午睡の迷宮
牛のひとが住む迷宮は、結界の一種だ
内部は、真四角の小部屋が幾つも連なっている構造になっている
天井はそう高くない
迷宮に足を踏み入れた人間は、東西南北に配置された出入り口から
一つを選んで先に進むことになる
道順を記憶していれば戻るのは自由だが
迷宮の奥を目指すなら、それ以外の三つから選べばいい
ただし、順路というものはない
どの部屋と、どの部屋がつながっているのかはランダムだ
人数、時刻、月日、気温、退魔性など、さまざまな条件が絡んでくるため
魔法の構成を視認できない人間が法則性を解き明かすのは難しいだろう
つまり大人数の人間が、同じ部屋に飛ばされるとは限らないのだ
人間たちは、いろいろと工夫していたようだが
けっきょくは一個小隊ずつ突入することになる
チェンジリング☆ハイパーという戦技の特性上
分断されてしまった小隊は役に立たないからだ
騎士団の作戦行動は八人単位を前提としているから
他の小隊との連携には難がある
突入前に、トンちゃんは部下たちにその旨を通達した
どるふぃん「実働小隊ごとに突入する。第一部隊は私に続け。以降、第二部隊より順次、突入しろ」
中隊は十個の実働小隊からなる
勇者さんが挙手して言う
勇者「わたしは?」
どるふぃん「アレイシアンさまとリンカーさんは、私と共に行動してもらいます」
牛のひとはゲートのある部屋で待機していると見るべきだろう
避けては通れないから、とくべつな戦力は固めておいたほうがいい
トンちゃんは、羽のひとをリンカーさんと呼ぶ
商人に身をやつしていた頃は丁寧に接していたから
いまさら変えるに変えられないらしい
妖精「べつに呼び捨てでも良いですよ?」
黒雲号の頭の上で羽を休めていた妖精さんが
それでは部下に示しがつかないだろうと提案した
彼女は、トンちゃんが子狸を道端に捨てたことを
いまだ根に持っていた
飼えないなら拾うべきではないというのが羽のひとの主張で
拾われたのは自分だというのがトンちゃんの主張だった
二人の主張は平行線を辿るならまだしも、完全に一致していて
しかし事実を捻じ曲げようという意思が介在していたから
解決の糸口すら見えなかった
本性を現せと言われても、トンちゃんは苦笑するしかない
どるふぃん「いや……」
彼はおとなだったから、寒空の下に放り出してきた小さなポンポコについて
どうとでも言い繕うことができた
どるふぃん「彼なら、きっと一人でも生きていけますよ。多少、住むには不便ですが、部屋はとってあります」
トンちゃんの見立てでは、子狸さんは牢屋の中で一生を過ごすことになるようだった
トカゲ「キャンセルしておけ。無駄だ」
王都には、すでに子狸さん専用のスウィートがある
いまのところ引越しの予定はない
そう言って反論したのは、あぐらを掻いて頬杖をついている鱗のひとだ
どるふぃん「そういうわけにはいかんさ。学府の連中は喜ぶだろうしな」
うさぎ「トンちゃん、トンちゃん」
どるふぃん「なんだ」
跳ねるひとは月齢と共に肉体構造が変化する
ぽんぽんと前足でトカゲさんの肩を叩き、言う
うさぎ「おれら、見ての通りの図体だからね。迷宮には入れないから、よろしく」
どるふぃん「そうか。わかった。二人とも仲良くして待つんだ。いいな?」
少し目を離した隙に
突入部隊のマスコットキャラクターにおさまっていた
勇者「…………」
勇者さんは口を挟まなかった
無言で三人の遣り取りを眺めている彼女を
じろじろと見つめているのは
数奇な運命に導かれて勇者一行と合流した魔物使い(笑)である
古狸「…………」
品定めするような目だった
その視線に気付いた勇者さんが言う
勇者「なに」
古狸「いや、なに……」
冷たい眼差しに晒されて、謎の魔法使いは言葉を濁した
