少しでも先に進むんだ」


 深刻そうな口ぶりだったが……

 バウマフ家の人間は、瑣末な出来事をさも大事であるかのように話すところがある


子狸「そう……。一歩ずつでもいい」


 一歩ずつというフレーズが気に入ったらしい

 さいきんの子狸さんは、ますます適当さに磨きが掛かってきたように思える


子狸「一歩ずつだ」


 しつこい


 フィールド上では、密集陣形を組んだポンポコ騎士団と魔物勢が激しくぶつかり合っている


しかばね「押せっ!」


騎士A「抑えろ!」


 歩くひとは、魔物チームの司令塔にして攻守のかなめである

 エプロンドレスをはためかせて先陣を切る彼女は

 じつに華のある選手だ


 ばうまふベーカリーのほうは、弟子の火口のんとかまくらのんが

 一人前に育つのを待ってから任せてきたらしい


 彼らは多少……人間の街で暮らすには不都合が発生する形態をしているが

 そのあたりは心理操作でどうにでもなる

 今日も張り切って触手を振るっていることだろう

 ここさいきんのお前らの自由ぶりは目に余るものがあった


 ライン際の攻防では、敵味方が密集しての陣取り合戦になる

 身軽ではあるものの、膂力に劣る子狸の出番はなかった


 当然のような顔をしてついてきた黒妖精さんは

 フィールドの上空で違反行為に目を光らせている

 たぐいまれな飛行能力を持ち、小回りがきく妖精属は優秀な審判だ

 何より公平で、実力行使をためらわない


 腐っても都市級ということか。非凡なバランス感覚を持っている

 その点、緑のひとはジャッジが甘いし

 でっかいのは自己顕示欲が強すぎる


 ※ 腐っても……?


 発酵食品が社会の発展に寄与したことは疑う余地がない

 それは、とても素晴らしいことなのですよ。ぽよよん


 子狸は、大いなる未来に思いを馳せている


子狸「まだ焦る時間帯じゃない。いまは力を蓄えるんだ」


 その瞳は明日への希望に満ちあふれていた

 あまたの人間を破滅へと導いてきたバウマフ家のそれらしき発言だ


 しかしポンポコ騎士団のメンバーには、子狸への耐性があった


騎士H「……おれは、べつにこの試合について言ってるんじゃないぞ? もっと先の……」


子狸「同じことだ」


 颯爽と立ち上がった子狸が不敵に笑う


子狸「台詞はあとで考えるとしよう。好きな言葉を入れてくれ。いまは……おれを信じてくれ」


 なにをどう信じればいいのかはわからなかったが

 騎士Hは感銘を受けたようだった

 しょせんは子狸に命運を託した一人である

 

騎士H「やはりお前だ。お前しかいない……。この戦乱に終止符を打てるのは」


 ハードルが低すぎる

 王都で勤務していた騎士は、子狸への耐性がある一方で

 過剰な期待を寄せる面があった

 子狸さんがふだんは隠している真の実力に

 薄々勘付いているのかもしれない……


 ※ うむ……能ある鷹はつめを隠すと言うからな

  ※ 見ろよ、あの鋭い眼差しを……

   ※ あれは、晩ごはんのメニューを考えている目だ……しかし、より深遠でもある……


 

【こちらシリアス担当】山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん【勇者一行】


 一足一刀。すなわち一挙動で首を狩りとられる距離だ


 アトン・エウロとメノゥイリスが対峙している

 王国最強の騎士(ジェステ)と獣人種最強の守護獣(カーバンクル)が対峙している――


 若き武将(エウロア)が、力なく横たわっている部下たちを意識圏内から外すことはない

 劣化した退魔性が人にもたらすものは、魔眼――闇に棲む魔物の視点だ

 

