第26話 紙切れの要塞と、アリスの『物理的解釈』
アタシたちは、昨日の勝利(事務所半壊)の余韻に浸る間もなく、新たな、そして最も厄介な敵と対峙していた。
「……で?誰だよ、そのヒョロガリ眼鏡は。ルインの友達か?」
アタシは不機嫌そうにパイプ椅子に座り、行儀悪く足を組んだ。目の前には、相変わらず無表情な執事ギュンターと、いかにも神経質そうな男が立っている。
男は分厚い六法全書を盾のように脇に抱え、鼻持ちならない態度で眼鏡をクイッと押し上げた。
「言葉を慎みたまえ。私は王宮法務局の特別監査官、ロジック・バインダーだ」
ロジック監査官は、荒れ果てた事務所と、庭でうごめく人食い植物、そして巨大な中華鍋を磨く筋肉エプロンの巨漢を見回し、これ見よがしに深く深ーくため息をついた。
「……酷い。実に嘆かわしい環境だ。スラム街の掃き溜め以下だ。こんな『不衛生』かつ『暴力的』な場所に、高貴なる鉄壁伯爵家のご令嬢を軟禁しているとは。これはもはや児童虐待の領域だ」
ロジックは鞄から一枚の羊皮紙を取り出し、ビシッとルインの目の前に突きつけた。
「よって、児童福祉法第12条および貴族保護法第5項に基づき、チコ様・リコ様の『緊急保護命令』を執行する。直ちに身柄を伯爵家に返還しなさい。拒否すれば、第四救護団の『認可取り消し(解散)』および団員全員の『公務執行妨害』での逮捕処分を下す」
「なっ……!?」
ルインが悲鳴を上げた。解散。逮捕。それはつまり、職を失い、路頭に迷い、ルインの人生が終了するということだ。
「そ、そんな横暴な!彼女たちは自分の意志でここに……!」
「意志?未成年の判断能力など法的には無効だ。保護者の同意なき家出はただの徘徊だ」
ロジックは冷徹に、事務的に切り捨てた。
「法こそが正義。法こそが秩序。いかに貴様らが野蛮な腕っぷしに自信があろうと、この『王国の印章』が押された紙切れ一枚には勝てんのだよ」
ギュンターが勝ち誇ったように口の端を歪める。
そう、これが彼らの切り札。
暴力で勝てないなら、権力とルールで一方的に押し潰す。大人の、一番汚くて効果的なやり方だ。
「ひぃぃ……!法律怖い!六法全書で殴られるぅ!」
「やっぱり私たち、道具に戻るしか……逆らえない……」
双子が絶望し、部屋の隅の段ボールハウスの中で小さくなっている。ルインもガックリと項垂れた。彼の胃袋はもう限界突破している。
「……終わりだ。法務局に睨まれたら、僕らごとき下級公務員にはどうしようもない……」
「……ふーん」
アタシは立ち上がった。
コツ、コツ、とヒールの音を無遠慮に響かせ、ロジック監査官の目の前まで歩み寄る。
「なんだね?野蛮人。私に暴力を振るうつもりか?監査官への暴行は重罪だぞ?その場で投獄刑だ」
ロジックは余裕しゃくしゃくだ。「手出しできないだろう」と高を括っている。アタシは彼の手にある羊皮紙――保護命令書を覗き込んだ。
「これ一枚で、アタシらの生活も、双子の自由も、全部奪えるってわけか」
「そうだ。それが法の力だ。絶対の盾だ」
「最強の盾ってわけだな」
アタシはニカっと、純粋無垢な笑顔を見せた。
「じゃあさ、『不可抗力』って言葉、知ってるか?」
「は?」
次の瞬間。アタシはわざとらしく、あまりにも不自然に足をもつれさせた。
「おっとっと~!足が滑ったぁ~!!誰だこんな所にバナナの皮を置いたのは~!(※ない)」
アタシの体勢が崩れる。そして、その勢いのまま――アタシの石頭が、ロジックが偉そうに掲げている「保護命令書」のど真ん中に向かって、ミサイルのように突っ込んだ。
「あぶな……!」
ビリィッ!!
