不死身の男
湿地帯を東側に抜けると
その先にひろがるのは広大な草原だ
木々の生育には適さない土壌と気候なので
なだらかな丘陵が続く他、視界を遮るものはない
湿った風が吹く
瘴気を思わせる、嫌な風だった
ざあ、と草が波打つ
頭上には白い雲が疎らに浮かんでいるくらいで
よく晴れた日だった
このあたりは雨季ともなれば三日に一度は雨が降るから
青空が見えるだけで得した気分になる
だから、こんなにも理不尽に感じるのだと
特装騎士は自らを誤魔化した
樹上から見据えた先を
まるで雨雲の化身であるかのように
黒装の騎士が歩いていたからだ
色が似通っているというだけで
完全武装した帝国兵との相似点を探すほうが難しかった
それなのに無意識のうちに比較したのは
せめて同じ人間だったらと
心のどこかで願ってしまったからだ
手の震えが止まらなかった
吐き気がする
訓練で克服した筈の
魔物への恐怖を
臓腑ごと引きずり出されるかのようだ
庭園「ひゅー……ひゅー……」
でも吐き気なら負けていなかった
ステルスしたお前らが声援を送っている
骸骨「ゆっくりでいいから!」
骸骨「焦らないで!」
骸骨「まず完走しよう!」
※ まだ走ってたのか……
※ いや……そりゃそうだよ。あんな、くそ重い鎧を着込んで走ってたら……
※ いったい、どれだけの苦行なんだよ……?
すでに相当な距離を走破してきたようで
もはや完全にグロッキーだった
腕を振り上げる余力もないのか
地を踏みしめるたびに脱力しきった両腕がぶらぶらと揺れている
事情を知らないものからしてみれば
かなり……不気味だった
いかな百戦錬磨の騎士といえど
魔王軍の全軍統括者が一敗地にまみれて
失われた威厳を取り戻すためにマラソンに挑んでいるとは……
看破できなかったようである
動作は緩慢なのに
鬼気迫る様子の黒騎士を
樹上で息をひそめて見守るばかりだ
はっきり言って人間に構っている場合ではない子狸バスターが
まとわりつく視線に苛立ちを覚えたか
不意に顔を上げる
目が合った
庭園「ゴル……」
王国騎士「ッ……!」
詠唱が聞こえたわけではない
両者の距離は遠く隔てていた
だが、開放レベル4の魔法とは
すなわち都市級の存在感をはらんだイメージだ
庭園「メイガス」
とっさに枝を蹴って飛び退いた特装騎士が
空中で大きく仰け反る
眼前で炎が弾けた
――これが座標起点だ
レベル4の魔物は、わすが二つのスペルで
遠隔攻撃を可能とする
しかも必殺の一撃だ
人間たちの開放レベルは3が限界だから
開放レベル4の魔法を治癒魔法で癒すことは出来ない
これが都市級だ
魔王軍の最大戦力だ
反撃するひまもなかった
常夜の騎士が、ぼそりと喚声を吐き捨てるたびに
首筋を、うなじを、炎の舌が舐める
手加減をされている、などという次元ではなかった
当てようと思えば当てれた筈だ
不愉快だったから追い払われたのだと気付いたのは
じっさいに魔軍元帥の視界から逃れたときだった
特装騎士は愕然とした
敵に情けを掛けられた……
いや、それ以前の問題だった
敵にすらなれなかった
王国騎士「おれは……安堵しているのか……?」
命が惜しかった
死にたくなかった
絶大な魔力を持つ都市級と相対したとき
人は自らの弱さをさらけ出してしまう
だが……
騎士はきびすを返した
自分の無事を心から喜んでくれる仲間がいた
駆け寄ってくる同僚に、騎士は片手を上げて応えた
王国騎士「戦えるぞ、おれたちは」
いつしか手の震えは止まっていた
一人の騎士が生還をはたした頃……
睨み合っていた王国兵と帝国兵が緊張していた
トンちゃんと不死身さん
二人の中隊長が、騎馬を降りて
どちらからともなく歩きはじめたからだ
二人は初対面だった
ともに若く、ゆくゆくは両国の騎士団を背負って立つ存在だったから
おそらく熾烈を極めるだろう二人の対決を
政治家たちは望まなかったのだ
歩き出したのが同時なら
立ち止まったのも同時だ
そこに埋めがたい溝があるかのように
二人は一足一刀の間合いを避けた
なんだか放置され気味の勇者さんは黙って二人を見守る
今日も絶好調のネコミミが、所在なさげに畳まれていた
ネコミミはネコミミでも、にゃんこ代表の魔ひよこは
鱗のひとと仲良く原っぱに座っている
世間話などしていた
ひよこ「鱗っち、鱗っち」
トカゲ「あ~……いい天気だなぁ。ん? なんだい、猫さん」
ひよこ「魔王のお仕事に興味は有りませんか?」
いいぞ。もっとやれ
トカゲ「ないっすね」
おっと、鱗ガード。相変わらずの鉄壁だ
トカゲ「ていうか、魔王の正体は人間なんでしょ? おれ、担当部署が違うから」
鱗にこだわりがあるトカゲさん
このひとは、人型に化けても半獣半人をキープしようとする
※ 人間とは何だろう
※ うむ、深いな……
※ 姿かたちにこだわる必要はないのではないか……
一致団結するお前ら
トカゲ「いやいや、それなら牛のんとかどうよ? あのひと、ほとんど人間だし」
※ 同じレベル3として苦楽をともにしてきた鱗のひとは、牛さんに意見できる貴重な人材である
※ イリスちゃんはだめだよ。子狸ちゃんと敵対するの嫌がるでしょ
※ なぜか子狸さんには甘い牛さん。おれたちの何がいけないと言うのか……
※ そういうところじゃねーの?