 絶体絶命の状況にあって、熾烈の異能持ちが嫌悪感を露わにしている

 激しい敵意を訴える双眸とは裏腹に、その口調は穏やかですらあった

 部隊を率いるものとしての自制心がそうさせるのだ


 また、そうでなくてはならなかった

 この怒りに身を委ねてしまったら

 きっと“戻れない”とわかっていたからだ


 過度魔法の開放条件は、じつはよくわかっていない

 だが、その条件の一つが“怒り”であることは確かだった

 さらに条件は多岐に渡る

 非常に複雑かつ多角的なもので、実質的にはコントロールできない


 アトン・エウロは、外法の力に手を染めることに強い忌避感を覚える――


どるふぃん「ゲームに興味はない! 私と戦え! メノゥイリス!」


牛「安い挑発だ」


 イリスは笑い飛ばした

 メノゥという呼称は、魔物の人格を認めない言葉だ

 しかし彼女は、その無礼を許した


牛「アトン・エウロ……。お前ほどの魔法使いを失うのは惜しい」


 強大な魔法使いは、有力な魔力の供給源でもある

 千年前とは比べものにならないほど、この世界に魔法はなじんでいる


 優れた戦士であるということ

 それは、つまり多くの選択肢を持っているということだ


 二人の視線が空中で交錯して火花を散らす


 同胞たりえない両者の間で

 あらゆる可能性が浮かんでは消える

 

 まるで共同作業のように

 二人の紡いだ物語が、高速で展開されて

 そのたびに破棄されていくかのようだった


 それは、勇者さんには理解できない領域の出来事だ


 だが、もう止まらないことはわかる

 迷宮の空気は異様に澄んでいた

 一度、深呼吸した勇者さんが宝剣の剣尖を揺らす


妖精「……わたしは……」


 肩の上で気息を整えていた羽のひとが不意につぶやいた

 その声に決死の覚悟のようなものを感じとった勇者さんが言う


勇者「リン、あなたは援護に徹しなさい」


 勇者に付き従う光の妖精は、リンカー・ベルという

 彼女には、おそらく高速で戦闘を展開する獣人の動きが見えていた

 そうでなければ、ああも的確に光弾を撃てないだろう


 妖精属の潜在能力は高い

 もしかしたら戦隊級に匹敵するかもしれない


 だが、もともとは人間の街で商人の真似事をしていた妖精に

 そこまで求めるのは酷だ


 彼女には、圧倒的な強者と相対したとき硬直してしまう悪癖があった

 いや、それは生物としてごく自然な反応なのだろう……

 いかなる状況でも不屈の闘志を燃やした子狸のほうが異常なのだ

 そして、心理的な負荷を意識的に排除できる自分もまた……ふつうではない


 もとより自覚はあったが

 巨獣との戦闘を経て、勇者さんは自身の異能を改めて意識するようになった


 古狸の迷い言を真に受けてしまったらしい


 ※ 失礼な。おれはいつだって真剣だ

  ※ 余計に性質が悪い

   ※ ふっ。牛のひとと勇者……か。いざとなれば、おれが出てもいいが……


 ※ おい! グランドをとりおさえろ!

  ※ ふっ、なにをおそれる。おれが怖いのか?

   ※ 怖いよ! お前の孫は負け癖がついてるし……どうしてこうなった……


 ※ ならば新たな刺客を送らねばならんな……。マリはどうしている?

  ※ パンを焼いてるよ

   ※ そうか。やつは、すでにおれを越えた。万に一つも後れをとることはあるまい……


 ※ 偉そうに言ってるけど、お屋形さまは十年前にはお前を越えてたぞ

  ※ 試合と実戦は違う……そういうことだ

   ※ それを踏まえた上で言ってるんだが……なんなんだ、こいつらの自信は……

 

