「子狸とおれたちの戦争」part7
一一三、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
戦いは終わった
雲間から差し込む陽光が美しい
雨つゆを葉に受けた植物たちが喜び輝いて見える
澄みきった大気が心地良い清涼感を与えてくれる
そして敗北者が二人残った
子狸「……今日のところはこれくらいにしておいてやる」
緑「遠慮するな。時間はまだある」
ふだんは温厚な緑のひとも子狸に対しては強気でいられる
負け惜しみを言う管理人さんを
緑のひとが丸めた前足で小突き回している
子狸「ぬあ~!」
その横で
すっかり放心した様子の巫女さんが
ぺたりと地べたに座っていた
百回やれば百回とも勝てるような戦いだった
巨人にしがみついてきた子狸を拒絶すれば
まず勝利は揺るがなかっただろう
拒絶するのが心苦しいなら
振り落とそうとする前に捕まえてしまえば良かった
いや、それ以前に……
圧縮弾の撃ち合いに付き合う必要性すらなかった
そして、おそらく彼女自身に、その自覚はなかった
最善を尽くしたと本人は思っているのだろう
じっさいそうだったのかもしれない
子狸を鍛えたのは、おれたちだ
緑のひとに小突かれて、あっちへころころ、こっちへころころしているポンポコは
人間よりも、魔物と戦うことに慣れている
だから巫女さんは、魔物と戦う子狸を見て
薄汚い手段を平気で用いる腐れ狸だと思っていたに違いない
一一四、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
目つぶしとかね
一一五、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
あと石とかふつうに投げてくるからね
一一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
それがどうよ?
人前だと一転してクリーンファイターだもんな
さすがにね、さしものおれたちもキレますよ
一一七、住所不定のどこにでもいるようなてふてふさん
ペットは飼い主に似ると言うからな
一一八、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
え? どういうこと?
勇者さんに似てきたって言いたいの?
ペットとか……
子狸さんは誇り高き野生の……!
勇者「…………(かちゃり)」
え? なに? なんの音?
一一九、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん
あれ? 気のせいかな? 子狸さん、首になんか……
一二0、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
なかなか洒落たアクセサリーじゃないか
一二一、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
ふっ、まったくさいきん色気付きやがってからに……
あくなき執念で王種に喧嘩を売り続ける子狸さんに
歩み寄ってきた勇者さんが、なんていうの、こう……
マフラー? 的な……
……そう、マフラーだよ
激闘をいたわるように、子狸の首にマフラーを巻いてあげたのさ
季節外れではあるけどね
ひょっとして手編みなのかな? いびつな形状をしていたよ
マフラーの端を握る勇者さんを見上げて
子狸はおそるおそる問いかけたのさ
初々しいね
子狸「これ……?」
勇者「気に入ってくれると良いのだけれど」
勇者さんは、あまり手先が器用な子じゃないから
一見するとひもにしか見えないようなマフラーだったけど
子狸さんはひとの真心を踏みにじるようなことはしない
子狸「あたたかいよ。ありがとう」
勇者「……そう? どういたしまして」
羽のひとも二人を祝福した
妖精「よく似合ってますよ、ノロくん」
勇者さんをめぐって子狸と争うことが多い狐娘も
とうとう二人の仲を認めてくれたようだ
狐娘「ぴったり。あつらえたみたい」
苦笑して立ち上がった子狸が
狐娘のお面をつつこうとしてやめた
新種の狸みたいに全身が泥まみれだったからだ
代わりに笑みを深くして言う
子狸「ははっ、こいつ。むずかしい言葉を知ってるんだな」
あつらえる。注文して作らせること
