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北斗七星の女

作者: 痩せ型
掲載日:2026/08/13

夏なのでホラーサスペンスを!

夕方になっても街はまだ暑かった。昼間の殺人太陽はもう地球の裏側に落ちたというのに、茹だるような熱気は相変わらずで、ジーッという油蝉の鳴き声が気怠さに拍車をかけている。


(たしか、32歳のOLだったか)


男は信号の前で立ち止まると、スマホでマッチングアプリを開いた。喫茶店のケーキと、後ろ姿が映った写真だけが載ったプロフィール。名前の欄には「ショウコ(32)」と記載されている。


(メッセージしかやり取りしてないが、まぁ会ってみないことにはな)


男は時間を確認する。ショウコとの待ち合わせは18時。このまま向かえば十分間に合うだろう。


信号が青に変わる。横断歩道を渡りながら、男はぼんやりと元カノたちのことを思い出した。


(一番長い女で1年か。今回はもう少し保つといいが)


原因はわかっている。愛がどうのという話ではない。要は、金銭の問題だった。


(愛さえあれば、と思えりゃいいんだがね。これに関しちゃしょうがない)


思えば、最初に付き合った女が悪かった。頼んでもいないのに「好きだから」とやたら貢いでくる。拒む理由もないと受け取っているうちに、随分な額になっていた。


結局その女とは半年で別れたが、 あの時覚えた全能感は男の恋愛観を歪めるに十分だった。


(恋愛も楽しめて、金ももらえる。こんなうまい話があるとはね)


都合のよすぎる、夢のような話だ。しかし、自分にはそれができる。そう気づいてから、男にとって恋愛と金銭は一体となった。金だけもらえればいいわけではない。愛さえあれば、というのも少し違う。どちらが欠けても満たされない。文字通り両者はORではなく、ANDの関係だった。


(貢いでくれるから好きなのかもわからんけどね。まぁそんなのは鶏卵の話でしかないからな)


「お兄さん、カッコいいすね!ホストとか興味あります?お兄さんなら速攻指名とれますよ!」


待ち合わせの場所に向かっていると、馴れ馴れしい声と共に若い男が飛び出してきた。どうやらホストの勧誘らしい。


(興味ね…昔はあったが)


目の前に突き出されたチラシを一瞥しながら、男は若い時分を思い出す。自分のこの性質はホストに向いているのではと思い、何度か見学に行ったことがあったのだ。


(まぁ結論向いてなかった。好きでもない女とニコニコ会話するのは苦痛すぎる)


「ありがとうございます。嬉しいですが、遠慮しますよ…女性と話すのは苦手で」


「なに、あんなのテクですよ!基本がわかればすぐ慣れますから…」


懲りずに追い縋ってくる声に微笑みだけ返すと、男は再び歩き出した。


(不特定多数の女と色恋するってのも性に合わないしな。浮気は良くない)


目の前の1人を本気で愛し、愛される。その証として金銭を受け取る。それが男のポリシーだった。


(一途がモットーだからな。これまでもそうだ。付き合った3人とも…)


男は過去の女たちを思い返す。


(1人目があんな貢ぎ女じゃなきゃあな…学生のくせにどっからあんな大金持ってこれたんだか)


おそらくまっとうな稼ぎではなかったのだろうが、金策について男が深く尋ねることはなかった。


(手段なんざどうでもいい。結局最後は金も愛も尽きちまったから、所詮その程度だったな)


雑居ビルを抜けると、人通りが少し少なくなった。男はおろし立ての靴をコツコツと鳴らしながら、回想とともに歩き続ける。


(2人目は…整形顔だったことしか覚えてないや。なんであんなのと付き合ったんだか…まぁ金払いはよかったよな)


ルッキズムの時代とはいえ、顔面にメスを入れた女と付き合っていたとは、思い出しても悍ましい。


(やれ目頭がどうの両顎がどうのと、いつもSNSで喚いてたな。そのくせ、虫歯ができても歯医者は怖いとか抜かして行かないんだから、バカの極みとしか言いようがねぇよ)


口の端に冷笑を浮かべながら、男は次の女を思い出す。


(3人目は…)


(あんまいい思い出はないな)


記憶の中に女の、北斗七星のように並んだ胸元の黒子《ほくろ》が浮かび上がる。過去最長の交際、そして過去最高金額を貢いでくれた女。文句なしに愛しい女だった。しかし、それだけに代償も大きかった。


(まさか、死ぬとはねぇ)


