第17話 絶対の純白と、真夜中の照明弾(アリス)
月明かりすらない深い森の中。草木が眠る丑三つ時、アタシたちは息を殺して潜伏していた。湿った土の匂いと、虫の音だけが支配する静寂の世界。
本来なら、闇に溶け込み、誰にも気づかれずに移動するのが「隠密任務」の鉄則だ。
……本来なら、の話だが。
「……アリス。頼むから、もう少し、影の中に入ってくれ」
ルインが巨大な木の根元で、ダンゴムシのように身を縮こまらせながら囁いた。その声は蚊の鳴くようで、切実な響きを含んでいる。
アタシたちは今、オークの斥候部隊に捕らえられた騎士を救出するため、極秘の潜入作戦を行っている最中だ。
「入ってるだろ、影に。これ以上、木にへばりついたら体が痛ぇよ。樹液でベタベタするし」
アタシは不機嫌に小声で返す。
だが、ルインの視線はアタシの顔ではなく、その下――アタシが纏っている白衣に釘付けになっていた。
「入ってないんだよ!君の白衣が!真っ暗闇の中で、満月よりも明るく光ってるんだ!」
「はぁ?」
アタシは自分の白衣を見下ろした。
……確かに。
周囲の濃厚な闇に反比例するように、この白衣だけが異様なほど純白で、清潔で、神々しいまでに輝いているのだ。
わずかな星明かりすら完璧に反射し、輪郭をくっきりと夜空に浮かび上がらせている。まるで、深海魚の発光器か、闇の中を動く巨大な歩行式照明弾だ。
「くそっ、あの耳長女……!」
「メンテナンスで『究極の防汚性能』を追求しすぎた結果、『究極の光反射性能』まで手に入れたんですよ! 泥も、墨も、闇すらも弾いてしまうから、カモフラージュができない!」
ルインが胃を抑えながら絶望している。彼の胃壁も、そろそろ限界かもしれない。
「アリスちゃん、これはまずいわねぇ。黒い夜に、その白さは浮きすぎよぉ。死装束でももう少し遠慮するわよ♡」
ボーグさんが、大きな掌で地面の湿った泥をたっぷりとすくい上げた。
「ちょっと失礼して、迷彩してあげる♡」
そして、アタシの白衣に思い切り『ベチャッ!』と塗りつけた。泥団子のような黒い塊が、純白の生地にへばりつく。これで少しは光が収まるはず――
シュワァァァァ……
炭酸が抜けるような軽快な音。
泥は白衣に触れた瞬間、淡い光と共に分解され、霧散した。
一秒後。そこには、塗りたてのように完璧な、憎らしいほどの純白が戻っていた。
「ほーら。無駄だって言ったろ?」
「あら、本当に落ちちゃったわねぇ。潔癖症にも程があるわ」
キィッ……
そんな時、少し離れた草むらから、枯れ枝を踏む微かな音がした。
オークの斥候だ。鼻の利く連中が、この森の中で不自然に輝く白い発光体を見逃すはずがない。静かに、確実に距離を詰めている気配がする。
「ネネ、何か隠す方法はないか?」
「……私が発火性の胞子で煙幕を張ることはできるけど、それは隠密じゃなくなるよ?」
「双子は?周囲の光を吸い込む『ブラックホール・バリア』とか」
「嫌だぁ!目立つものに近づきたくないぃ!」
「流れ弾が来るだろ!考えろよヤンキー!」
「薄情者どもめ……」
グルルル……
ついに、オークの斥候が姿を現した。4体。彼らは茂みから顔を出すと、即座にアタシに狙いを定めた。探す手間が省けて感謝したいくらいだろう。
「人間ダ!シロイ!モッテコイ!」
ギギギ、と粗雑な弓に矢が番えられる音がする。
ルインが顔を覆って天を仰いだ。
「終わりだ!隠密任務失敗!敵に補足された!」
「……チッ。うるせぇな」
アタシは静かに怒りを全身に漲らせた。
アタシのやりたいこと(寝る、食う、適当に暴れる)を邪魔する奴は許さない。
特に、「白衣が綺麗すぎる」という理不尽極まりない理由で足を引っ張られるのは、最高に腹が立つ。
服が汚れないのはいいことだ。だが、そのせいでアタシの評価が汚れるのは我慢ならない。
「仕方ねぇ。こうなったら、『物理的なカモフラージュ』だ」
アタシは周囲を見回した。
光を通さず、アタシを隠せるほど大きく、そしてそこそこ頑丈なもの――。
目に入ったのは、斜面に埋まっている、直径2メートルはあろうかという巨大な花崗岩の岩塊だった。
「ボーグ!悪いが『移動式遮蔽物』をやるぞ!」
「あら、素敵なアイデアね!ナチュラル素材の迷彩服ってわけね♡」
アタシは白衣の裾をからげ、巨大な岩の下に潜り込み、スクワットの体勢で両肩を入れた。全身の筋肉が軋み、血管が膨張する。
「ふんっ……!!」
ミシッ……ズズズッ……!!
