さだめの境界
雨。雨。雨。雨
ひたいから凹凸の少ない鼻へ
鼻から頬へとしたたり落ちてくる雨水を
鱗のひとが舌ですくった
トカゲ「はぁッ……」
恍惚と笑った
うつ伏せから
両ひじを立てる
両ひざを開いた
両手と両足で全身を低く持ち上げる
跳んだ
人間たちが直立歩行し、道具を扱えるようになったのは
ある一定以上の容量を物理的に獲得したからであり
また、二本の足で体重を支えることができる程度の小ささを維持していたからだ
もしも彼らが、いまよりもずっと巨大であったなら
ためしに直立してみようかという気は起こらなかったであろう
これが魔物となると、少し事情が異なる
魔法と物理法則とでは、まず軸が違う
軸が違うから、交わる点を変えることできる
交差点を好きなところに置けるから
本来ならば避けて通れない道のりを歩むことなく
望んだ現実を引き出すことができる
全長で十倍近い巨躯が
重力の制限を受けることなく
人のように歩き回る
歩幅を十倍とすれば
速度も十倍だ
雨に煙る
細長い手足はしなやかで
長大な尾はなまめかしい
獣のようであり
人のようであり
あいまいで、どちらともつかないものを
ひとは、魔と呼び
わたし(メロ)でも、あなた(ヨト)でもないもの
すなわち“メノ”と名づけた
おーん……
慟哭か
それとも歓喜か
挑むように天を仰いでいた巨人が
腰に両手を当てて上半身を屈めた
ぞろりと生え揃った小ぶりな牙は
獲物を絶命せしめ
肉を切り裂くためのものだ
至近まで迫った巨大なあぎとに
王国最強の騎士は身じろぎひとつしない
トカゲ「はじめるか?」
互いに退けない理由がある
どんなにきれいな花も
摘み取るのは一瞬だ
巨躯の戦士が
散りゆく時間を惜しんだ
トンちゃんは「いいや……」とかぶりを振った
背後に控える特装騎士たちが
口々に自分たちの英雄を呼んだ
特装「二代目」
特装「若……」
大隊長の下には最大で十人の中隊長がつく
トンちゃんは大将の大隊に属する中隊長だ
二十代半ばにして出撃回数は千二百を数える
ゆくゆくは大将のあとを継ぐであろうと目され
少し気の早い公共施設から出禁を食らっている
ついたあだ名が、二代目とか若とか
どこのファミリーですかといったものだ
しかし、おれたちはトンちゃんが特装騎士として
がんばっていた時代から応援しているので、そうは呼ばない
こうだ
ドルフィン「はじまるんだ」
火口『ドルフィン自重』
かまくら『いまやったら勝てっから。あんときのおれらじゃねーから』
ドルフィンというのは、イルカさんのことである
お前らが構いすぎたせいで戦士として完成してしまったトンちゃんは
もはや原種を以ってしても止めることができなかった
事態を重く見た涙目のお前らは
水中なら勝てる、負ける要素が見当たらないと豪語するも
それ行けファルシオン部ビーチバレー編にて完敗を喫する
重力という枷から解き放たれたトンちゃんは
そのとき、ひとすじのカジキマグロと化したのだ
その優雅な泳ぎから
ついたあだ名が、王国のドルフィンである
はじめるのではなく
はじまるのだと、トンちゃんは言った
ともに戦場を選ぶ権利はなく
自由への渇望は乾きはて
泥のような戦意が残った
そして出会った
否応はない
勝つか、負けるか
両者を分かつものがあるとすれば
たったそれだけの違いでしかない
触れただけで破裂しそうな緊張が
細く研がれて
抑え込んだ高揚の密度を増していく
騎士たちは動かない
生半可な攻撃では弾かれる
殲滅魔法ですら
レベル3の魔物を倒しきるのは難しい
とくに鱗のひとはトップクラスの耐久力を持っている
つまり性質の衝突において優位を保てるということだ
特装騎士に押さえ込まれた子狸が
泥にまみれてあえいだ
子狸「トンちゃん……」
酸素を求めて空気を噛むと、砂利の感触がした
苦い味がした
子狸は動揺していた。……エウロだって?
