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第二の必殺剣

 強い――

 トンちゃんの表情が苦しげにゆがんだ


 いったいどれだけの魔法を打ち込んだのか

 少なからぬ手傷を負わせた筈だが

 敵は一向に堪えた様子がない

 膂力は言うに及ばず、耐久力の桁が違いすぎる


 ――これが獣人種

 ゲートを守る門番の一人か


 自惚れがなかったとは言わない

 しかし、この強大な獣人ですら魔王軍の中堅に過ぎない

 魔王軍の最大戦力は、都市級と呼ばれる魔獣たちだ

 勝てると思わないで、どうして先へ進めよう

 

 殲滅魔法の連発は人間にとって大きな負担になる

 すでに疲労はピークを迎え

 自分が自分でなくなるような

 めまいをともなう遠近感の喪失は

 もはや無視できないレベルに達していた


 五秒でいい。長い手足を駆使して迫ってくる巨体から目を逸らして

 眼下の光景に視線を移したいという欲求が増してくる

 長年、無理を通してきたから、よく知っている

 これは気絶の前兆だ

 意識が悲鳴を上げている

 

 ――まだだ


 部下を思った

 喚声を吐き出した


 民を思った

 力場を蹴る

 

 最後に頼りになるのは

 この身に刻まれた上官の罵声だ


 こんなところで意識を手放してみろ

 あとで何を言われるか、わかったものではない……


 次は?

 次はどうする

 自分は、まだ戦える

 次は――



 *



 人形のような子だな、と思った。

 書物の項をめくる手つきが、あらゆる感情を除外したものだったからだ。

 逸ることもなく、淡々と、手元に落とした視線で文字をなぞっている。

 書かれている内容に興味があるとは、とても思えなかった。


 こちらの呼びかけに振り返りはしたものの、椅子に腰掛けたまま読書を続行している。

 真ん中より下の妹たちと同じ年頃の――つまり一回り近くは年下の少女である。

 彼女が、自分たちの新しいあるじだった。


 呼び出しを受けたのは自分のほうだった。

 妹たちはまだ幼いから、その選択は納得できる。しかし……。

 無礼のないよう細心の注意をはらったつもりであったが、何か思いもよらない不備があったのかもしれない。

 その不安は杞憂に終わる。

 たしかに呼び出しはしたものの、予想よりも大幅に早く自分が到着したために待機時間が発生したらしい。

 彼女は魔法使いではないので、ときとして常人の感覚を見誤ることがあった。


 用件は簡単だった。

 名前がないのは不便だから、と彼女は言った。

 アトン、というのが自分の名前であるらしい。

 この国の言葉で「ひまわり」を指し示す単語だ。

 ずいぶんと可愛らしい名前だな、と思った。

 

 彼女が読んでいたのは花の図鑑だった。

 挿絵を指差して一つ一つ音読していくので、もしやこれは国語の授業なのだろうかと、めまいを覚えた。

 薔薇、百合、紫陽花、夕顔……そして最後にたんぽぽ。

 妹たちの名前を順に読み上げているのだと気付いたのは、部屋を出てからのことだったと思う。

 反応らしい反応を示さない自分に、小さなあるじが呼びかけた。


「……アトン?」

 

 

 *



どるふぃん「う! お! お! お! お!」


 まなじりが裂けるのでないかというほど目を見開き

 血を吐くような絶叫を上げたトンちゃんが

 片腕を突き出した


 一瞬、意識が飛んだか?

 足場にしていた力場は消失している


 自由落下に身をゆだねたことで

 奇しくも鱗のひとの一撃を回避する結果につながった


 叩きつけた視線は苛烈だ

 峻烈な闘志が巨獣を射る



どるふぃん「“2cm”!」



 生命の根源に根ざす“何か”が、たぎるかのようだ


 とっさに両腕を折り畳んでガードを固めた鱗のひとが

 空中に縫い付けられたのは、ほんのわずかな間だった

 その強靭な鱗にひびが入る


 ――全身の表皮に食い込んだのは雨だった


 同じことをもう一度やれと言われても無理だろう

 2cmという異能で、対象を何かにぶつけるのは分の悪い賭けだ

 絶対の決まりごとを遂行できないとき、異能は制御不能に陥る 

 

 史上まれに見るほど強力な異能だから

 トンちゃんの2cmは極めて暴走しやすい構造になっている


 最悪、お前らが土下座して許しを請う展開もありえた

 鱗のひとの剛運には頭が下がる


庭園「…………」


 え~……?


