第29話 深夜のラーメンと、ルインの精一杯の『お礼』
【深夜・第四救護団事務所】
時計の針は深夜2時を回り、丑三つ時も過ぎていた。外の喧騒はとうに消え、事務所にはルインが走らせるペンの「カリカリ……」という神経質な音と、彼が吐き出す魂の抜けたような重たい溜め息だけが、BGMのように響いていた。
他のメンバーはすでに夢の中だ。双子はボーグの部屋で一緒に寝ているし、ネネは前庭の植物園(元・巨人)の中で、寝袋に包まっていることだろう。
「……終わった……。やっと、終わった……」
ルインが最後の一枚――鉄壁伯爵家への『示談書』と、役所への『始末書』に震える手でサインをし、ペンをカタリと置いた。彼は天井を仰ぎ、固まった背中をボキボキと派手に鳴らした。
「お疲れ、メガネ。やっと解放か?」
ソファで毛布にくるまって蓑虫のように仮眠をとっていたアタシが声をかけると、ルインは「ヒッ!?」と肩を跳ねさせ、眼鏡をずり落としそうになった。
「うわっ!?ア、アリス? 起きてたのか?てっきり寮に帰ったものだと……」
「腹が減りすぎて目が覚めたんだよ。寮の冷蔵庫、ボーグさんが『夜食禁止』って鎖かけて厳重に封印しやがったからな」
アタシはむくりと起き上がり、抗議の意を込めて、腹の虫を「グゥゥゥルルルッ!!」と雷鳴のように鳴らした。もはや猛獣の咆哮だ。
ルインは苦笑いをして、椅子にかけてあった上着を手に取り、よっこらせと立ち上がった。
「……ちょうどいいや。アリス、少し付き合ってくれないか?」
「あ? 残業ならパスだぞ。これ以上働いたら労働基準監督署にタレこんでやる」
「違うよ。……食事に行こう。奢るから」
「行く」
アタシは0.1秒で即答し、スリッパから靴に早変わりした。
【王都・裏通り】
深夜の王都は、死んだように静かだった。表通りの洒落たカフェやレストランはとうに閉まり、たまにすれ違うのは千鳥足の酔っ払いか、残飯を漁る野良猫くらいだ。
ルインは慣れた足取りで、街灯もまばらな薄暗い裏路地へと進んでいく。
「おいルイン。こんなとこに店あんのか?まさか『闇市』で得体の知れない合成肉を食わせる気じゃねぇだろうな」
「ここだよ。知る人ぞ知る名店さ」
ルインが立ち止まったのは、赤提灯が幽霊のように揺れる、油汚れの染みついた古ぼけた店だった。暖簾には煤けた文字で『スタミナ拉麺・赤龍』と書かれている。
店の中から漂ってくるのは、換気扇を通して路地に充満する、強烈な刻みニンニクと、獣臭いほど濃厚な豚骨スープの匂い。
……なるほど。ここにお洒落さのカケラもない。あるのはカロリーという名の弾薬と、食欲という本能だけ。まさに男の戦場だ。
「……おい。あのな」
アタシは暖簾の前で立ち止まり、ジト目でルインを見上げた。
「……お前、アタシのこと女だと思ってねぇだろ?ラーメンって。別にいいけど」
百歩譲って『お礼』の飯だとしてもさ、普通はもうちょっとこう……あるだろ?薄暗い照明のバーとか、夜景の見えるテラスとか。
深夜の裏路地でニンニク増し増しラーメンって、完全に部活帰りの男子高校生扱いじゃねぇか。
アタシの指摘に、ルインはまじまじとアタシの顔を見た。街灯の下、アタシの金髪が夜風に揺れる。ルインは少しバツが悪そうに頬をかいた。
「いや、思ってるよ。……悔しいけど、君は黙っていれば、どこに出しても恥ずかしくない深窓の令嬢みたいに『可愛い』とは思う」
「あ?」
「……でも、その可憐な口から『肉食わせろ』とか『ぶっ飛ばす』とか聞こえてくるたびに、僕の脳が『これは猛獣だ』って認識を修正するんだよ」
「なんだと?」
「だから、君にはフレンチより、ここの『特製全部乗せ・麺トリプル』の方が似合うし、喜ぶと思ったんだ」
「……ふん。よくわかってるじゃねぇか」
見た目より実用性。「ムードよりカロリー」。アタシの本質を理解している点は評価してやる。アタシは鼻を鳴らし、バサッと暖簾をくぐった。
「オヤジ! 一番高いやつ持ってこい! ニンニクは致死量ギリギリまで入れろ!」
店内はカウンターのみの狭い空間で、床は油でツルツルと滑った。アタシの目の前に、洗面器のような巨大な丼がドンッ!と置かれる。
山盛りの茹で野菜、分厚いチャーシューの城壁、そして頂上に鎮座する大量の刻みニンニクの雪山。暴力的なまでのカロリーの塊だ。美しい。
「いただきます!」
アタシは割り箸をパチンと割り、猛獣のように麺に食らいついた。
ズルルルッ!! ハフハフッ!!
