「奇跡の子」part2
一0、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
おれは山腹のひとを支持するぜ
……この日は、朝から生憎の空模様だった
降りはじめと呼ばれる、この時期
学校で変化魔法を習った子供たちが、課外授業の一環で
道行く人々に魔法の傘を提供するのは
どこの街でも見られる光景だ
傘の道と呼ばれるこの魔法は
もともと行商人たちが互いの存在を報せるために使っていたものである
雨天時は視界が悪くなるから、ふだんにも増して魔物たちの襲撃を警戒する必要があった
子狸「ふっ。なってないな……見てろ」
子供たちに混ざって、子狸が傘魔法を披露していた
使い慣れた魔法、そして異常な退魔性
屹立した巨大な力場が、上空で枝分かれして大きな橋を架ける
ポンポコタワーだ
子供たちはぽかんとしていた
魔法を習いはじめて二、三年の人間であれば
ふつう、無色透明の力場を感知できない程度の退魔性は保持している
勇者「…………」
トトくんとマヌさんを従えた勇者さんが
ポンポコタワーの横を通りすぎざま、力場の一部を指でえぐりとった
退魔力を注がれた魔法は、自分がなにものでもないことを思い出して自壊する
ポンポコタワーは崩壊した
降りしきる雨の中、子狸の慟哭が響く……
一一、海底都市在住のとるにたらない不定形生物さん
大貴族とは何か
大貴族とは、王の代行者だ
貴族たちを統括し、王国を導いてきた
初代国王が国を興す以前より王に仕えた彼らは
生涯を通して最良の友であり続けた
王国の初代国王とは、つまり初代勇者のことだ
魔王を討伐した王は、ともに魔王を討ちはたしたメンバーたちと協力して小さな国を興した
のちの王国である
アリア家とピエトロ家は、王国の双剣とも称される名家だ
魔法は便利だから、剣術を捨てた大貴族もいる
あるいは便利すぎたのがいけなかったのか
建国から千年を過ぎて、いまなお両家は剣を捨てようとはしない
一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
双剣なんて初耳なんだが……
とにかく、ありがとうお前ら
王都のんの嫌がらせにもめげずにがんばるよ
領主の館へ、子狸は二度目の来訪ということになる
一度目は門番たちに止められたが
勇者さんの来訪を予期していたのだろう
今回、一行を出迎えてくれたのは騎士たちだった
館内の廊下を歩きながら、騎士Aが勇者さんに言う
騎士A「ココニエドさまをびっくりさせてあげて下さい」
前もって伝えてはいないということだ
勇者「わたしのことを話していないの?」
騎士A「はい。言えば、彼女は自ら出向こうとしたでしょう。身辺警護の観点から、それは望ましくない」
跡目を相続していない貴族は、公的に何者でもない。報告の義務はないから、騎士たちは自らの采配で動ける
しかし直属の護衛はべつだ
国境付近は、ピエトロ家の領地だ
領主は大貴族から土地を借りて商売しているようなものなので、頭が上がらない
あるじの寝室を守護している女性が
騎士たちを従えて近づいてくる勇者さんの姿を認めて息をのんだ
護衛「! アレイシアンさま……」
彼女は、しれっとしている騎士Aを睨みつけてから、勇者さんに視線を戻した
護衛「……少々お待ち願えますか?」
勇者「その必要はないわ」
護衛「アレイシアンさま!」
押しのけようとする勇者さんを、護衛が通せんぼする
声が聞こえたのだろう、室内で激しい物音がした
内側から扉が開き、箱姫が顔を出す。笑顔だ
箱姫「シア」
そう言って彼女は勇者さんを出迎えたものの、子狸と目が合ってすぐに扉を閉めた
子狸「密室トリックというわけか」
子狸は箱姫のアリバイを崩そうと画策している
勇者「…………」
勇者さんが護衛に目線で問うと、彼女は頷いてくれた
勇者さんの肩にとまっている羽のひとが、同様に目線で問う
護衛「……あなたは、だめです」
箱姫の人見知りは筋金入りだ
ところが当の本人は意見が異なるようだった
箱姫「…………」
わずかに開いたドアの隙間から、箱姫が護衛の肩に手で触れる
あるじの意を汲んだ護衛が、しぶしぶと頷いた