あつらえたようにぴったり。とても似合っていて、運命的なものを感じるということ
バウマフにこん棒と同意義だが、肯定的な意味を含む
勇者一行が心あたたまる交流をしている頃
巫女一味は新しい門出を済ませようとしていた
呆然としている巫女さんの泥にまみれた両手を
しゃがみ込んだ側近Aが握っている
側近A「学校を作ろう。わたしたちの学校」
とつぜん何を言い出すのか
意味不明なことをのたまる側近Aを、Bが押しのけた
側近B「なしね、いまのなし。……ん、でもないかな」
彼女は少し悩んでから、巫女さんと目を合わせる
側近B「あいつね、学校の教師になりたかったんだって。そういうの、あんまり話したことなかったね」
巫女さんの一座は、もともと土魔法の術者を集めるための組織だ
そこに属している人間が、土魔法の習得を目指すのは当然で
しかし夢を捨てきれないひとだっている
巫女「そっか。そうだよね……」
同志と呼んだ人間が、同じ夢を追ってくれるとは限らないのだ
うなだれる巫女さんを、側近Bが抱きしめた
側近B「でもね。わたしたちは、あなたと一緒にいたいんだよ。あなたに協力したいと思ったから、ここにいるんだ」
ええ話や……
側近CとDもうんうんと頷いている
でも生贄さんは、やはりぴんと来ていないようだった
生贄「……ところでポンポコはどうします? 言ってくれれば、いまからわたしが行って、ぱっとやっつけて来ますが……」
側近Cがうめいた
側近C「あんた、じつは空気が読めない子だったんだね……」
生贄「え!?」
側近D「話し合うことで新しい発見もあるということだな」
側近Dがきれいにまとめた
つまり、それだけ多くのことを見落としてきたということだ
巫女さんは、あまりにも才能に恵まれすぎている
だから、ときには立ち止まることも必要なのだろう
彼女は、側近Bの腕に顔をうずめながら、ちいさく頷いた
巫女「ひとりになるのは……嫌だよ」
いつの間にか忍び寄っていた子狸が、巫女さんの頭を少し乱暴に撫でる
子狸「最初からそう言えば良かったんだ。人生……あれだ。あれなんだよ」
子狸さん本日の名言
人生はあれであるらしい
でも巫女さんには通じた
うん、と頷いた少女が、そっと顔を上げてぎょっとした
巫女「うえっ!? なんだお前、うわっ、黒っ!?」
泥狸である
巫女さんの髪にもべったりと泥が付着していた
巫女「さいあく! このひと、なにしてくれてんの!?」
子狸さんは締めに入っている
子狸「それが、お前の手に入れたものだ。忘れるな」
まぐれで勝ったくせに偉そうだった
少し目を離した隙にテーブルのほうに移動した火口のんが
触手でティーカップを引き寄せながらコメントした
火口「どろんこ巫女だな」
怒りに燃えた巫女さんが泥狸を投げ飛ばすのを
緑のひとは優しく見守っている
一二二、火山在住のごく平凡な火トカゲさん
うんうん……
これにて一件落着だな
一二三、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
ところが何も終わってなどいなかった
泥狸を投げ飛ばした巫女さんの背後に
勇者さんが立っている
笑っていた側近たちが硬直した
感情を制御した勇者さんには気配というものがない
油断した人間が相手なら
少し立ち位置を変えるだけで
意識の死角に潜り込める
側近Aがしまったというような顔をしたのを
勇者さんは見逃さなかった
勇者「気にしなくていいわ」
巫女さんの髪を両手で梳きながら言う
勇者「出会ってすぐにわかり合えるようなら、苦労はしないもの」
彼女がアリア家の人間であることがわかって以来
側近たちは、勇者さんと巫女さんの接触を断つよう立ち回っていた
素人目にもわかるほど、勇者さんの聖☆剣は暗器に適していたからだ
勇者さんは巫女さんの正しさを認めたが
アリア家の人間とわかってしまえば
それがどんなに虚しいことだったかもわかる
もしも正義という概念が形をとったなら
王国の場合は、それがアリア家だからだ
彼らの前では、あらゆる正義が意味をなさない
王国の法律は、王族のために存在する
そして大貴族が味方であるという前提で成り立っている
大貴族を罰する法律は存在しないのだ
後ろからうなじを触れられて、巫女さんが振り返った
巫女「リシアちゃん……?」
勇者「怪我はないようね。よかった」
勇者さんは、泥で汚れるのも構わず片ひざを地面についていた