ひなたぼっこしている魔獣と獣人も何のその
真剣な表情で睨み合うエウロの名を持つ男たち
口火を切ったのは不死身さんだった
不死身「貴様か、ジョンコネリの弟子というのは」
どるふぃん「そうだ」
トンちゃんは認めた
王国最強の騎士と称されるよりも
敬愛する上司の弟子と呼ばれたほうが嬉しかった
お返しとばかりにトンちゃんが言った
どるふぃん「貴様は、マクレン翁のひ孫だと聞く。血は争えんか」
不死身「……そうか?」
不死身さんは微妙に嫌そうだった
彼の曽祖父は、かつて勇名を馳せた中隊長だ
大隊長にはなれなかったものの
その清廉潔白な人柄で多くの部下に慕われた人物である
清廉潔白すぎて、ときとしてアーマーオフしてしまう癖があった
心を裸にするためには鎧を脱ぎ捨てねばならない……らしい
とにかく脱ぎたがるので、お前らもそのように対応せざるを得なかった
具体的には、流れ弾が何故か鎧限定でクリーンヒットする宿命だった
ちょっと目を離した隙に半裸と化している、油断ならない男だった……
不死身さんは、あの半裸の血を引いている
※ バウマフ家の人間をツッコミ役に回らせた恐ろしい男だったな…….
※ 当時の管理人さんは女の子だったからねぇ…….
※ そうか、不死身さんはセクハラ大魔神のひ孫さんなのか……
二人が向かい合っている間にも
特装騎士の報告が矢継ぎ早に飛び交っている
自分の部下が虚仮にされたと知って
トンちゃんが怒りをあらわにした
どるふぃん「……時間が惜しい。マイカル、貴様は勇者とともに先行しろ」
不死身「……念のために訊いてやる。何をするつもりか?」
つの付きの進行速度、第二のゲートまでの距離……
二人は直感的に把握していた
ここで、魔軍元帥を足止めしなくては挟撃される
見積もりが甘かった
魔王の傍らを離れることはないと高を括っていた
そのツケを支払わねばならない
誰が?
トンちゃんは言った
どるふぃん「無論」
いま、存亡の危機にあるのは王国だ
帝国ではない
しかしトンちゃんは、あえて別のことを口にした
不死身さんの人となりは耳にしていたから
利害ではなく、淡々と事実を言う
どるふぃん「やつに対抗できるとしたら、それは私しかいない」
不死身さんが踏み出した
トンちゃんの胸ぐらを掴もうとして、鎧に阻まれる
代わりに、固く握ったこぶしを胸当てに押しつけた
緊張が走る
王国騎士たちが臨戦態勢をとった
応じて帝国騎士たちも身構える
トンちゃんが部下を制した
どるふぃん「手出しをするな」
憤怒をまとった不死身さんに
にやりと笑う
どるふぃん「侮辱と感じたか? だが、事実だ。貴様では、私には勝てんよ」
一触即発の気配を、不死身さんは無視した
王国最強の騎士を怒鳴りつける
不死身さん「貴様はエウロだろう! 特装部隊の出だからと、甘えるな」
目先のことに囚われているトンちゃんを叱り飛ばす
不死身さんは辛辣だった
不死身「魔軍元帥だと? 未熟者め。貴様は、何のためにここにいる。ジョンコネリは、貴様を買いかぶっていたようだな。師の欲目か」
彼が何を言わんとしているのか
トンちゃんは理解していた
浮かぶ表情は逡巡だ
どるふぃん「マイカル。しかし……」
不死身「魔人に対抗できるのは、貴様しかいない」
だから、ここで切り札を失うわけには行かなかった
きびすを返した不死身さんが
部下たちに叫んだ
不死身「帝国騎士団、出るぞ! 敵は魔軍元帥! つの付きだ!」
どるふぃん「ばかな!」
トンちゃんが不死身さんの肩を掴んだ
魔軍元帥に対抗できる可能性があるとすれば自分しかいない
それは、はったりなどではない、歴然とした事実だった
どるふぃん「死ぬ気か? マイカル!」
肩越しに振り返った不死身さんが
ふてぶてしく笑った
不死身「名誉挽回の機会を与えてやる。おれのふたつ名を言ってみろ」
どるふぃん「不死身の人間などいるものか!」
だから、不死身さんは笑うのだ
不死身「死なんさ」
※ この流れは……
※ 出るぞ、出るぞ……
不死身「もうすぐ娘の誕生日なんだ。今年は家族全員で祝うと約束したんでな……」
登場人物紹介
・不死身さん
帝国騎士団の未来を担う中隊長。“不死身”のふたつ名を持つ男である。
お名前は「マイカル・エウロ・マクレン」。
実働部隊出身の叩き上げの中隊長だ。
困ったことに、無自覚にふらふらと死地に飛び込む癖がある。
放っておくと、しんじゃいそうで怖いと魔物たちを心配させている。
曽祖父同様、目を離せない存在である。やはり血は争えないらしい。