聞き覚えのある名前だった
なにかの大会で常に優勝をさらっていく名前だ
来年こそはと勝利を誓うのに
なにを競っているのかわからない……
王都「それ違う。ネウシス」
おれ「おい。ふつうに喋るな」
王都「あ? いいんだよ。もう、そういう段階じゃねーだろ」
おれ「ルールは守るべきだ」
王都「お前、さいきん妙に突っかかってくるな……」
おれ「のうのうと暮らしてきたお前に何がわかる」
王都「ひとのことを言えた義理か、きさまっ……!」
おれ「このっ……!」
おれとお前でがっぷり四つ
ぼてっと転がったお前を、おれが組み伏せる
勢い余って、ぼてっと転がる
雨の日は体表がなめらかになる
こうなっては押しくらまんじゅうで決着をつけるより他あるまい
ぎゅうぎゅう詰めにしてくれるわッ……!
妖精『じゃれ合うな! 仕事しろ!』
怒られた
おれ「……さいきん、すぐ怒るんだよ」
王都「子狸が構ってくれないからって、おれらに当たられてもな……」
おれと王都のんは完全ステルスを装着している
勇者さんでは、おれたちに触れることも出来ないのだ
羽のひとの理解を求める所存である
身を寄せ合って密談するおれたちを、彼女は無視した
ぱっと舞い上がり
子狸の頭に乗ると、かたわらの特装騎士たちを睨みつけた
妖精「わたしに無断で、うちのポンポコにさわらないで」
腕にかかる不可視の圧力を
チェンジリングで焼き切った特装騎士たちが不敵に笑う
特装「もっとだ。そんなぬるい言葉では、私たちには響かない」
特装「見誤ったな、妖精の子よ。さあ、どうする……」
妖精「しね」
子狸「ふざけるな……! お前たちには、まだ早い」
妖精「お前もしね」
生死の境を行き来する戦士だから
自らに忠実であろうとする騎士たちもいる
そして、その点において子狸は、彼らの遥か高みだ
それでも満足することなく
さらなる高みへと挑もうというのか
向上心にあふれる小さきポンポコ
自由を取り戻した前足を、泥に叩きつけた
子狸「リン、そのまま……!」
羽のひとは、子狸を踏みつけにしている
冷たく見下ろした
妖精「救いようのない変態だな……」
子狸「ちがうよ! ああもう、雨でよく……」
雨が降ると子狸の嗅覚はにぶる
子狸「通れよ……! ポーラレイズ!」
土砂降りの中、水溶魔法を使わない理由はない
そして土属と過属を除いた属性魔法は
スペルを融合することが出来る
たかが一文字
されど一文字である
放射状に地表を走った雨水が
一斉に放電した
特装騎士たちは、さして驚いた様子もない
瞬時の判断で飛び上がり、地表すれすれに展開した力場の上に立つ
しかし、彼らは子狸の眼中にはなかった
解き放たれたポンポコが、片ひざ立ちになって
放電する前足をずぶりと泥に突き入れる
子狸「ブラウド、走れ!」
伝播魔法の別名は感染だ
同じ条件を満たしたものに
感染経路は開かれる
とつぜんの子狸の行動に
察するものがあったのだろう
勇者さんが騎士剣を鞘から抜いた
むしろおれさんの刀身が
雷光を反射して怪しくきらめく
無言で進み出る勇者さんを歓迎するように
ふつふつと泥水が跳ねた
まるで、そこだけ雨水が避けているかのようだった
一人、また一人と
無色の輪郭が地表から染み出てくる
紫電にあぶり出されて
ふたたび泥水が跳ねた
ふつ ふつ
ふつ ふつ ふつ
ふつ ふつ ふつ ふつ
ふつ ふつふつ ふつふつ
ふつ ふつ ふつ ふつ ふつふつと――
加速度的に増えていく
あとを追って駆け上る紫電が
雨に溶けて霧散した
人間たちが対象指定と伝播魔法を重ね合わせるのは
生活の知恵と言ってもいいだろう
並行呪縛の制限に絡めとられないための工夫だ
複数の検索ワードを打ち込むようなものである
対象指定のイメージを練りこむ余裕がなかったから