熱々のスープと極太麺が、空っぽの胃袋に滝のように落ちていく。美味い。五臓六腑に染み渡るとはこのことだ。全身の細胞が歓喜の声を上げている。
隣では、ルインが普通のラーメンを上品に、しかし熱気で額に汗を浮かべながら食べている。
「……アリス」
「んぐ、むぐ……なんだよ。メンマはやらねぇぞ」
「遅くなったけど。……同窓会の時は、ありがとう」
ルインが箸を止め、ポツリと言った。
湯気の向こうで、彼の眼鏡が真っ白に曇って表情が見えない。
「君があそこで暴れてくれなかったら、僕は一生、彼らの言葉に縛られたままだった。恥をかきたくなくて、逃げて……でも君が、僕の代わりに怒ってくれた」
「……」
「昨日の伯爵の件もそうだ。君がいなかったら、僕は双子を守れなかった。君は乱暴で、口が悪くて、食費がかかるし、僕の胃痛の原因の9割だけど……」
ルインは言葉を切り、アタシの方を向いた。
曇った眼鏡の奥にある瞳は、真剣だった。
「……君が第四救護団に入ってくれて、本当によかった」
それは、ただの感謝以上の言葉だった。
淀んでいた空気を変えてくれたことへの、心からの安堵。落ちこぼれ部隊だと卑下していた彼が、自分の職場に誇りを持てるようになった、そのきっかけへの感謝。
「最初はとんでもない新人が来たと思ったけど……今じゃ、君がいない職場なんて考えられないよ」
直球だ。
変化球なしの、ド真ん中の信頼。
アタシはレンゲを持ったまま固まった。
……調子狂うな。いつもの「胃が痛い」とか「予算が」とか喚いてる方が似合ってるのに。こんな真面目な顔されたら、ラーメンの味がしねぇだろ。
「……勘違いすんなよ、メガネ」
アタシは丼に顔を埋め、残りのスープを一気に飲み干してから、ドンと丼を置いた。
「アタシはタダ飯が食いたかっただけだ。それに、ムカつく奴を殴っただけだ。……お前のためとか、そんな美しいもんじゃねぇよ」
「ふふ。そうだね。そういうことにしておくよ」
ルインが優しく笑う。
チッ、生意気な。
「なんだその余裕な態度は。ムカつくな」
アタシは空になった丼をカウンターに叩きつけた。
「オヤジ!餃子5人前追加!あとチャーハン大盛り!」
「えっ!?まだ食べるの!?さっき特盛り食べたよね!?洗面器サイズだよ!?」
ルインが素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「当たり前だろ!入ってくれて良かったって思うなら、財布の中身が空になるまでその感謝を『物理的』に示せ!」
「そ、そんなぁ……僕の今月のお小遣いが……!来月の給料日までもやし生活確定だぁ……!」
ルインが涙目になって、痩せ細った財布の中身を確認している。
その情けない横顔を見て、アタシはニヤリと笑った。
やっぱり、こいつはこうでなくちゃな。
店の外には、綺麗な丸い月が出ていた。
深夜のラーメンの匂いと、ルインの悲鳴。
……悪くない夜食だった。
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