側近たちは動けなかった
彼女たちの位置からでは、ちょうど勇者さんが陰になって巫女さんの表情を窺うことができない
計算された配置であることは、これまでの勇者さんを見ていればわかる
見上げてくる巫女さんに
勇者さんは言葉を落としていく
勇者「あなたは、たくさんの人々の暮らしを脅かしたわ」
巫女「……うん」
勇者「壊れたものは魔法で直せても、思い出を焼かれたことは記憶に残る。憎しみも。だから、あなたは騎士団に追われている」
巫女「わたし、やめる気はないよ」
巫女さんはきっぱりと言った
巫女「ディンゴのことは……うん、少し考える。みんなと相談して再出発するつもり」
側近たちが近づけないようにしていたから
二人が言葉を交わすのは久しぶりだった
巫女「リシアちゃんは、アリア家のひとだったんだね」
勇者「そうね。嘘をついていたわ。ごめんなさい」
巫女「聖騎士さまだ」
勇者「そう。わたしたちは、生まれながらにして称号名を持っている」
アリア家の称号名はアジェステ。アジジェステとも言う
ジェステは騎士。アジは栄光を意味する
聖騎士位、あるいは英雄号と呼ばれる称号だ
大多数の人間は、聖騎士を騎士団の上位に位置する存在であると認識している
じっさいは違う
聖騎士と騎士は別物だ。分類がまったく異なる
騎士への命令権に関しても
中隊長および大隊長には劣るとはっきり示してある
それでもアリア家に対する誤認がまかり通っているのは
彼らの功績があまりにも華々しいからだ
アリア家の人間は、気まぐれに死地へと身を投じる
巫女さんの声が悲しげに揺れた
巫女「……わたしを捕まえるの?」
勇者「いいえ」
勇者さんは即座に否定した
勇者「どういうわけか誤解されているけれど、わたしたちは気まぐれなの。自分が正しいと思ったことを、ただ繰り返してきた」
感情を制御できる人間にとっては、なにもかもが等価値だから
絶対的な価値観を欲して悪徳を滅ぼしてきた
最後に残ったものが正義であるかのように
勇者さんは言った
勇者「だから、なにか困ったことがあったらわたしを頼りなさい」
巫女「そんなの無理だよ。リシアちゃんは貴族だもん」
勇者「貴族は滅びないわ。たとえ王国が滅んだとしても、名前を変えて、どこまでも生き延びる。もしも貴族を滅ぼせるとすれば、それは同じ貴族だけ……」
囁くような声音だった
勇者「あなたは、きっと歴史に名を残すような魔法使いになる……。わたしに協力なさい」
聞きようによっては貴族を滅ぼす手伝いをしろと言っているように聞こえる
巫女さんは動揺していた
巫女「どうしてそんなこと……」
勇者「自己満足みたいなものね。考えておいて頂戴」
そう結んで、勇者さんはひらりと立ち上がった
振り返って頭上を見上げる
勇者「アイオ」
怜悧な眼差しが緑のひとをとらえた
勇者「あなたはどうなの? わたしになにをくれるの?」
緑のひとはぽかんとしていた
緑「……え?」
察しが悪い緑に、勇者さんは片手を突き出した
手のひらの上で、初夏の日差しが踊るかのようだ
勢いあまって刀身を形成したところで、だれに咎めることができようか
くるりと手首を返した勇者さんが、光で構成された精霊の宝剣を掲げる
歴代の勇者たちが緑のひとから聖☆剣を授かったときと同じ構図だった
ただし勇者さんの場合、あってしかるべき過程の部分がなかった
勇者「わたしは、なにをもらえるのかしら?」
だから、代わりに何かを寄越せと言っているのだ
緑のひとは、大きくまばたきをしてから
勇者さんと聖☆剣を何度か見比べて
そして、こう言った
緑「……え?」
子狸「…………」
泥狸も勇者さんに習って前足を差し出した
勇者でもないのに意地汚いポンポコである
子狸「お前が、秘蔵の魔さくらんぼを隠し持っているのはわかってる」
緑「!?」
緑のひとが目に見えて動揺した
妖精「……ほう」
魔さくらんぼと聞いて、羽のひとが目の色を変えた
魔改造シリーズの中でも宝石と称されるレア種である
小さな手を差し出す
狐娘「おいしいの?」
狐娘に尋ねられて、泥狸はかぶりを振った
子狸「おいしいとか、そういう次元じゃないんだ。まず見たことがない」
狐娘「まじか」
狐娘も続いた
勇者「…………」
なんだか食いしんぼう集団の棟梁みたいになってしまった勇者さんであった
アレイシアン・アジェステ・アリア。聖騎士の初夏である
巫女一味の視線が痛い