護衛「……わかりました。二人までです。それ以上は認めません」
勇者さんのあとに続いて、のこのこと入室しようとする子狸を、彼女は取り押さえた
子狸「なにを……」
護衛「心外そうな顔をしてもだめです。二人までと言ったでしょう」
さらば子狸。勇者さんにはおれがついてるから安心しろ
一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
ドアの隙間から、いそいそと身なりを整えている箱姫の姿が見えた
子狸の鳴き声がせつない
子狸「また女の子ですか……。うちのお嬢を惑わすのはやめてほしい」
護衛「それは、こちらの台詞です。お前んトコのお嬢さまは、まわりの人間をどんどんだめにする。どうなってるんだ」
勇者さんは教師に向いていない。遊び盛りの子供たちの気持ちを、かけらも理解できないからだ
けんもほろろに追い返された子狸が、肩を落として来た道を引き返していく
騎士たちは、その場に残った
当然の判断と言える
大貴族の子女二人が一堂に会しているのだ
彼女たちの身に万に一つでもあった日には、首が飛ぶどころの騒ぎではない
騎士B「あまり遠くに行くなよ」
中トロ「うん、わかった」
なんとなく子狸についていくトトくんとマヌさん
騎士たちが本性をあらわにしはじめた瞬間だった
いくら大貴族の連れといえど、領主の館で子供たちを野放しにするなどありえない
つまり、こうだ
この街の駐在たちは、みょっつ(仮)と裏でつながっている
名探偵ポンポコの眼光が鋭さを増した
廊下の角を曲がり、姿勢を正す
落胆したように見せたのは演技だった
子狸「……よし、お前たち。さっそく地下室に行くぞ」
まだ諦めていなかったようである
奇跡「あ、そうか。さすが先生!」
中トロ「よし、行こう!」
子供たちの圧倒的な支持を集めている
同じ目線の高さというより、同じステージにいるので親しみやすいのだろう
子狸「おれ探検隊、出発!」
中トロ&奇跡「しゅっぱ~つ!」
前足を突き上げる子狸に、子供たちも唱和した
……王都の、山腹のんの気持ちも察してやれ
一四、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
子狸探検隊が出発した頃、勇者さんと箱姫は旧交をあたためていた
箱姫「シア」
勇者「リシアと呼びなさいと言ってるでしょ。……ココ」
勇者さんの名前はアレイシアンというのだが、これはという人物にはリシアと呼ぶよう言う
レシアでもなく、シアでもなく、リシアと呼べと言う
おそらく親類に近しい名前の人物がいるのだろう
箱姫は典型的な内弁慶だ
身内か、それに近しい人間の前だとふつうに喋れる
箱姫「そんなの不公平だわ」
ひとことで切り捨てて、勇者さんに歩み寄ろうとする
そこで自分の表情を自覚したらしい
はたと思い至り、しかめっつらを作る
彼女はきびすを返すと、部屋の中央にある椅子に腰かけた
ひとしきりそわそわしてから、目の前の机を指先で小突く
箱姫「……なにをぼさっとしてるの。さっさと座りなさいよ。相変わらず、ぼーっとした子ね」
勇者「立ったままで構わないわ。仲良くお話しに来たわけじゃないの」
箱姫「えっ」
箱姫は傷ついたような表情をした
不安そうな顔をしてから、すぐに虚勢を張って鼻を鳴らす
箱姫「……わたしだって、べつにあなたと仲良くしたいわけじゃないわ。なに言ってるの? 勘違いしないでほしい」
勇者「…………」
勇者さんは口を開きかけて、閉じた
てくてくと歩いて行って、箱姫の対面に座る
目を丸くしている幼なじみに、勇者さんは言う
勇者「あなたは、昔からわたしに良くしてくれた。さいきんになって気が付いたのだけれど……わたしはもっと社交的になるべきなのかもしれない」
箱姫「……気色悪いわね。なんなの、急に……」
王都の……
一五、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
王都の……!
一六、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん
王都の! 続きはお前が言うんだ!