 凄く見られてる……どういうことなの


かまくら「庭園のん! めっ!」


庭園「しかし」


かまくら「いいから。ほら、これ」


庭園「おふっ。頭がきーんとする」


 ぐらりと巨体が傾いた

 ひざが折れる

 よろめき、力場を踏み外した鱗のひとが

 尾をひいて真っ逆さまに落ちていく


 一矢を報いたトンちゃんに、すでに意識はなかった


 王国最強の騎士と門の守護獣が

 地表へと吸い寄せられるように

 落ちていく……


外法「ッ……若!」


 力場を蹴って飛び上がった外法騎士が

 戦い尽くした中隊長を空中で受け止めた

 両腕が千切れるかと思うほどの負荷を

 凝縮した霊気が軽減してくれた


 すぐさま振り返ると、地上部隊に向けて叫んだ


外法「どけ! 落ちてくるぞ! 走れ!」


 敵味方を判別しているひまはなかった

 すでに駆け出していた外法騎士たちが、逃げ遅れたものを霊気でなぎはらう

 最後のひとりが落下地点から飛び退いたのは、本当にぎりぎりのタイミングだった


 全長十メートルを優に上回る巨人である

 さすがに受け止める勇気があるものはいなかった

 

 落下の衝撃で地面が揺れた

 とっさに盾魔法のスペルを唱えたのが半数

 残り半数は、泥の高波にのまれた

 とつじょとして沖合いに放り込まれたようなありさまだった

 荒れ狂う泥の海だ


 完全に中断した戦闘の合間に

 雨で泥をぬぐった実働騎士がつぶやいた


実働「やった……のか?」


実働「いや……まだだ! 撃て!」


 落下の衝撃で目を覚ましたらしい

 ぬうっと起き上がった鱗のひとが

 ふと目に止めたのは、大きな塔だった


 平坦な湿地帯で暮らし

 巨大な魔獣と肩を並べる鱗のひとにとって

 なにかを見上げるのは久しぶりの経験だった


 トンちゃんが気を失ったことで

 至るところに突き刺さっていた光剣は砕け散ったものの

 剛健を誇った鱗は、いまや見る影もない


 千載一遇の好機を、騎士たちは見逃さなかった

 無数の光槍が鱗のひとに迫る


 だが……


 何度でも言おう

 一対一でレベル3に勝る人間はいない


 本人ベースの変化魔法は、開放レベル3だ


 光槍を避けて、大きく跳躍した鱗のひとの傷口が泡立つ

 復元した筋繊維が躍動した

 まずは、小手調べとばかりに尾を叩きつけた

 塔が揺らいだ

 思ったよりは頑丈だ


 土魔法で作り上げた建造物は

 遺失技術に迫る成果を叩き出すことがある


 おれたちの魂を吹き込まれた砂上の楼閣を

 現場にいた子狸だから結界で再現することが出来た


 もう一撃

 今度は巨腕のひと振りだ


 凶悪な鉤爪が、壁面をごそりと削ぎ落とした

 大きく傾いだ塔を、鱗のひとが値踏みする

 あと、ひと押しといったところか……


 舌打ちして再度の跳躍


 騎馬を降りた実働騎士たちが

 一斉に傘の道を駆け上がる

 