 感情を制御した勇者さんには、人形めいた美しさがある


勇者「あなたを、ここで失うわけにはいかない」


 彼女は希有な剣術使いだ

 ふだんは偉そうに就職しろと言ってるわりに

 身のまわりのお世話は狐娘たちに一任している


 一時期は、もう色々と諦めてしまったのか

 非効率的だからと自分から動こうとはしなくなった


 しかし、動かなければ動かないで邪魔になるのが剣士だ

 ひまを持て余した勇者さんが見つめているだけで魔法の働きは心なしにぶる


 このままではいけないと思ったのだろう

 さいきんでは食事前になると率先してお皿を並べるようになった


 彼女は自分の仕事に誇りを持っている


 狐娘たちを非アクティブなだめ人間と定義するなら

 勇者さんはアクティブなだめ人間に分類される


 なぜ、こんなことになってしまったのか……

 原因は、はっきりしている

 うっかり担当の子狸さんがいなくなったせいだ


 隔絶した残念力を有する子狸さんの不在は

 勇者さんの一見すると優秀そうな雰囲気を脅かしつつあった……


 その彼女が、羽のひとに淡々と告げる


勇者「リン、あなたが心配なの。あなたは優しすぎる……」


妖精「リシアさん……。でも……わたしは……」


 羽のひとは、勇者さんの将来がより心配なのだとは言わなかった


妖精「わたしはっ……このままじゃいられないんですっ!」


 最前線で身体を張ってボケてくれた子狸さんは、もういない

 水面下でツッコミ役からボケ役にシフトしつつある勇者さんの惨状に

 羽のひとは耐えられなかったのだ


 勇者さんの制止を振りきって飛翔する


勇者「っ……!」


 宝剣を閃かせた勇者さんが、即座にあとを追う


 トンちゃんと睨み合っていた牛のひとが

 急速に接近してくる妖精さんに片手を突き出した


牛「ディレイ!」


 同時にトンちゃんも動いた

 

どるふぃん「パル!」


 光を操作して編み出した分身を縦一列に配置する

 これは特装騎士が好んで使う切り札の一つだ


 急制止した羽のひとが、盾魔法の力場を妖精魔法で相殺した

 同格、同性質の魔法は打ち消し合う

 無敵の魔法は存在しない


 再発進した羽のひとが、牛のひとの懐に飛び込む


妖精「シューティング☆スター!」


 突き出した指先から、指向性を高めた光の散弾が放たれる

 彼女もまた成長していた

 戦隊級の耐久力を念頭に置いての集中砲火だ


 しかし、あまりにも愚直な戦法だった

 秘薬の販売を生業としていた羽のひとは、戦闘に特化したタイプではない

 

 彼女の突進を見越していた牛のひとは

 飛び上がって羽のひとの頭上をとった


牛「アルダ!」


 無明の闇が、羽のひとを包み込む

 どれほど固く決意しようと

 長年の葛藤から生まれた弱点は克服できるものではない


牛「エラルド!」


 着地した牛のひとは、すぐさまトンちゃんに向き直った

 人差し指を真一文字に引き結ぶと共に

 硬直した羽のひとを、闇で結合した鳥かごに閉じ込める


 すべては一瞬の出来事だった


 格子にしがみついた羽のひとが自らの無力を嘆いたとき

 王国最強の騎士は、彼女の勇気を内心でたたえた


 敵に魔法を使わせた

 これは大きい

 詠唱をスキップできるのは

 魔王軍では都市級にのみ許された特権だからだ

 

どるふぃん「チク! タク!」


 鎧を捨てたトンちゃんの動きは速い


 さしもの牛のひとも、至近距離から圧縮弾を撃たれては敵わない

 彼女の目にも止まらない戦闘機動の秘訣は、人間の予測を裏切ることにある

 上体を揺さぶってから、慣性を無視するかのように真横に跳んだ


 なまじ経験を積んだ勇者さんだから、牛のひとの姿が霞んで見えた

 早々に目で追うことを諦めた彼女は、トンちゃんと瞬時のアイコンタクトを交わす


 感情制御の異能を持つアリア家の人間は、おそろしく精密な動作が可能だった

 大きく踏み込んだ勇者さんが、両足を駆使して一回転した

 宝剣を突き出した片腕はぴんと伸びている

 光の軌跡が真円を描いた


 踊り子のように軽く跳ねた勇者さんの動きは、非常に正確で

 その軌道にはいっさいのぶれがなかった


 だからトンちゃんは、彼女に合わせるだけで良かった


どるふぃん「“2cm”!」


 彼の身に宿る異能は、指定した対象を2cmだけ動かすことができる

 注目すべきは、移動距離が2cmと固定されていることだ

 このおそるべき異能に囚われたものには、完全な硬直時間が発生する

 それは絶対のルールだ

 あらゆる事象の干渉を許さない絶対の約束――


 なにものも遮ること叶わない聖剣と

 あまねく異能の頂点に立つ物体干渉のコンビネーションだった


 ※ お前ら、緊急会議! これ、避けられねえんだけど!