一七、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
子狸が特装騎士に勝っている点は二つある
ひとつは退魔性
魔法との同化が進んだ人間は、打たれ弱くなる反面、魔法の基本的な性質を獲得できる
術者の意識を読みとる能力だ
読心術とまではいかないが、勘が鋭くなる
もうひとつは三次元戦闘の経験だ
陸、海、空、あらゆる環境で一定のパフォーマンスを発揮できるよう、このポンポコは鍛えられている
盾魔法の力場に後ろ足を引っかけた子狸が、逆さまになったまま前足を振るう
しかし長年お前らと戦ってきた騎士は、とくに防御面で安定した実力を持つ
後退しながら振り上げた盾剣が、子狸のとまり木を断ち切った
空中で器用に身をひねって着地したポンポコに、槍剣の追撃が迫る
ところが子狸は、すでに回避運動に移っていた
子狸ほどではないにせよ、騎士の退魔性とて常人の域にはない
もはや両者は視認に頼ることをやめていた
べつの生き物のように飛び回る光弾を、子狸のしっぽが打ちはらう
オプション同士の攻防は、肉体の縛りがないぶん苛烈さを増す一方だ
縦横無尽に跳ね回るポンポコ。余裕をもってさばきながら、騎士は珍獣を見る目をしている
みょ「まるで魔物だ。なるほど魔物か」
スペルは同じエラルドでも、拡張と深化では効果が異なる
そして、それは貫通と侵食にも同じことが言える
子狸「グレイル!」
突進する子狸さんが、床の一部を前足でえぐりとった
握りつぶした石のつぶてを宙に放り投げる
ぴたりと空中で制止したつぶてが、猛加速して男に直撃する――
みょ「無駄だ!」
ここでチェンジリング
実働、特装にかかわらず、騎士は魔☆力への対策としてチェンジリングを修めている
子狸が発電魔法を使った時点で、男は魔☆力による攻撃を想定していた
淡い光に包まれた石つぶてが一瞬で風化する
えぐりとられた床は、雷球と盾剣が噛み合ったときには再生していた
……勇者さんは言っていた
役者が入れ替わっているのだと
子狸と戦っているのは、正真正銘の特装騎士だ
ピエトロ家の刺客などではない
騎士は、自分たちのために命を賭けてくれた人間を、絶対に裏切らない
一八、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
箱姫は、自分の幼なじみが勇者だとは知らなかった
箱姫「シア。あなたは知らないでしょう。わたしは、とても重要な任務についてるの。おいそれと話せることではないけど」
得意気な彼女に、勇者さんは言う
勇者「そう。あなたが聖木の運び手なのね」
箱姫「……知ってるならそう言いなさいよ。でも、これは知らないでしょ? もう勇者は生まれてるの。わたしが勇者さまに聖木を授けるのよ」
勇者「いらないわ」
箱姫「? あげないけど」
アリア家以外の大貴族は、三大国家の首脳陣と魔物たちが裏でつながっていることを知っている
ただし、知っているのは当主だけだ
箱姫は候補のひとりではあるだろうが、まだ幼く機密に対する意識が低い
勇者さんは単刀直入に言った
勇者「ココ。奇跡の子を使って何をしようとしているの?」
一連の事件の黒幕は、箱姫だった
勇者さんの断定口調に、肩の上で羽のひとが反応する
妖精「! リシアさん……彼女がそうなんですか?」
黒幕の少女は、妖精さんに目を奪われている
箱姫「しゃべった……」
妖精「喋りますよ! わたしのこと、何だと思ってたんですか!?」
勇者さんは箱姫を見つめている
勇者「あなたは、自分の手駒に奇跡の子を精神的に追い込むよう指示を出した。目的は、ピエトロ家で匿うという名目で、彼女の身柄を拘束すること。第三者を巻き込んだのは、必要以上に追いつめないようにするため」
第三者というのは、トトくんのことだ
トトくんと一緒だったから、一人ではなかったから、マヌさんはがんばれた
だが、それも箱姫の計算の内だった
べつにトトくんである必要性はなかった
しかし彼が適任であると……現場の人間たちは把握していたのだ
箱姫は勇者さんの推理に聞き入っている。勇者さんは続けた
勇者「ピエトロ家に仕える人間が無能だとは思わない。ただ、騎士がより上回った。……あなた、自分の配下の人間のこと覚えてないでしょ? そうでなければ、こうまで事態が混乱することは考えられないわ」
箱姫「……え? どういうこと?」
勇者「役者が入れ替わってるの。あなたは、騎士たちが護衛に人手を回すよう依頼していることを知って、自分の手駒に入れ替わりを命じた。定期的に報告は受けていたでしょうから、あなたは成功を疑わなかった」
だが、そんなものはどうにでもなるのだ
入れ替わりに失敗したピエトロ家の刺客は、特装騎士に囚われて情報を引き出されたのだろう
だからあの男は、さも入れ替わりが成功したよう装って、箱姫に接近した
大貴族には逆らえない。逆らったとしても一時しのぎにしかならない