 先んじて放たれた光槍を、ひらりとかわした巨人が

 群れなす騎士たちの布陣のど真ん中に降り立った

 視界の端に、外法騎士に背負われたままのトンちゃんをとらえる

 にたりと笑った


トカゲ「行け」


 泥が沸騰するかのようだ

 わき出した亡霊たちが、鬨の声を上げた――


 王国最強の騎士を下した鱗のひとが猛威を振るっている頃

 勇者一行は傾いた塔の内部をひた走っていた


 子狸が編み上げた力場の上を

 黒雲号と豆芝さんが競うように駆けていく


 念動力で進路の微調整をしている羽のひとが悲鳴を上げた


妖精「まだなの!? 同じのがもう一発でも来たら、へし折れちゃう!」


子狸「おれは管理人なんだ」


妖精「それ、さっき聞いたから!」


子狸「ぎょっとしたなぁ……逆に」


妖精「会話! お願いだから会話して!」


 豆芝さんにとって黒雲号は先輩にあたる

 じゃれるように馬体を寄せると

 大きな荷物を二つほど背負った黒雲号が負けじと鼻先で切り込んでくる


 アリア家で育てられた黒雲号は、騎馬としての訓練も積んでいる

 年季が違うと言わんばかりだ


 勇者さんが目をつぶっているのは幸いだった

 ポンポコキャッスルの壁面には、おれたちの活躍が刻まれている

 千年の歴史を削り出した無数の彫刻だ

 こだわりの浮き彫りが、おれたちの激動の日々を物語っている


 バーニングされているのが、あきらかに人間だったから

 万が一のことを思うと、背徳感に心が躍った


 この延々と続く坂道は、何なのかと言えば

 おれたちの助走経路である

 人型のひとたちの襲撃を予感したお前らの

 脱走経路という説もある


 耳元で喚く妖精さんに子狸が言う


子狸「振り落とされるなよ!」


 発射口が見えた

 併走する黒雲号と豆芝さんが

 われ先にとラストスパートをかける


子狸「跳べ!」


 お馬さんたちは、ためらわなかった

 子狸への深い信頼がある


 踏み切り台を蹴った二人のお馬さんが大空に舞う

 天馬のようだ


子狸「シエル! 地上で会おう!」


 ねぎらうように首を撫でた子狸が

 その前足で勇者さんを抱えたまま

 黒雲号から飛び降りる


 減速の魔法を帯びて

 ゆるやかに下降をはじめるお馬さんたちが

 急速に遠ざかっていく


子狸「お嬢!」


 ぱちりとまぶたを開いた勇者さんは

 悲鳴ひとつ上げなかった


 眼下にひろがるのは、魔物が騎士たちを蹴散らす光景だ

 とりわけ大きな魔物が腕を振るうごとに

 複数人の騎士が冗談のように宙を舞う


 ぞんぶんに戦場を掻き乱した獣人が

 大きく踏み出して尾を振り抜いた


 根元からへし折れた塔が

 さらさらと砂に還元される

 ――次の瞬間には一気に燃え上がった


 鼻白んだ鱗のひとが

 一歩、本能的に後ずさる


 はっとして頭上を仰いだ

 その目に映ったのは

 雨の中、煙ることのない勇壮のきらめきだ


 少女の手からあふれ出した光が、精霊の輪を紡いでいく

 戦うための“かたち”を与えられた光たちが、歓喜にふるえるかのようだ


 

 ――同時刻、おれのご近所さんが不意に虚空を仰いだ


緑「目覚めるのか」


 もつれにもつれた竜王戦の第七局である


 意味ありげなつぶやきを、でっかいのは黙殺した

 指の先端で器用に駒をつまんで、ちょこんと盤面に置く


 一斉に読みを入れた緑と愉快な仲間たちがうめいた


緑「妙角……!」


大「妙角でもねーよ。七人掛かりで、その程度か……。あまりおれを落胆させてくれるな」


 でっかいのは、この手のボードゲームで無類の強さを発揮する

 見下すような発言に、巫女一味が反発の声を上げた


巫女「ここは、わたしが……!」


 ずいと割り込んだどろんこ巫女が、起死回生の一手を打つ


巫女「ディレイ!」


大「ディレイじゃねーよ。将棋に上はないの。ルールは守りなさい」


巫女「……でも、あなたはこう言ったよね? 王さまは……どの方向にも行ける!」


大「子狸か」


巫女「ごめんね、ディンゴ。わたしは力になれそうにないよ……」



 緑と愉快な仲間たちが、敗戦に向けて静かに心の整理をつけはじめたとき……

 

 高速で振動する聖剣に、危険を察知した鱗のひとの尾が跳ね上がった


 自由落下を続ける勇者さんの剣尖が目的を果たすよりも

 圧倒的にリーチで勝る巨獣の迎撃のほうが早い


 しかし鱗のひとは大切なことを忘れていた


 いついかなるときも、おれたちの野望をくじくのは

 おれたちの管理人さんなのだ


子狸「パル・シエル・ブラウド!」


 おれたちの分身魔法は、質量をともなう完全コピーだ

 人間たちの分身魔法は、たんなる映像に過ぎない

 子狸さんの分身魔法は、それらの中間に位置する

 

 等身大の目覚まし勇者さんが二人――

 頭の悪そうなポーズを決めて、鱗のひとを指差した


勇者「ばーにんぐ!」


トカゲ「ぶふーっ!」


 さしもの鱗のひとも、たまらず吹き出した

 空振りに終わった尾が、むなしく宙を泳ぐ


 機先を制するタイミングを逸した鱗のひとが

 後退しようとして、ぎくりとした


 目を覚ましたトンちゃんが、まっすぐ指を突きつけている


どるふぃん「2cm」


トカゲ「アルダ!」


 トンちゃんの異能は短時間で連発できない

 はったりだと理性は告げていた

 そうでなくとも、変化魔法で傷は癒せる

 しかし心身に刻み込まれた恐怖は……


 子狸の前足から飛び立った勇者さんが

 聖剣を振りかぶる


 腕一本はくれてやる――!