  ※ うん、無理ですね

   ※ よもや牛さんが敗れるとはな……


 ※ ん~……

  ※ うん?

   ※ ペナルティだな


妖精「ああっ!」


 鳥かごの住人と化した羽のひとが悲鳴を上げた


 牛のひとを切り裂くかと思われた宝剣が

 拒否反応を起こすかのように霧散したのだ


 ※ 王都ルールだと!?

  ※ 王都ルール……!

   ※ なんてことだ……王都ルールに抵触したんだ!


 聖剣の起動と維持を担当しているのは、王都のんである

 その王都のんが、勇者さんとトンちゃんの暴挙を認めなかった……


 九死に一生を得た牛のひとが、ふてぶてしく笑った

 威風堂々と告げる――


牛「……ばかめ。知らなかったのか?」


 だが、彼女を以ってしても王都ルールの全容は把握しきれていない


 ※ おい。どういうことだ? いや、わかっている……

   青いの。お前、さてはおれのファンだな?


 ※ そうだったのか……

  ※ 思えば、王都のんは人型のひとたちには甘いところがある……

   ※ はぁ? 火口のんじゃあるまいし……よしてくれ


 ※ あ?

  ※ あ?

   ※ 喧嘩をするな。つまり……新ルールの追加なんだな? それほどなのか……


 ※ うむ……。トンちゃんの異能と聖剣のコンビネーションは強力すぎる

   おれも想定していなかった……

   ふつうに都市級に通用するだろ、あれ

   封印しよう


 ※ 具体案はあるのか?


 ※ ないよ。なんとかして誤魔化して下さいね

  ※ ちょっ……

   ※ 無理難題……


 だが、お前らは一つ忘れていないだろうか?


 牛のひとには、シナリオ管理に定評がある、例のあのひとがついているのだ


 ※ 骨っち……!

  ※ ああ……! そうだったな。骨っちなら、きっと……!

   ※ 無茶を言うなよ……


 口ではそう言いつつも、ふつうにとなりの部屋から歩いてきたカルシウムの化身が

 牛のひとに見えるよう、ぺらぺらとカンペをめくる

 もちろんステルスしているので、安心のカンニング体制である


 牛のひとの口ぶりは堂々たるものだ


牛「精霊の宝剣は最高位の存在だ。あらゆる事象に干渉する……目に見える作用が全てではない」


骨「(ぺらり)」


牛「アトン・エウロ……。お前の力は、すべての異能のオリジナルにあたる。ともに最高位……両者が衝突したなら……どうなる?」


 勇者一行が息をのんだ

 牛のひとの言わんとしていることを

 ようやく理解したのだ


骨「(ぺらり)」


牛「そうだ。優先権は、先行したほうがとる。終わりだ……」


 ※ よくわからんが……空間に干渉するから弾かれたということか?

  ※ いささか苦しくないか?


 ※ 仕方ないだろ。魔法と反発するって言ったほうが自然だけど

   トンちゃんは、異能と圧縮弾のコンボをよく使うんだよ

   そもそも聖剣は魔法じゃないっていう設定だし……


 ※ ああ、なるほど。うん、いいんじゃないか?

  ※ うん……悪くないね

   ※ 骨のひとは、相変わらず言い訳がうまいな


 ※ 言い訳をさせたら右に出るものはいないよね


 ※ ちょっとちょっと、誤解を招くような言い方はやめてくれる?

