酔った君に、ひとめぼれしたんだ。
静かなホテルの部屋。
シーツの擦れる微かな音と、君の規則正しい寝息だけが響いている。
……可愛い。
アルコールで熱を帯びた、ほんのり赤い頬。
無防備に開かれた唇。
あんなに酔い潰れて、見ず知らずの俺にすんなり着いてくるなんて。
ひとめぼれ、だったんだ。
こんなにも甘くて、柔らかくて、俺を狂わせる熱。
さっきまで俺の下で泣いて、喘いで、俺の全部を受け入れてくれた君。
でも、俺はまだ、君の何ひとつ知らない。
名前は?
どこに住んでいるの?
普段は、どんな声で笑うの?
知りたい。
君の、全部を。
サイドテーブルに置かれた、君のスマートフォン。
そっと手に取って、真っ暗な画面を向ける。
すぅ、すぅ、と心地よさそうに眠る君の顔の前に。
……カチッ。
あっけなく開錠されるホーム画面。
顔認証、なんだね。
無防備すぎるよ、君は。
俺みたいな男に捕まったら、どうするつもりだったの?
……ああ、もう、捕まってるか。
仄暗い部屋の中で、液晶の光が俺の顔だけを青白く照らす。
まずは、プロフィール。
……ふふっ。
家、近いね。
俺の部屋から、歩いていける距離だ。
誕生日も、俺とひと月しか違わない。
運命、ってやつかな。
それに……すごく、可愛い名前。
何度も、声に出して呼びたくなる。
俺の連絡先、勝手に入れておくよ。
これでいつでも、繋がるね。
次は、アルバム。
君の日常。君の視界。君の、生きてきた世界。
あ……。
ははは!
可愛い猫、飼ってるんだね。
君が撫でてる動画、すごく優しくて、とろけるような甘い声が出てる。
……ちょっと妬けるけど。
でも、いいよ。
今日から俺も、犬派から猫派に変わるから。
君の好きなものは、全部、俺の好きなものになるんだ。
……ん?
画面をスクロールする親指が、ピタリと止まる。
こいつ、誰。
写真の中で、君の肩に腕を回してる男。
サークルの飲み会?
職場の同僚?
それとも……。
……邪魔、だな。
ブロック、して。
消去。
あ、この着信履歴の男も。
これも、これも、これも……。
ピ、ピ、と無機質なタップ音が響く。
君の視界に映る必要のないゴミは、俺が全部、綺麗に掃除してあげるからね。
君の時間は、もう全部、俺のものなんだから。
これで、君のスマホから、不快な虫の羽音は消えた。
液晶を伏せて、薄明かりの中、もう一度君の寝顔を見下ろす。
そっと前髪を撫でると、
君は「ん……」と小さく身じろぎをして、俺の手に擦り寄ってきた。
……あぁ、可愛い。
どうしようもなく、愛おしい。
俺が好きになった、君。
俺が見つけた、俺だけの、君。
もう、誰にも、絶対に見つからないようにしてあげる。
――……んっ。
微かな声。
シーツが大きく擦れる音と共に、君が、目を覚ました。
焦点の合わない瞳が、ゆっくりと俺を捉える。
そして、昨夜の記憶が繋がったのか……
君の華奢な肩が、ビクッと大きく跳ねた。
怯えたように、毛布を胸元に引き寄せる。
「……あ……、」
震える君。
潤んだ瞳が、部屋を見回して、戸惑って、
そして慌ててベッドから逃げ出そうとする。
ガシッ。
細い腕を、強めに掴む。
「どこへ行くんだ?」
「……っ、帰ら、なきゃ……」
「ダメだよ」
力任せに引き寄せて、再びベッドに押さえつける。
「俺のそばにいてよ」
「……っ、は、なして……!」
「足りない。……全然、まだ足りない」
抵抗する君の首筋に顔を埋めて、深く、その匂いを吸い込む。
「まだ、君を抱き足りないんだ」
「……こんな、そんなつもりじゃ、なかったのに……っ」
泣きそうな声で、君が首を振る。
俺は、ゆっくりと顔を上げて、君の怯えた瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「そんなつもりじゃなかった?」
ふっ、と笑みがこぼれる。
「じゃあ、どんなつもりで……あんなに俺に抱かれて、悦んでたの?」
「……っ!?」
「声、枯れるくらい鳴いて。俺の背中に爪立てて……もっと、って強請ったのは、君だよね?」
図星を突かれて、君の唇がわななく。
その熱い頬を、指先でゆっくりと撫でた。
「俺さ……初めてなんだよね。こんな風に、ひとめぼれしたの」
そう、初めて。
君の全部が欲しくて、頭がおかしくなりそうなくらい。
「……だから、責任、とってくれるよね?」
「……かえ、して……私の、スマホ……」
震える声で懇願する君の視線が、空っぽのサイドテーブルを彷徨う。
「ん? ああ」
俺は自分のボストンバッグを顎でしゃくった。
「君のスマホも、財布も……全部、俺の鞄の中」
さぁっ、と君の顔から血の気が引く。
「俺が持ってるから。……もう、どこにも逃げられないよ」
壁掛けの時計を見る。
「ああ、時間だね」
怯えて固まる君の身体を、毛布ごと抱き上げる。
「一緒にシャワーしようか? ほら、行こう」
「や……っ、いやっ、離し……っ」
暴れる君の耳たぶを甘く噛んで、バスルームへと歩き出す。
――そして、タクシーの車内。
行き先は、俺の家。
君の家からも歩いていける距離にある、俺のテリトリー。
俺の腕の中に無理やり閉じ込められたまま、君はずっと俯いて、小刻みに震えている。
「……いいの?」
頭上から、そっと囁きかける。
「返して欲しくないの?
スマホも、財布も……元の、君の日常も」
ビクッ、と君の肩が揺れる。
怯えきった君の頭を、いい子だねって撫でてあげる。
でも、もう遅いよ。
まぁ、俺の部屋のドアを開けて、中に入った瞬間――
荷物どころか、もう……
君のすべてを含めて、二度と返すつもりはないんだけどね。