 瞬時に反撃のプランを組んだ鱗のひとが

 片腕を振り上げた


 精霊の宝剣は最上位の存在だ

 折れず、曲がらず

 魔物の外殻をたやすく切り裂く


 その刃が、巨人の鱗に阻まれて止まった


トカゲ「なにっ!?」


 鱗のひとは目を剥いた

 叩きつけられた刃を起点に

 表皮を伝った光が全身を締めつけている


 ついに解き放たれた勇者さんの必殺技その2を

 われわれは破獄鱗ゾスと命名する――!


妖精『勇者の必殺技に、なんで“獄”とか入れるの? ばかなの?』


緑『おれは支持するぜ』


トカゲ『おれもだ』


大蛇『悪くないな』


妖精『鱗一族は黙ってろ。おい、青いの。ゾスってなんだよ』


 聖剣を支点にくるりと回った勇者さんが

 鱗のひとの腕を伝って、華麗な跳躍を見せる


妖精「リシアさん!」


子狸「お嬢!」


 遠ざかっていく二人の声援を受けて、猫耳がふるえた


トカゲ「うおおおおおっ!」


 鱗のひとが吠えた

 全身を拘束している光の輪がゆがんだ

 習得して日の浅い新技だ

 まだ完全ではない


 束縛を打ち破った鱗のひとが、交差した両腕で頭部をガードする

 勇者さんは、構わず聖剣を振りきった


 二回りほど大きくなった宝剣が、鱗のひとの腕を透過して顔面を切り裂く

 仰け反った鱗のひとが悲鳴を上げた


トカゲ「ぐあ~!」


 片目を覆った手の隙間から、虹色のしぶきが噴出する

 ぬかるみに足をとられて、巨体が傾いだ

 足元の騎士たちが慌てて避難をする

 ぐったりとしているトンちゃんを、三人の騎士が担いでいた


 泥に埋もれた巨獣を、騎士たちが固唾を飲んで見守る

 彼らの見ている前で、もぞりと身じろぎしたのは、小さな人影だ


 歓声が上がった


 獣人種の一角を討ちとった勇者さんが、聖剣を掲げた


 歓声に応えたのではない

 とどめを刺そうとしているのだと

 真っ先に気付いたのはトンちゃんだった


どるふぃん「まだだッ! 撃てッ!」


 そのトンちゃんですら見誤っていた

 ……こんなものなのか?

 一撃必倒である筈の光輝剣が、あまりにも小さすぎる――


 気付いたときには手遅れだった


 むくりと起き上がった鱗のひとから、勇者さんが転がり落ちる

 泥を蹴立てて後方に跳んだ手負いの獣が、怨嗟の声を漏らした


トカゲ「この、おれの、顔に、傷を……!」


どるふぃん「逃がすな!……ぐっ」


 即座に追撃を命じたトンちゃんがうなだれた

 冷たい雨は疲弊した身体を容赦なく蝕む


 泥まみれの勇者さんが死霊魔哭斬を放つ

 狙ったのは足だ

 しかし鱗のひとの反応速度は、野獣のそれすら凌駕する

 宙を滑るように後退し、続いて殺到する光槍を尾のひと振りで打ち砕いた


 隔絶した身体能力を有する獣人種が本気で逃げに回ったなら

 人間たちには為すすべがない


 撤退の構えをとる鱗のひとに、見えるひとたちがよじ登る

 

亡霊「この借りは、いずれ返すぞ! 勇者よ……いや、アレイシアン・アジェステ・アリア!」


亡霊「そして、アトン・エウロ……! 王国最強の騎士よ!」


 最後の最後に

 おいしいところを持って行った亡霊さん


トカゲ「…………」


 そんな彼らを見つめる鱗のひとの切なそうな眼差しが

 ひどく印象的だった……



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