乾いた鋭い音が響いた。
アタシの頭突きは、ロジックの手をすり抜け、彼が持っていた羊皮紙の中央を見事に貫通した。王国の印章が押された一番大事な部分が、紙吹雪のように綺麗に破け飛ぶ。
「あ」
ロジックとギュンターが凍りついた。時が止まった。アタシは「てへっ♡」と舌を出して着地した。
「わりぃわりぃ。床がワックスで滑りやすくてさぁ。大事な紙、破れちゃった。これじゃあもう読めねぇなぁ?」
「き、き、貴様ァァァ!!公文書毀棄だぞ!!現行犯だ!!わざとだろ!今のは完全にわざとやっただろ!バナナなんて落ちてないぞ!」
ロジックが顔を真っ赤にして、壊れた笛のような声で叫ぶ。
「言いがかりはよしてくれませんかねぇ?目撃者は?」
アタシが振り返ると、仲間たちが一斉に、示し合わせたように棒読みで答えた。
「あら~、床が濡れてたのねぇ。ツルッツルだったわぁ♡」
「……物理法則に従った、極めて自然な転倒現象だった」
「見てません。僕は眼鏡が曇って何も見てません」
ルインまで乗っかった。彼もついに腹を括ったらしい。
「ぐぬぬぬ……!紙が破れても、命令の効力は消えんぞ! 原本は役所にある!再発行して出直してやる!」
「そうかよ。じゃあ役所まで取りに帰んな。……だがな」
アタシは白衣のポケットから、クシャクシャになった一枚の紙切れを取り出した。そしてそれを、ロジックの鼻先に突きつけた。
「いいか、法律眼鏡。法がどうとか知らねぇが、こいつら(双子)は今、『病人』として第四救護団に入院中だ」
「は? 病人?」
ロジックが紙を見る。そこには、汚い字で『診断書:心がおれそう』と書かれている。
「なんだこれは!落書きか!」
「黙れ!これは正式な『診断書』だ!」
アタシは一歩踏み出し、ロジックを睨みつけた。
「病名は『重度の心的外傷』。原因は、お前らみたいな血も涙もない大人が、寄ってたかって虐めて、道具扱いして、心を殺そうとしたから。あいつらは今、絶対安静だ」
ダンッ!!
アタシは近くにあったルインの予備デスクを拳で叩き――いや、叩き割った。真っ二つになった机が、メリメリと悲しい音を立てて崩れ落ちる。
「法律眼鏡。まさか、王宮直属の救護団が出した『正式な診断書』を無視して、お前の押し通そうとしている法律とやらを違反するつもりか?病人を無理やり連れ出すなんて、それこそ『人権侵害』で訴えられるのはお前の方じゃねぇのか?」
屁理屈だ。どう考えてもただの言いがかりだ。だが、その屁理屈には、机を粉砕する物理的な破壊力と殺気が乗っている。
「で、デタラメを言うな!なんだその汚い字は!そんなもの何の効力も……」
アタシは一歩踏み出し、ロジックの胸ぐらを掴んで顔を近づけた。
「あぁん?……よく聞けよ法律眼鏡。この世にはな、二種類の人間しかいねぇんだ」
アタシは空いている方の拳を、彼の目の前で握りしめた。ギリギリと骨の鳴る音が、至近距離で響く。
「『治療する側』か、『治療される側(お前)』かだ」
「は……ひっ!?」
「今すぐこの診断書を認めて帰るなら、お前は『健康優良児』だ。だが、これ以上グチグチ文句を言うなら……お前を今すぐ『精神異常の全治三ヶ月の重患』に認定して、集中治療(ICU)室にぶち込んでやってもいいんだぞ?」
アタシはニカっと笑った。悪魔の微笑みだ。
「ひ、ひぃっ!や、野蛮だ!狂ってる!脅迫だ!暴力による公務執行妨害だ!ここは法治国家じゃないのか!?」
ロジックが白目を剥きかけながら叫ぶ。アタシは彼をゴミのように突き飛ばした。
「法治国家?知らねぇな」
アタシは白衣の裾をバサッと翻し、仁王立ちで見下ろした。
「ここは『第四救護団』だ。お上品な常識が通じると思うなよ」
ゴゴゴゴゴ……
アタシの背後から、ボーグさんが中華鍋を、ネネが緑色の液体が入った注射器を構えて、ゆらりと進み出る。
「あらん、ウチの患者に手を出そうなんて、いい度胸ねぇ♡」
「……排除する。実験体にする」
その本物の殺気と、アタシの物理的な説得力に、ロジックはついに限界を迎えた。
「お、覚えてろぉぉ!監査局に報告してやるぅぅ!貴様ら全員、極刑だぁぁ!」
ロジックは叫びながら、大事な六法全書を放り投げて、這々の体で逃げ出した。執事ギュンターだけが、その場に残り、静かに、値踏みするようにアタシを見つめていた。
「……なるほど。法の抜け穴を、物理と屁理屈でこじ開けましたか」
「どうでもいいけど。次はねぇぞ、ジジイ」
アタシはギュンターを真っ直ぐに睨みつけた。
「双子が欲しけりゃ、紙切れじゃなくて『愛情』持ってきな。……ま、お前らみたいな心が凍った貴族にゃ、一番難しい注文だろうけどな」
ギュンターは一瞬、眉を動かし、何かを言いかけた。だが、そのまま無言で深々と一礼し、踵を返して去っていった。その背中からは、昨日のような殺気ではなく、何か重い決意のようなものが感じられた。
嵐が去った事務所。
ルインがへなへなと座り込んだ。
「……やった。やってしまった。公務員を脅迫した……。診断書偽造……公文書毀棄……罪状が多すぎる……」
「へっ。紙一枚でアタシらに勝とうなんて100年早いんだよ」
アタシが鼻を鳴らすと、双子が段ボールから這い出し、恐る恐る近づいてきた。
「……アリスさん。ありがとう……ございます」
「……でも、これでもう後戻りできない。お尋ね者だ……」
「心配すんな。……お前らは余計なこと考えずに、アタシの背中(最強の盾)に隠れてりゃいいんだよ」
こうして、法的な攻撃すらも「物理(転倒)」と「屁理屈(診断書)」で回避したアタシたち。
だが、ギュンターの最後の目は、諦めではなく、「最終手段」への移行を決めた目だった。
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