男は、彼女の名前が載った新聞記事を思い出す。ビルからの飛び降り自殺。見出しにはそう書いてあった。幸い遺書に男の名前はなく、刑事責任を問われる事態にはならずに済んだのだが。


(結婚したいなんて言い出さなきゃあな。なんで女はすぐ結婚とか言うんだろうな)


結婚をやんわりと濁したあたりから雲行きが怪しくなり、徐々に金額も減っていった。金銭が減れば、愛情も減る。両者は互いに補えるものではなく、何かで代替できるものでもない。そのうち、男から連絡を取ることはなくなり、その存在すら忘れかけていた頃、彼女の訃報を知ったのだった。


(何も死ななくても。まぁ大事にならなくてよかった)


男が足を止める。目当てのビルはこの辺だ。マップと見比べながら、男はキョロキョロと辺りを見回す。


(あぁ、あれかな)


目的地のビルが目に入る。男がその方向へ向かおうとしたとき、肩に小さな衝撃が走った。


「きゃっ…」


「おっと…」


思わず視線を向けると、小柄な女がよろめきながら立っていた。どうやらぶつかってしまったらしい。


「ちょっと…!」


「すみません…お怪我はないですか」


苛立った表情でキッと見上げる女に、男は優しく声をかける。申し訳なさげに眉を寄せて見つめると女の頬がぽっと染まった。


「あ…い、いえ!全然、あたしの方こそ前見てなくて…」


「ならよかった。気をつけてください、ここは道が狭いから」


「は、はい…!」


女が甘く蕩けた目で男を見上げる。


(うん、顔は好みだ。ただ、若すぎるか)


男は口元だけで微笑むと、女から離れた。


(いつもの音も、聞こえないしな)


名残惜しそうに見つめる女を後にして、男はビルへと向かう。


(恋をすると耳の中でなぁ…音がするんだ。硬貨がぶつかり合うような…)


大量の硬貨を一箇所に集める時のような、ジャラジャラとした音。相手を見極める嗅覚なのか、恋に落ちた時、男の耳の奥ではいつもその音が鳴り響くのだった。


(今日の女も、聴こえるといいが)


男はわずかな期待を胸に、ビルへと入っていった。


◇


「はじめまして、ショウコさんですね」


メッセージにあった特徴を頼りにそれらしい女に声をかける。ショウコ、と呼びかけられた女は少し目を上げると、ペコリと頭を下げた。


「お会いできて嬉しいです。それにしても今日は暑いですね…」


ショウコはマスクをしていた。長い前髪が目元を覆っていて、表情も杳《よう》として知れない。


「もう何か頼まれましたか」


「コーヒーを…」


蚊の鳴くような声でショウコが答える。


「じゃあ、僕もそれを…」


男もコーヒーを頼む。ショウコは黙ったまま俯いていた。


「何かデザートとか…」


「いえ…」


「カフェ巡りが趣味とのことですが…」


「まぁ少し…」


(変わった女だ)


コーヒーが運ばれてきた。が、ショウコはマスクを外したくないのか、一切口をつけない。目も当てられないほどの醜女なのか、それとも顔に傷でもあるのか…


(まぁ美醜はいい。美人が皆タイプとも限らないしな。それよりも…)


男の口角がわずかに上がる。


(聴こえる。ジャラジャラとうるさいほどに…)


