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四対の翼を持つ天使と悪魔の王  作者: 山法師


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1

 天界から地上を眺めていた天使の少し遠く、後ろの方で、複数の羽ばたきと声が聞こえた。


「以前から気になっていたが、あの御方は何を?」


 降り立ったのだろう、子どもの声で誰かが訊いている。


「見ての通り、地上を眺めているんだ。単なる暇つぶしだとどこかで聞いた覚えがあるよ」


 それにしても、もう何年もああしているような、と大人びた声で不思議そうに誰かが口にした。


「何年どころか何十年、何百年じゃないか。未だに子どもなんだから仕方ない」


 四対の翼様は、と、老人を思わせる(しゃが)れた声が呆れを乗せて聞こえてくる。

 羽ばたきの音と降り立った音、声の数からして、後ろで話している天使たちは翼を一対、片側に1枚ずつの2枚を持つ天使だとわかる。天使としての清浄な空気も自分に押し負けるらしく、距離のある後ろから近づく様子はない。

 後ろで会話を続ける彼らには悪いが、そろそろ自分だけになりたい時間が迫っていた。


「ねぇ」


 存在を軽く主張するために、閉じていた翼のうち一対をやや広げて振り返り、彼らに目を向け──やはり全員、一対の翼の天使だった──声をかけた瞬間に。


「君たち、あ」


 頭を下げた彼らは「失礼致しました」と小声で述べ、丁寧な動作で素早く飛び立ち、天界のどこかしらに行ってしまった。役目を果たしにでも行ったのだろう。

 見えた天使たちは声の通りに子ども、大人、老人の容姿をしていた。全員の声に覚えはなく、かろうじて記憶に引っかかる容姿をしていたのは『老いた天使』だけ。話の内容からしても、老いた天使以外の二体は自分より随分あとに生まれたのだろう。

 老いた天使も自分よりあとに『子どもの姿』で生まれたのに、もうあんなに成長したのかと思う。


「……成長、ねぇ……」


 いつから誰が言い出したのか、天使も子どもから大人になり、老いていくという考えが当たり前になっている。

 天使も、地上の生物のように成長するのだと。


「本当、誰が言ったんだか……」


 少なくとも自分よりあとに生まれた天使なのはわかる。

 自分が『特別』だと敬われていた頃は、そんな『常識』など存在しなかった。会話をしていた彼らにとっては大昔の出来事という雰囲気だったが、天使はあの頃をよく覚えている。

 敬うように扱われる。その意味も実情も理解できていなかったあの頃。自分だけではなく、他の天使たちも何もわかっていなかった頃。

 今もわかっているかどうか。わかっていないのだろうなと、天使は地上へ体を向け直す。

 彼らにとっての『大昔』、老人姿になっていた天使が口にした呼び名で、敬意を込めて呼ばれていた。

 四対の翼様、四対の天使様。

 それが今では。


「……四対の……」


 翼があるというだけ、生まれてから全く変わらない子どもの姿をしている天使。

 翼は四対もあるが、自分たちとさほど変わらない天使様だ。

 よく言われることだった。


「みんな」


 今も昔も馬鹿だなぁと、天使は地上に青い瞳を向けて呟く。天使の言う『みんな』には、自分も含まれている。

 気持ちを切り替えようと、天使は一つ息を吐いた。

 それから大きく立派で、美しさも当然ある真っ白な四対の翼をできる限り小さくなるように閉じ、子どもらしい柔らかな金色の長髪を天界から垂らさないように片手でまとめる。どちらか一方の手は空けておきたい。

 邪魔が入って欲しくないので、他の天使たちが近づけないようにと、清浄な空気は先に周囲に行き渡らせておいた。

 身に纏っている肌と同色の白く美しい衣を、一応は着崩さないようにと気にかけつつ、腹ばいに近い状態になって地上を──さらにその下を覗き込む。

 太陽が沈んでいく、夜に移り変わろうという時間帯。

 いつもならそろそろ、現れる。

 来ない日もあるから絶対とは言えないし、あちらと約束をしている訳でもない。

 でも、来てくれるかもしれない。

 かもじゃない、絶対に。


「……来ない、かなぁ……」


 しばらく待っても現れないので、来ないのかもしれない。

 今日は、と注釈を付けようとした。


「──あっ」


 それらしい影が見えた気がして、思わず声が上がる。

 地上を挟んだ天界からの声が聞こえる訳もないが、姿を現した『その子』は弾かれるように顔を上げた。

 長い黒髪、漆黒の肌、血のように赤い瞳。頭から渦巻き状に生える、鈍色をした太い2本のツノ。極めつけは背中にある黒く巨大な翼。

 2枚だけ、皮膜で羽根のない一対の翼なのに、禍々しい存在感が天界にまで届きそうだった。

 毒々しく思えるほど豪華な服や装飾を身に纏うその子の容姿は、どう見ても子ども。

 大人の腰にも届かない背丈、子どもの容姿をした悪魔。

 天界から地上、地獄まで覗き込む自分と同じような子どもの姿をしている、天使と敵対関係にあるはずの悪魔。

 不安そうにこちらを見上げる悪魔に、見えているよと空いている手を上げて示す。

 途端に悪魔の表情が明るく柔らかなものに変わり、周囲を見回してから、こちらに笑顔で両手を振ってくれる。

 自分より子どもっぽい悪魔だな、といつも思う。

 あの悪魔がどんな悪魔か、天使は知らない。

 四対の翼様である自分が地上に降りることは稀になっていて、あの容姿を持つ悪魔が地上に出てきたことはない。他の天使たちから「このような悪魔が」という話も聞かなかった。

 相手はただの顔見知りだが、付き合いは長い。

 数十年、数百年、もっと前からこうして顔を合わせているような気もする。

 手を軽く振る天使の声、天使の持つ清浄な空気も、悪魔のいる地獄までは届かない。

 嬉しそうに両手を振ってくれる悪魔の声も、淀んだ空気も、同じように天界まで届かない。

 両手を振っていた悪魔は何かを思い出したように慌てて周囲を見回し、こちらに顔を向け直し、恐らく「またね」と言って、地獄を覗ける地上の切れ目から姿を消した。

 またね、と天使も声には出さずに姿の見えなくなった悪魔に返事をして、腹ばいから座り込む姿勢になり、地上へ目を移す。

 偶然出会った悪魔と少しの時間を共有する。生まれたばかりの自分に伝えたら、どんな反応をするかと考えてみる。


『へえ、そんなことやってるんだ』


 冷めてはいるがあっさりと受け入れられ、過去の自分に苦笑した。

 天使は生まれた瞬間から天使であり、天使としての役目なども生まれた瞬間に決まる。

 当たり前だったそれらの一部が欠けた天使は四対ある翼を使って天界を彷徨い、あの悪魔と偶然出会った。

 地上に目を向けたら、どこか虚ろな赤い瞳と目が合った。

 地獄に続く地上の切れ目から天を見上げていた、子どもの姿を持つ悪魔だった。




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