予定通りに事が運んでいると錯覚させることができれば、騎士たちは水面下で動くことができる
彼らは、奇跡の子をアリア家に――というより、勇者さんに預けるつもりだったのだ
ふつうこうした事件は露見しない構造になっているものだと、勇者さんは言っていた
それは正しかった。この事件は、中枢に近ければ近いほど全体が見えない仕組みになっている
勇者さんは言った
勇者「質問に答えてもらってないわ。あの子に何があるというの? どうして奇跡の子でなければならないの?」
箱姫は混乱しているようだった
しかし、すぐに頭を切り替えて話しはじめる
大貴族には、自分が間違っていると思うことを拒否する自由がある
奇跡の子を欲する理由が、箱姫にはある筈なのだ
彼女は観念したようにため息をついて、こう言った
箱姫「……豊穣の巫女って知ってる?」
一九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
勇者さんに断られた時点で、騎士たちの計画は破綻した
大貴族には頼れないとわかったから
たぶん短絡的に奇跡の子を“誘拐”するつもりなのだろう
箱姫と話している間、勇者さんはマヌさんの傍から離れる
ここが正念場だった
奇跡の子に罪はない。あるのは恩だ
だから男は、階下で小さな肩をふるわせている少女を
共犯者にするわけにはいかなかった
二人の子供たちから子狸を引き離すのは、特装騎士にとって難しくない作業だった
しかし邪悪なるポンポコが立ちふさがる
子狸「! 動くな!」
いびつにねじ曲がったしっぽが、階下に放たれる
??「ああ、人間離れしてるな……」
迷彩を打ち破られた第二の男が感嘆を漏らした
中トロ「! あんたは……」
姿を現したのは、酒場にいた客Cだった
客C「やあ」
一日ぶりの再会ということになる
子狸と打ち合っている特装騎士が叫んだ
みょ「アル! なにをしている!」
客C「私は、そんな名前じゃないよ。たしかに協力するとは言ったが……物事には順序というものがある。アリア家はあなどれんよ」
そうだろう? と虚空に問いかける
ちょうど二人の子供たちを挟んだ反対側に
隻腕眼帯の男が佇んでいた
男を呼ぶ子狸の声には喜色が隠しきれていない
子狸「叔父貴!」
タマさんだった
タマ「おれは荒事専門じゃねえんだけどな……。よう、ポンポコの」
片腕を上げて応えたタマさんが、客Cを見る
タマ「さて、どうするね?」
客C――怪盗アルの片割れである影使いは、怪鳥のように飛び上がった子狸を目で追っている
客C「……彼が豊穣の巫女なのか?」
タマ「あ? んなわけねえだろ。豊穣の巫女は女だぜ」
客C「そうなのかな。そう考えたほうが、つじつまが合うんだが」
巫女さんの爆破術は、極端に退魔性が劣化した人物を要する
だから、たとえばバウマフ家の人間のように
極限まで魔物に近しい人間を人為的に育てることができたなら
人類の魔法は、新しい境地へと辿りつける
そのためにはどうすればいいか
漫然と魔法を使っているだけでは、だめなのだ
魔法に深く関われば関わるほど、魔法の干渉からは逃れられない
人間の扱える魔法は開放レベル3が限度だから
魔物と深く関わる人間ほど、退魔性は低くなる傾向がある
幼くして騎士たちの指揮をとれる人間がいれば
その人物は、あるいはバウマフ家に匹敵する退魔性を獲得できる可能性がある
大隊長クラスの騎士の協力は不可欠だ
騎士たちに認められるような功績を残した人物が最適と言えるだろう
象徴的な存在――
つまり奇跡の子がそうなのだ
ピエトロ家は、マヌさんを手元に置き
彼女を、次世代の“巫女”に仕立て上げようとしている
登場人物紹介
・箱姫
勇者さんの幼なじみ。お名前はココニエド・ピエトロ。
ピエトロ家は、剣術を伝える大貴族である。
国境付近の領地を統括しており、生まれた子供には帝国語を意識した名前をつける習慣がある。
「ココニエド」の綴りを帝国では「ココニエッタ」と読む。これは「大輪の花」という意味である。
極度の人見知りで、他人の前では緊張しすぎて喋れなくなる。狭い密閉空間を好む。
身内か、それに近しい人間の前では堂々と振る舞えるようだ。
幼い頃から同い年の勇者さんを強く意識していて、本心では仲良くしたいと思っている。
しかしピエトロ家の剣術は相手の意表を突くことに特化しているため、他者の技を盗むアリア家の人間とは相容れない面がある。
このたび、勇者に聖木を授けるという大役を任されている。
聖木をめぐる事件を軸に、奇跡の子を手中におさめる計画を推進する。
その目的は、魔法の遠隔操作に長けた特殊部隊の創設にあった。
つまり人為的に「巫女」を生み出す計画である。
剣士である彼女は、巫女の育成に最適な人材だった。
大貴族の一員であるとはいえ、勇者さんのことは教えられていないようだ。
完璧な計画であると悦にひたっていたところを、飼い犬に手を噛まれる。
ついでに言うと、聖木そのものがフェイクである。