耳の奥で硬貨が雪崩を打っていた。これほどまでの音は久しぶりだ。男は口の中でくつくつと笑いながら、ショウコを愛しげに見つめた。


「あの、」


ショウコが小さな声で切り出す。


「はい?」


「このあと、屋上に行きたいのですけれど…」


「屋上ですか」


聞き返す男に、ショウコはこくりと頷く。


「今日は花火が上がると聞きましたから…」


「あぁ、たしかに。屋上からなら見れるかもしれませんね。行きましょうか」


男はそう言って笑うと、わずかに残ったコーヒーを飲み干し、立ち上がった。


◇


「花火の音が遠くに聞こえますね。曇っててはっきりは見えないけど…」


屋上には数人の人がいた。皆花火目当てなのか、同じ方角を眺めている。


ショウコはなおもしゃべらなかった。仕方なしに男が話しかける。


「ショウコさんは花火お好きですか。よければいつか夏祭りでも…」


「本当に覚えてらっしゃらないのね」


「え?」


ショウコの声が男の言葉を遮る。先ほどまでとは打って変わった明瞭な声に、思わず男はショウコを見た。


黒い目が男をじっと見つめていた。別人のような視線に思わず身が固くなる。ショウコはしばらく男の反応を眺めた後、すっとマスクを外した。


ショウコの白い顔が薄闇に浮かび上がる。


「あ…あれ?どこかで…?」


額に張り付いた黒い髪。その下に浮かぶ黒い瞳。鼻先。薄い唇。それらが男の記憶のどこかにひっかかって、思わず言葉がつかえる。


ショウコは男の反応を一通り味わうと、口元に笑みを浮かべて言った。


「生前お会いしました。あなたに3840万貢ぎ、捨てられ、命を絶った鏡子でございます」


女がシャツのボタンを外す。開かれた胸元には、北斗七星の黒子がきれいに並んでいた。


「へ…?ま、まってください…冗談は…」


男がぎこちなく笑う。白い胸元に光る北斗七星が男の目を奪い、青白くなった唇を小刻みに震わせた。


(ありえない…鏡子は死んだ、死んだんだ。それは俺も確認してる、間違いない)


間違いないんだ……男はそう頭の中で繰り返しながら女を見る。間違いない。鏡子は確かに死んだ。ならば、この目の前の女は誰だ。この北斗七星はなんだ。


(まて、遺体までは見ていない…死んでなかったのか?いや、そんなはずは……)


思考がぐるぐる渦巻く。そんな男の心を見透かすように目の前の女は微笑んだ。


「ちゃんと死にましたよ。ただ、魂までは死にきれず、あの世から戻ってきたのです。あなたが私のことを悼み、悪行を悔い、心を入れ替えていたら還る予定でした。でも…」


女が一度言葉を切る。そして悲しげに目を伏せると、細い声で続けた。


「………残念です」


「ま、まってくれ、ちがう、ちがうから…話を……」


男の額に滲む汗がギラギラと光る。女は狼狽する男をなおも悲しげに見つめながら微笑んだ。その顔はマネキンのようにつるりとしていた。


「ひっ…ゆるしてくれ、悪かった、もうしない、か、金も返す!だから頼む、頼むから…」


女が笑みを浮かべながら近づいてくる。背丈は男の肩あたりまでしかないのに、その影は男の頭からつま先まで丸呑みにできるほどに大きく、暗かった。胸元の北斗七星が男に迫る。鏡子だ。これは間違いなく鏡子なのだ。鏡子があの世から還ってきたのだ。歯がガチガチと鳴って、うまく呂律が回らない。女から逃げるように後退りすると、腰のあたりに屋上の柵が当たった。


「バカは死んでも治らない。なんて言いますけれど、死んでしまっては治ったか知る由もないですよね。でもいいんです。悪性は治らない。鏡子も戻らない。なら、もう仕方ないですよね」


「へ…?戻らないって、」


「さようなら」


女はそう言うと、グッと顔を近づけた。反射的に男が後ろにのけぞる。男の身体を支えていた柵がグシャリと歪んだ。


「あっ」


男が小さく声を上げる。腐りかけた柵は男の体重でみるみるひしゃげ、ついに根本から折れた。男の目が驚いて、一瞬ギョロリと後ろを見る。そしてそのまま宙に放り出されると、真っ逆様に地上へと落下した。


遠くで花火が鳴る。ビルの下が騒がしくなった。騒ぎに気づいた屋上の数名が壊れた柵の周りに集まる。気づけば、女は屋上から消えていた。


◇


パトカーと救急車のサイレンが鳴り響く喧騒をするりと抜けると、女は鞄からハンカチを取り出した。そしてそれを胸元の北斗七星に当てると、汚れを拭うように強く擦った。黒い点がよれて、白い肌に薄く広がる。何度か擦ると、北斗七星は完全に消え、女の白い胸元だけがつるりと光った。


女はハンカチをしまうと、代わりにパスケースを取り出し、中に挟まれたプリクラを見つめた。そこには笑顔の鏡子と、隣で目を細めて笑う友人…春子が映っていた。


「バカな男。よく考えれば、死んだ女が目の前に現れることなんてあり得ないでしょうに。鏡子はなんであんなバカな男に…まぁもう言ってもしょうがないね」


春子はそう吐き捨てると、電話を一通かける。


「あ、お世話になっております。はい…先日施術いただいた…えぇ、おかげさまで。ところで、すみません…せっかく施術いただいたところ恐縮なのですが、顔を戻してほしくて…はい…金額はまぁいくらでも…はい…はい…」

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