   なんか、その場しのぎで生きてきたみたいな感じになってる


 その場しのぎで生きてきたカルシウムの化身

 他の部屋で待機していた面々が、ぞろぞろと移動してきて床に座る

 本日の業務終了を祝してか

 宴会の準備をしつつ、のんきに観戦をはじめた


 ※ いやぁ、ふつうに負けたわ~

  ※ やっぱりチェンジリング☆ハイパーは反則だよな

   ※ だな。正直、閉鎖された空間だと手がつけられねーよ


 ※ 透き通ったのなら、そこそこいけるんだけどな~

  ※ そこは、ほら、おれら物質系だからさ

   ※ せめて自己分解機能が欲しいね。今度、管理人さんにお願いしてみようぜ


 向上心があることは良いことだ

 どうやら、次発以降の実働小隊は無事に迷宮を突き進んでいるようだった


 羽のひとは囚われた

 勇者さんとトンちゃんの切り札は王都ルールの前にあえなく散り……


 ――戦闘は加速する


 トンちゃんの異能は連発できない

 もはや牛のひとを止めるものは何もなかった


 なりふり構っている場合ではないと

 勇者さんが腰の騎士剣を抜き放つ


 宝剣の調子がおかしい

 苦しげに明滅を繰り返している


 ペナルティの演出だ

 王都のんの芸は細かい

 ぽよよんとか言って可愛い子ぶっているが

 本質的に嗜虐的なのだ

 容赦というものがない


 ※ おい


 鬼のひとたちの手で生まれ変わった鉄剣は

 軽量化したことで使い回しが良くなった

 それでも、非力な勇者さんが片腕で自在に操れるほど軽くはない

 勇者さんの場合、重量で叩き斬るよりも

 退魔性で斬ったほうが良いと、匠たちは判断したのである


 勇者さんの刺突を、牛のひとは難なく避けた

 側面に回り込んで騎士剣を叩き落とす

 流れるように片足で叩くと、あるじの手を離れた剣が

 酒盛りしていた骨のひとにジャストミートした


骨「ぐあ~!」


 カンペを畳んだ骨のひとは

 物足りないものを感じたのか紙芝居劇を敢行している


 そこからは、実質的にトンちゃんと牛のひとの一騎打ちだった


 がむしゃらに宝剣を振り回してくる勇者さんをやり過ごした牛のひとが

 独特の足さばきでトンちゃんを翻弄する


牛「来いよ! 王国最強の騎士!」


どるふぃん「ゴル!」


 勇者さんのもとに駆けつけようとしたトンちゃんが

 敵の標的が自身に集中していることを悟って足を止めた

 周囲に放った蛍火で防壁を展開する

 守りを固めすぎれば、勇者さんが狙われると読んだからだ


牛「ぬるいんだよ!」


 蛍火を掻い潜って接敵した牛のひとが、しかし目を見張った

 突き出した腕をひじで逸らされたかと思えば

 重心を落としたトンちゃんに投げ飛ばされていた


 空中で器用に身をひねって着地した牛のひとが

 未知の武術に眉をひそめる


牛「なんだ? 捕縛術じゃねーな……」


 三大国家に属する騎士は、捕縛術と呼ばれる格闘技の習得を義務付けられている

 表向きは犯罪者を取り押さえるための技術とされているが、真相は異なる


 治癒魔法の詠唱変換(チェンジリング)を修めている騎士を無力化するためには

 圧縮弾では確実性に欠け、光槍では殺傷力が高すぎるということだ


どるふぃん「パル!」


 いらえは無用とばかりに攻勢に転じたトンちゃんが、再度の分身を試みる

 彼の異能は多大な集中力を要する

 先に生み出した分身を維持し続けることは出来なかったのだろう


 縦一列に並んだ分身は、本体の隠れみのだ

 しかし、トンちゃんは決定的な思い違いをしていた


 非力な人間が、魔物に技量で勝るというのは思いこみでしかない

 第三のゲートを守護する牛のひとは、最低でも二百年の歳月を生きてきた武人だ

 その戦闘経験は、いかなる騎士も及ぶところではない


 ぴんと片腕を伸ばした牛のひとが、突進してくる分身をあざ笑うように跳躍した