ポンポコサンダーは舞台袖で待機している並行呪縛さんに
おいしく食べられてしまった
亡霊「…………」
鱗のひとを中心に次々と姿を現した見えるひとたちが
無言で人間たちの布陣を見渡す
役者は揃った
冷たい雨に晒された大気がふるえる
一筋の閃光が、上空の暗雲と大地を結んだ
宙を舞った燐光が、きれいな弧を描く
降り落ちた光の残骸が、地表に幾何学的な模様を刻んでいく
現出したのは、大きな扉だった
さいきん腰回りが気になってきた魔物でも安心して通れる親切設計である
開門したゲートを目にして
騎士たちが決意を新たにした
ここからゲートは少し離れている
鱗のひとを無視して先んじることも不可能ではないだろう
だが、彼らに提示された最低限の勝利条件は
希望を明日へとつなげることだ
王国最強の騎士と、光輝を掲げるもの――勇者を
いかなる犠牲をはらってでも先へと進めなければならない
勇者さんが片手を掲げた
戦場にそぐわない長い髪から水滴がしたたる
一人の少女を、魔物たちが、騎士たちが注目した
てのひらに集まった光を、少女が掴みとった
その手に握ったのは退魔の宝剣
薄闇を切り裂き、あまたの希望を紡いできた勇者のしるしだ
勇者さんが鬨の声を叫んだ
勇者「勝利を!」
騎士「――勝利を!」
一斉に応じた騎士たちが騎馬を駆る
その数、およそ百
対する魔物の軍勢は、二百は下るまい
降りしきる雨の中
長い道のりになるだろう
魔都への行軍が、ついにはじまる
先駆けした子狸が
勇者さんを追い抜いて鱗のひとに迫る
子狸「トンちゃん! トンちゃん!」
すでに戦いははじまっている
怒号にのまれて、その声は届かない
実働部隊は鱗のひとを挟んで反対側にいる
トンちゃんと鱗のひとは、ほとんど一対一の状況だ
それは無謀を通り越して自殺行為ですらあった
妖精「あっ、こら!」
振り落とされた羽のひとが、慌てて勇者さんの肩にしがみついた
身体の小さな彼女の飛行能力は、天候に大きく左右される
雨の中では、ろくに飛べない
勇者「わたしにつかまっていなさい」
羽のひとにひと声かけてから、勇者さんもあとを追う
向かう視線の先では、大量の泥に子狸がのまれていた
子狸「わ~!」
泥狸と化したポンポコが、とつぜんの出来事に右往左往している
気付くと、目の前に鱗のひとが立っていた
大きいという、たったそれだけのことで魔物は環境を味方に出来る
子狸「!」
地を舐めるような尾のひと振りを
とっさに飛び上がって回避したのは、さすがといったところか
しかしレベル3が飛び交う戦場に
子狸の居場所はなかった
空中で無防備になった子狸を
鱗のひとが片手で軽くはらった
子狸「ぎゃっ」
吹っ飛んだ子狸が、泥の軌跡を描いた
泥から泥へ
ポンポコローリングした子狸さん
木の幹に身体を打ちつけて、そのまま動かなくなる
強すぎる
速すぎる
妖精「ノロくん!」
勇者「……!」
羽のひとが悲鳴を上げた
立ちすくむ勇者さんに
鱗のひとが背を向ける
巨漢が宙を舞っていた
力場を踏んで飛び上がったトンちゃんが
至近距離から鱗のひとと睨み合う
ドルフィン「ゴル」
壮絶なるイルカショーの幕開けであった……
この記事は「山腹在住のとるにたらない不定形生物さん」が書きました
参考になればいいよね
一三0、海底都市在住のごく平凡な人魚さん
イルカというか……
うん
一三一、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
アシカというか……
うん
一三二、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
トドだな
一三三、海底洞窟在住の現実を生きる不定形生物さん
猛る、ぽっちゃり系……!