古狸「あのときの幼子が、大きくなったもんじゃ……と思ってな」
※ そのような事実はありません
※ グランドさん、ねつ造はやめて下さい
迷宮を見つめていた空のひとがうなった
騎士たちは、このひよこに一目を置いている
誠実な人柄は信頼に値するものだった
ひよこ「屋内での戦になる。人数制限、そして相手は、あの牛鬼だ……。用心しろ、都市級にも匹敵するかもしれん」
都市級本人がそう言うのだから間違いない
戦士たちが口々に慰めの言葉を掛ける
王国騎士「そう悲観するな」
王国騎士「おれたちには、王国最強の騎士と勇者がついてる。負けるものか」
しかし彼らは、待っていてくれとは言わなかった
ゲート開放戦の最難関はどこかと問われたなら
それは間違いなく牛のひとが待ち受ける迷宮だ
数の利を活かしにくく
内部で迂闊に殲滅魔法を撃てば生き埋めになりかねない
お馬さんを降りたトンちゃんが
くつわを引いて先陣を切る
屋内戦で騎馬の機動力を当てにすることは出来ないが
ここで置いて行ってしまったら
ゲートを通過していないお馬さんたちは魔都に入場する資格を失う
迷宮の外観は平たいお城だ
扉のない、四角く切り取られた出入り口から
先を見通すことはできない
暗澹とした闇が手招きをしているかのようだった
肩越しに振り返った王国最強の騎士が
勇者さんと、彼女の肩にとまっている羽のひとを一瞥して頷いた
どるふぃん「突入」
闇を分け入り、進む
そのあとに勇者さんと羽のひとが続き
八人の実働部隊と四人の特装部隊が詰める
第一部隊に所属する騎士たちの平均年齢は高い
齢にして四十を下回ることはないだろう
騎士団の中隊は、長によって大きく性格が異なる
トンちゃんの場合は、自身を作戦の軸に据えることが多い
あらゆる能力が飛び抜けて高いため、自然とそうなるのだろう
それゆえにトンちゃんの部下たちは
彼の戦速についていくことが要求される
もちろん体力も重要だ
若いに越したことはない。が、今回は経験を重んじた
より連携を重視したのである
同じ獣人でも
鱗のひととは、まったくタイプが異なる
どちらが、ということはない
鱗のひとは堅牢な魔物だ
決定打になるのは勇者さんの聖剣になるだろうと読んでいた
だから、強靭な外殻をも打ち崩せる異能の存在を印象付ける必要があった
しかし、今回ばかりは小細工を弄する隙がない
あらゆる不正は正される
この迷宮は、小さな空中回廊なのだ
覚悟を決めて踏み込んだトンちゃんが
かすかに目を見張った
彼らを出迎えたのは
ほのかに輝く光の扉だった
――ゲートだ
異常事態だった
“招かれた”のだと悟ったトンちゃんが
即座に声を張り上げた
どるふぃん「四方を固めろ!」
踏み出す
ゲートの横には、当然のように門の守護獣がいる
彼女自身も面食らっていた
すぐに思い当たったようで舌打ちする
さして慌てた様子もなく
愛用のこん棒を片手にとる
牛「……剣術使いか」
退魔性が強い人間は魔法を打ち破ることもある
より正確に言えば、構成が走らないため、結果がゆがむ
先手をとったのは勇者さんだ
彼女が所持している光の宝剣には詠唱が必要ない
同様に詠唱破棄できる羽のひとが光弾を叩きこんだ
牛のひとには、鱗のひとや跳ねるひとのような
隔絶した筋力を持たない
しかし一方で、彼らにはない身軽さがある
そして同時に、歩くひとを上回る膂力の持ち主だ
勇者「っ……」
妖精「速っ……!?」
彼女たちの視界から、牛のひとは忽然と消失していた
牛「ずいぶんと可愛らしい勇者だな」
その声は、背後から聞こえた
一瞬で回り込んだ牛のひとが
からかうように声を掛けたのだ
勇者さんは驚かなかった
彼女は歩くひとと戦ったときに
人間と魔物の地力の違いを肌で感じとっていた
素早く反転したときには