 空中で駒のように旋回しながら上下反転する


 派手なばかりで、実利のないアクションだ

 それゆえに、脇目を振らずに直進する分身は不自然そのものだった


 本体を特定するための行動なのだと、トンちゃんは瞬時に看破した

 だが、牛のひとにとっては、どちらでも良かったのだ


牛「紫電!」


 手足を屈めた牛のひとが空中で一回転する

 振り抜いた足が一人目の分身を蹴り砕いた


 トンちゃんの反応は、じつに素晴らしかった

 空中戦を選んだのは、無意味に回る牛のひとに勝機を見出したからだ

 とっさの判断だった。体勢は万全とは言えない

 それを補うために、空中で側転する

 かぶせるように踵を振りおろした


 これを、牛のひとは紙一重で見切る


 ――彼女の身体能力は、あらゆる面で人類を凌駕していた


 わざと隙を作れば、王国最強の騎士は勝負に踏み切ると読んでいたのだ

 人間ならば挽回できないような状況も

 牛のひとなら覆せる


 トンちゃんは、念力の回復を待つべきだった

 なぜ、そうしなかったのか

 彼は、自らの異能を嫌悪しているからだ


牛「三っ、連っ、破ぁっ……」


 空中で巨躯の騎士にのしかかった牛のひとが

 コンパクトにまとめたフックを二連発

 とどめに頭突きを打ちこんで、床に叩きつける


牛「からの~……」


 着地するなり、すでに意識を失っているトンちゃんを

 自慢のつのに引っかけて

 上空に放り投げた


牛「おれバスタぁーっ!」


 牛のひとのフィニッシュブローだ


 ※ それ、不要だったんじゃないかな……

  ※ 牛さんは、おれバスターに強いこだわりがあるね……

   ※ 子狸さんが大絶賛したのが良くなかった……


 ようは高い高いである


 高い高いでノックアウトされた王国最強の騎士を

 牛のひとは踏みつけにする


 読んで字のごとく赤子扱いだ

 勇者さんの斬撃が通用する相手ではない


 斬りかかってきた勇者さんの肩に腕を回して

 牛のひとはささやくように言ったのである


牛「ここで朗報だ。いまからでも遅くないぞ。ゲームをしようじゃないか」


 牛のひとは、選択権を勇者さんに委ねた

 そのために彼女を最後まで残したのである


牛「ただし、罰は必要だ……。わかるな? 今日は、もう受付終了だ。白アリどもを連れて、帰れ」


 王国騎士団に所属する騎士を、魔物たちは白アリと呼ぶ

 アリさんたちには申し訳ないが、あくせくと働く騎士たちは

 その制式装備のカラーリングも相まって、アリさんとよく似ているのだ


 命まではとらないと、牛のひとは言う


 だが、徹底的な敗北を喫して

 魔物に慈悲を掛けられた騎士団に

 再戦を誓う気概があるだろうか?


 牛のひとがやろうとしているのは、それだ


 子狸がいない勇者一行に、彼女は何ら価値を認めない


妖精「リシアさん……!」


 格子にしがみついている羽のひとが勇者さんに訴えかける

 再戦のチャンスがあるなら、縋るべきだ

 牛のひとには勇者さんを魔都にお持ち帰りするという選択肢もある


 そして、勇者さんは

 四つの宝剣を所持する子狸を誘き寄せる最高のエサになる筈だ


牛「さあ、二択だ。サービス問題だぞぅ……。しぬか? 退くか……」


 たしかに選ぶまでもない問題だった


 吐息が掛かるほどの至近距離から最強の獣人に見つめられて

 勇者さんは……


 ふ、と笑った


勇者「いいえ、どちらでもないわ。選択肢はもう一つある……」


 彼女は、笑えるようになった


 それは、おれたちが期待していたような

 花がほころぶようなものではなくて

 なんだか見覚えのある笑い方だった……


勇者「メノゥイリス……とても強いひと」


 勇者さんは言った


勇者「あなたの負けでもいい」



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