地面が悲鳴を上げ、木の根が千切れる音が響く。数百キロの岩が、アタシの背中に乗って浮き上がった。
「お、おいアリス!何してる!?それを持ち上げてどうするんだ!?」
ルインの動揺をよそに、オークの弓兵たちが矢を放った。
チィン! カンッ!
放たれた矢は岩の表面に弾かれ、無力に砕け散る。
完璧な盾。そして――
「どけよ、邪魔だ!」
アタシは岩を背負ったまま、前傾姿勢で全速力で走り出した。重戦車の突撃だ。
「グギャッ!?」
アタシの前に立ちはだかったオークは、迫りくる岩壁を避けることもできず、岩の質量に押し潰され、カエルのような声を上げて地面にめり込んでいく。
ドゴォォォォォン!! ガリガリガリッ!!
静寂と隠密が求められる深夜の森に、巨大な岩が木々をへし折りながら転がる地響きと、白衣の少女の雄叫びが轟く。
もはや隠密ではない。災害だ。山崩れだ。
オークの斥候部隊は、目の前に現れた「高速で移動する岩山」に何が起こったのか理解できなかっただろう。
「な、なんだアレは!?岩が走ってる!?」
「シロイヤツハ!ドコダ!?イワノシタカ!?」
混乱する敵陣。岩の陰で、アタシは並走するルインに叫んだ。
「ルイン!この『壁』の陰から進め!アタシがターゲットの場所まで『運んでやる』!」
「あ、頭おかしい……!こんなの隠密じゃない!ただの暴走機関車だ!」
こうして、救護団の隠密ミッションは、「巨大岩石・強行突破作戦」へと強制的に変更された。アタシの背負った岩は、アタシの白衣から漏れる光を完全に遮蔽し、敵の目を欺いた。
目標地点。捕虜が拘束されているオークの野営地。木製の粗末な柵が見えてくる。見張り台のオークが、迫りくる岩を見て呆然と口を開けている。
「お届け物だァァァ!!」
アタシは減速することなく、岩を背負ったまま正面の木柵を突き破り、野営地の中央へ突入した。
ガシャァァァァン!! ズドォォォォン!!
岩の衝撃で櫓が倒壊し、テントが吹き飛ぶ。オークたちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ逃げ惑う。アタシはそのまま背中の岩を地面に叩きつけ、捕虜の檻を粉砕して救出した。
帰りの馬車。
東の空が白む頃。
ルインは胃の痛みに耐えながら、うずくまるようにしてアタシを睨んでいた。
「君のせいで、今回のミッションは『隠密』から『奇襲』、そして『殲滅』へと変化した。騎士団から『森の地形が変わった』って苦情が殺到するぞ……」
「うるせぇ。目的は達成しただろ。それに、岩を背負って走ったら、すげぇ腹が減った」
アタシは白衣の袖をパタパタと払った。岩の粉末、泥、オークの返り血。あらゆる汚れが飛び散ったはずなのに、白衣は月光のように輝く完璧な純白を保っている。新品同様だ。
「やっぱりこの白衣は最高だな。汚れないから、アタシは洗濯を気にせず思いっきり暴れられる」
アタシがニカっと笑うと、ルインは深いため息をついた。
「君にとっての最高の白衣は、僕にとっては『究極の災厄』なんだよ……。ああ、胃薬が足りない」
こうして、「白すぎる白衣」は新たな伝説(と被害報告書)を生み出した。アタシは決意した。次にエリザに会ったら、お礼としてこの岩をプレゼント(投擲)してやろう、と。
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