すでに腰の怪剣を抜き放っている
どのみち目で追えないなら、運に頼るしかない
思いきった戦法だ
そして彼女は賭けに勝った
これ以上はないというほどの
それは会心の一撃だった
それなのに、牛のひとは悠々とこれを避ける
ふたたび勇者さんの背後をとると
気安い仕草で、彼女の肩に腕を回した
牛「やめとけ、やめとけ。時間の無駄だ」
鱗のひとと跳ねるひとは、その巨体ゆえに見失うということがなかった
しかし牛のひとは違う
だが、歩くひとと戦ったとき、その場にトンちゃんはいなかった
彼は、王国最強の騎士だ
その身体能力は、人類の限界域にある
固めたこぶしは最短の軌跡を辿る
標的は牛のひとの後頭部だ
女性の“かたち”をしていることなど関係なかった
いつだったか、勇者さんは技術者集団の管轄を任せられていると言っていた
トンちゃんの妹たちは、アリアパパに見捨てられている
彼女たちを救ってくれたのは、まだ幼い頃の勇者さんだった
小さなあるじを傷付けようとするものに対して、トンちゃんは容赦しない
迫る腕を、牛のひとのしっぽが掴んだ
放り投げられたトンちゃんが、着地を待たずして圧縮弾を放った
左右に展開した実働部隊も続く
見事な連携だ
彼らは牛のひとを目で追うのではなく
トンちゃんの動きを基準にしていた
振り返った牛のひとが、こん棒を片手にぶら下げたまま
圧縮弾の隙間を縫って歩く
牛「お前が、アトン・エウロか?」
何事もなかったかのように接近されて
トンちゃんは認めるしかない
どるふぃん「……そうだ」
牛「そうか」
牛のひとは、つまらなそうに
自分のつのを指先でいじっている
気だるそうに言う
牛「もういいか? よくわかっただろ。お前らじゃ、おれには勝てねーよ。はっきり言うけど、お前たち人間に劣ってる点が、おれにはない。……まあ、さすがにスペシャルはないけどな」
どるふぃん「スペシャル……?」
牛「異能のことだよ。お前らが何て呼んでるのかは知らないし、興味もないけど」
誰も動けなかった
もちろん牛のひとが見た目に反した怪力を持ち
そして触れることも叶わないほどのスピード差があることも
事前の調査で、わかっていた
しかし具体的な数字を並べられたところで
じっさいに体験してみなければ理解できない領域というものもある
腕を支点に、こん棒を器用にくるくると回しながら
最強の獣人が言う
牛「いずれにせよ、お前はとくべつな人間なんだろう。だからゲームをしよう」
どるふぃん「……どういうことだ?」
牛「ひまつぶしだよ。このまま戦っても、お前らに勝ち目はない。お前らは、お前らが勝てるようなルールを考えて、おれを楽しませろ。おれが面白いと思うこと。これが最優先だな」
どるふぃん「……何故」
どうして、わざわざ自分が不利になるような提案をするのか
トンちゃんに問いかけに、牛のひとはさも当然のように答える
牛「最初から勝つとわかっているゲームを、お前は楽しめるのか?」
どるふぃん「ゲームなら楽しめないだろうな」
牛「ゲームなんだよ。お前らにとって戦いは運命を分かつものなんだろうが、おれにとっては少し違う。……いや、お前ならわかる筈だ」
牛のひとは、親密に微笑もうとして失敗した
彼女にとって、王国最強の騎士は他の人間と大差ない存在だったからだ
牛「お前から見て、他の人間はどうだ? 足手まといに感じたことも一度や二度じゃないだろう。つまり、それだよ」
どるふぃん「そうか」
トンちゃんは、納得して長く吐息をついた
どるふぃん「……ゲームと言ったな」
牛「悪い話じゃないだろ?」
じっさいは無茶な注文だった
何故なら実力で勝る牛のひとは、いつでも約束を反故にできる
トンちゃんは……
どるふぃん「だが、お前を倒して進めば問題はないな」
きっぱりと誘いを断った