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「本っ当に馬鹿じゃないかなぁ」
君たちは、と続けようとした天使の頬に鋭い痛みが走った。
鞭で打たれた衝撃で倒れ、頭を掴まれて引き起こされる。
似たようなことを何回繰り返しただろう。何回繰り返せば彼らの気が済むだろう。
そう思って周囲を青い瞳だけで見回す。自分を囲む天使たちは複雑な表情をしており、掴まれていた頭はすぐに離された。
長様、と誰かが呼ぶ。悲痛な声で「我らが天使を統べる、天使の長様」と。
地上に降りるなど。天使の長という立場を考えて。神の怒りを買う行為だ。
神を忘れ、地上で色々な知恵を付けた『天使』たちは──地上へ降りる『素振りを見せた』からと『罰を下している』彼らは──神になったつもりだろうか。
どこに行くのかと訊かれ、地上へ降りると伝えた。
堕天するつもりかと止められ、発言を撤回せよと痛めつけられている。
彼らが頻繁に地上へ降りるのもあって、最近は地上に降りていなかった。
天使にとっての『最近』は彼らにとっての一生を軽く超える年月だからか、天使の長の急な行動に天使たちは動揺したらしい。
地上の生物との接触は最低限にすべき、何事も度を越すのは良くない。自分たちにとってではなく、地上の生物にとって。
何度も伝えたが「これだから『未だに子どもの四対の翼様』は」と聞く耳を持たない彼らを説得することを諦めたのは、『未だに子どもの四対の翼様』の感覚でだいぶ前のことだった。
その上、自分が以前に伝えていたことを指摘されるのではなく、「地上へ降りたら堕天する」と言われている。
「地上に降りるのと堕天するの意味を混同しないでくれる?」
こちらは無言でいた方が気が楽なのだが、周囲は何かしら喋っていて欲しいらしく、仕方なしに時々言葉をかけている。
手足も翼もきつく縛られ、長かった金髪は雑に短く切られ、翼は全ての羽根を毟り取られて下方の二対をもぎ取られた。
「堕天は、神によって天から堕とされる、なんだけど。君たちはそれも忘れた?」
いつになったら気が済むのかという意味も込めて呆れを見せると、天使たちはさらに複雑そうな表情になり、悲痛な声で諭してくる。
「強大な力を持っているとはいえ、我らが天使の長様は子どもだ」
「未熟な子どものままでは、地上に降りた途端に堕天してしまう」
「堕天したら、死後」
神のお膝元に辿り着けない。
痛ましげに言われ、呆気にとられた天使は。
「──あっはっ! ははっはっ! あははっ!」
声を上げて笑い出す。
自分を囲んでいた天使たちが狼狽える気配を感じたが、そちらに気を回す余裕はなかった。
虚しさと哀しさが可笑しみへと変化し、腹がよじれるほど大笑いする。
なんとか笑いを収める頃には、自分を囲んでいた天使たちは怯えるように膝を折って手を組み、頭を深く下げていた。
笑いを収めるために拘束を解いた手足や翼をばたつかせ、羽根を生やしてまで羽ばたかせ、狂いそうになる思考を必死に繋ぎ止めていたからか。
清浄な空気はそれほど撒き散らしていないが、天使たちはここまで堕ちたのか、と静かに理解して身を起こし、それだけではないらしいと気が付く。
「……あぁ、髪」
短く切られた髪が元の長さに戻っており、体につけられた傷も無くなっている。ボロ布になっていた衣も、元の形と美しさを取り戻していた。
そして。
「良かったね、君たち。神の御業を目にできたよ」
畏れをなしている天使たちに示すため、『四対の翼様』だった天使は立ち上がって背中の翼をめいっぱい広げ、微笑んだ。
もぎ取られた二対の翼、残りの二対。
加えて一対の翼が背中にあり、そのどれもが今までの翼より大きく立派で美しいものになっていた。
全部で10枚、五対の翼。柔らかく輝いている真っ白なそれらを軽く羽ばたかせれば、闇夜の中で光が軌跡を描いた。
未だに膝を折って頭を下げ、こちらを恐る恐る見上げてくる彼らに向けて、天使はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「僕の責任だろうね。君たちが様々なことを忘れてしまったのは」
天使は老いない、成長しない。死という概念を持たない、本来は生物ではない。
「天使が天使として死ぬのは」
役目を果たし、神によって還るという意味だ。
還る、無に帰す。跡形も無く。
「わかる? 天使は死んだあと、神のお膝元には行かないんだよ」
顔色を悪くする天使たちに困り笑いを見せ、「でも」と続ける。
「僕の言う『天使』は昔の天使だ。今の君たちは『今の天使』だから違うのかもしれないね」
自分で名を名乗り、翼を増やして威厳を見せ、自分が作った『役目』を担い、老いて死ぬ。
本当に、人間のようだ。
「成長しない子どもの講釈はこの辺にするよ。名前のない天使の長は、」
役目を果たすことを理由に、会いたい子がいるから。
続けようとした天使の言葉が止まる。
未だに恐る恐るといった様子で自分を見上げる天使たちの前で深呼吸し、五対になった輝く翼を緩く羽ばたかせ、固く閉じた目をゆっくりと開いていく。
青い眼差しは自分を見上げる天使たちを映さず、遠くで泣いているかもしれないあの子に向け、
「神の使徒であるルシファーは」
神から与えられ、失い、もう一度与えられた名前を口にし、
「堕天いたします」
神が提示した道の一つを選んだ。
動揺する天使たちに「だってさぁ」と肩をすくめてみせる。
「堕天しないと会えないって言われたんだよ。神の声と言葉、誰にも聞こえてない?」
絶句している彼らの様子で、誰にも聞こえていないとわかった。
「愛される役目は放棄しないよ。今さっき神と約束したところだし」
伝えよと神から告げられたので伝えただけなのだが、天使たちはまた頭を下げてしまった。
目の前に居る『子どもの天使』こそ、神であると言うように。
どうにも気の毒に思えるが、彼らは『今の天使』だ。彼らなりに神との繋がりを得る努力をするだろう。
それじゃあね、とルシファーがにこやかな笑顔で手を振った瞬間。
目が眩むほどの強い光が柱となって打ち下ろされ、一体の天使が天から堕とされた。




